
「カール・セーガン 科学と悪霊を語る」
(カール・セーガン著 青木薫訳 新潮社 1997年)
原題「The Demon-Haunted World Science as a candle in the dark」
膨大な資料をもとにした実例で、似非科学等の危険性をこれでもか、これでもかと丁寧に警告。読んでいて気になったのは、この本の読者としてどんな人を想定しているのかということ。既に似非科学を信じている人がこの本を読んでも、信じることは止めないだろうし、科学者・技術者なら”言わずもがな”なことのように思える。頑張って最後まで読んでやっと分ったのだが、これはコーネル大学四年生に対する批判的思考に関するセミナーの原稿をベースにしたものであるとのことで納得した。著者の関心は”第一級の科学者や数学者を育成することではなく、科学の常識を身につけた一般の人を育てること”。ということで似非科学の危険性を取り上げているが、内容は似非科学・宗教と対峙させ、これから世の中に出ようとする人に向けてのセーガンの考える科学論。
”語録”から
◎『科学のほうが似非科学よりも、人間の不完全さや誤りやすさをずっとよく認識している』
『「疑うことを旨とする科学の世界」と「信じることを旨とする信仰の世界」』
『科学的方法こそは、発見などよりずっと大切なのである』
『科学とは”検証可能な仮説を立てようとひたむきに努力する。アイデアを確認あるいは否定する決定的実験をみいだそうとする。中身のある議論をしようという活力。不満のあるアイデアは喜んで捨てようとする態度”』
⇒全くその通り。科学技術の継続的発展無しでは成り立たなくなっている現代、果たして認識して取り組んでいる科学者が今どのくらいいるか。東西冷戦の頃までは、良し悪しは別としてマルクス主義の方法論が闊歩していたので方法論が正しいかどうか、科学技術者は自らに問うていたように思える。今は間違った成果主義が蔓延り過ぎ、科学者の数・投資した資金に相当するだけの成果は無いように思える。
◎『科学の価値は、民主主義の価値と相性が良く、この二つが区別できないこともある』
⇒戦前のドイツや冷戦時代以前のソ連を意識してだろうが、本当にそうだろうか?
◎懐疑的思考 「トンデモ話」検出キット『裏付けをとれ。議論のまな板にのせろ。科学に権威はいらない。せいぜい専門家がいるだけ。仮説は複数立てろ・身びいきするな。定量化しろ。弱点を叩き出せ。オッカムのかみそり(説明できる仮説が二つあれば、より単純な方をえらべ)。反証可能性(懐疑派にも推論の道筋が辿れなくてはならないし、再現実験をて検証できなければならない)」
⇒当たり前だが、科学技術に従事するものは常に意識しておかないと。
以前読んだ本に、「背信の科学者たち」(W.Broad&N.Wade著、牧野賢治訳、BlueBacksB-1535、講談社、2006年)がある。科学者の不始末を描いた本だが、セーガンが、科学の素晴しさをうたっているのに反して、この本ではそれに従事する科学者の別の面を描いている。要は使う人の姿勢と使い方かな。