近くて遠い国「韓国」人のみた日本古代史

 :「虚構の国日本 韓国から見た日本古代史」
     (張龍鶴著 朴飛雲訳、現代出版刊、1987.9)を読んで(2009年9月)

 日本の古代史に興味もって読み漁っている。今回は少々古い本だが図書館の地下書庫から取り出してもらった「虚構の国日本 韓国から見た日本古代史」(張龍鶴著 朴飛雲訳、現代出版刊、1987.9)。

 著者は、韓国での旧制中学を経て早稲田大卒業、日本軍にも入隊。戦後高校教師、その後韓国の女子大の先生をしているようだ。韓国のインテリ層を対象にした本で、日本の皇国史観とそれを支える日本の歴史学者を断罪、更に朝鮮民族に対する蔑視思想の実体を解剖している。主題は、「日本にとって朝鮮とはいったい、なんであったのか」という、問いに対する一つの回答と著者は序で述べている。

 豊富な資料と韓国語発音と日本の地名・氏族名等との相関性を調べ上げ、古代日本の事柄が殆ど朝鮮半島からの輸入であり日本独自のものは無いと断言している。内容的に我々日本人が読むとあまり気持ちのよいものでないと言うより、嫌悪感すら感じる部分が多い。丁度現在の北朝鮮の色んな論評を聞いている感すら受ける。全てが正しいとは思わないが、かなりの部分は正しく、古代において、日本には朝鮮半島の影響、特に渡来人による大きな影響を受けていることは事実であろう。

 気になる点は、こんなにも古代において朝鮮の影響を受け、且つ渡来人乃至はその子孫が、日本の政治・文化を主導したにもかかわらず、日常生活や国民性、文化、考え方等今の日本と韓国で、大きく異なるのはどこから来ているのか。渡来人は祖国を拒否し、理想を日本の地に求めたのだろうか。丁度イギリスから独立したアメリカのように。日本は神仏習合で神道と仏教に基礎をおいたが、韓国では仏教を捨て儒教に基礎を置いた故なのであろうか。
 
 明治以後の「脱亜入欧」を相変わらず目指すのか、それとも東アジアの一員として強大な「中華思想の国 中国」と対峙していくのかわからないが、隣国「韓国」の文化や国民性を理解することは必須と思う。

 それにしても、こんな本が、隣の国では読まれているのかという感じ。日本人は、拉致があっても無い言ってきた政治家・政党の存在を始め、憲法9条問題を含め、「人類みな友達」と言う表面的な安易な信頼感に甘んじている。島国のため、他国に蹂躙された経験の無い国だからか、人のよい国民性のようだ。本当の意味での相手を信頼した国際関係とはを、もっと考えていくことは必要だろう。

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