『武夫(もののふ)の道を問う・・父・結城源心のこと』
*父も亦、会津の戊辰戦争で薩長に敗れ、明治維新以後は禄を失った仙台は伊達藩士族の家に長男として生まれ、兄弟六人、親戚の子も一人引き取っての家族の中で、早くから学費を稼ぐ為に新聞配達をして育った。
朝3時半に起き、自転車はおろか運動靴もない時代だったので、1銭5厘(当時は5厘玉という今日の10円銅貨に相当する硬貨が最小の単位で、子供の小遣い銭はこの単位であった)の藁草履(わらぞうり)を履き、脇に抱えきれない程の新聞を持って配達したが、雨や霙(みぞれ)のときは草履を三日もたすのに苦労したと言う。
そして父が述懐してして言う。
「こんな余計な苦労をしなければもっと柔道も強くなれるのにと考えていたが、結果はまったく逆だった。それでなくても大きな身体や体力に恵まれていた訳でもないのに、やはり、少年時代から生活の為に仕方なく足腰を鍛えた結果、後年技の出る身体になった」と。
3・早稲田入学まで(その2)〜〜〜海軍兵学校柔道教員〜〜〜
大正六(1917)年三月私立東京豊山中学を卒業すると牛込郵便局に勤務した。
ここは、水道橋の講道館への距離も近く、柔道の鍛錬には非常に良い環境だった。
同じ年の九月に二段、翌、大正七(1918)年三月には抜群の成績で三段に昇段した。(十九歳六ヶ月)
大正八年一月、
その抜群な技量を買われ、江田島の海軍兵学校柔道教員を委嘱された。(二十歳四ヶ月)
そこに至るには、講道館の先生方をはじめ、諸先輩の強力な推挙によるところが多かったことと思う。しかし、教員ともなれば、柔道は勿論、学力識見ともそれに見合う実力が無くては、学力、体力共に優れた若者達の指導は勤まるものではない。
(註・当時の柔道界にあって、実力では四段クラスがトップで、三段と言えば相撲でいう幕内クラスに位置していたものと思われる。)
郵便局員から海軍兵学校柔道教員への転進は、結城源心にとって向学心をさらに燃え立たせた絶好の機会
だったと思われる。
自分より二歳ほど年下の、しかも心身共に優れた若者を指導するのであるから、かなりの影響を受けたことは想像に難くない。
教員生活は一年余続くが、柔道の修練は益々厳しく続けられた。大正八(1919)年六月、第二十三回武徳祭において、「衆目の中で精錬な技を演じたり」と表彰されたのである。(次項を参照)
大正九(1920)年四月、ようやくなれてきた海兵に別れを告げ、中学時代からあこがれていた早稲田大学へ入学することになる。(以下次号へ)
明治20年代初頭、それまで西洋一辺倒であった風潮が見直され、国家主義的思想が主導権をもつ
ようになった。さらにナショナリズムの高揚とともに、武道に対する関心もたかまっていた。
明治28年、恒武天皇が京都に都を定めてから千百年目に当たる記念大祭が行われた。これを機
に4月、日本古来の各種武芸を保護奨励して、国民の士気を涵養することを目的とする
大日本武徳会が創設された。
総裁には宮家を推載し、京都・平安神宮内に本部が置かれ、各府県には支部が置かれた。
事業内容は、武道の奨励、普及、指導、大会の開催武道家の表彰などで明治40年ころには名
実ともに全国組織として確立された。
なお、教育機関として明治38年武術教員養成所が設けられ、明治44年武術専門学校、大正
8年に武道専門学校(通称武専)と改称され、明治以来の学校武道教員養成機関として中心的役割を果たした。
また、多くの名人・達人を輩出し、日本武道界に対して多大な貢献をした。
中心となる武道は柔道・剣道・薙刀・弓道で、これらの武道が集まって毎年5月4日「武徳祭」が開かれた。
昭和16年12月8日、大東亜戦争勃発とともに機構強化のために5省管轄となり、
元内閣総理大臣・林 銑十郎が会長となった。
戦後、昭和21年、GHQ(連合軍指令部)の解散指令が発せられる前に大日本武徳会は自ら事業を
中止し、同年31日付をもって解散した。
この頃の歴史を少しばかり振り返ってみよう。大正六年(豊山中学卒業)にロシア革命が起こり、社会主義国家が誕生した。翌7年(柔道三段昇段)には、シベリア出兵があり、米騒動がおこる。九月、原敬(はらたかし)の政党内閣が誕生した。更に世界を巻き込んだ第一次世界大戦終了へと続く。
大正八年、パリ講和会議が開かれ、ベルサイユ条約に調印。
第一次世界大戦
1914年(大正3)7月28日〜1918年(大正7)11月11日まで戦われた史上最初の世界戦争。
ドイツ・オーストリアの同盟国はブルガリア・トルコを味方にしたが,イギリス・フランス・ロシアの協商国は、イタリア・ベルギー・セルビア・ルーマニア・ギリシア・アメリカ・ラテン=アメリカ7カ国・日本・中国・シャムなど総計21カ国を同一陣営に組み込んで連合国を形成し戦った。
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