『ただ、それだけのために』の感想
みなさん、お疲れさまでした。
骨太の筋というより、印象点描風でしたか。
それも、様々な内なる視角から彼や彼女を生きているような。
お題
「ただ、」という強調によって、一行なのに、一章のような力がありましたね。
思いこんでいる、切羽詰まって身を乗り出している、という語感も。
劇的な題名です。
起の章
最初がナンバーズ、次がtotoかな。
まだ遊んだことはありませんが、あと十年若かったらのめりこんでいるかも。
今、私が金で遊ぶとしたら、株でしょうか。
ペンをラッキーフィンガーとなぞらえるところ、新鮮です。
でも冷静に眺めれば、狂気の入り口の情景ですよね。
宝くじやナンバーズ、運のみの種目は、やはり確率という理(ことわり)に支配されてるんじゃないかな。
長期間、大量に投資すれば、必ず負けるわけです。寺銭をとられており、確率通りの結果に収斂していってしまうので。
よって、短期間、少量の投資で、結果を出せるかどうか。ここが分かれ目ですか。
さっさと勝って(回収して)、勝ち逃げをする。
大多数の負け組は、夢を楽しむという方向ですかね。
競馬やtotoは、運だけとは言えないけれど、努力のしがいがあるように見えるところに、陥穽があるような気がします。競馬における私の経験では、気合いを入れて隙無く検討すればするほど、オッズに近い答えしか出ない。オッズ通りに買って、オッズ通りにしか来ないなら、これも、やればやるほど寺銭をマイナスされた回収しか期待できない種目です。
# となると、「努力しただけ損」みたいなところまであります。
ここまで来ると、株も似てるんですよね。
有望な会社の株は高いし、あぶない会社は安い。
株価にすでに(将来まで含めた)答えが反映している。
初心者や弱いプレーヤーを食い物にできればこちらは肥えるだろうけど、弱肉強食ということならいつでも食べられる立場になりうるし。
これも結局は、運や「にぎわい」が頼みというはかなげなモノなのかな・・
あるいは、寺銭を獲る側に回るしかないというカラクリか。
もし、株までそういうことなら、今の世の中や、資本主義というモノも、実は、相当に絵に描いた餅に近いのでは?
・・という辺りまで、最近は気づいてきましたが (笑)
承の章
ラッキーフィンガーが、なめらかに当たり番号を書き出してくれれば、起の章の気分がそのままだったのでしょうけれど。
点々と滴ったのは、謎めいたつぶやき。
上で私が述べたような「はかなさ」を教えてくれているのでしょうか。
このペンが、超常的な力によって動いたのだとしても、その意思はやはり、「彼」のなにかしらの現われなのでしょう。
とすれば、この謎文言の味とあいまって、ペン=筆=物書きという比喩が浮かんできます。
結の章で引き継がせていただきました。
転の章
いつもながら、香気ある文章です。
若い男性の行動、視点、と、途中までは感じたのですが、「サーヤ」という名前で一転、異性という可能性。
結の章を指名されてから、何度か読み直して、サーヤが男である必然はなさそうと考えました。
雨の描写に感心しました。
湿潤な風土に生きる私たちですので、なじみのある天候。
誰もがよく知っている雰囲気なので、違和感なく描出する、それでいてはっとする、という手際がむずかしいはずです。
ジブリのアニメの中のいくつかで、このはっとする雨の描写に出会ったような記憶があります。思い出しました。
結の章
前三章それぞれから、「お金が欲しい」「物書き」「さまよう女」という素材をいただいてつくった、三題噺という趣向でした。
まあ、「お話」までにはなっていなくて、ワンショットというところでしょうか。
勇気や行動力が皆無に近く、口ばかりは立つ。
獲物を嗅ぎつけると、遠慮がちに赤面までして近づき、優しく口づけするように、まずくわえる。そのうちに、大昔からの主人のように横柄になっていき、支配し、ついには丸飲みして悪態をついて去る。
そういう男を置いてみました。
四行連の繰り返し。
太鼓のようなリズムなのか、私は書きやすいです。
見て欲しいのは、サーヤですけどね。
この男という背景色に浮かびあがる彼女のたよりない白さ。
# 転の章のれいむさんにしてみたら、そんなつもりじゃ、と不本意かもね (笑)
彼と彼女の行く末に、安易な希望はありません。
でも、はかなさというのはやわらかさでもあって、私たち生き物の真実により近いはずです。
だから、それでいいのかもしれません。