作品について、ホンの一言、言葉は、生きているものだと思うから、言葉が生きたがっているようにさせてあげるのが、言葉のためでは?などど思ってしまいました。
西山さん。こんにちは。
大変、含蓄のあるお言葉ですね! うなりました。
これは、西山さんがなのはなさんに書いたお返事の中のご批評でした。でも、文脈上、和香作の『雨』に対するものであったと解釈しましたので、以下を述べます。(もし、私の勘違いでしたら、ごめんなさい)
『雨』は、なのはなさんからいただいたお題の「あ」と「め」によって、十二行全部に、頭韻と脚韻をふんでいる、というのが技巧上の眼目です。西山さんのご指摘は、これらの制約が勝ちすぎて、言葉本来が持つ「のびやかさ」が殺されている、ということなのでしょうか。
のびやかさが犠牲になっているということはあると思います。でもその代わりに、反復によりしだいに抑制された力がたかまっていき、三連目の希望へ至る、書かれていない明日へと放たれていく、というながれは、失敗とは言えないのではと、恥ずかしながら自賛しております。
いかがでしょうか。
それとも、韻とか定型とかいうことではなく、どこかの言葉遣いに違和感があったということでしょうか。その言葉本来の使われ方でない箇所がどこかにありましたでしょうか。基礎的な文法は乱していないと思うのですけれど。
できましたら、お教えください。 m( _ _ )m