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:画商の「眼」力を読んで - 2009年10月
「画商の「眼」力:真贋をいかにして見抜くのか」(長谷川徳七、講談社、2009年)
紹介に、「「真贋」とは、画家・絵画・画商とは、「見分けの極意」とは何か。半世紀にわたり、第一線で“真剣勝負”をした日本一の画商が、絵画・仕事・人生の「本物だけが持つ輝き」を語る。」とある。
”権威ある”鑑定士により、”間違いなく作家の作であると鑑定される鑑定書”なるものが作られてはじめて美術品の価値が決定される。実際は鑑定士にも色々のレベルがあり、本当に本物の美術を愛する人から、ビジネスとして鑑定をする人、様々。普段の努力・活動があってはじめて本当の鑑定が出来るとしている。不断の努力とは、作家が生きていれば作家との付き合い、亡くなっていれば作家の家族との付き合い・信頼、更には「カタログレゾネ」を根気良く作る作業をしてはじめて鑑定が可能になるとのこと。
筆者の語録から、鑑定とは
「作家性を見抜くのが鑑定だ」
「鑑定に「こうしていれば大丈夫」という絶対の方程式やお手軽なノウハウなど、残念ながらありません」
「作家との交流もなく、その作品を扱ったこともなく、まして物故作家ならば、その遺族からの支持もない画商が鑑定書を書くなどは、世間の常識からすればありえない」
画商が増えて「画商が画商に鑑定を頼む時代」
「誰のものでも鑑定できるというのはありえない。」
最終的には、「鑑定人の感覚の良し悪しによる」
とある。鑑定にまつわる裏話が読めて面白い。
最近、技術評価において良く聞きのが「目利き」という言葉。製品化・事業化が可能かどうか、そのために資金(補助金)を投入して意味がある技術・知的財産かどうかの見極めをする人のことを言うらしい。「目利き」と美術品の鑑定は似たところがあるようだが。画商の鑑定は既にあるものの真贋を判定するが、技術の鑑定は、これから実現できる筋の良いものかどうかを判断するもので、競馬の予想屋にも似た活動。技術がものになるかどうかは、開発技術の内容によることは事実だが、時の運に左右されることが多いもの。似ているところは、鑑定が鑑定人の感覚の良し悪しによると同様、目利きの感覚の良し悪しに左右される点。
私の意見、世間で言う意味での「目利き」は存在し得ない。技術評価において先ず優先するのは、「開発者の目の輝き」。技術的に正しいかどうは専門家(所謂目利き)に任せ、投資するかどうかは、人を見るしかないのだから、これは技術の素人でも出来る。評価者の感性の問題。
(参考)
カタログレゾネとは、
作家の全作品を写真とデータによって収録し、時代やテーマごとに分類した目録、つまりは全画集。
作成には、作家本人との交流、パレットからデッサンといった全ての資料を提供してもらうには、作家や家族との信頼関係が必須。カタログレゾネを作ったところが鑑定出来る。
読書に関して気になっていることが二つ有る。一つは、「日本の科学者・技術者の伝記に面白いものが無い」。二つ目は、「日本人の科学者や医者の書いたエッセイに読んで面白いものが多いのだが、技術者の書いた面白いものが見当たらない」。