N.ウィーナーは実用に近い数学家!

  「サイバネテックスはいかにして生れたか」
    (ノーバート・ウィーナー著鎮目恭夫訳、みすず書房、1956年)
    原題は、「I am a Mathematician.(私は数学者)」

 大分前に古本屋で購入した本。元々の定価は280円と時代が感じられる。昭和31年第1刷発行とあるから翻訳の初版本だろう。古本屋の店頭ワゴンに載せられ300円の定価がついていた。

 ウィーナーは父親から天才教育を受け(そのためか父親を普通以上に意識)、14歳で学部卒業し、19歳で哲学博士号を取得した。この本は、数学者として階段を登り始めた24歳のころ、マサチューセッツ工科大学(MIT:今では世界一流の工科大学だが、当時は職員の給料も安く、技術者育成の大学であったと、本人の弁)に就職した頃から始まる自叙伝。
 天才であるが故か興味が多方面に及び科学と技術の間を埋める数学に取り組んできた。驚くことに、この自叙伝に登場する人間は約250人以上にのぼり、多方面での共同研究を行ってきたこと。内容は、口述を何人かの秘書が書き言葉にしたようだが、どのようにこれら多数の人の記憶を留めていたのか不思議でもあり感心する。ここが天才の所以か。
 研究内容を見る限り、ウィーナーは純粋数学者というよりかは、工学に近いところに位置する使える数学を目指した応用数学者、物理数学という言葉にたいして工学数学とでも言える領域を開拓した。ドイツやフランスの数学に対して、いかにもアメリカらしい数学者。
 自叙伝であるため、自己中心に記述されているため内容的に事実の真偽の程は判断できないが、独創的研究における一番手争い等、研究上の葛藤が色々あるのだという感じを受ける。自叙伝であるためどうしてもメンタル面での悩み等は綺麗に書かれている。人間ウィーナーの姿をもっと知りたいものだ。順番は逆だが、ウィーナーの自叙伝の前半を読むつもり。

書中、気になったフレーズ

「数学は本質的には芸術の一種である」
⇒数学だけでなく創造性の必要な科学技術の領域でも、良い筋を見つける感性が無いと成果は出来ない。「同じ問題でもA君に出来てB君には出来ない」ということは、工学の分野でも良くあること。

カール・テーラ・コンプトンMIT学長 「MITの主要任務は技術者養成。強力な工科大学は同時に偉大な理科大学でなくてはならない」
⇒理屈が分らなくても物は作れる(工学)が、次に飛躍するためには理屈の理解(理学)が必要とのことか。 

ドイツでの電気技術の分類は弱電と強電。アメリカでは、通信と動力。
⇒さて日本では? 少なくとも私が学生時代には、ドイツ流が主で、アメリカ流が芽を出し始めていたように思う。

数学的才能の奇妙な遺伝法則  「数学的才能は義理の父から息子に伝わる」
⇒夫の遺伝子は娘に受け継がれ、それを基準に伴侶を選ぶからか。

「真に独創的な科学研究の95%までが、職業科学者のうちの5%以下によってなされている」
 「しかし5%の人々のやっている仕事のかなりの部分は、そこに他の95%の人々がいて、あいともに科学の水準を高めるのでなかったなら、全然なされないであろう」
   ⇒パレートの法則では20%だが、創造性の分野だと5%になってしまうのか。5%、20%を支えるためにも残りの95%、80%は必要ということ。

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