『めたせこいあ』はカルチュアセンターのテニスコート脇に亭々と佇立する大木。日本ではアケボノスギと も呼ばれ、中国名は水杉”生きている化石”として知られている。
高さは35メートルにも達し、幹の直径は2〜3メートルにも及ぶ。
一途に高みを目指す力強さ、飾らぬ孤高の姿には風格さえ感じさせるものがある。
・・・・・・めたせこいあ第三輯・・・・・・
∞∞∞∞∞∞∞ は じ め に ∞∞∞∞∞∞∞
歌集「めたせこいあ」にとって無くてはならない山梨隆司さんが、本号編集のさなか平成12年12月17日、とうとう帰らぬ人となりました。
本号の発行は隆司先生に、すっかり委ねておりました関係上、見送りを覚悟しておりましたが、このたびご子息の究氏によって発行の運びとなりました。
本号を山梨隆司先生追悼の号とし、心からご冥福をお祈り致します。
〜〜〜平成14年7月(長尾朝子)〜〜〜
山梨隆司氏の闘病記「いのちひと匙」はこちらからお入り下さい・・・08/03/09・・・
いのちひと匙
(さ行から始まる五十音順)
・・・ あどけなき顔 ・・・ 鈴木 千代子
● 「鳩さんよもうお出かけ」と空の巣に話す幼子まだまだ三つ
● 改札のとび出す切符をもう一度とせがむ幼名なのあどけなき顔
・・・ 君 臨 す ・・・ 鈴木 基子
● あまずゆき香りを巻き手今朝ひらく朴の一輪空に君臨す
● いくさ終り酒一升と交換せしユリノ木の梢に蝉時雨満つ
・・・ 会話にまじる ・・・ 高田 志津江
● 一日ごと色付きてくる初なりの桃に早くも蟻の行列
● 短歌とう喜寿の手習いスランプに男の孫たちの会話にまじる
・・・ 春 ・・・ 中村 はつ子
● ホトホトといやになり候春おぼろ鉛筆書きの踊るメモ帳
● 春雨に一日閉ざされ〈臆病さが運を失う〉今日の占い
・・・ 里のまほろば ・・・ 長尾 朝子
● いま一人の私探しにさまよへる羅漢場初秋の風吹くばかり
● 刈られたる蜀黍畑の切株がずんぐりむっくり里のまほろば
・・・長野行 諏訪湖周遊 ・・・ 仁科 初代
● 諏訪上社の御柱仰ぎ手添うれば男らの意気のどよめき聞ゆ
● 堰こえてきらめき落つる諏訪の水天竜となる産声をきく
・・・ シルエット ・・・ 廣田 庸子
● 曇天のくものす状の電線に見知らぬ人とつながれている
● 闇落ちて追いくるもののシルエット黒くのびきて足にまつわる
・・・ 上海の街 ・・・ 保坂 和子
● 十年前人民服の目立ちしに上海の街のこの華やぎは
● 十数ヶ国の人種住むとうバンクーバー中国文字の看板多し
・・・ 六地蔵 ・・・ 山田 きみ江
● 六地蔵の赤きフリルのよだれ掛新しくなりてお彼岸日和
● つらなりて黄色の帽子園児等のタンポポポポポ稚児橋渡る
・・・ わが住みし家 ・・・ 山梨 公子
● 安政の地震にも耐えたる古き家保存解体決めかねて久し
● ばりばりと音立てて壊すショベルカー五十余年を我が住みし家
・・・ 十 首 選 ・・・ 山梨 友五郎
● 座禅僧半眼にして何思ふ思はざりしか問ふても見たき
● 昼間でも星はある筈見えぬだけみすず云いけりむべなるかなよ
・・・ 故郷の庭木 ・・・ 山梨 八重子
● 故郷の庭に根強い譲葉は真直ぐ伸びて五十年過ぐ
● 草引けば蜥蜴が見えつ隠れつつ石の上にて暫し静止す
・・・ 次 の 飛 翔 ・・・ 和田 亥世子
● 柿若葉分け入りて飛ぶすずめ子の次の飛翔は青き大空
● 米二合研げばひと日の食足りて初老ふたりの閑けき厨
・・・ 再 び の 闇 ・・・ 池谷 照子
● 花花を尋ねつつゆく木道の一直線にどこどこまでも
● 稲光に射らるる瞬をざわめける夜の森あり再びの闇
・・・ ハーモニカ吹く ・・・ 上田 正恵
● 退園にもう一曲のハーモニカ海野厚の「背くらべ」吹く
● 今は亡き兄に従きたるハーモニカわが吹きて雛の祭り始まる
・・・ 十 人 家 族 ・・・ 植野 京子
● 携帯の電話を耳に笑い過ぐ少女は一人で一人ではない
● 枝豆を枝ごと茹でて塩を振る村井さんの家は十人家族
・・・ 世界爺(セコイア) ・・・ 植松 法子
● ひねもすを火の粉のような葉を零しメタセコイアの影うすくなる…
● セコイアはまこと世界爺月明にあらわとなりしその齢はも
・・・ 街 の 地 図 ・・・ 遠藤 啓子
● 目の高さの壁に貼りたる街の地図いまも独りの次男が住めり
● 工事中の吊橋の支柱天を衝くただそれのみのなにもない町
・・・ 逝 く 春 ・・・ 帯金 喜代
● 暁のしじまに充つる小公園梢のさくらに触れつつ歩む
● 逝く春に拍車をかけて狂ふ風さくら吹雪に吾れ身を晒す
・・・ 原 爆 忌 ・・・ 影山 芳郭
● 核兵器の廃絶叫び二十世紀最後の原爆忌暑さ極まる
● 原爆など知らぬボラの大群が秋立つ川を遡りゆく
山梨隆司さんが逝ってしまった。今更ながら、大切な人を失ったという思いを深くする。
平明な言葉の中に、生きる喜びや悲しみを込めた短歌、控えめな口調ながら、本質をつく歌評に、私自身の認識はいつも揺さぶられた。それでも私達が触れ得たのは、ほんの一端で、まだまだ尽きない魅力を秘めていた方だった。
「メタセコイア」の生みの親である隆司さん、これからも「めたせこいあ」の元に、隆司さんが残してくれた真摯な学びの姿勢と自在なあそびごころを心に刻み短歌を作り続けていきたいと思う。
ステキな人だった隆司さんを偲んで後記とさせていただいた。
隆司さんと呼びて親しみ来し君の今日は葬りの席につらなる (植松 法子)
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Last Update:05/07/13