ねっとCafe/nc:小説工房談話室


タイトル  :SF界公理へのあまのじゃく的反抗
発言者   :和香
発言日付  :1999-06-21 03:05
発言番号  :1611 ( 最大発言番号 :1711 )

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 こんちは〜




ぱられるさん (Re:1608)

> 「あじさい通り」 承の章

 おつかれさま!

 うむ、女性陣の三連続ですね。
 期待してま〜す ^^) > keitoさん




ROOTECさん (Re:1609)

> ・・・・・。 でも、技術者の端くれである私には分かります。 「そこに山があるから登るのだ」、と。

> 「必要だから」、ではないのでしょう。
> もちろん作る過程において、数々の成果が上がり、技術の蓄積もなされていることは間違いありませんが、 何よりそれを「作ってみたいから」なのだと私は思います。

 おっしゃるとおりのことがある、と思います。
 損得とか要不要ではなく、魂を刺激される、そういうこと。芸術家だけのものではなくて、もちろん科学者、技術者もそれに突き動かされている。
 冒険精神に満ち、新しい世界を立ち上げる溌剌とした気概を感じます。
 ・・そして、一歩間違えれば、原爆とかクローン人間とか、闇黒界の扉も開けてしまうのでしょう。
 だからするな、と言うよりも、これはもう、人の業(ごう)ですか・・ どちらに転ぶかは、「神のみぞ知る領域」なのでしょう。

 ・・・・・

 とうとう「タイムマシン」まで出てきたようです(笑)
 私も、関連する話題ということで、以下書いてみました!








SF界公理へのあまのじゃく的反抗

 タイムマシン、ワープについては、SF小説を読む際の「公理」のようなもの、疑うなんて無粋。いじめちゃえ〜 ・・・というのが、幼い頃の私だったと思います。
 が、歳を食ってきて色々知恵をつけてくると、そんなの無理じゃん、などと脳味噌が固くなってきました。

 タイムマシンという入れ物に乗り込めば、過去へも未来へも自由自在、飛行機に搭乗したときのように過去または未来という異国へ生身が降り立てる、・・というのはあまりに安易、と今は感じます。
 割り切って「魔法」ということにするならまだしも、科学の味付けをするならなのですが。
 要するにタイムマシンとは、すでに存在しないもの(過去)、まだ存在していないもの(未来)を「存在」させてしまうわけです。乗員は不変だというのですから。
 そして「存在」させるのはごく小さなものではなくて、全宇宙という大きさをそうするわけですので、べらぼうな嘘ということになります。現在の私の常識では、理解できません。
 ・・となれば、そういうべらぼうなことはあきらめて、もっとまっとうな理屈で済ませたくなります。
 もともと私たちは、時間旅行者なのですから、その進行をはしょるという手段(冷凍睡眠など)で、未来に行けます。
 現在が過去の私が見ている「夢」であったとすれば、目覚めることによって過去へ行けます。(夢ネタを使えば、目覚めれば未来ということも容易ですか。 → または人工的な夢を見る機械で、蓋然性の高い過去や未来を「夢見る」。このアイデアは、『国立博物館物語』 岡崎二郎 ビッグコミックスペリオール で連載、展開中ですね)
 別々に発展した複数の世界という考えを取り入れれば、時間軸上の影響関係がなくて同一とは言えなても、同等または相似である未来や過去を旅できそうです。(ただ、パラレルワールドとまで言ってしまうと異次元、異相世界に行けるのかという本題並の難問があって文脈上困りますな。閉ざされた地域に過去の文明や生物が生きていた、という設定などをここでは言いましょう。未来に会うということなら、宇宙人ものも包含できるかもしれません)
 私たちが行ったり来たりできなくてもいいのならば、過去の物、未来に存在できそうな物を見たり触ったり(想像したり)することは十分できるでしょう。これはもう、フィクションではなく、考古学や古典味読、そして種々の未来予測(身近なら天気予報、そしてSF小説)で実現していることですか。
 こういうものも、「タイムマシン」と考える場合なら、私はまだ夢をのせることができそうです。

 「ワープ」はこれ以上につらいでしょう。
 空間を折り曲げるとか、瞬間移動、「転送」とか、そういうことを科学的かつ具体的にこの方向でやれば可能という筋道を発想することだけでも、もしできるなら、良いSF小説が書けるというレベルではなくて、ノーベル賞並、少なくとも博士号ですよね。・・私などは、物理学の最新最奥の状況に無知である以上、何を考えついても「子供だまし」という想いがよぎってしまいます。
 仮に、「ワープ」理論が実証され、理論が実践を生んだとしても、それは、素粒子の一個か二個を一兆分の一ミリほども「ワープ」させることができた、という程度ではないでしょうか。
 日常で言う物体を「ワープ」させ、果ては宇宙船や天体までも「ワープ」させたいのですから、遠いなあ・・と途方に暮れてしまいます。
 大きな懸念としては、次の二点です。

1) 「ワープ」理論が実証され、可能ということが分かっても、現実的には不可能、というオチではないのか。つまり、桁外れのエネルギーを要するため、宇宙船一隻を数光年先に「ワープ」させるだけで、恒星一個を費消する、とか。
 それでもやりますなんていう、とんでもない種族が出現したら、宇宙評議会から惑星爆弾が無数に飛来してきそうです。
(→ 当然、銀河の星々を費消しながらお返しをワープでぶち込むんでしょうが・・
 ^^;)

2) たいしてエネルギーは要らなかった。宇宙船に詰め込める程度の機関でまかなえる。・・ということでも、宇宙船はいいとして、私たちの生身がそんなことに耐えられるのか。分子レベルなのか、原子レベルなのか、もっと下か知らないけれど、無数にバラしてから再構成させるようなイメージがありますので、普通は命はつながらないと感じるのです。
 ねえ、三つか四つぐらいに分けても死んじゃうんですもん・・

 「ワープ」という発想は、宇宙が広すぎるということが分かってきて生まれたと思います。
 大宇宙を、一人の主人公が縦横に活躍するための仕掛けが必要になったので、答えである「X」という代数を仮に「ワープ」と名付けているだけ。
 苦しく、安易ではあります。
 ここは、発想を大転換して、「大宇宙を、一人の主人公が縦横に活躍」しなくてもいい物語を産み出すべきではないか、ならば、ワープも必要ないし、と最近の私は考えています。

 まあ、個人ではなく、種としてならば私たちは理論上不死なのですし、宇宙も広すぎるとは言えない。何世代もがんばるとか、冷凍睡眠とか、受精卵だけ送り出すとか、根性を入れたロボットに行ってもらうとか、そういう方策が、今は心にしっくりします。

 冒頭に戻れば、「タイムマシン」「ワープ」などの約束事をそのまま楽しめるほど、もう無邪気ではない。
 信じさせるというよりも、心に抵抗少なくのせていく「味付け」「ひねりぐあい」が、求められるのでは、と感じます。








 付け加えれば、あれもできる、これもできると想像上の「たが」を外して行けば行くほど、物語はむなしくなっていくようです。あれもできない、これもできないと制約で引き締められているからこその、ハラハラドキドキではないでしょうか。
 たがを外す、制約で引き締める、両者の加減でしょうかね。要は。








 これらの話題に関連もありそうなので、いくつか、私の作品の中からご紹介しておきます。
 こじつけかもしれません(爆)
 上で述べた線に沿っていたり、公理を使わせてもらったり(^^;、色々遊んでます。

 未来社会の行く末、ということでしたら、

ブラックボール


 タイムマシンものと言えなくもない、

血統


 ロボットものの定番でしたら、

スズメ


 というところです。
 どれも、マスターのHPに投稿して、その後私のHPに転載したものです。そこで、どちらかで、すでにお読みくださっている方もいらっしゃるかと思います。
 まだのようでしたら、ごくごく短いものでもありますし、どうぞどうぞ!
 > みなさん








 では〜


# 「哀憐笑話」シリーズは、旧作で一つ、新作で一つを近日中にと準備しています。
 落胆される方もいるかもしれませんが、こちらの二つはSFではない予定です。
 (^^)
 


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