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:「裸のアインシュタイン」を読んで。( 2010年3月)
読書に関して気になっていることが二つ有る。一つは、「日本の科学者・技術者の伝記に面白いものが無い」。二つ目は、「日本人の科学者や医者の書いたエッセイに読んで面白いものが多いのだが、技術者の書いた面白いものが見当たらない」。
今回「裸のアインシュタイン」を読んで、前者の答えが得られたような気がした。この本は、15年ほど前に買ったのだが当時は興味が湧かずに初めの部分だけ読んで本箱の隅に打っ棄られていた。何故か最近取り出し読み出すとこれが面白い。アインシュタインといえば、ニュートンと並んで物理の分野では神様扱い。その神様を、専門分野に限定せず、私生活を通して人間として書かれている。アインシュタインの人間性が良く理解できる。同様に人間性を赤裸々に描いた科学者の伝記・自伝は、ノンフィクション的なルポルタージュとして、DNAの発見にまつわる科学者を扱ったものにも見られる。偉人の業績を認めたうえで人間を描いている。
一方我が国では、偉人は神様みたいな記述で清廉潔白な万人のお手本として描くのが常。立派な業績をあげた原因の良い部分のみで記述されているようで、人間の醜悪さ・醜さは隠されている。一旦偉い人と認定されると、人の持つ醜さは無いものとしてオブラートに隠すのが日本。最近は薄れてきたが、大学教授、学校の先生、警察官を含む公務員等は、立派な方で決して間違ったことはしないという風に考えがちであった。このためか、所謂偉い人には人格的に高尚で、醜い点は無いと信じたがる(建前)のが我々。科学者技術者の業績は、綺麗なことからのみ達成できるものではなく、ソクラテスの妻ではないが、隠したいような部分が、業績を上げた引き金になっていることもある。この部分は、故人の名誉か何かで隠される。総て綺麗ごとで済ますのが日本の伝記。勿論醜悪な部分も書かれてはいるが、大体において不可抗力の部分で本人の責任の無い、どうしようもないことが大多数。知りたいのは、偉人の人間性、人間そのものなのだが、それを含めて書かれている伝記には中々行き当たらない。
疑問の一つは判ったような気がした。もう少し色んな人の伝記を読んでみようとおもう。
>>「裸のアインシュタイン : 女も宇宙も愛しぬいた男の大爆発(ビッグバン)」
>> (古賀弥生訳、徳間書店、1994刊)
>> (原題:The Private Lives of Albert Einstein 著者:Roger Highfield and Paul Carter)