こんちは〜
みなさん、お疲れさま!
『ペンフレンド』の感想
お題
「メル友」とはまた違うということで、古風なストーリーになるかとは感じたのですが、こういうお話が生まれてしまうとは予想外でした。出題のぱられるさんも驚いたのではありませんか?
まとまりのある作品と思いました。各章のバランスが『ラブレター』に似ていますよね。
ファンタジーということでは、KINZOKUさんの活躍されていた頃以来かという気もします。
起
『☆』のときにも感じましたし、HPでもそうですが、keitoさんは、独特な世界がお好きらしい。幻想的な、雪の国の物語。
あるいは、雪の国が、keitoさんの心をいざなってやまないのでしょうか。
> さあ インクをぬらせ
> ミナミは遠いぞぅ
> ミナミは遠いぞぅ
> モリをとめろと手がのびる
> そら 居場所がきえる
ドワーフたちのへんてこで賑やかな歌が、一編の進路を決めたようです。
誰もがかつて夢見たとしてもおさな子の頃のロマンでしょうから、ささくれた現実に身を置いている書き手たちは、少なからず苦労したのでは、と想像します(^^)
つまりは、keitoさんのおかげで、担当したみなさん(そして、読み手となった私たちも)、そういう夢を再び呼び覚ますことができた、ということでしょう。
楽しかったですよ。
・・・ううむ。私が指名されないで幸いだったかもしれません。たぶん、承、転、結どこであれ「あまのじゃく」が首をもたげて、かならずや踏み外れていたでしょうから!
承
絵本に添えられた文章、という直観がしました。
平松さんは、殺人鬼のお話など書かれるので、一番苦労なされたかもしれませんね。
それに、子供の頃からの絵本との関わりということもあって、ドライに裏切ることもできなかったようにお見受けしました。
「スランプ」とおっしゃっていましたが、どうしてどうして、素人ばなれした綴りようではないでしょうか。
疾走するそり、赤いマフラーを首に巻く雪男、・・絵心のある人なら一つ描いてやろうと欲の出そうな情景と思います。
> 「ここを通るモノ!通行料おいていけ!」
など、雪男の純朴そうでとぼけた話しぶりが、だからこその怖い雰囲気もあって、気に入っちゃいました。
転
寝そべって手紙を空に掲げる辺り、文章がイキイキと感じました。身体を動かしたあとの爽快感、これが素直に表われているからでしょうね。
妖虫(?)ゴマの描写が上手いなあ、そして、面白いキャラだなあ、と思いました。
# 「蟹」とおっしゃっていますが、イメージとしては、なんとなく、ゴキブリのお化けを想像(^^;
ドワーフ、雪男、ゴマと役者がそろってきましたが、これを次の一章でまとめ上げるというのは、普通の発想では、つらそうです。
起、承、転と、直進してきた物語に始末をつけるとしたら、
1) ひねりは入れずにあっさりと終わらせる。つまり、「ペンフレンドに会えました」という場面で、滑降は終点。これはあまりに単純すぎるようですが、一つの「詩」「歌」と考えれば、爽やかに走りきってくれるだけで意味を持つように思います。
2) 直進したまんま、続く、という終わりかた。「ミナミ」はまだまだ先というところで、文章はおしまいという形もあったかもしれません。「未完」というのも「完」の内と言えなくはないですから。書きようによっては、余韻があってわりといい味が出る場合も。
私なら、(もう少し肉付けするとしても骨組みは)こういう「結」を書いてしまったでしょうな。「ファンタジー」「絵本」という趣向でしたら、珍しいとまでは言えないエンディング、とも思いますので。
結
市原さんは正攻法、私から見れば、つらいと思える道を選ばれました。
最初は掲載されたものの倍ぐらいは量があったのでは?
それを一生懸命削られたので、いつもの市原さんよりもお時間がかかったのではないでしょうか。もちろん苦労はされたでしょうが、同じぐらい楽しまれたのではないかな、と推測しますよ。
「結」だけで、新規に物語を創造していると言ってもいいぐらいの力作でしょう ☆
頼もしい相棒のカミユ、悪役そのものの暗黒卿、彼らは「定番」とはいえこういう活劇にはやはり欠かせません。
変わらぬモリの視点と、それへ手をさしのべ舞踏するかのように変化(へんげ)していくサーラが、「結」の背後で旋律を奏でているのでしょう。とても巧みなそして美しい構造と思いました。
うれしかったのは、終盤、ドワーフや道々で知り合った仲間たちがモリのために戦ってくれるという展開です。盛り上がりました。
サーラとの別れ。ハッピーなんだけど、雪のように涼やかで、そうであればこそ、お題『ペンフレンド』も生きてくる、ということでしょうか・・
最後の一行、市原さんの浪漫的心情が宝石のように輝いている。
『ペンフレンド』全四章。
私は、一読者として、満足です。
☆
ただ、「あまのじゃく」という鬼としては、言いたいこともあります。
まあ、言いたいこと、というより、連想です・・
「ファンタジー」や「幻想小説」ということを考えるとき、浮かんできてしまうのが、宮沢賢治です。
彼も、「童話」を書いたはずです。
でも、今の人たちの書くものと比べるとき、ここが違うのではないかと思うのは、賢治はいつでも「現実から逃げていない」ということです。
一つでも二つでも、彼の童話を思い出してくだされば、登場する子どもたちや動物たちや化け物たちは、皆、命がけで生きている、と気づかれると思います。彼らの言葉は、私たちを突くと流れ出る赤い血のように、心からほとばしっています。
現実と夢、二つをわけへだてる理由も感じずに、彼らは(つまり賢治は)魂のままに生きている。
命という時を費やして書くのなら、どうせ書くのなら、せめて顔だけでも彼のいるあたりの高みを向いていたい、と私は願います。