「帰化人」は、何故「渡来人」といわれるようになったの?

               (2009年7月)

 2月に韓国にツアで行ってから日本の古代史における韓国との関係に興味を持ち始めた。理由は二つ。
 一つは、ツアのガイド(日本語を独学で勉強した韓国人女性)の曖昧だが古代の日韓関係の説明が気なった。遠回しな言い方だが、「日本の古代の天皇は半島から渡った人間」等の説明。
 二つ目は、私が習った歴史と現在の流布(?)している言葉の違い。「帰化人」は「渡来人」、「大化の改新」は「乙巳の変(いっしのへん)」。「仁徳天皇陵」は「大仙陵古墳(だいせんりょうこふん、大仙古墳、大山古墳とも)」等々。何故変わったのか?
 高校時代(昭和30年代後半)には日本史は好きな科目でもあり、大学卒業してからも「中公バックス日本の歴史」(全26冊)(昭和40年中頃)を読んだりした。当時は大体習ったのと同じで違和感は持たなかった。仕事から離れて乱読の世界に飛び込んで、はたと、”日本の古代史が変わっている”と気がついた次第。勿論時間の流れの中で新発見や新解釈があることは理解できるし、元々神話の世界と歴史事実が混在しているのではとの感覚は持ってはいた。
 最近以下の三冊の本を読んだが、何せ日本書紀の記述等曖昧な文献しかない時代のことでもあり、且つ何れも所謂教科書(一般的には最大公約数的に記述されているのが教科書のはず:(b)はそんなことは無いという)ではないので自説を展開していると思われるので、興味もって幅広く調べてみたいと思っている。

 で題名の件だが、(b)によれば、「帰化人」とは、「王の徳をしたって帰順してきた人」(東京書籍の教科書欄外)で、帰化される側が文明国で、帰化する側が野蛮国であるという意味を持ち、日本書紀でもそういう意味で使われているそうだ。従って「帰化人」とは差別用語であるとの抗議があったので、「渡来人」としたとある。学校教育での”歴史”の背後にあるものは摩訶不思議。

(a)「世界遺産 飛鳥・法隆寺の謎:聖徳太子は、天知・天武に何を遺したか」(テレビ東京編、祥伝社、2000年4月)
(b)「日本史集中講義:点と点が線になる」(井沢元彦、祥伝社、2004年6月)
(c)「日本人は歴史から何を学ぶべきか:財産としての日本史を読み直す」(大和田哲男、三笠書房 、1999年4月)

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