こんちは〜
ぱられるさん (Re:1145)
> 多少変な事を書いても大丈夫。ここは変な人の集まりですから、1人くらい
> 増えたってぜーんぜん。
くくく〜 (笑)
て感じですね。かえって怖がっちゃったりして(^^;
うむ。Justで一番の変なところを目指しましょうか!
# ハイビスカスが助かりそうですな。
平松高太さん (Re:1146)
> でもプラトンのイデア論が好きって言ってましたから!
おお。また哲学談義。
ideaの対語は何でしょうねえ。realかな? eros?
大昔議論したような気もしますが、忘れ果てました。
気が向かれましたら、教えてください。
市原勝美さん (Re:1147)
> 時間に流される現代人の代表M君を風刺している気がしましたが・・
> エリートO氏は社会の規範にあてはまらない器であるがゆえに画一化された
> 社会集団から阻害されてしまう哀しさ・・・
ご感想ありがとうございます。
種明かしをするようなところも特にない掌編です。
三者三様、それぞれの地獄かもしれません。
オチらしいオチのない空虚な終結ですが、負であるからこそ吸い込むような力があるかもしれない、そういうふうな気がして載せてみました。
> O氏が誰かさんのように思ってしまいました・・・・・
「誰かさん」て、私かな? ・・
淋しいひと、卑しいひと、救いがたいひと、・・これからも登場すると思いますが、みなが私です。哀や憐、たまに笑、そしていつかは・・ そんなシリーズにしていきたいと思っています。
花島賢一さん (Re:1148)
> 自分の心に嘘ついてるとやがて人生が嫌になってしまうよ。
嘘もつき通せばほんとになる、というのもまた真理かも。
どうせなら、前向きな、上向きな「嘘」、というのが味はよろしいでしょうか。
私は、「欺瞞」を抱えて、でも生きていけるのも人間と思います。
「清濁」という言葉があります。私は好きなんですけれど、やはり平松さんみたいな若い人には「清」を望んでしまう。勝手に聞こえるでしょうけどね・・
そういえば、高校の書道の授業で、一字作品を書いてパネルにしたことがあるのですが、私の選んだ文字は「濁」でした。^^;;
> ”素直な心は芸術家の良き友”天災花島賢一曰く。
ううむ。名言です。
大成する芸術家は、この通りなんだろうと想像できます。
一方、「悲劇の」と冠せられる芸術家もまたいます。自分の心に素直に従ったが為に排斥されていく、という場合もあれば、他の執着はすべて捨てて芸術にのみ捧げ尽くして、という場合もありそうで、掘り下げていくと深そうです。
カオスさん (Re:1150,1153)
> 皆さんは、一ページの容量はどれくらいなんだろう?
画像こみで一頁100KB以下に抑えて、というアドバイスをよく聞きます。
50〜100KBでも多少負担を感じますけどね。
(ま、私のHPでも、ちと重めかなあ、というところ少なからずです)
流れとして、これからは通信事情が向上するだけでしょうから、しだいしだいこの制約もゆるくなっていくと思います。ということは、それにつれて派手なのも増えていくということでしょうか・・
>PS 和香さんの哀憐笑話(二)を読んで、ピート・ハミルのニューヨーク・スケッチブックを思い出しました。
> 日常の断片をさりげなく書き、読み手に何かを渡すのは難しい事だと思っています。
> 私には、不得手な分野です。同時に読むのには好きな分野です。
> いいなぁ。ああゆうのが書けるって・・・(←少し、嫉妬)
いや〜
最高の賛辞をいただけたようで、こころ躍ります。
調子にノッテしまいそうです。^^;
『ピート・ハミルのニューヨーク・スケッチブック』というのは存じ上げていないのですが、今度本屋で見つけたら手に取ってしまうでしょう!
えへへ、月一ではなく、もっと頻繁に発表しちゃおうかな・・
ストックはうなるほどあるんですが、この中から玉を選り分けるのが大変なのです。(ほとんど残りません。ああ・・)
続けていくうちに、すこしずつ新作で、ということになるかも (^^)
> あれ(幸せの糸)・・・著作権法にひっかかるかな?
> 文中に出てくる「あの話」とは「蜘蛛の糸」の事というのは、容易にわかることだし・・・
> 内容と云いたいことは違うけれど、下地になっている話だしなぁ。
> うーむ・・・どうしよう。
> この程度なら、許されるのかなぁ?
芥川龍之介が自殺したのが、1927年。著作権は切れてますので、そのことは元からないと思います。
問題は、文芸上の良心、あるいはカオスさんの自負心、ということでしょうね。
その点でも曇りはない、と私は読みとりました。
1) 下地になっていることは、自明です。本歌取りとしてあることは、みなさん承知で読み進むと思います。
2) 姿は借りていても、述べている筋立ては全く別のほうへと導かれる。芥川はこうだったけど、俺は、・・・そういう(まだ至らないと謙遜なさるでしょうが)気概を、読者は楽しみながら、「なるほどね」と微笑む。
3) 芥川の作品は、人の「業」ということを考えさせるものだと思うのですが、カオスさんの作品は「あの話」を亡者たちが知っている点などコミカルな味付けの果てに、どこか土俗風なあるいは魔の色合いの「宗教性」まで匂わせて終結する。「地獄」の物語ならむしろふさわしいという展開ではないでしょうか。比べれば、芥川の筋立てのほうが教訓的で平板と見えなくもないです。(文章の差、というものは、さすがにあるかもしれません。でも死んでしまった人には、そのつもりがあれば、いずれ追い付けるはず)
4) 捨てがたい一品と思います。
よって、「はずそうかな?」なんて言わないで。(^0^)/
☆ 「本歌取り」について。
パロディ、とくくってしまうと軽めの語感ですが、私は「時を超えた贈答歌」とでも言いたいです。芥川だって、全てを一から作ったのではなく、仏教説話等を下地にしていたのだと思います。いにしえの先達が積み上げたものの上で、やはり無数の先達が励んでいる。さらにその上で、私たちは今日も遊べる。喜ばしいことと思います。
そしていつかは、「本歌取りをされる」ような作品を産み落とす。これはひとりカオスさんだけの大志ではない、と思料いたします。
□
では〜