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「真実を求めて」 レオポルト・インフェルト著、 鶴岡重成訳 みすず書房 1966年

書斎(といっても、マンションの北向きの5畳に、小さな食卓転用の机、その上のデスクトップパソコン、周囲には大小4つの本棚を重ねて学生時代から約半世紀積読してきた本本と、お気に入りだが余り使われないロッキングチェアが置かれたゴミゴミした部屋)の本棚に長いこと眠っていた本。著者を見るとL.インフェルトとある。先月読んだ「ガロアの生涯:神々の愛でし人」の著者の自叙伝。あのような多数の文献を駆使して書かれた本の著者はどんな人かと興味を持って読むことにした。
著者は、100篇以上の研究論文を発表し、アインシュタインやボルンなどとも共同研究を行い、ある時期科学者の平和運動として知られた「パグウォシュ運動」にも名を連ね、更には、フランス革命時代の数学者で革命家のガロアの伝記(「ガロアの生涯」)の著者でもある多彩な才能を持つポーランドの理論物理学者(人種的にはユダヤ人)。更に、日本でも比較的よく読まれている「物理学はいかに創られたか」(岩波新書赤版1939)は著者とアインシュタインとの共著作品。
研究に邁進するため、研究者として、ポーランドから、イギリス(キャベンデッシュ研究所)、アメリカ(アインシュタインのもとプリンストンの高級研究所、カナダ(トロント大学)と場所を変えた前半と、カナダを捨ててポーランドに戻り研究環境を整備する時代を通じて得られた考え方は、「科学者を孤立させることは研究を妨げる」。そのため、科学者の集まれるセンターがインフラとして必要。「センターも孤立させると研究は妨げられる」。従って、意味のある研究を加速させるためには世界との交流が必要と考えるに至った。さらにこの過程で、優れた研究組織者としての力が身についた。
若いときには、知識を外国に向け、20歳代前半博士号を取る前(1920年)、ベルリンの大学に潜り込むため、一面識もないアインシュタインに、当時ドイツ物理学会大御所プランク(両者とも当時は既に世界一級の物理学者でノーベル賞受賞者(1918年プランク受賞)乃至は候補者(1921年アインシュタイン受賞))への推薦状を書いてもらっている。凄い度胸。30年前面倒を見たポーランドからの研修生にも、似たところが有ったことを思い出した。当たって砕けろは、ポーランド人、或いは西洋人の気質かな。そういえば彼もその後アメリカの大学に移りセンサーの研究をしていたらしいが今はどうしているのだろう。
著者の造語に、「技術者的物理学」がある。これは、「アド・ホックに作り上げられた仮説により非常に限られた分野の事実と適合する結果を性急に求める」の意味らしいのだが、アインシュタイン等を見てきた結果辿り着いた結果だろう。技術者と科学者の違いか。別にどっちが偉いという話でもないが。
ボーアとアインシュタインを比較したところでは、ボーアはファラディに似て、その創造力の特徴は、”並外れた簡潔さと独創性”で”極めて簡単な数学の手法を活用”するところ。一方、アインシュタインは、ニュートンに似て”論理的カテゴリーで考える”と。一方ボーアは”イメージで考える”としている。元開発研究者としては、アインシュタインよりイメージで理解するボーアに惹かれる思いだ。
更に、「ガロアの生涯」を書くにあたってその資料を収集の逸話(膨大な資料を収集していたアメリカの大富豪との付き合い)もこの本の中に見られる。国土も価値観も広く多様なアメリカでの話だろうが、この富豪何を目的でガロアの資料収集を行っていたのか興味をそそられるところ。
この本は、スターリンが亡くなった頃に書かれたため一部共産主義国家の当時の状況を垣間見ることが出来るが、それ以後のペレストロイカ、ポーランドの民主化以後までインフェルトが生存していたらどんな記述になっていたろうかと想像するのも楽しいことだ。買った当初はそれ程共感は覚えなかったが、現役を退いてから読み直してみるとそれなりに面白く読めた。