ダイ・ハングリー
1.あやと銃と怪しい奴ら
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 澄み渡る空、穏やかな波。好天に恵まれた横浜港に豪華客船ホワイト・ヴィーナス号は、その名の通り白亜の巨体を浮かべていた。
 2日間の停泊を終え、3時間後の11時には出航の予定だ。
「わあ、おっきい」武満(たけみつ)あやは、手の平を額にかざし白き美女を見上げながら言った。
 小柄な体つきに赤縞チェックのシャツとデニムのパンツ。髪はショートカットでボーイッシュなルックスだ。
 ちなみにあやは本当は漢字で書く。と言えば綾か彩あたりを思い浮かべるが、実は妖。水木しげるの大ファンという父親のとばっちりだ。なんとも迷惑な話である。
 おかげで健康的な自称美少女なのに、小学生時代のあだ名は「おばけ」。ぐれなかったのが不思議なくらいだ。
 まあ、ストレートに「猫娘」とか「砂かけ婆」とか命名されなかっただけマシかもしれない。それでもちょっとムカつくので自分で書くときは平仮名にしている。
 ホワイト・ヴィーナスは全長233メートル。この手の世界周航用客船としては決して大きくはない。その代わり乗組員724名に対して乗客定員を962名と抑えサービスの良さと充実した設備を売り物にしていた。
 その分、費用は高くなっている。乗客は世界有数の金持ちばかりだ。
 船の先端には金文字を黒く縁取って船名が書き込まれている。
 この船にこれから乗り込むかと思うと、あやは何だかワクワクしてきた。お客として乗ることなんか一生ないんだろうなあ。そう思うと感慨深いものがある。
 あやは、コック見習いとしてホワイト・ヴィーナスに五軒あるレストランの一つ「アフロディーテ」に採用された。といっても採用試験を受けたわけではない。コックの一人がホームシックにかかり「料理への情熱を失った」とか何とか言って前の停泊地で突然に下船してしまったのだ。
 提携している日本の旅行会社に急きょ補充要員手配の要請が入った。そこで旅行会社本社ビルの社員食堂に勤めていたあやに白羽の矢が立ったわけである。
 社員食堂の経営は旅行会社の子会社で社長は天下り。なんとしても要求には応えねばならない。
「おい、お前、旅行好きだっただろ。決まりね」って全く無茶な話。
 給料が良かったこともあってホイホイ引き受けたあやも、かなりテキトーな性格ではあった。
 タラップの方に勢い良く歩き出したあやの前に大型リムジンが走りこんできた。国産車の1.5倍はあろうかという長いボディ。
 うあ、こんなの日本で走らせたらたいへんだろうな。あやがポカンと突っ立って見とれていると、目の前でドアが開いた。
 髭をたくわえたダンディーな大富豪が降りてくるのかしら。あやは、先日テレビで見た「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルを想像した。野次馬根性丸出しの目つきで見守る。
 乗船すれば周囲は大富豪オン・パレードになるのだが、まだそこまで意識がまわっていないのだ。
 最初に降りてきたのはダークスーツにサングラスの一目でボディガードと分かる男。もっともらしく周囲を見渡すと車内に声をかけた。
 続いて降りてくるのが車の主に違いない。あやは期待に胸をふくらませる。
 姿を現したのは褐色の肌をしたデブのガキ。あやは少なからずガッカリした。チェックのバーバリーなんか着てるけど全然似合っていない。
 勿論ただのガキではない。小さいながらも石油産出国として裕福な中東の王国イラブ。その石油産業は国王の弟アミル・サラバンティが一手に掌握している。
 そしてこのデブガキこそアミルの長男モフセンなのである。日本の国家予算なみの資産を誇る大富豪の御曹司なのだが、あやには関係ないことだった。
 あやは何を期待していたわけでもないのに、なんだか損した気分になった。気を取り直して再びタラップに向かう。モフセンが目の前を通り過ぎるあやにサッと手を伸ばし尻をなでた。
「きゃっ、何するのよ」あやが思わず声を荒げた。反射的に手を振り上げる。
 素早くボディガードが割って入った。このボディガード、シュワちゃんを意識したスタイルなのだろう。が、良く見るとデブッチョで「ブルース・ブラザース」の故ジョン・ベルーシそっくりではないか。
 あやは思わず合掌して拝んでしまった。ボディガードは、訳が分からず「オウ、東洋ノ神秘」てな目つきだ。
 気勢をそがれたあやは、悪い目つきでモフセンを一にらみすると、今度こそタラップへと向かう。
 包丁セットなんか持ってたこともあり、手続きは手間取った。モフセンとボディガードが、そのまま横を素通りしていく。どうやら顔パスらしい。
 海外へ出航するのにいい加減なものね。あやは不満げに腕組みしながら何気なくリムジンを振り向いた。
 リムジンからはポーターが次々と荷物を運び出している。いくら大型車といっても、どこにこれだけ詰まっていたのだろうかと思うほどの物量だ。
 大半はトイザらスのパッケージ。オモチャでも買い込んできたのだろう。だが、一切ロゴのない怪しげな包装の箱も多い。それらの荷物もノー・チェックで運び込まれていく。役人にかなりの鼻薬を嗅がせてあるに違いない。
 あやがちょっとムッとしていると、一人の男がタラップを降りてきた。五十がらみの、かなりくたびれた顔つき。白髪まじりの髪を七三に分け、濃紺のスーツを着ている。
「武満さんですね。お待ちしてました」と言いながら、慣れた手つきで名刺を差し出す。
 名刺には光陽観光株式会社本社総務部総務課係長藤田良介と印刷されてあった。
 この年で係長じゃ、かなりうだつの上がらない人ね。あやは思ったが、それでも親会社の人間だ。元気良く挨拶した。

 アミル・サラバンティはAデッキの特別スイートルームに宿泊していた。モフセンの荷物がカートに積まれて運ばれてくる。
 だが、全てがモフセンの元に運び込まれたわけではなかった。店名のない荷物の中には、赤いシールが張られたものが混じっていた。
 ベルーシ似のボディガード、その名はハリソン・コルベットがアミルの部屋の前に待ちかまえていた。ハリソンは、ポーターたちにチップを渡して荷物を預かる。
 その様子を通路の奥から覗(うかが)っていた二人の男。先程の連中と同じポーターの制服を着ているが、異質な猛々(たけだけ)しい雰囲気を放っている。
 黒い髪にニヤけた顔つきのカミュ・ツインとブロンドで薄い眉が酷薄そうなイリア・クリキントン。二人はポーターたちが見えなくなると空のカートを押してきた。
 ハリソンは、赤いシールの貼られた荷物を選び出して二人に積み替えさせる。
 かなりの重量があるらしい。荷物を持ち上げる二人は、制服越しにも手足の筋肉が盛り上がったことが分かるほどだ。
 デブのハリソンは見ているだけでハアハアと息を荒げている。
 二人はカートを押して荷物用エレベーターのあるデッキ奥へと消えていった。

 早速あやは「アフロディーテ」の厨房へと連れて行かれた。
 厨房は、すでに昼食の準備で戦場のような状態。「アフロディーテ」では3食を、いわゆるヴァイキング形式で提供していた。大富豪が食べ放題をありがたがるとは思えない。
 もともとは富豪たちに同行する使用人たちの食事として企画したもので、料金も船賃に含まれているという扱いだった。なにしろ大部屋3室を使用人用に貸し切る乗客もいるのだ。
 フタを開けてみると、大半の金持ちは高額な注文料理を食べるのだが、中には金があってもやっぱりタダが好きという者もいた。停泊地のカジノで全財産すってしまったという、より切迫した事情の者もいる。
 そんなこんなで「アフロディーテ」を利用する客増え、今度は社交の場という側面が出てきた。食事はルーム・サービスで済ませ、その後「アフロディーテ」におもむいてコーヒーを飲みながら歓談するという客もいる。
 結果、「アフロディーテ」は船内で最も忙しい厨房と化していたのだ。
 タオルで手を拭きながら出てきたシェフ長は、がっしりした体格に黒い髭、太い眉。ロジャー・ディキンソンと名乗った。イギリス人とのことだが、料理人というよりレンガ職人の親方という印象の男だ。
 藤田が、ぎこちない英語で挨拶する。あやが聞いても、たどたどしい口調だ。「シー・イズ・ア・コック」とか何とか、あやを紹介する。
「オウ、コック?コッカドゥードゥルドゥー」シェフ長は突然ニワトリの鳴き真似をしてガハハと豪快に笑う。
 ヘンなおっさんだが妙に愛嬌がある。
 とにかく白衣に着替えることになった。更衣室は男女兼用、カーテンで仕切られた奥が女性のスペースとなっていた。あやが着替えて戻ると、藤田はすでに下船していた。
 ロジャーに命じられて、あやはジャガイモの皮むきを始めた。手先は器用なほうで包丁さばきは自信がある。専門学校を出てまだ2年足らずだが、就職先は社員食堂。格式ある料亭などとは違って出来ることは何でもやらされた。
 おかげで特別高度な技術はないが一通りのことは何でもこなせるようになっている。
 しばらく傍らで様子を見ていたロジャーも、これなら安心と思ったか自分の持ち場に戻っていった。

 厨房より更に下層に位置する乗組員用船室。2段ベッドが並んだ殺風景な部屋だ。奥側にはロッカーが並んでいる。
 そこでカミュとイリアが運び込んだばかりの荷物を解いていた。紙の包装の下からは出てきたのは何やら頑丈そうな木箱。
 カミュがバールで木箱の蓋をこじ開ける。中に納まっているのは多種多様な武器類だった。メインは銃火器。ベレッタ、モーゼルなどの拳銃からウージ、イングラムといったサブマシンガンまで国籍も年代も滅茶苦茶に詰め込まれている。
 武器を次々と取り出していくカミュ。中にはアイアンナックルや自転車のチェーン、果ては乗馬ムチまで入っていた。
 横から手を出したイリアが、荷箱の中からヌンチャクを取り出す。ニヤリと笑ってアチャーと調子っぱずれな雄叫びをあげた。どうやらクンフー映画のファンらしい。
 ヌンチャクを力任せに振り回す。本格的に武道を学んだことのない手つきだ。回し損ねて自分の指に、したたかブチ当ててしまう。アチャー、今度の怪鳥音はド迫力だった。
 そうこうするうちに仲間が続々と集まってきた。給仕服、警備員服、多様な服装の男たち。
 肌の色も年齢もまちまちだが、共通の危険な体臭を放っている。鋭い眼光は、男たちが決して素人ではないことを物語っていた。
 男たちは思い思いの武器を受け取ると、それぞれの持ち場へと散っていくのだった。