こんちは。
皆さん、お疲れさま。
年内には、決着を見たようですね!
『僻み』の感想
お題
ひがむ:物事をすなおに考えない。ひねくれて考える。ねじける。
ねたむ:1) うらやみ、にくむ。そねむ。2) うらみに思う。くやしく思う。
『角川国語辞典 新版』 昭和四十四年初版 編者 久松潜一 佐藤謙三 株式会社 角川書店 と、ありましたが、「ねたむ」のほうが陰湿さが深いような感じはします。
お題「僻み」は、数限りない物語を従えているはずです。つまりは、誰の胸の奥であれ押し殺されたようになりながらしっかりと棲息している。これを正視するのは、勇気がいるだろうな、と思いました。
起
正面から攻めるなら、お話は、この感情が、押し殺されたままわずかに顔を出して波紋をつくる程度となるのか、重石が壊れて剥き出しになってしまうのか、この間に生じるところでしょう。
ぱられるさんは、最も過激を選びました。
公開する文章である以上、一人では、怖い、暴挙という選択ですが、4章小説の「起」ですから、踏み出しやすかったのではと想像します。
簡潔な提示。
彼にとっての事実、外界の認識、そういう心の断片がびしびし叩き付けられて、緊張感があります。
「ぎゅっと握りしめた」ナイフが、悲劇の幕を開けるはずです。
承
が、一気に血しぶきとは行かないようです。
悲劇性を加速させて行くなら、それも有りだろうと私は思っていましたが、第一の凶行に挫折してしまいます。
「上司」が休暇というだけです。相当な計画性のなさ、行き当たりばったりという「俺」です。
こうなると、別の悲劇性、犯罪すら成就できない能力の減衰という面が浮き上がってきます。
そして、タクシーの運転手の対応が、変調を助けていく。
> 「え〜と・・・」
> あれっ。
> 美智子は何処にいるんだっけ?
ここら辺が、恐怖の中のかるみ、という味で、「狂い」を感じました。
いきなり「血しぶき」なら劇的ではありましたが、こういう展開ですとかえってそこらじゅうにありがちです。近しく感じられて、それでなお、というリアル。カオスさんならばという置き換えも読みとれます。
この変調をどう解釈するのか。「じらし」であり結局は「血しぶき」か、崩れていって「無力化」「改心」か。 ・・いやよもや、うーん、と、後の人の展開に期待がかからざるをえませんでした。
転
なのはなさんの解釈は、まだどちらとも言えない。じらしを続けられます。
> ポケットの中の煙草を探そうとして、もうないことに気付いた。煙草の代わりに
>ナイフに手が触れた。
しかし、ナイフだけは明るみに出してしまう。減衰していようとどうだろうともう引き返せない。巧妙な(作者の)手際だと思います。
「転」は、カオスさんが種をまいたとはいえ、不謹慎でありますが、ユニーク。「恐怖の中のかるみ」が増幅していく。
そして、現実でも、こういうことがありそうなのです。読んでいる私のみならず、書いている人たちも、まさかと思っているに違いないのですが、ありそうなのです。
興味は、市原さんに「血しぶき」ができるか、に移りました。
結
私はできない、と予想ました。
市原さんの筆力ということではなく、市原さんの心情が、きっとそうはさせない。
これは、当たってしまったようですね。でも、時期的にも年賀を控えており、これを踏み越えるのは、誰でも相当な覚悟が要ったかもしれません。お話の中だけのことであっても。
踏み越えてくれたなら、唸り、たたえるところだったが、という気持ちもあれば、このように収めてくれてやはり善かったという気持ちもあって、良い悪いではないです。
文章をどう書くか、よりも、どちらにするかで、市原さんも迷われたのではと感じます。
> 胸の動悸が激しく波打っていて、汗がじっとりと全身から滲みだしている。
破滅のふちにまで至ったとき、子どもたちの寝言が、心を浄化します。
有ることだと思います。無いことだとも思えます。
こういうとき人の心は、どちらにでも傾くことができる。・・もし昼の内に、すでに第一の凶行を終えていたなら、ここでも逆に振れたかもしれない。たとえ自らの子であっても。・・あるいはもし、あの変調運転手との応対がなかったら、踏み越えていたかもしれない。人の運命というのは、あやういです。
この一編からは、そういうものをいまさらのように感じます。
警官にうそを言ってかばう義父、部長の思いやり、美智子の手紙、そういうものが彼を包んでいきます。
この瀬戸際から、一陽来復、でしょう。
「結」には誤表記、脱字など散見されるのですが、細かには述べません。市原さんの気合いが、迷いを吹っ切られたことに敬意を表して。
『僻み』は、皆さんの応援歌になった、そういう気もします。