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分類から書くとスナイドル銃は「銃尾開閉型莨嚢式銃」である。後装式には大きく分けて「薬室分離型」と「銃尾開閉型」が有る。薬室分離型とは、銃身と薬室が接合部で2つに分かれているモノ。現在の薬莢式リボルバー拳銃が薬室分離型である。銃尾開閉型は、銃身と薬室が同一体で、ただ銃尾の尾栓(筒の尻の部分)にあたる部分が遊底(弾丸を込める部分の扉)になっていて、自由に開閉できる。莨嚢式とは、その遊底部分が横に開くタイプの事。「刻煙草の容器に似ている」ためにこの名がついた。
1864年英国政府は、前装式エンフィールド銃を安価に後装式に改造しようとして研究を重ね、1866年に新しい形式を決定した。これをエンフィールド・スナイドル銃と呼んだ。この形式は、前装銃を後装銃に改造するのに最も適しており、戊辰戦争でも多くのミニエー銃が改造され、スナイドル銃に生まれ変わっている。
当然、スナイドル銃の性能は改造前のミニエー銃によって異なる。「元込めミニエー銃」とは、つまりスナイドル銃を指している。
長州藩薩摩藩共に、英国から買ったミニエー銃(エンフィールド銃)を所持していた為、江戸城占領後にミニエー銃をスナイドル銃へと改造使用している。官軍主力兵器となったスナイドル銃は、その威力を会津戦争で発揮した。対する会津藩は、前装ミニエー銃が主力兵器で、苦戦を強いられている。
後装式銃では、弾込め作業で銃身を立てて行う必要もなく、射撃姿勢を崩すこと無く弾込め出来た。当然、弾込め作業の失敗等は、カートリッジ使用の為に少なくなる上に、弾込め作業も素早く行えた為、射撃戦では有利に戦闘を行うことが出来た。
スナイドル銃は、国産の一三年式村田銃が開発されるまで、日本陸軍の準正式銃として配備されている。という事は、西南戦争での官軍側の主力兵器だった。西南戦争では、このスナイドル銃のほかにも官軍はエンフィールド銃を使用してる。薩軍は、スナイドル銃・ミニエー銃・エンフィールド銃・スペンサー銃など多彩に使用しているが、予備銃が少なく小銃や弾薬の補給に苦しんでいる。 |