小説工房談話室 ■■■■■■
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 児童文学考
2001/04/18 和香 Home Page ■■■■■■ JustNet TOP

 
 こんにちは。

 炬燵を夏バージョンに直して(ただの座卓にして)、保険やら年金やらのお金を一括で払って、久しぶり定期預金などもして、ふうと一息です。
 しかし、実感しますが、ネットを始めてからお金が貯まります。散財する機会と時間がないんですね、要は。そういう場所やお店に出向かない。
 こうして皆さんとお話しするために、身だしなみを整えたり、交通機関を利用したり、飲食物を注文したりする必要がない。
 大変に、私好みですが、こういう私みたい人たちばかりになったら、経済全体によくないような感じもして、なんだか妙な気分です。巡りめぐってなにかまずいことがこちらに降りかかりそうで (笑)
 今まで無駄が多すぎたんでしょうか。本当に必要なもの、本当にしたいこと、それにじかに向き合っていると自覚できるので、現状に満足なのですが。

 無駄が削ぎ落ちていく暮らしがこれから一般化するなら、消費社会や資本主義とかも変質していくのかな。




HARUさん (Re:591)

 『漆黒』転の章、お疲れさまでした。
 電飾のように美麗です。色使い、上手ですねえ・・




ROOTEC さん (Re:595,596)

> ロシアの宇宙ステーション “ミール”、とうとう墜ちちゃいましたねぇ。

 「ソビエト連邦」の終焉でしょうか・・

 アポロ11号の月面着陸から、かれこれ三十年。
 夢の21世紀ではありますが、現実は一進一退、道遠しという感慨です。

※ 貴兄のあの秀作。
 あれはあれとして、いずれ、発展形を創ってみるという手もありそうですね。
 完全無欠の物語はまずありません。傷の修復に苦しみもがいているうちに大長編が生まれてしまった、なんて事情、聞いたことがあるし (^^)


> Re:『やわらかい朝に』

> Re:『仮面』

 両作品へのご感想、気合いが入っている、と思いました。
 レスと言うより、連想したことを、書きとめておきます。




◆ 子供と児童文学と大人 ◆

 児童文学というのは、私にとっては鬼門みたいもんですね。
 もう一つ、分からない。それを書く動機というのに行き当たらない、という感じでしょうか。
 大人の心に棲んでいる子供に語りかける、というスタンスなら把握できます。大人の心に残る古傷、遺跡のようなもの、あまやかな想い出、もちろん私にもあります。でも、これらを含めて「大人の心」なんですよね。
 字が読める人にならその理解度に応じて楽しめる、というのが文芸の普通の姿としたら、そうやってできあがった書き物をたまたま子供が読んで、それなりに面白く感じてくれれば私はそれでいい、と思います。

 大人が読んでもつまらないまたはそれほどは浮き立たない、子供が読めば楽しいまたは舞い上がってしまう、というものは確かにあると思います。
 それを書くのは、たぶんほとんどの場合、大人でしょう。
 彼または彼女は、その作品を書きつつ、どうやって自分の書いたものの善し悪しを感受するのか、ちょっと想像しづらいです。自分の心で吟味するとつまらないのに、「子供」の心なら面白いはず、と目星をつける感性。
 ・・わからないなあ (笑) やはり、慣れと経験でしょうかね。
 心の一隅でなら子供の感受性そのままで楽しむことができ、同時に、心の他の一隅がその文章と楽しんでいるその一隅を掌にのせて見回している。というような関係でしょうか。
 あるいは、例えば、英語を母語にする人たちに楽しんでもらえる物語を、日本語を母語にする私が英語で書く、というようなもどかしい作業になるのでしょうか。
 それぐらい、懸隔を感じます。私たちの幼生、子供達の生きている時空は。

 ですから、なにか、努力しても届かない才能のように感じてしまいます。私には。
 もう、万に一つの天性のようなものがないとダメなような。
 意地悪なことを言ってしまえば、たいていの場合、つまりあまりふさわしくないような気がする才能の手になるものの場合、動機や語り口にどうしてもうさんくさいものを感じてしまうのです。臭ってしまう。
 そういうのに出くわしたときは、私は大人だから、楽しくないけれど文句を言う資格もないな、と逃げたいです(笑)。善し悪しの判定は子供達にお任せしたいです。

# 子供達をいいようにだまくらかして洗脳せよ、という方向で努力するのなら、私にもいくらかは成果が出せるような気はするんですが ((爆))




◆ 母性と児童文学と反母性 ◆

 売るための児童文学の主たるターゲットは、たぶん、子供達ではない。その本を最初に手に取り、子供のためによかれと購入するお母さん達が気に入るようなもの、ということになりそうです。
 子供にお乳を飲ませるように、心もそそぎこむ。そういうことなのかもしれません。分身なのだから、お母さんがよいと感じるものは子供にもよいはず。お母さんが子供と一体化して感じている。
 一方、世の中にはお母さん達が毛嫌いするような、子供達の楽しみが(文芸関係もあればそうでないものも)あるはずです。子供達はお母さんに内緒で、逃げ隠れて、とんでもないことや気持ち悪いようなことを遊んだりするでしょうね。
 そういう表(信善浄)と裏(疑悪汚)にもまれて、だんだん大きくなる、大人になっていく、それでいいのでは、と感じます。
 子供とお母さんを引きはがしていく素(もと)になるようなものも、やはり必要でしょうから。

 となれば、お母さんという経路を迂回して子供達に届く児童文学、というのがあってもいいでしょう。あるいは、お母さんという経路に潜伏して子供に感染する反母性。
 かわいらしい顔で殺戮を重ねるTVゲームのようなものでしょうか。
 表も裏も超越するような神域に近い物語、言葉ということのような気もします。





れいむさん (Re:597)

> 特に4章小説を書いているときに感じていることを連ねてみました。

> みなさんはどうなのでしょうか。興味が尽きないところです。

 4章小説、まもなく三年になりますか。
 ずいぶん遠くまで来たようで、でもまだ、ほとんど変わらない見なれた庭につどっているだけのような。
 不思議な遊戯です。

 相手があって、仲間がいて初めて成立する文芸、創作。インターネット、掲示板、フォーラム、こういう場所にピッタリしている、ということは少なくとも言えそうです。

 ・・・・・
 最近思うんですけれど、なにもピッタリしているのは4章小説だけではないはず。具体的にすぐは浮かんでこないんですが、面白そうな遊びのアイデア、まだたくさんあるんじゃないかなあ、と。
 そろそろ、そんな動きも欲しいなって、ときたま感じています。




カルマさん (Re:598)

> 好きこそ物の上手なれ。

 まさにそうですね。
 惚れたものの弱み。苦しみもしだいしだい喜びに変わっていきます。




カオスさん (Re:599)

> 期限内にはなんとか・・・。

 お待ちしてます!








 それでは。