山に登り、山を歩く。雲をわたり風と走る。山と語り、山に微笑む

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 山を征服するという言葉がある。人間の思い上がりである。山に登らせていただいているのである。その昔、山は神そのものであった。神々の宿る場所であった。身を清めてから登ったという。天を突く峰に向かい、雲を越え、神の座に近づこうとするとき、人間は試される。肉体の試練は、汗とともに体内の邪気を追い出し、激しい息づかいと一緒に俗界の煩悩も吐き出してしまうのかもしれない。まさに六根清浄である。山頂に立ったときの爽快感は、達成の喜びや目を疑うほどの眺望のためばかりではあるまい。山にしがみついて、己の非力を思いながら、肉体と精神を無にして、登らせていただいた山への感謝なのではなかろうか。
 日常の暮らしの中で忘れてしまいそうになる自然の美しさと優しさ、そして時には命さえも賭けざるを得ない厳しさ、人間が次々と自然に手を加え、自然に逆らった生き方をしている間でも、山は変わることなくそこにあった。一見便利になっていく人間の生活に不安を覚えることはないだろうか。それに逆らって生きていくことも難しい。だから、自分の足でしか登れない山に向かい、山と対話し、自然の声に耳を傾けることで生きている証を手に入れたいのかもしれない。