めたせこいあ第2輯(随筆)

平成11年(1999)6月発行

目次
「ただいま模索中・長尾朝子」 「書縁・植松法子」 「般若心経の扇子・廣田庸子」 「清涼剤のようなお話・植野京子」

2004/2/1更新

ただいま模索中

長 尾  朝 子

 ここ数日、四、五時間の睡眠の夜が続いた。
 早寝早起きの知人の話を聞くにつけ、そのさわかな目覚め、聡明な脳の回転であのようないい文章が、詩心がと資質は然ることながら、あやかってみようと試みたが俄か修行は身に付かない。早く寝についても知人のように四時起きで机に向かう態勢は得られなかった。結局日昇時刻まで、ぐっすり眠ってしまうのである。これは明け方三時に寝についても同じなのである。
 レム、ノンレムの眠りは九十分毎とも聞いた。元来、夜型人間の私は短時間に熟睡する習慣が身に付いてしまったのかもしれない。
 入浴の大好きな私は、どんなに遅くともこれだけは欠かせない。ソーラーから湯を注ぎ若草色の入浴剤、レモンの香りにとっぷりと浸かる。そして宗次郎のオカリナの音でウルムチ、トルファンそして敦煌の旅を彷彿と再現する。何がリラクゼーションといっても、今のところこんなにも寛げる時は他にない。
 このたゆたいは、物の書によると、母親の胎内、羊水に浮いての浮遊感とあった。まさにそれと私は信じている。まだこの世に産声を挙げないうちから識っていた感覚であろう。そして一気に深い邃い眠りに陥ちてしまうのである。とはあれ夜型という自然にさからうことの百害あって一利ない健康法を思うとき、私は今、より自分に適したバイオリズムを模索中である。



書   縁

植 松  法 子

 こんな言葉はないのかもしれないが、最近本を読んでいて、縁ということを感ずることがたびたびある。縁とは選ること、または寄ることかもしれないとも思う。
 今年度の直木賞作家、車谷長吉の『塩壺の匙』という小説を読み、その重い表現と、私小説を書くことは女が春をひさぐようなものだという、もの書きとしての覚悟と業のようなものに打たれた。しかしその後作品の発表がなく気にかけていた。
 過日、図書館で偶然手にした詩集は、心を病む人との暮らしがテーマで、何故か身につまされて何度も読んだ。程なく出版された車谷のエッセイから、その詩人が彼の奥さんであることを知った。
 また、私の敬愛する作家同士というのは親交があることが多い。澁澤龍彦、高橋和巳、武満徹などのエッセイを読むと、お互いが映発し合っていることを感じる。そんな時は、自分も仲間であるかのような親密感を感じ悦に入る。
 高橋和巳と言えば、奥さんである高橋たか子と音楽家の坂本龍一それぞれのエッセイを一緒に読み出したことがある。高橋の本には、夫和巳を世に出した雑誌『文芸』の編集長坂本一亀という人物がたびたび登場していた。読んでいくうちにその人こそもう一冊の著者、坂本龍一の父親であることがわかりおどろいた。
 こういう偶然を共時性というのだそうだ。好みが呼ぶ偶然というよりは、二冊が私に近寄ってきたという気がする。読む喜びの倍加するときである。 


般若心経の扇子

廣 田  庸 子

 先日タンスの引き出しの隅から古い扇子が出てきた。もう竹の骨は折れ、紙も少し破けているが、そっと広げてみると、そこから若い日々の或る一日の思い出がゆらりと立ち上がってきた。
 黒い扇面には金字で般若心経が書かれている。この扇子は秋篠寺のご住職が下さったものである。
 学生時代、もう三十数年も前の話だが、京都、奈良を歩き回るのが好きだった。お寺や教会に泊めていただき、昼間は道をききながらひたすらに歩いた。
 東大寺のお水取りを見た後、まだ肌寒いけれど良く晴れた昼下がり、秋篠寺を訪れた。境内に入ると明るいひざしが降り注ぎ、聞こえるのは小鳥の囀りのみ。人っ子一人いない御堂にはあの美しい伎芸天が静かに、力強く立っていた。目を伏せて瞑想にふけっているようにも、手を合わせる私を半眼に見ているようにも思えた。
 静かな、優しくそして豊かな姿だった。その美しさにいつまでも見惚れていると墨染めの衣をまとった一人の僧が通りかかり、「お茶を一服差し上げましょう」と声をかけて下さった。庫裏の静かな座敷には鉄瓶のお湯がしゅんしゅんと鳴っていた。
 三十分程のお喋りは特にお説教がましい話題はなく、伎芸天の撮影の申し込みが多い事や、夜はよく街に飲みにいくことなど気さくな話しぶりだった。
 今この扇子を眺めながら、あの秋篠寺の佇まいこそが般若波羅蜜ーさとりにいたる道標なのかもしれないと思っている。


清涼剤のようなお話

植 野  京 子

 私の友人のAさんが、車で52号線の興津付近を走らせていたときのことです。彼女は、かなり慎重な性格でしたから車のスピードはさほどは出ていなかったようです。
 ちょうど車の間隔が開いていて、そこを横断しようとしていたお年寄りと目があってしまいました。
 彼女は車を止めてその方に道を譲りました。その方もまた、彼女の車に道を譲る様子で 後ずさりしたように見えたので、彼女はゆっくりとアクセルを踏んだのです。ところがどうゆうわけか、その方も前進したものですから、出会いがしらということになり、その方を交通事故に遭わせてしまいました。
 彼女は、申し訳ないことをしたと、毎日のようにお見舞いに行きました。被害者である方の側にすれば、骨折をさせられ痛い目にあっているのですから、彼女は責められても一言の弁解のしようもないところです。ところが、Sさん一家は恨み言一ついうでもなく、奥様は、「おじいさんが夕方行くからいけないのよ」と、かえって心配する彼女の肩をもってくれたり、息子さんも娘さんも「誰だって加害者になることがあるのですから」と同情までしてくれたのでした。
 リハビリに励んでいたSさんは、足を引き摺りながらも、Aさんが訪ねることを楽しみにしてくださり、退院された頃は「お米が取れた、蜜柑が採れた」と事あるごとに送って下さったそうです。彼女は「世の中に、こんなにも良い人が居たなんて、私はなんて幸せなのでしょう」と、明るい顔で話してくれました。
 私も、暗いニュースばかり聞くことに慣れてしまった昨今、一服の清涼剤のようなお話が清水のこ地にあったことが、たまらなく嬉しく思いました。



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Last Update:08/03/09