平成10年2月11日(水)〜


じがばち


 深夜。雨が降っていた。
 人気ない公園では、はなびらが黒い地面に散り敷いていた。
 会社のアルバイトの娘だった。
 学校にはもう通っていないと言う。

 うちのそばに広い境内があった。
 (と、娘が話す)。
 わたしたちの町では有名だったし、子供の目にはだだっぴろく思えたよ。
 わたしの遊び場。ほとんど庭みたいもん。高い樹が茂って囲んでいた。崩れそうな石灯籠がいくつか建っていたりして、それなりに神社っぽいんだけど、おもしろいのはもっと細かいところ。
 ああ、石灯籠っていえば本当に崩れたことがあるんだ。夏祭りのときにおみこしが当たって何人も死んだんだって。昔だけど。登ってはだめって言い聞かされてた。
 守るわけないよね。頭の高さぐらいまでは足場もあるしわたしでも簡単に登れた。もっと上の、細くなる所はかじりつくようにしないとだめなの。灯籠の窓の、穴のある屋上みたいところ、あのてっぺんにすわった男の子、一人だけ見たよ。でも、灯籠で遊んでるときと、あとお賽銭箱をいじくってるときだけは神主さんが怖かった。
 本気で子供を殴るんだもん。みんなびくびくもんだった。
 神主さんが来たぞうーって誰かが見つけると、石灯籠からとびおりてぱあって逃げるんだけど、上の方にかじりついてる子ほど、この場合も不利なわけよ。おどろいて転落しちゃった奴もいた。だから、てっぺんにすわった男の子は最高に勇気があった。今、考えてみても。
 神主さんにもお嫁さんがいてね、その人がお参りのしかたとかを教えてくれた。紐のついてるがらがらを鳴らしたりのあれね。
 そうだ、その前に手も清めなきゃいけなかった。知らない子供が来て、それがわたしより小さかったり女の子だったりなら、わたしが今度は教えてあげた。お姉さんぶりたかったのかな。
 誰もいない境内で遊んでることがほんとに多かった。大人がお参りに来てもたいした数じゃないし、子供の頭では人数にかぞえないと思う。たぶんすごい孤独だったのに、それ感じなかった。
 てみず舎からあふれた水がちょろちょろ流れてるの。年中流れてるからちゃんと溝になって、わたしにとっては小川だった。あめんぼを眺めたり、みみずをつっついたり、好きだったよ。大きな蟻をつかまえて泳がせてみたりね。
 石畳の余りみたいのが何十枚もたてかけられてそのまま何十年もほったらかしにされてるみたいじめじめした場所があって、水はそっちへ流れていくんだけど、石の下にはいっちゃってどこへ行くかわからない。ぐるっとまわりを歩いても、もう先へ流れ出す所はないの。
 そこに誰かが雷魚を捨てていった。湿ってるだけで泳げるほどじゃないから、雷魚たちはいつもじっとしていた。毎日見に行って、そのうち石を投げたりして、でも全然反応しなかったから、これはもう魚の屍体が泥まみれになっているだけなんだって思った。
 蟻を追いかけていて平たい石をどけたら、ぬらっとして緑みどりしたとかげが出てきたことがあったよ。わたしたち、見つめ合ってた。手を出したら、どこかにもぐっちゃった。
 古い建物が物置みたくなってたんだ。その縁の下から蛇が出てきたこともあった。ぐいって首を持ち上げてわたしをにらむの。すくんじゃった。悲鳴あげて、境内のはじからはじまで走って逃げた。
 あんなのは、もう少し大きくなってから犬に追いかけられたときの、合わせて二回だけ。
 一番おもしろかったのは、蜂なの。
 じかばち。お賽銭箱のとこへは広い石段で十五段ぐらい上がるんだけど、石段の前には白っぽい何もない庭があった。白っぽいっていうのは、土の色じゃなくて、いつもいっぱいに陽が当たっていたから。それから、銀杏の木があった。一本だけがすごく大きいの。境内の外からじゃなきゃ、全部が見えない、そんな木。御神木だったかもしれない。
 夏、茂ると、社殿より大きくてめだった。
 毎年季節になると、その白っぽい地面でじかばちが巣をつくるんだ。わたしだけが知っていた。黒いつやがあって胴がきっちりくびれていて、茶色いベールが翅。じかばち。見たことない。羽蟻のお化けみたい感じ。
 わたしが行くともうその辺りに砂の丘ができていた。そのいくつかは途中で放り出しちゃった巣で、いくつかはこれからもっと掘る巣なわけ。蜂の姿が見えなくてもいいのよ。わたしはじっとしゃがんで待っていればいいの。必ず飛んで来て、どれかの砂山にとりついてくれたから。
 せっせっと前脚で掘って砂がおしりの下からとぶんだ。だから砂山はちょっとななめの形をしている。うふふ、こんな形ね。
 ここに穴の入り口があって、ふふ。
 じかばちがね、からだがすっぽり入るまで掘ると、わたしはちょっと動いてのぞこうとするんだ。でもすぐ砂をかき出しにおしりからはいずり出てくるから、わたしも元に戻って、息を殺すわけ。
 穴から砂の飛沫だけとび出るようす、今でもはっきり見える。
 掘り進んで行くと、運び出される土の色が少し変わっていくの。
 何匹か来たから、見えなくなると別の掘り始めを眺めたりもできた。巣ができると今度は狩りに行って、いも虫なんかつかまえて来るんだけど。
 わたしはとにかく、穴を掘るじかばちが好きだったの。ほんとに何時間でも、しゃがんだままで見ていられた。陽射しが強い日は、親が帽子をくれた。わたしがそうしてるのが、何年かするうちには、知れちゃって、もうその季節のその時期の病気というふうに思われたらしいのよ。
 いったい何年生まであれをしていたんだろう。お母さんが遠くからわたしの名前を呼ぶの。ごはんですようって。

 私の記憶を娘がかたっている。
 後で調べると似我蜂が正しいらしい。
 「じかばち」と言っていた。
 地下蜂のつもりで、聴いていた。
 朝、同じ公園を通ると、一面があわく染まっていた。