真・日本史

               
     

ある歴史認識論争






ここには、以前私が黒岩祐治氏の「なんでもBBS」で歴史認識について議論した内容を掲載しました。今、日本で行われている歴史認識論争の縮図が表れている面もあると思います。

※分かりやすいように私の投稿を赤字お相手のSさんの投稿を青字にしてあります。









「映像の20世紀」の告発  投稿者:S 投稿 99年12月21日

みなさんこんばんは。

日々のニュースばかり追いかけていて、ふと足元を見失っていたのではないか、そんな反省をもって見ている番組があります。NHK が再放送している「映像の20世紀」です。こ の番組には、いろんな社会問題を考える上で抑えておかなければならないヒントが多く含まれているような気がするからです。昨年来、小林よしのり氏や西尾幹二氏らが中心となったいわゆる自由主義史観(修正主義史観)といったような議論が盛んに行われました。



その内容をここで細かくは論じるのは避けますが、その内容は一般に戦争を肯定→太平洋戦争の正当化→戦争犯罪の否定といった論理をたどるものと理解しています。こ れに対する批判・評価は様々ですが、今回は私が彼らに対して素朴に思った疑問をどうしてもぶつけてみたくなりました。それは、なんとまあ子供っぽい言い方ですが、



「戦争、見たことあるのですか?」



書 いていて、自分で突っ込みたくなってきましたが、続けます。というのも、この実感が自由主義史観というものへの核心的な批判となりそうだと思ったからです。自由主義史観と呼ばれる論者達一般の言動を見ていると、本当にそこまで戦争を美しく語っていいのかという恐ろしさを感じずにはいられないのです。



向 こう見ず、と言ってもいい。今 の自由主義史観の論者達は、一昔前、ベトナム戦争への従軍報道の経験がある徳岡孝夫氏などと違い、戦争の現場を見た経験が殆どない人達ばかりです。そ ういう人達が、まるで見てきたかのように戦争を語り、漫画を書く。こ れが、恐ろしいことだと思います。



私ももちろん(こんな言い方が出来るのは日本人だけでしょうが)戦場を見た経験がありません。だから、躊躇するのです。どんな社会でもそうですが、その中には、美しいものもあれば汚いものもあり、その美しい部分だけ切り取って果たしてそれを真実と断言していいのでしょうか。



彼らが自虐史観として批判する人達は、確かに、戦争の汚さばかりを切り取り、それを語りさえすれば平和が達成されると信じていました。あまりに公平さを欠いた考え方ですが、しかし彼らを批判する今の自由主義史観を語る人達の考えは、その逆の点で、公平さを欠いている、歪んだ自己肯定主義に過ぎないのではないでしょうか。



今日のスーパーニュースでも黒岩さんが語っていましたが、人間の中には自分の子供を守ろうとする優しさも、他人の子供も絞め殺してみたくなるほどの憎しみも両方持ち合わせている生き物なのです。だから、戦争を止めるのは難しいのです。



「映像の20 世紀」も他の人から見れば、どちらかといえば、戦争の悲惨さを訴えるものであり、公平さを欠いているかも知れません。しかし、当時から残された膨大な資料にあたり、検証のうえ、ナレーターの山根基世さんが抑えた言い方で語る戦争は、それはそれで、十分ではないかもしれませんが、真実に迫る作品ではないでしょうか。果たして、自由主義史観を語る人達にそういう姿勢を見出すことが出来るかというと、首をかしげざる得ません。



最後になりましたが、私はここにこのような投稿をしたことを少し後悔しています。他の政治・社会をかたる掲示板に一般に見られることですが、このような個人の政治思想の核心に触れる問題を論じ始めれば、必ずといっていいほど、自由主義史観の論者と従来の史観の論者との間の不毛で絶望的な叩き合いが展開されるからです。



しかし、ミレニアムを前に何て言ったら、流行に乗っかっている感じで少しくすぐったいですが、真面目に、本当に1 から、戦争て何だろう、という素朴で大切な問題に一区切りするのも良いかも知れないと考え、また、ここなら、論者の冷静な討論が比較的にしろ期待できそうな気がしたので、この場をお借りしてみなさんのご意見を伺いたい次第です。ど うかよろしくお願いします。






遅くなりましたが、Sさんへ  投稿者:吉岡  投稿 00年1月3日

昨年の暮の書き込みでSさんが批判された方々の活動ですが、私も興味を持って見ております。私はSさんと違い、それら運動を肯定的にとらえています。歴史認識を見直そうという方々の活動に対するSさんの捉え方を読ませて頂きましたが、個人的には、ちょっと首を傾げてしまいました。



彼らの活動の一つに、これまで、一般に知られていなかった事実を一般に広めていくという物があります。Sさんはこの部分を「美しい部分だけを切り取ってそれだけを真実と断言する」と批判されていますが、これまでは、「酷い部分だけを切り取ってそれだけを真実と断言する」という事以外は許されなかったと思います。さらに、その「酷い」部分というのが嘘だったり、いい加減だったり、実情が殆ど知られていなかったりと言う様に、あまりにもバランス感覚が欠けていたと思います。


 
私はこの掲示板で南京虐殺について何度か書かせて頂いていますので、今回もそこに絞らせて頂きますが、南京事件についても、実情が殆ど知られていないと思います。知らないのに虐殺はあった事になっています。例えば、南京攻略の際に日本軍が、どの様な命令を受けていたか、ほとんど知られていないと思います。その一部をご紹介します。



「南京城の攻略及び入城に関する注意事項」

1・皇軍が外国の首都に入城するは、有史以来の盛事にして、永
  く歴史書に載るべき事であり、世界の斉しく注目しある大事件
  なるに鑑み、正々堂々将来の模範たるべき心組を以て各部隊
  の乱入、友軍の相撃ち、不法行為等絶対に無からしむるを要す


2・部隊の軍紀風紀を特に厳粛にし、支那軍民をして皇軍の威風に
  敬仰せしめ、いやしくも名誉を毀損するが如き行為の絶無を期す
  るを要す


3・別に示す要図に基き、外国権益、特に外交機関には接近せざ
  るは固より、特に外交団が設定を提議し我が軍に拒否せられた
  る中立地帯(南京安全地帯)には、必要の外立ち入りを禁じ、歩
  哨を配置す


4・入城部隊は師団長が特に厳選せしる者にして、予め注意事項、
  特に城内外国権益の位置等を徹底せしめ、絶対に過誤無きを
  期し、要すれば歩哨を配置す


5・略奪行為をなし、又不注意といえども火を失する者は厳罰に処する



この様な命令を受け、南京の攻略に当たっています。これを見ると、当時の軍が、いかに風紀を大切にしていたかが分かります。又、外国の目に対して、かなり気を使っていた様子もうかがえます。しかし、入城した後、日本軍が不法行為を行ったと言う噂が流れた様で、これに対して、次のような通達文が出されました。



「南京で日本軍の不法行為があるとの噂だが、入城式の時も注意したごとく、日本軍の面目の為に断じて左様な事あってはならぬ。ことに朝香宮(あさかのみや)が司令官であられるから、いっそう軍規風紀を厳重にし、もし不心得者があったなら厳重に処断し、また被害者に対しては賠償又は現物返還の措置を講ぜられよ。」



これを見れば、やはり不祥事を起こしていたじゃないかとなりますが、よく読んでみれば、大々的に行われていたと言うよりは、ごく一部の者が行ったというような内容ですし、不祥事の内容も、「賠償・現物返還」という言い方から察すれば、殺人ではなく略奪行為と思われます。果たして、この様な命令のなかで、言われているような、数万人に対するレイプ、略奪、一般市民を含めた30万人虐殺が行われたのでしょうか。



大変長くなってしまい申し訳ありませんでした。しかし、これら事実はやはり皆知っておくべきだと思いますし、これまでの様に、証言だけに頼らず、この様に残された資料をさまざまな角度から検証し、なるべく事実に近づこうとしているのが、今起こっている、歴史認識の見なおしの動きだと思います。決して批判されるような事だとは思いません。







戦争犯罪についての一般論  投稿者:S 投稿 00年1月16日

明 けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年も宜しくお願い申し上げます。吉岡さんへ返事が大変遅れて申し訳ありません。今後も、仕事と勉強の都合上RESが遅れる場合があります。何とぞ、ご理解下さいますようお願い申し上げます。さて、吉岡さんの投稿にお答えする前に、私の大東亜戦争に関する一般的な見解を明らかにしておこうと思います。



1 .日本の当時の行為は、全て国際法に違反している。

かつて、国家には侵害された国家の利益を救済する手段として、戦争という自力救済が認められてきました。しかし、第1次世界大戦の目の当たりにした当時の世界は国際法上合法とされてきた戦争を疑問視するようになり、1920年の国際連盟憲章で一定の場合の戦争を禁止し、さらに1928 年の不戦条約で自力救済としての戦争は全面的に禁止されました。


(但し、正当防衛、緊急避難に当る場合は、客観的に条文に反していても違法性はないと解釈されている。自衛権もこの中に含まれる。)


つ まり、日本が戦争を正当化するには大東亜戦争が自衛権の行使に当るとされなければいけません。し かしながら、史実を見てお分かりのように、当時の日本軍の作戦地域は、アジア・太平洋全般に渡っており、これが自衛のためではない事は明白であります。よ って、日本の当時の行為は全て国際法違反です。



2 .日本には、相手国及び相手国の住民に対する戦争犯罪の賠償義務がある。

当時日本が批准していた国際条約には、不戦条約、ハーグ陸戦法規、捕虜条例、ハーグ第3条約、赤十字条約等があり、これには全て、戦争の捕虜、現地住民の保護等の義務規定があります。(全ての規定を調査したわけではありませんが、この条約に対応して日本国内で法律を整備する義務が当時の日本政府にあり、陸軍刑法などにその一部を見る事が出来ます。)


当 時、南京大虐殺等、日本軍が(もし)戦争犯罪を犯した場合はこれらの規定を根拠に戦争犯罪人の処罰、被害者への保証の義務が日本政府にあるのです。吉岡さんがご覧になったという命令書もこれらの国際法が根拠になったと思われます。



さて、次に第2段階として、日本軍が当時、戦争犯罪に当る行為を行ったか、という点を検討します。



1 .証拠となり得るものの検討

写真・フィルムなど………………

証 拠の価値は決して高くない。終戦後50 年以上が経過し、捏造品が相当数出回っている。前回、吉岡さんがニュースステーションの報じた虐殺写真が信用できないとおっしゃっていたが、それなら同じように、以前吉岡さんが取り上げた、南京の真実を写したビデオというのも証拠としての価値を否定しなければ、判断の公正さを欠いていることになるでしょう。



証言……………………………

私 は、吉岡さんと異なり、証言の証拠価値は高いと思っています。判断の方法は簡単で、南京大虐殺があったという日から近ければ近いほど、証拠としての価値は高いと判断できるからです。(まさか、終戦直後の人達が、今のような状況を予想して発言するとは考えられませんからね。)


有力な証言として私が考えているのは、ジャーナリストの証言です。当時の証言は、場所もバラバラ、時期もバラバラ、見た人もバラバラだし、決定的なのはそれらの人同士の人間的なつながりが薄いことです。(つまり、「示し合わせた」可能性も低い)文芸春秋社発行した「南京大虐殺のまぼろし」という本はそれらの証言を録取しています。



実行者の証言……………………

こ れが確か、確かあるのです。櫻井よしこさんが、私の大学で講演されたとき、紹介していたのですが、当時の日本郡の一部隊がどのような行為を働いたのか、徹底的に調査した物があったと思ったのですが。これについては次回ご紹介します。



さて、事実の検討をする上で、二つほど、忘れてはならない注意点があります。一つは、たびたび吉岡さんが指摘された捏造という問題。もう一つ忘れてはならないのが、当時の軍部が行った証拠の隠滅(証明妨害)です。終戦直後、軍部が戦争犯罪隠しに証拠を隠滅したという話は枚挙に暇がありません。



また、戦時中も内務省による指示で、政府の意に添わない記事は発行禁止・差し止めができる状態だったのです。このような状況下で、戦争という極限状態の中、も間違いが起きないなどということがありえるでしょうか。歴史上、いわゆる戦争犯罪を起こしたことの無い軍隊など、ただの一つも無いし、これからも無いでしょう。当時の何百万という日本軍人が全て聖人君主だったなどということは私にはとても信じられないのです。


も ちろん、戦後いわれるようになった日本軍の行為の中には、おそらくやってないだろうと言うものも含まれます。(代表的なのは南京大虐殺の死者の数でしょう。当時、南京市民15万人、国民党守備軍5万という数からすれば、30 万人などという死者は物理的に不可能です。)しかし、戦後出てきた数々の証言・写真・フィルム等の一部に嘘があるからといって、それで全てが無かったことにしようといういわゆる自由主義史観論者のいうことはあまりにも虫が良すぎます。



私は、南京大虐殺について全ての資料を調査したわけではありません。ただ、一般論として、今まで「南京大虐殺はあった」という人達、そして、「なかった」という人達の両者に、余りにも嘘つきが多すぎるとは思っています。



それから、吉岡さんが掲示された命令書については、日本が問われている戦争犯罪とは、その命令書に当る事実があったにもかかわらず、当時の軍人・政治家たちがことさらにそれを放置したという点が争点なのです。(命令書があったかどうかが問題ではない。)と いうわけで、吉岡さんの掲示した命令書は南京大虐殺否定論の根拠にはなりません。







誤解あり  投稿者:吉岡  投稿 00年1月18日

Sさんへ

吉岡さんがニュースステーションの報じた虐殺写真が信用できない
  とおっしゃっていたが・・・・・・・


この部分に誤解があります。私は非常に興味深い写真だと書いております。貴重な写真だと思いました。写真が信用できないとは書いていません。



証言・写真・フィルム等の一部に嘘があるからといって、それで全て
  が無かったことにしよ うといういわゆる自由主義史観論者のいうこ
  とはあまりにも虫が良すぎます。


自由主義史観の方々は日本軍の犯罪が一切無かったとは言っていないと思いますが。Sさんもおっしゃっている、嘘の部分を、「本当は違うんじゃないんですか」と言うスタンスで発言・活動しているだけの様に思うのですが。櫻井よしこさんが紹介されたという資料は、私も興味がありますので、是非紹介してください。







RE :戦争犯罪についての一般論日米戦  投稿者:吉岡 00年1月20日

Sさんの書き込み「戦争犯罪についての一般論」を読ませて頂きました。まず最初に、当時の日本の行為は全て国際法違反だとおっしゃいました。その理由として、日本が大東亜戦争を正当化する為には、国際法上それが自衛権の行使と見とめられなければならない。史実を見れば、作戦地域はアジア・太平洋全般であるので、自衛でない事は明白である。との事でした。



しかし、作戦地域がアジア・太平洋全般である事が、自衛である事の否定になるというのが私には今一つピンと来ません。私は大東亜戦争が自衛戦争としての側面を強く持っていると感じます。大東亜戦争といっても、日中戦・日米戦を分けた方が良いと思います。まず日米開戦迄の大まかな流れを見てみますと、当時のアメリカは日本を不当かつ徹底的にいじめ抜いたと思います。



1913年 カ リフォルニア州で排日土地法成立(日本人移民
       の土地所有禁止)


1920年 同法律で日本移民の子供(アメリカ国籍所有)の土
       地所有禁止


1921年 アメリカの圧力による日英同盟解消


1922年 アメリカ最高裁が日本人の帰化権を否定


1924年 絶対的排日移民法成立(アメリカ国家として日本移民を排斥)


1930年 ホーリースムート法成立(アメリカ経済のブロック化)


1932年 ホーリースムート法を受けイギリス経済ブロック化


1941年 アメリカ、イギリス、オランダが自国内の日本資産凍結を通告


1941年 アメリカが日本に対しての石油輸出を禁止


1941年 アメリカが日本に対して、支那、インドシナからの無条件
       撤退・日独伊三国同盟の破棄などを要求 (ハルノート)




これらに先立つ1906 年アメリカは日本を仮想敵国敵にして日本制圧を計画しています。その計画には実際に行った通り、日本の都市を爆撃して制圧する事まで盛り込まれていたと言います。



日本は、この様な歴史の流れの中、生存を賭け、やむおえず戦争に突入して行ったのではないでしょうか。まさに自衛の戦争の様に思えます。この事は敵将のマッカーサーも認めている所です。昭和26 年上院軍事外交共同委員会の場において、マッカーサーは次の様に発言しています。引用が長くなりますが省略して書かせて頂きます。



「日本は8千万に近い人口を抱えていると言う事を理解頂きたい。その半分が農業人口で残り半分が工業生産に従事していました。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。

日本の労働者は労働の尊厳と呼んでも良いようなものを発見していたのです。これほど巨大な労働力を持っていながら、彼らは手を加えるべき原料を得る事が出来ませんでした。日本は絹産業以外には固有の産物は殆ど無いのです。彼らには、綿・羊毛・石油・錫・ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。

そしてそれら一切の物がアジア海域には存在していたのです。もしそれらの原料の供給を絶たれたら、1 千万人からの失業者が発生するであろう事を彼らは恐れていました。したがって彼ら(日本)が戦争に飛び込んでいった動機は大部分が安全保障の必要に迫られての事だったのです。」



マッカーサーの認識をSさんの論法に当てはめれば、当時の日本の行為は国際法違反では無くなってしまいます。しかし、戦争全体を捉えて国際法に反しているか、反していないかという様に論じる事は、あまり意味が無い様に感じます。







RE :戦争犯罪についての一般論日中戦 投稿者:吉岡 00年1月20日

次に日中戦争について書かせて頂きます。日中戦争は盧溝橋事件から始まり、そこから日本の侵略が始まったというのが、一般的な認識だと思います。日中戦争勃発の流れを見ると・・・・・・



盧溝橋事件

昭和12 年7 月7 日、盧溝橋で演習している日本軍に対して銃弾が撃ち込まれました。日本軍はここでは反撃せずにいましたが、その後7 時間が経過するまで、再三再四攻撃を受け、翌7月8日の午前5時半に初めて日本軍が反撃に転じます。


ここで問題になるのが、誰が最初に発砲してきたかです。有力な説として、当時の中国国内の内戦で劣勢だった共産党軍が敵対していた国民党と日本軍を衝突させ、漁夫の利を得るために発砲したという説です。


共産軍が日本軍に向けて発砲したという事は、公刊された中国側の資料に記述されているそうです。盧溝橋での戦闘は4 日後に現地停戦協定が結ばれましたが、中国側が停戦協定に反して、郎坊事件、広安門事件を引き起こしたため、日本軍は消極策を止め、本格的な戦闘に入り、国民党軍を敗走させます。



通州事件

盧溝橋事件から三週間後、北京の東方に位置する通州で、日本人居留民約260人が中国保安隊に、日本人にはとても想像できないような凄惨な方法で虐殺されました。



第二次上海事変

盧溝橋事件から1 ヶ月後にこれら一連の事件を巡る和平交渉が、予定されていましたが、その当日に大山勇夫中尉と斉藤一等水兵が中国保安隊に凄惨な方法で虐殺されました。それが原因で和平会談は流会になりました。この事件は和平会談をつぶすために中国側が策略しました。



日本側は一貫して戦火不拡大に努めていましたが、この様な経過を経て日本は戦争に巻き込まれていきました。四ヶ月後には南京攻略戦に発展していきます。日本が中国を侵略する為に戦争を起こしたのではなく、戦争に巻き込まれていったと言うと、違和感を持たれる方も多いと思います。しかし現場にいたジャーナリスト達が当時の状況を見て証言を残していますので、紹介いたします。(Sさんも当時のジャーナリストの証言は有力な情報とおっしゃっていますし)



パリのグラン・ゴアール紙特派員エドアール・エルセイ氏の記事

「8 月9 日には日本の士官が支那兵に殺害される事件が起きた。日本の士官も注意不足だったが支那側の計画だった事はなんとしても否定できない。南京政府が15日前から上海に戦火を挙げる決意のあった事は疑うべきも無い。

その目的は日本軍を中立地帯の近くに引き寄せて、否応なしに国際問題を頻発させようというつもりだった。事件の発生と誤解により、西洋の世論を誘発しようという魂胆なのだ。」




ニューヨーク・タイムズ アーベント特派員の記事

「日本は第一次上海事変を繰り返すを好まず、忍耐、隠忍以て極力事態の悪化を防止せんと努めたるも、支那における外国権益を渦中に引き込むを画策したる支那人によりて、文字通り戦争に押し込まれた。」



最後に盧溝橋事件以降、南京に進軍するまでの間に日本軍に出された命令を紹介します



「交戦法規の適用に関する件」

帝国現下の国策は努めて日支全面戦に陥るを避けんとするに在るを以って、日支全面戦を相手側に先んじて決心せりと見らるるが如き言動は努めてこれを避け・・・・帝国が常に戦闘に伴う惨害を極力減殺せん事を願念し在るものなるが故に・・中略・・国際法中の「害敵手段の選用」等を努めて尊重すべく・・・・・


盧溝橋事件以降の戦火拡大の過程、それらを見ていたジャーナリストの証言・記事、日本軍の命令を長々と書きました。これを読んで頂ければ、当時の日本が何も好き好んで、戦争を始めた訳ではないという事が分かって頂けると思います。








RE :戦争犯罪についての一般論  投稿者:吉岡 00年1月21日

日本には、相手国及び相手国の住民に対する戦争犯罪の賠償義務がある。

S さんは当然ご存知でしょうが、日本は、昭和26 年サンフランシスコ条約で連合国側と講和を結び、総額6千億以上の賠償・借款を行い、東京裁判により千人以上の日本人が戦犯として処刑されています。国際的にこれで日本の責任は果たされた事になります。



もしS さんがおしゃる様に、今なお被害者個人への補償の責任が有るというなら、国際法違反による、被害者は日本人にもいますので、アメリカ・中国・ロシアに対する日本人の賠償請求権は、数十万件にものぼることになります。(原爆・無差別爆撃・捕虜の殺害・シベリア抑留等いくらでも出てきます。)



一つ疑問なのは、S さんが挙げられた、不戦条約、ハーグ陸戦法規、捕虜条例、ハーグ第3 条約、赤十字条約等の中に被害者個人への補償義務を謳った条文なんて、有るのでしょうか?


ここで、S さんは、証拠となり得るものの検討を行っておられます。


写真・フィルムなど

以前書き込みしたフィルム「南京」とニュースステーションで放送された写真について、私が肯定的に捉える理由は、両方共に、名前が特定出来る人物が映し出されているからです。一般の兵士の顔も克明に写し出されていますので、ちゃんと調べれば、映っているのが誰だかも、正確に分かる程の物だからです。


「南京」フィルムは撮影者も分かっています。それに加えて、S さんがおっしゃった通り、これらを映した当時は現在のような騒ぎになるとは夢にも思っていない事は確実ですから、邪心の無い、当時のありのままが映されているだろうと感じるからです。(ビデオ「南京」の編集・ナレーションは日本側に立ったものですが、映し出されている物は、ありのままだと思います)



実行者の証言

実行したという人が名乗り出て、非道行為を告白しても、それが嘘の場合がありますので、注意が必要です。有名な例で、吉田清治氏の例があります。この人は、韓国の済州島で、「従軍慰安婦」狩りを行い、強制的に韓国の女性を連行したという証言をし、その内容を本にして出版し、韓国に行って土下座までした人です。


しかし、現地に行って調査した結果、全て作り話だった事が判明しています。ここからは個人的な勝手な意見ですが、実行者が名乗り出て、告白しても、その内容が、極度に残酷だったり、センセーショナルだったりして、尚且つそれら行為を本にして出版した様なのは、どうも胡散臭く感じます。(東史郎氏の南京虐殺裁判の件もこのパターンですケド)



この投稿でS さんは、事実検討での注意点を説明されています。


軍部が戦争犯罪隠しに証拠を隠滅したという話は枚挙に暇があり
  ません。→
だから日本軍は戦争犯罪を犯したはずだ。


政府の意に添わない記事は発行禁止・差し止めができる状態だった
  のです。→
だから日本軍は戦争犯罪を犯したはずだ。


戦争という極限状態の中、何も間違いが起きないなどということがあ
  りえるでしょうか。→
だから日本軍は戦争犯罪を犯したはずだ。


歴史上、いわゆる戦争犯罪を起こしたことの無い軍隊など、ただの一つも
  無いし、これからも無いでしょう。→
だから日本軍も戦争犯罪を犯したはずだ。


当時の何百万という日本軍人が全て聖人君主だったなどということは私に
  はとても信じられないのです。→
だから日本軍は戦争犯罪を犯したはずだ。



この様に書いてはいませんが、おっしゃっている趣旨はこういう事だと思います。これだと、日本軍が戦争犯罪を起こした、論拠としては、少しおおざっぱ過ぎる様に思います。最後の聖人君子云々という言葉は、先人達が血と汗を流し、築き伝えてくれた、自由・平和・豊かさを享受し、それら蓄積を食い潰している私にはとても言えない言葉です。S さんが、日本軍をそれほど悪く思うに至った具体的な事例、根拠はいったいどの様な物だったのでしょうか。もしよろしかったら教えて下さい






国家の自衛権について  投稿者:S  投稿日 00年1月26日

おはようございます。吉岡さんの投稿は意見しました。ご指摘の点につき今回は、日本の行為が自衛権の行使に当たるかについてのみお答えします。(その他の点については、他の方の投稿の進み具合により順次回答させていただきます。次回は日曜日(1月30日)ごろの予定です。



私は、15 年戦争(大東亜戦争)について専門的な知識を持ちあわせている者ではありません。ですから、吉岡さんの指摘された点の真否については、異議をいったん留保させていただきます。ただし、そうだとしても日本の行った行為が自衛権の行使にあたるとすることは出来ないと考えています。自衛権の行使(正当防衛)が一般に適法とされる要件は、



@ 急迫不正の侵害行為があること


A 自己又は他国(一般には同盟国)の権利を防衛するためであること


B 相当な行為(防衛行為)を働いたこと



以上です。そこで、吉岡さんが指摘された点を当てはめてみますと、


@→ 対中国としては○。しかし、アメリカがしたとされる一連のいじめといわれる行為は、国際法上、違法な侵害行為にはあたりません。なぜなら、日経移民に対する行為は、あくまでアメリカ国内法の問題ですし、日本に対して行われた経済制裁等も、経済制裁自体は国際法上合法なのは今日の国際政治の現場を見ても明らかです。



また、マッカーサーの発言から日本に対す る挑発があったのを自衛権に対する正当化とみておられるようですが、挑発行為自体が客観的に日本の国際法上の権利侵害にあたるものでなければ、ここにいう侵害行為にあたらず、マッカーサーがこう言ったからって侵害行為というのはあまりにも乱暴な論理です。(もしそうなら、西村発言だって、戦争の口実に使われることになる)



A→ 今のところ、当時の日本政府がこの意志を持っていたかということですが、吉岡さんの投稿からは伺うことが出来ません。私の意見は、大東亜共栄圏などというおせっかいな考え方ではここにいう「防衛の目的」を立証したことにはならないという点だけ指摘させていただきます。



B→ 吉岡さんの意見では、作戦地域をみただけで自衛権の否定になるとは今一つピンとこないとのことでしたが、私の説明不足でした。なぜ私が作戦地域を指摘したかというと、まさに@・Aをクリアーしたとしても、この「相当性」の要件だけはどうしても無理だろうと思ったからです。



いくら、中国軍の挑発があった、アメリカの嫌がらせがあったとしても、日本の行為が防衛として必要十分であったかというと私の方がピンとこないのです。アジア・太平洋全般にわたった戦争がこれを大きくはみ出し、「過剰防衛」にあたるものであったことは明らかではないでしょうか。



以上の諸点より、吉岡さんのご意見を最大限汲んだとしても私は、日本の当時の行為は自衛権の行使にあたらないと考えています。もう一つ、補足します。先ほど提示した要件@〜Bは、自衛権行使の実質的要件で、もう一つ、形式的要件としてハーグ陸戦法規に定められた宣戦布告文書の手交という手続きが必要です。



吉岡さんもご存知と思いますが、日本は昭和16 年12 月8 日、アメリカと宣戦布告文書を手交しないまま真珠湾を攻撃しています。考え方によっては、違法な侵害行為を働いたのは、むしろ日本だという考え方すら、対米戦に限ってはいえるのです。







参考までに・・・ 投稿者:吉岡  投稿日 00 年1月27日

>歴史上、いわゆる戦争犯罪を起こしたことの無い軍隊など、ただの一つ
  も無いし、これからも無いでしょう。


S さんの、このお言葉に反するお話を1 つ・・・・

1899 年に起こった、北清事変(義和団の乱)の際の話です。北清事変とは、当時11 カ国の在留民が暮らしていた北京の公使館区域を、義和団と清国軍が包囲し攻撃した為、英・米・露・独・仏・伊・オーストリア・日本の8 カ国の連合軍が、籠城していた人達を助ける為に起きた争いです。戦いの結果は、連合国側が勝利し制圧しました。



その際占領地では、各国の軍が、略奪行為を行ったそうです。特に酷かったのは、ロシア軍だそうで、イギリスのタイムズ紙の記者は「ロシアは価値ある物は全て包装し、ラベルを貼りつけた。」と報告しています。



イギリス軍でさえも略奪を行い、その品物を公使館の中でオークションにかけていたそうです。その様な中、日本軍だけが略奪を行わなかったと言います。その為、日本軍の分担地域には、当時の支那人が逃げ込んできたそうです。



この時、現地取材していたピーターフレミング氏は自身が執筆した「北京籠城」という本の中で、当時の日本軍について次の様に述べています。



「日本軍を指揮した柴五郎中佐は、籠城中どの士官よりも有能で経験が豊かであったばかりか、誰からも好かれ尊敬された。当時日本人と付き合う欧米人は殆どいなかったが、この籠城事件を通じてその考えが変わった。


日本人の姿が模範生として、皆の目に映った。日本人の勇気、信頼性、明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも、間接的にも、一言の非難を浴びていないのは、日本人だけである。」




1902 年に日英同盟が結ばれましたが、何故、当時最強の大国である大英帝国と有色人種の小国である日本が、人種差別全盛の時代に、同盟を結ぶ事が出来たのかという一因に、北清事変の際の日本軍の勇敢で規律正しい行動があったと見られています。


参考までに書かせて頂きました。


     




RE :国家の自衛権について  投稿者:吉岡  投稿日 00年2月6日

「国家の自衛権について」を読ませていただきました。S さんは、当時のアメリカ、中国が日本に対して行った行為は、日本が自衛権を行使するに、値しない行為だとおっしゃいました。当時、日本は、アメリカに対して、何の不義理も行っていませんでした。それにも関わらず行われた数々の仕打ちが、もし今の時代に行われたとしたら一体どうなる事でしょう。



石油をはじめ、あらゆる物が輸入出来ず、輸出できない状況に追いこまれ、石油の備蓄量があと半年に迫り、日本人のみ移民・帰化を拒否され(すでに帰化していた日本人の権利も剥奪された)、海外の資産を勝手に没収され、他国との同盟を解消せよと言われ、中国には260 人もの民間人を虐殺され、これから和平交渉をしようという時に、士官を虐殺される。



もしこれらの内、一つでも実行されれば、今の日本でもパニック状態に陥ることでしょう。特に石油をストップされればどうなるかは、想像に難しくは無いはずです。Sさんが、これらの行為を、自衛権行使の「相当性」に当たらないと考える事は自由ですが、当時の日本は、国家の存亡を賭けて戦争に突入していったと考える方が、自然だと思います。



それに、アメリカ、中国がやったことは大した事が無くて、日本がやった事は悪くて過剰過ぎると言うのは、ダブルスタンダードと言えないでしょうか。



Sさんのこれまでの主張を読ませて頂くと、「国際法」を金科玉条とし、それに反しないから良い、反しているからダメと言うような御議論ですが、歴史というものの見方として、果たしてそれが正しいと言えるでしょうか。そもそも「国際法」と言う物は当時の列強が、自分達の都合の良い様に作ったという側面があるのではないでしょうか。



東京裁判でオランダより判事に任命されたレーリンク判事は国際法について次の様に述べています。毎度すみませんが、引用させていただきます。



「数世紀の間、ヨーロッパの列強国が世界を掌握してきた。植民地政策をとおして世界に君臨してきたのです。この列強国が世界に普及する法(国際法)を作成しました。法の内容は、裕福な彼らの必要性に応える物でした。これら列強国は思うままに行動し、征服し、武器を取り海洋を股にかけ、全世界で取引し交易する自由を欲しました。」



レーリンク判事から見ると、国際法とは列強が自分達の繁栄の為に作り出したルールだということです。時代が違いますが、他にもドイツのビスマルクが岩倉使節団との晩餐会で同じ主旨の発言をしています。



この事の意味は、どういう事かと言うと、当時の列強国は、まさにSさんがおっしゃっているレトリック(国際法に違反していないから何ら問題無い)を使い、自らの侵略行為を、正当化する為の免罪符として使ってきたに過ぎないと言う事です。



当然現在の国際法の持っている意味は当時とは違ってきているのでしょう。ですから、現在の国際法の考え方を、あの時代に当てはめても、歴史の本質は見えてこないのではないでしょうか。



最後にSさんが書かれた、「長い、本当に長い道程の果てに 」を読ませて頂き、感じた事なんですが、Sさんはこうおっしゃいました。



「本当に恥ずかしい話ですが、私は、法律上の論理に縛られ、本当に
   大切なことは何かということを忘れてしまっていたように思います。」


大変失礼かとは思いますが、歴史を考える際も、同じ罠にはまってはおられないでしょうか。








個人に対する国家の賠償義務について 投稿者:S 投稿 00年2月6日

こんばんは。吉岡さんのご意見について、今回は個人に対する国家の賠償義務についてお答えします。吉岡さんはまず、


「Sさんは当然ご存知でしょうが、日本は、昭和26 年サンフラ
  ンシスコ条約で連合国側と講和を結び、総額6 千億以上の賠
  償・借款を行い、東京裁判により千人以上の日本人が戦犯とし
  て処刑されています。国際的にこれで日本の責任は果たされた
  事になります。」




とお書きになっていますが、この点については全く同感です。但し、この日本の責任の内容については若干の意見の相違があります。日本がこの時果たした責任は、あくまで国家間の賠償に関してのものであり、日本が第2 次世界大戦中に行った戦争犯罪に対する個人への賠償ではありません。



国際法の一般的な考え方では、外国人がその在留する国で身体・財産等を侵害された場合、その国の政府に対し、外国政府がその外国人の保護を請求する権利を外交保護権といいます。第2 次世界大戦後、日本がサンフランシスコ平和条約その他の条約で賠償金(経済協力金?)のを支払い、相手国が放棄した権利とはこのことを指します。



ですから、個人が身体・財産等を侵害された場合、個人が在留国(この場合は日本政府)に対し賠償する権利は失われていません。近年、当時日本で強制労働されたり、従軍慰安婦として被害を受けた人達が、賠償請求訴訟を提起するのは、こういった理由からです。



さて、次に吉岡さんは

「もしS さんがおしゃる様に、今なお被害者個人への補償の
  責任が有るというな
ら、国際法違反による被害者は日本人
  にもいますので、アメリカ・中国・ロシアに対する日本人の賠
  償請求権は、数十万件にものぼることになります。(原爆・無
  差別爆撃・捕虜の殺害・シベリア抑留等いくらでも出てきます。)」




実は法律上はその通りなのです。1991 年、日ソ共同宣言(1956 年)についての政府見解はこのようになっています。


「日ソ共同宣言第6 項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権および国家が自動的にもっておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、ご指摘のように我が国国民からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております」

(1991年3月26日参議院内閣委員会での外務省欧亜局審議官答弁)




ただ、もう一つ補足しますと、もし、吉岡さんが「日本が当時戦ってきた敵もそれなりにひどいことをやったとのだから、お相子だ。」ということを前の投稿でおっしゃりたかったとしたら、それは的外れな批判でしょう。一般的な法律の考え方として、不法行為に対する損害賠償請求は被害者の救済を目的として行われるものである以上、お相子(法律上の相殺)には適さないということです。



あくまで、個人がきちんと(お金で済む話かどうかは微妙なところですが・・・)救済されなければなりません。日本の国内法のでは民法509 条にその例を見ることが出来ますが、国際法上の賠償義務にも同じ法理が妥当すると思われます。



最後に吉岡さんは

一つ疑問なのは、Sさんが挙げられた、不戦条約、ハーグ陸
  戦法規、捕虜条例、ハーグ第3 条約、赤十字条約等の中に被
  害者個人への補償義務を謳った条文なんて有るのでしょうか?」




と、おっしゃいますが、ありません。これは、国内法と国際法のシステムの違いによるものです。まず、国内法ではある行為について禁止規定を設ける場合、それに伴なう罰則、賠償規定等も法律に盛り込むのが普通です。これは、違反者に対する制裁などの法的強制力をその国の政府が実際に持てるからできることなのです。



しかし、国家同士の信頼関係に基づいて運用されている国際法ではその違反国に事実上の制裁を加える力が存在しません。そのため、まず、お互いの信頼の上に条約を締結し、その上で締結国政府が違反行為を行わないように政府関係者を規制する国内法を整備する責任を追うのです。



ハーグ陸戦法規等の規定もまず、そのような発想の基に整備されるのです。そして、これに反して戦争犯罪を働いた者には締結国政府がその責任で軍法会議を開き、その者を処罰しなければなりません。つまり、戦争犯罪に対する処罰・賠償の第1 義的責任はその国の政府にあるわけで、ハーグ陸戦法規などに直接賠償義務がないのはそのためなのです。



そして責任があるにもかかわらずなお締結国政府が履行しない場合、国際裁判所等で責任を問える場合があります。東京裁判所もその是非に争いのあるところですが一般的には戦争犯罪を裁くべき日本政府がそれを履行しなかったために設置されたものと理解されています。



なお個人に対し、国家が不法行為に基づく損害賠償義務を認めた国際法の判例法は1920年代から徐々に整備されてきました。1928 年には常設国際裁判所が、


「約定の違反が適当な形で賠償をなす義務をともなうことは、国際法上の原則である。したがって、賠償は条約不履行に欠くことができない代償であって、それを条約そのものの中に規定しておく必要はない」



と判示していますし、1926 年国際仲裁裁判所がアメリカ人がメキシコで殺害されたが、メキシコ司法当局が機敏に適切な措置をとらなかったために犯人の逮捕ができず、処罰に失敗したという事件で、仲裁判決は、犯罪が処罰されなかったことによる遺族の損害があるとしてメキシコ政府に賠償責任を認めました。








RE :個人に対する国家の賠償義務について 投稿者:吉岡 00年2月9日

Sさんの「個人に対する国家の賠償義務について」を読ませて頂きました。日本の戦争犯罪という話しとは別に、「国際法」という物の考え方を興味深く読ませて頂き、大変参考になりました。読ませて頂き、改めて分かったのは、仮に、日本軍の戦争犯罪が確認されたとしても、日本に対する個人の賠償責任は発生しないと言う事です。



まず、戦争犯罪に対する個人賠償の責任は、各条約に批准した各国が、それらに基ずき、国内法を整備し、その法律により個人賠償の処理を行うという事が分かりました。当時の日本はそれらの法整備をしていませんでした。(整備していたという事であれば、ご指摘願います)良い悪いは別にして、個人賠償の根拠となる法律が無ければ賠償しようがありません。



次に、各条約批准国がその法整備の責務を怠った場合、国際裁判所において、その責任を問えるということが分かりました。しかし、「国際裁判所」の決定は、恐らく強制力を持たないはずです。それぞれの講和条約で、処理は終わっているという事で何ら問題無いはずです。よって、Sさんの御説明から、日本の戦争犯罪に対する、個人の賠償責任は発生し得ないと、私個人は理解致しました。



Sさんが挙げていた、常設国際裁判所の示した、

>約定の違反が適当な形で賠償をなす義務をともなうことは、国
  際法上の原則である。したがって、賠償は条約不履行に欠くこ
  とができない代償であって、それを条約そのものの中に規定して
  おく必要はない。




という判示は、当時の国際法が、レーリンク判事やビスマルクが感じていた通り、いかに形骸化していたか、という事を如実に表している様に思います。たとえば、「殺人という犯罪は処罰をともなうのは、当たり前だから、殺人に対する罰則を法律の中に規定しておく必要は無い」という論理と同じ様なことだと思います。この様な論理が成り立つでしょうか。



この様に、あいまいな状態にしておくという事は、列強のような強国が、自分達の都合の良いように、どうにでも運用できていたという事だと思います。



>1926 年国際仲裁裁判所がアメリカ人がメキシコで殺害され
  たが、メキシコ司法当局が機敏に適切な措置をとらなかったた
  めに犯人の逮捕ができず、処罰に失敗したという事件で、仲裁
  判決は、犯罪が処罰されなかったことによる遺族の損害がある
  としてメキシコ政府に賠償責任を認めました。




この例は、まさに国家のパワーバランスがはたらいているというのが、ミエミエの事例ではないでしょうか。いくらメキシコの対応が適切でなかった(これもアメリカの一方的な判断かも知れません)からといって、犯人すら分かっていない物を、メキシコ政府に賠償させようというのは、強国の横暴以外には考えられません。



恐らく、反対のケース、つまり、強国国内で、弱小国の国民が犯罪に会い、国際仲裁裁判所が同様の判断を下した、という例は存在しないのではないでしょうか。Sさんが提示して下さった、これら事例を見ても、やはり、国際法という物を過大評価し、それに基ずいて、歴史を判断する事は、避けた方が良いと感じました。



ちなみに、Sさんがおっしゃった

>日本がこの時果たした責任は、あくまで国家間の賠償に関して
  のものであり、日本が第2 次世界大戦中に行った戦争犯罪に
  対する個人への賠償ではありません




という件ですが、これには事実誤認があるように思います。サンフランシスコ講和条約の条文を見ると、

「連合国は、連合国の全ての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国と国民がとった行動から生じた連合国と国民の他の請求権を放棄する」



と言うように、連合国の国民も含まれています。



日韓基本条約についても、

「両国及び国民の財産、権利、利益、請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決された」



と言う様に、ここでも国民という言葉が入っています。S さんが例として挙げられた、日ソ共同宣言の日本政府の見解の


「・・・・・したがいまして、ご指摘のように我が国国民からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております」



と言う発言は、残念ながら政府見解自体が間違っています。日ソ共同宣言第6 項には次の様に書かれています。


「日本国及びソビエト社会主義共和国連邦は、戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対する全ての請求権を、相互に、放棄する。」



ただ、日中共同声明においては、

「中華人民共和国政府は、日中両国国民の友好の為に、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」



と言うように、国民の請求権について明記がありません。しかし、これらの講和条約は言ってみれば、示談の様な物です。示談が済んだ後は、多少の不満があったとしても、それまでの事は全て清算し、過去については不問にするというのが大原則ですし、人間の知恵だと思います。我々の社会の中で考えてみても、示談が済んだ後も難癖をつけてくるのは、そのすじの方々でもやらないと思います。



Sさんは東京裁判について次の様に発言されています。

>東京裁判所もその是非に争いのあるところですが、一般的に
  は、戦争犯罪を裁くべき日本政府がそれを履行しなかったため
  に設置されたものと理解されています。




この認識についても、異議があります。東京裁判は、正式名を「極東国際軍事裁判」といいますが、国際法に基づいて行われた裁判ではありません。マッカーサーの命令により、アメリカ陸軍少尉のマーシャルと陸軍代将のフィッチが作った、「極東国際軍事裁判所条例」を基にして行われた裁判になります。裁判という形をとっていますが、実際は戦勝国による、日本に対する報復行為といえます。



この裁判の問題点は

・「平和に対する罪」「人道に対する罪」という事後法で裁かれた点。
 法はさかのぼってはいけない、という大原則を破った。

・裁判官・判事の11 人全てが日本の敵国から選ばれた。事の当事
 者が裁きを行った

・偽証罪に関する規定が無かった。




等、かなりの問題点を含んでいました。良く知られている話しですが、日本を裁いた11 人の内、国際法の専門家はインドのパール判事ただ一人しかいませんでした。そのパール判事は、「個別反対意見書」を作成し、東京裁判自体を


「法律にも正義にも基づかない裁判である」

「法律的外見はまとっているが、本質的には執念深い報復である」



として、


「日本は国際法に違反していない。国際法上犯罪行為に当たる事をしていない。日本は自衛の為、武力を行使したのであり、侵略戦争さえも、今だ国際法上の犯罪とはされていない。東條被告以下、A 級戦犯に指名された者は、無罪として放免すべきである。」



と判断しました。この判断は、現在の国連国際法委員会の基本的な認識になっているといいます。








RE :国家の自衛権について・真珠湾攻撃  投稿者:吉岡 00年2月11日


以前、S さんが投稿された「国家の自衛権について」の補足の部分で、真珠湾攻撃について次のように書かれています。


>日本は昭和16 年12 月8 日、アメリカと宣戦布告文書を手交
  しないまま真珠湾を攻撃しています。考え方によっては、違法な
  侵害行為を働いたのは、むしろ日本だという考え方すら、対米戦
  に限ってはいえるのです。



これについても、表向きには、おっしゃる通りですが、実際は、中国支援の民間団体という名目で、「フライングタイガー」というアメリカ人義勇軍が日中戦争に参加しています。



この出動命令書にルーズベルト大統領がサインしたのが真珠湾攻撃の約半年前だという事です。当時中立国のはずのアメリカが、真珠湾攻撃の前に、大統領の命令により、すでに日本との戦闘に入っていた事になります。当然アメリカからの宣戦布告はありませんでした。



真珠湾攻撃の話しに戻りますが、当時の日本も、実際は真珠湾攻撃の30 分前に、宣戦布告文書をハル国務長官に手渡す為にアポイントまでとっていました。しかし、外務省とワシントンの日本大使館の不手際(色々説がありますがここでは挙げません)で結果的にハル国務長官に手渡したのが、真珠湾攻撃の1 時間20 分後になってしまいました。



これは日本側の完全なミスなので、いい訳にはなりませんが、奇襲は日本の意図するところではなかったというのが、実情の様です。







RE国家の自衛権について・大東亜共栄圏 投稿者:吉岡 00年2月12日

以前、Sさんが投稿された「国家の自衛権について」の中で、次の様に書かれていました。


>私の意見は、大東亜共栄圏などというおせっかいな考え方では
  ここにいう「防衛の目的」を立証したことにはならないという点だ
  け指摘させていただきます。



Sさんのおっしゃる様に、大東亜共栄圏構想とは単なるお節介で終わってしまったのでしょうか。アジア侵略の隠れ蓑に過ぎなかったのでしょうか。そこで、アジア各国はあの戦争をどの様に捕らえているかを書きたいと思います。



インドネシアの場合

大東亜戦争当時、インドネシアは350年もの間オランダの植民地にされていましたが、日本軍が進攻し、オランダを降伏させて、独立の基礎を作りました。インドネシアの中学校教科書には、日本の果たした役割について次の様に記述しています。



「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。

第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。

第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえきびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。

第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。」




毎年行われる、インドネシアの独立記念式典での、国旗掲揚の際には、インドネシアの男女2名と、当時の日本の軍服を着た人と、3名で国旗を掲揚するという事です。何故ここに、日本人の間では、アジアの侵略軍として悪名高い日本軍の格好をした人が出てくるかと言うと、日本が連合国に敗戦して、日本の統治が終わると同時に、再びオランダが侵略して来たました。



そこでオランダとの間でインドネシアの独立戦争が勃発する訳ですが、もう戦う必要の無いはずの日本の兵士約2000人がインドネシアの独立戦争に参加してオランダと戦い、約1000人の日本兵が命を落としたという事実がある為です。日本兵が独立の手助けをしてくれた事に対して敬意を表してくれていると言う事です。



この事は、当時の日本兵がアジアの開放を真剣に考えていた何よりの証拠だと思います。この事について、当時の日本兵は、軍上層部に洗脳されていたに過ぎないというイチャモンを付ける方もいますが、私から見れば、その様な要素が、仮にあったとしても、日本の兵士が自らの命を賭けて、インドネシアの独立の為に戦ったという厳然たる事実は何ら色あせる物では無いと考えます。



他のアジア各国も、インドネシアと同じような過程を経て独立していきます。


1 ・日本軍が進撃し、植民地政策をとっていた西欧宗主国を倒す


2 ・その後、現地の人達に軍事をはじめとする教育・訓練を行う


3 ・日本が敗戦して日本軍の統治が終わると、例外無く、元の西欧
   宗主国が再度侵略してくる


4 ・日本軍の教育・訓練により、独立の気概と軍事的実力を得た現
   地人が元の宗主国と戦い独立を勝ち取る




ものすごく大雑把に書くとこの様な流れになると思います。ここで参考までに当時のアジア指導者達の大東亜戦争に対する発言を紹介しておきます。



マレーシア   ノンチック上院議員

「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、アジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」

「先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、『日本軍はマレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べに来たのだ。』と言っていました。私は驚きました。『日本軍はマレー人を一人も殺していません。』と私は答えてやりました。」



マレーシア   マラヤ大学副学長 ウンク・アジス氏

「日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のために必要でした。日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。」



マレーシア   マハティール現首相

「私の知人は、日本兵にお辞儀をしなかっただけで、ビンタされたりしたが、一方で日本兵が市場で食糧を買っても全く不正はせず、代金をきちんと支払ってくれた。当時私は、週に一度店を出していたが、日本兵から不当な扱いを受けた事は一度も無い。日本軍の占領がマレーシア独立の幕を開く事になったというのも、歴史的に否定できません。」



「太平洋戦争の最も重要なポイントの一つは、ヨーロッパも無敵では無いという事を、日本人が証明した事実にある。ヨーロッパ人は優れていて、とてもかなわないと、従前の我々は思っていた。しかし、彼らにしても無敵でない、という事を我々に示してくれた。この事実が我々に与えた影響は非常に大きかった。」




ミャンマー(旧ビルマ)  ウー・ヌー外相

「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。」



ミャンマー   バー・モウ首相

「真実のビルマの独立宣言は1948 年の1 月4 日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条英機大将と大日本帝国政府であった」



インド   チャンドラ・ボース

「大東亜戦争開始以来、歴史に比べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。」



インド   パラバイ・デサイ博士

「インドはまもなく独立する。この独立の機会を与えてくれたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30 年早まった。インドだけでない。ビルマもインドネシアもベトナムも東亜民族は皆同じである。インド国民はこれを深く心に刻み、日本の復興には惜しみない協力をしよう。」



タイ   ククリット・プラモート元首相

「日本のお陰でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母胎を損ねたが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、米、英と対等に話ができるのは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12 月8 日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」



この様な証言を紹介しても、何としても日本軍が悪かったと思いたい方々は、侵略したのが、結果的に独立につながったに過ぎないと言うような難癖をつけると思います。確かに、個々の事例の中には、相反する証言も存在する事でしょう。



しかし、日本軍が、言われているような残虐行為・非道行為・侵略行為ばかりを行っていたとしたら、当時のアジア指導者達がこれだけの証言を残してくれていたでしょうか。最後にマレーシアのノンチック元上院議員の日本人に対する詩を紹介します。



「かつて日本人は清らかで美しかった。かつて日本人は親切でこころ豊かだった。アジアの国の誰にでも自分の事の様に、一生懸命尽くしてくれた。何千万人もの人の中には、少しは変な人もいたし、怒りんぼやわがままな人もいた。自分の考えを押し付けて、威張ってばかりいる人だっていなかった訳じゃない。

でも、その頃の日本人は、そんな少しの嫌な事や、不愉快さを超えて、おおらかで、まじめで、希望に満ち溢れていた。戦後の日本人は、自分達日本人の事を悪者だと思い込まされた。学校でも、ジャーナリズムも、そうだとしか教えなかったから、真面目に自分達の祖父や先輩達は、悪い事ばかりした残酷無情な、ひどい人達だったと思っている様だ。・・・中略・・・

本当にどうなっちまったんだろう。日本人は、そんなはずじゃなかったのに。本当の日本人を知っている私達は、今はいつも歯がゆくて悔しい思いがする。・・・・・どうして日本人はこんなになってしまったんだ。」







国際法について 投稿者:S投稿日  2000 年2月19日


吉岡さんこんばんは。

今回も、日本の戦争問題の議論に関し、国際法の分野に関してのみお答えします。長文にわたる説明お許し下さい。まず、主権国家の上位に立って法を強制する力がない国際法は、当事国間の信頼に基づいて国際法が運用されている事は前回説明しました。



これに関し、レーリンクが形骸化しているという旨批判していますが、これは「国際法が形骸化している→だから国際法は駄目だ。」という単純な意見ではありません。ここからは、新潮社「フォーサイト」1999 年9 月号から、船橋洋一氏の解説が簡潔なので引用します。



「レーリンクは東京裁判の意義をダイナミックに捉えようとした。彼は「人道に対する罪」と「平和に対する罪」を国際法的に確立する難しさを十分にわきまえた上でなお、それは国際法の進展に向けての一里塚になりうると期待した<レーリンクの思想は「レーリンク判事の東京裁判」に詳しい>。


その際、戦争犯罪を普遍的基準によって裁くのでなければ、それは報復の儀式と堕してしまう。それだけに、レーリンクは東京裁判の中の復讐、見せしめ裁判の側面には容赦ない批判を加え原爆投下の犯罪性をもためらうことなく指摘した。(中略)レーリンクの思想は核時代の実存的要請が色濃く宿っていた。


核時代にあっては、人間性を守ること、平和を維持することが最も高度な価値となるトレーリンクは信じた。そこでは、「法の尊重は鋭い現実感覚と均衡のとれた政治判断と手を携えなければならない。」そうした動態を反映させた「核時代の自然法」の進展をレーリンクは志した。」




このような考え方を持っていたからこそ、レーリンクは東京裁判で、一部ながらも被告人の有罪を認定しているのです。国家の上位の法的強制力を持たない国際法は確かに、その運用はその当時の大国のパワーバランスに左右されてきた面があったことは否定できません。国際法はそもそも法ではないという学説もあるくらいです。



しかしながら、今までの投稿で再三指摘したように、各国の努力により、あくまでわずかづつながら戦争の抑止、戦争犯罪者の適正な処罰が図られてきたのです。そして、日本が開戦した当時、すでにこれらの規定は整備され、その根拠となった条約には日本は批准しているのです。これらの国際法に従うのは当然と考えます。



さて、続いては日本が戦争犯罪等を犯していたとして、どういう処置が考えられるかです。第1 義的には条約批准国の日本がその義務履行のために国内法を整備しているので、該当する国内法を根拠に違反者を裁く責任が発生していることは前回指摘しました.



しかし、それでも日本が義務を履行しない場合、国家間の紛争解決手段として戦争以外には、1 、斡旋・仲介 2 、審査・調停 3 、裁判と3 種類あります。もともと、日本が義務を履行しないので1 ,2 、は期待できません。そこで裁判所の設置となるわけです。裁判所にはいくつか種類があります。まず、仲裁裁判所です。



これは、紛争当事国の合意を条件に両当事国がそれぞれ指名した裁判官により構成されるものです。裁判長の任命は中立国の裁判官がなる例が多く、その意味では吉岡さんの前回投稿であった、パワーバランスがそのまま国際裁判にあらわれるという指摘は妥当しません。(全くないというわけではありません)



次が、常設国際司法裁判所です。後に国連が発足したとき、国際司法裁判所となるものです。仲裁裁判所が、いちいち訴訟規則などを一から決めなければならない不便を解消するのと、国際法の判例法の統一などを目指して設立されました。これも、当事国の同意で裁判が開かれます。



よって、同意がある以上、判決には法的拘束力があり、吉岡さんが以前指摘された判決に拘束力がないという点もやはり間違いです。さて、東京裁判はこのどっちになるのかというと、どちらともいえない、異例の裁判所だといえます。しかし、だからといって、国際法上、全く説明の出来ない違法な裁判所というわけではありません。



まず、第1 点として日本は敗戦時ポツダム宣言を受諾し、その10 番目の条項に戦争犯罪者を処罰すべしとの一文が入っています。これを根拠に裁判所の設置に当時の日本政府が合意したと考えることが出来ます。



また、1945 年9 月に戦艦ミズーリ号上で日本は無条件降伏し、連合国に占領されているのです。その後、1951 年にサンフランシスコ平和条約で独立を回復するまで、日本は主権国家ではありません。占領地の自治権は原則として戦勝国にあります。よって、国際法上、当然に戦争犯罪者を裁く裁判所を設置することが出来るとも考えられます。



また、サンフランシスコ平和条約締結時には日本政府は、東京裁判、その他B ,C級戦犯に対して行われた裁判の結果も認めています。裁判所の設置に対し、事後に同意・追認したとも考えられるのです。



次に、仮に裁判所の設置が適法だったとして、「人道に対する罪」「平和に対する罪」という訴因(起訴状に記載される犯罪事実の要点)によって、戦争犯罪人を裁くことが可能でしょうか?



何度も指摘したことですが、国際法では批准した条約の履行をするための国内法の制定義務を批准国が負います。そのため、国内法では、その条約に基づいて刑罰法規や命令書が作成されるのです。日本の場合も、よしおかさんが以前取り上げた命令書や陸軍刑法の中にかかる規定があり、その法的根拠はもとはといえば国際法にあるのです。(@)



「人道に対する罪」「平和に対する罪」
↑ A
ハ ーグ陸戦法規・赤十字条約等の国際法
@ ↓ ↑A
陸 軍刑法、交戦規則等の国内法



さて、実際に戦争犯罪が起きて当事国がちゃんと指導者を裁かないとどうなるかというところで考え出されるのがAの話です。もともと、国際法には禁止規定はある。その違反者の制裁規定も当事国にあるぞ、と。それじゃあ、裁判所を作っても裁判できますね。という話なのです。



戦後、自由主義史観の論者達がこの見解を曲解し、「人道に対する罪」「平和に対する罪」は事後法にあたると宣伝していますがこれも間違いだといわざるを得ません。図にしたように、裁判の基準はいずれも国際法にあり、そして、違反に対する制裁規定も自分達で国内法上にあらかじめ示してあるわけですから。



そして、裁判所の構成ですが本当なら中立国の裁判官が11 人そろってくれた方がいいに決まっています。しかし、1945 年の国際情勢でそのような理想をかなえられる裁判所など世界中どこを探しても存在しません。



オランダ・ハーグには常設国際司法裁判所がありましたが、オランダ自体、第2 次世界大戦の当事国の1 つです。問題はありますが、やむをえないところでしょう。だいたい、自分で自分の過ちを正せない国が言う筋合いではありません。



さて、東京裁判ではインドのパル、オランダのレーリンクの両判事の少数意見が出ました。しかし、これらの見解も戦後の自由主義史観論者によって曲解された問題の一つです。東京大学出版会に確か判決文の前文が収録されている本が出ているはずなので参考にしてみるといいと思います。



まず、パル意見の要点は2 点です。@国際法上、戦争犯罪者を裁く裁判所はない。(これについては下の投稿で反駁しました)A仮にあったとしても、戦争犯罪に対する被告人(戦争指導者)らの共同謀議(故意)が存在しない。以上です。



しかし、パルは同じ判決文の中でちゃんと南京大虐殺について数週間にわたって日本軍が残虐な仕打ちをしたことを認定した上で、「宣伝と誇張を最大限に斟酌しても(中略)なお、証拠は圧倒的」であると書いていますし、それらに関わった実行者のみならず、上官も処罰することも正当だと判断しています。



また、レーリンクが無罪にした人間は、東郷茂徳、重光葵など、主に戦争反対派の人間です。東条秀樹などの主戦派に対し、有罪の判決を下していることも抑えておくべきでしょう。それから、あと一点、吉岡さんが勘違いされていると思われる点について説明します。確かに吉岡さんが指摘された条約等には、「国民」という文字があり、個人の賠償請求権も放棄したように見えます。



しかし、法律というのは憲法9 条に見られるように、条文を形式的・機械的に運用するものではありません。もちろん形式的な解釈も正しい一つの解釈方法ですが、立法者の意思、条文の制度趣旨、何よりも紛争の一番公平な解決(具体的妥当性)を考えて一番説得力のある解釈を選択するのが一般的です。



なぜなら、法律が考えた時代状況と現実の状況は常に一致するのではないから、その間を法律家が解釈論でうめる必要性が常に出てくるのです。そして、国際法上の個人賠償権は、個人の請求権が国家の意思で一方的に奪われるのはあまりに酷だと考えられること。



そもそも、「国民」という言葉が入っているのは、国家が放棄できる外交保護権というのがあくまで侵害された個人の救済の請求権から出発するものだと考えられていて、それを注意的に規定したに過ぎないと考えるべきなのです。だから、前回投稿のような政府見解を出すことも法律的には可能なのです。



以上、長々と国際法について吉岡さんと徹底的に争ったのは、もとはといえば、日本政府は戦前、戦争犯罪を犯さないと国際的に約束したにもかかわらず、これを守らないばかりか、自ら違反者に対する処罰を行わなず、被害者への補償を行わなかったことにあります。私は決して、国際法を金科玉条にしているわけではないのです。ただ、約束したなら守れ、と言いたいだけです。



補足

以前、お約束しました、櫻井よしこさんが紹介した本は偕行社の「南京戦史」です。この本によれば、死者を3 万1 千人としています。また、法律解釈についての基準については、「法令解釈の常識」(林修三・日本評論社)「現代法学入門」(伊藤正巳・加藤一郎編・有斐閣双書)があります。








Re :国際法について  投稿者:吉岡  投稿日:00年3月2日

いじめの問題で火花が散っていますが、割り込ませていただきます。Sさんの「国際法について」を読んで、何点か気になるご意見があったので、私の考えも述べさせて頂きます。要点をまとめるのがヘタなもんで、また長くなってしまった事をお許し下さい。



>吉岡さんが指摘された条約等には、「国民」という文字があり、
  個人の賠償請求権も放棄したように見えます。しかし、法律と
  いうのは憲法9 条に見られるように、条文を形式的・機械的に
  運用するものではありません。




失礼かとは思いますが、この御意見は、ほとんどいいがかりと言えないでしょうか。もう一度書きますが、



サンフランシスコ講和条約 「・・・連合国と国民の他の請求権を放棄する」


日韓基本条約 「・・・両国及び国民の財産、権利、利益、請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決された事を確認する」


日ソ共同宣言 「・・・国、その団体及び国民に対する全ての請求権を相互に放棄する。」




この様に書かれているにも関わらず、個人の請求権はまだ存在していると言うように、正反対の意味を持たせるというのはあまりにも無理があります。色々理由をつけていますが、解釈論でどうにでもなるようであれば、国同士の条約なんて成り立ちません。それに、憲法と法律と複数の国の間で交わす条約はそれぞれ全く性質が違う物です。おっしゃっている論理は当てはまらないと思います。



さらに付け加えれば、憲法9条の解釈問題は特別で一般化できません。憲法9条の解釈論議をこの場に持ってくるのは、巧妙なすり替えと言えないでしょうか。私個人は、憲法9条に、解釈論は存在し得ないと考えています。



>法律が考えた時代状況と現実の状況は常に一致するのではないか
  ら、その間を法律家が解釈論でうめる必要性が常に出てくるのです




確かに法律が作られた時代状況と、現実の状況が時代の流れで変化した場合に、法律の内容が追いついて行かないケースが出てくると思います。(たとえば、現在の少年法等)しかし、むやみやたらに不具合部分を解釈論でうめるという行為が横行したら、法治国家として成り立ちません。



ある程度の解釈論が許されるとしても、Sさんがおっしゃっている事は、「解釈論」の域を遥かに越えています。ちなみに、先程も言いましたが、「法律」と「複数国間での条約」は別物と考えますので、この論理も当てはまらないと考えます。



>裁判所(東京裁判)の構成ですが本当なら中立国の裁判官が11
  人そろってくれた方がいいに決まっています。しかし、1945年の
  国際情勢でそのような理想をかなえられる裁判所など世界中どこ
  を探しても存在しません。




そうであれば、その様な裁判をやらないというのが近代文明国として正しい選択だと思います。どうしても裁判を行いたいというのであれば、枢軸国側から半分出すという方法も考えられます。東京裁判が復讐劇ではなく、純粋に「戦争犯罪」を裁くのが目的であれば何の問題もないはずです。



>だいたい、自分で自分の過ちを正せない国が言う筋合いではあり
  ません。日本政府は戦前、戦争犯罪を犯さないと国際的に約束し
  たにもかかわらず、これを守らないばかりか、自ら違反者に対する
  処罰を行わなず、被害者への補償を行わなかったことにあります。




おっしゃっている事は色々な意味で正しいと思いませんが、ここでは、感情論を書かせていただきます。当時の連合国側が、「国際法」を遵守し、戦争犯罪を一切行っていない中で、日本のみが、国際法に違反し、戦争犯罪を行っていたという事であれば、S さんがおっしゃる事も納得出来るとは思うんです。



しかし、実際はそうではありません。以前も書きましたが、非戦闘員の殺戮や捕虜の虐待、殺害というような、当時の日本が問われた戦争犯罪は、連合国側も行っていました。しかも連合国側の方がそれらの規模は大きく尚且つ確信的、計画的であったといえると思います。



>日本は敗戦時ポツダム宣言を受諾し、その10 番目の条項に戦
  争犯罪者を処罰すべしとの一文が入っています。


>戦艦ミズーリ号上で日本は無条件降伏し、連合国に占領されて
  いるのです。




確かにおっしゃる通りです。しかし、ここでも感情論を言わせていただきます。たとえば、ピストルを突き付けられて、やむなく押したハンコは法的に無効になります。当時の日本は、全身のあらゆる部分をナイフで傷つけられ(無差別爆撃)ふくらはぎ(広島)と足首(長崎)に銃弾(原爆)を撃ち込まれ、この契約書(ポツダム宣言)にハンコを押さないと、命がないよと脅されてハンコを押したのです。



原爆による非戦闘員の大量虐殺というナチスのホロコーストに匹敵する国際法違反を実行され、残りの国民の命を人質に取られて、やむなくポツダム宣言を受諾したのです。ですから、法的に無効と判断する事が出来ます・・・以上、感情論終わります。



Sさんのこれらご意見を見ますと、まず最初に、「日本の戦争犯罪・個人補償」ありきで、そこに結論を導く為に、構築された論理の様に感じました。法律の解釈論というものを駆使して、この様な論理を構築していくと、結果は好きな様に導きだせると思うんです。当然逆の結果も導き出せますよね。



この様な論理をもって、当事国同士がお互いの言い分を主張し続ければ、決着がつく事はないでしょう。しかし、いつまでも対立している訳にはいかないのが現実です。だからこそ講和条約という物で、お互いに決着をつけるのではないでしょうか。



Sさんがおっしゃっている事は、講和条約締結の前に各国が主張すべき事ですし、同じ様な主張も当然あったことでしょう。その様な中、お互いの主張を踏まえ、妥協する部分は妥協して講和条約は結ばれています。連合国側はそれら条約に納得しようが、納得しまいが、批准したのです。つまり、日本と条文として書かれている事を「約束」したのです。Sさんは、


>私は決して、国際法を金科玉条にしているわけではないのです。
  ただ、約束したなら守れ、と言いたいだけです。




と、おっしゃいます。しかし、私から言わせていただければ、日本と講和(約束)しながら、未だに賠償責任云々と言ってくる国々にこそ、「約束を守れ」と声を大にして言いたいと思います。常識的に考えても、時系列で考えても、こちらの主張が優先されることは、疑うべくもないと考えます。



もう一つ言いたい事があります。講和条約で約束された事は、その内容が履行(賠償金支払い等)されるまでは、その国の義務として存在しますが、約束された事が、履行された後は、逆にその条文の内容によって守られるというような、権利としての意味を持ってくると思います。



ですから、講和条約の内容は、我々国民一人一人の権利とも言える物です。約束を履行したら、過去の事で、責任を問われないという権利。決められた賠償金を支払えば、それ以上の請求を求められないというような権利です。



Sさんや、今なお日本に賠償責任ありとして、熱心に活動されている方々は、言ってみれば、我々が先人から引き継いだそれら権利を侵害していると言えます。何故なら、それらの活動により、もし賠償金が支払われるという事になれば、その財源は、当然我々の税金でまかなわれる事になります。



我々にしてみれば、とても同意しかねる形で財産が奪われるという事になります。近年の謝罪外交や反日日本人の反国家活動、さらには、それらに触発され活動が活発化してきた海外の反日運動により、噂の域は出ませんが、100 兆円からの対日賠償請求訴訟の動きがあるとも言われています。



本当であれば、大変な事です。事実、アメリカでは、その為の法整備が行われ、最近になって日本企業が次々訴訟を起こされています。



この問題の事を関係無いと思っている方々にも、支払う必要の無いはずの、多額の税金が奪われてしまう可能性があるということを、是非知っていただきたいと思います。繰り返しますが、日本は不本意ながら「約束」を忠実に守り、戦犯として、1000人以上が処刑され、(これもひどい話です)当時の金額で6000 億円以上の賠償金、借款を支払っています。



単純な比較は出来ませんが、国家予算との比率から判断すると、当時の6000 億円は、現在の数十兆円に当たるとも考えられます。これで日本の法的な責任は果されています。



これは、感情論ではなく、それほど、戦争被害の賠償をしたいのであれば、賠償したい方々で、その財源を工面して頂き、(私財・基金・募金等)支払って頂きたいと思います。講和によって得られた我々の当然の権利を侵害し台無しにするような事は、なさらない様、お願いしたいというのが個人的な意見です。




 



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