「一数学者の回想」(小倉金之助著、筑摩叢書80、筑摩書房、1967)

書斎の本棚にあった本。本に挟まっていた筑摩書房の新刊ニュースが、1967=4とあることから、大学4年の頃に買ったもののようだ。ニュース内の紹介コーナーでは、「「福翁自伝」や川上肇の「自叙伝」とならぶ日本自伝文学の傑作」とある。丁度就職するか大学院に行くか迷っていた頃、何かの参考にと買ったものだろうが、読み終えた記憶は無い。アインシュタイン、ガロア、ランダウ、インフェルト、ウィーナー、エルデシュと科学者の伝記・自叙伝を読んできた流れの中で日本人科学者の伝記を読んでみようと本棚から取り出して読んだもの。
著者がどんな人かも知らないままに読みはじめた。内容は、口述筆記に手を加えたためか、比較的読みやすい。明治の中頃に山形県酒田の廻船問屋に生れた著者が、旧家をたたみ、官尊民卑の学界で学者として生きて行く中で、”民間の数学者・科学史学者、そして今で謂う科学評論家”として、昭和20年の終戦まで日本の科学技術を憂えて啓蒙のために闘った足跡が描かれている。一説では、唯物史観者でマルクス主義的科学史観を持つように言われたように解説では書かれているが、内容からはその臭いは全く感じられない。戦前の軍事的戦時下での、日本の科学技術立国を希求しているように思われる。この状況を、現在の経済的戦時下に置き換えてみると、今の日本に当てはまる警鐘にも聞こえてくる。
読み終えた感想は、一言。「矢張り日本人の書いたものだ」。意見の違いがある人や論争した人に対しても感情を表すことなくやんわりと記述、自分の業績も、遠まわしに世間で・或いは誰それの何処そこに引用されていると記述。後は読んだ人に評価を託すというスタンス。日本的奥ゆかしさか。西洋人の書いた自叙伝や伝記では”それ見たことか”と赤裸々に書きそうだ。そこが外国人の書いた伝記・自叙伝が面白く読める所以か。