2001年5月分バックナンバー

年月日(曜)場所 出 来 事
2001年5月31日(木)池田町 6月に行われる全国池田サミットに道外からおいでになる方にさし上げて下さいと池田町消費者協会の正副会長さんが手作りのコースターを持ってきてくださった。きっと喜ばれるものと思う。
2001年5月30日(水)池田町  十勝地区の流域森林・林業活性化センター・林道協会・治山協会・造林協会の理事会そして総会が行われた。前町長が務めていた林道協会の支部長を引き継ぐ。それぞれ十勝の林業関係にとって必要な事業を推進する団体であり、最後の造林関係では、「木材生産機能重視から公益的機能重視の森づくり」へ促進、「複層林・混交林」へ誘導などが確認された。「21世紀北の森づくり推進事業(計画面積5千ha)」のうち、今年は500ha整備推進するとのこと。下は団体を実質的に取り仕切っている事務局の皆さん。十勝として三支部をまとめることができないか、事務局で検討研究することとなった。どこの町村も厳しい財政状況でもあり、効率的な事業の推進をしていく必要がある。本部の役員会でも同じ意見が出ていた。
2001年5月29日(火)池田町  北海道大学医学部に訪問。待合室のゆとりのあるつくりの待合室。からくり時計や水の流れ落ちる壁もあった。
2001年5月29日(火)池田町  全盲の作家、真野(しんの)博行さんが役場を訪問された。“全国夢売りの旅”と銘打って、障害などの壁を乗り越えて雇用の機会確保を訴えながら、全国行脚の一人旅を続けているとのこと。前日は、役場庶務係長の自宅に泊めてもらい、美味しい山菜料理をいただき、洗濯もしてもらい大変感謝されていた。社協の事務局長、身障者分会の会長と副会長とも懇談されていた。役場に入った印象を、ゆったりした快い雰囲気で、今まで訪問した町でも上位に入るとのお話を受けた。森前首相のお父さんの町が大変良かったとも話されていた。最後の目的地まで無事到達できることを願っている。
2001年5月29日(火)池田町  パークゴルフ大会に出発前にバスを待つ議員の皆さん。一人少し遅れている方がいたが、大会に間に合ったろうか。
2001年5月28日(月)池田町  ワイン城レストラン売店前にある、無料試飲コーナーと左は使用済みコルクで作ったコートと帽子。
 応接間には、平山郁夫画伯のシルクロード「ガンダーラの仏頭」がある。昨年、池田中学校の校長先生の発案で、池田町にある絵画の展示会が田園ホールで行われた時の一枚の絵。
2001年5月27日(日)池田町  我が家の裏にある、リンゴの花。2本あるが、一本だけ咲いた。今年は実が付きそうで、楽しみである。
2001年5月27日(日)池田町様舞 牧場からの帰り、簡易な炭焼きを開放している荒井さんのところに立ち寄る。7人の炭焼き体験があったそうである。ついでに、4年間掛けてコツコツと独力でつくられた家も見せてもらう。最近入居されたとのこと。柱はないが、構造は強いとのことである。
2001年5月27日(日)池田町  町営牧場の一角にある、巨大なミズナラの樹。先日の富岡の樹と比較すると、高さはこちらが低いようだが太さはどうだろうか。樹に負担を掛けないように、末端の枝を切り落とすなど、樹医さんが管理しているとのこと。何百年経っているのだろうか。これも、町の大きな財産である。

 後で聞きいたら、樹齢は、約350年とのことでした。
2001年5月27日(日)池田町  牧場に行く途中、まきばの家の裏の草地で、美味しそうに生えたばかりの草を食んでいるロバ(左)とポニー。
2001年5月27日(日)池田町様舞  先日、畜産農家から牛や馬を預かったばかりの町営牧場。下は、牛を牧場に放し空いた畜舎。清掃し、生石灰を噴霧し衛生的に管理している。
2001年5月27日(日)池田町  池田中学校の体育祭(運動会)の様子を見に行く。今は就職し社会人となった息子が中学校の時より少なくなったようだが、子どもたちは元気よく、競い合っていた。お父さんお母さん方が、カメラやビデオを持ち、子どもたちを追っていた。
2001年5月27日(日)池田町  池田町百年の森、町民植樹祭。たくさんの町民の皆さんが参加され、約一時間ほどで150本ほど植栽した。大石前町長、石井元町長も来られていた。地盤は砂利混じりのところが多く、植える穴を掘るのに皆さん苦戦されていた。しっかり根付いて欲しい。
2001年5月26日(土)池田町 池田高島間の近牛地区に工事中の利別川を跨ぐ高速道路の橋、ここの部分はもうすぐ繋がる。本別、足寄方面に工事が進んでいるが、今週の小泉首相の道路財源や公共事業の見直し発言で、この工事の進行具合がどうなるのか心配である。期成会で運動を強く展開しなければならない。十勝清水・夕張間が開通すれば、車の通行台数が激増すると思う。
2001年5月26日(土)池田町 池田駅から高島まで「ふるさと銀河線」に乗ったが、池田駅前に今もある「ふるさと銀河線友の会メモリアルプレート」。平成元年、会に加盟した時の記念、隣は一緒に賛同した仲間の子どもさんの名前「太郎」君、今は大学生になったとのこと。当時は元気な小学生だった。
2001年5月26日(土)池田町高島 ふるさと銀河線高島駅で、池田町と道十勝支庁共催の植樹祭「みどりの回廊づくり」が開催された。高島地区の小中学生や住民の皆さん、来賓の衆議、道議の秘書の皆さん、札幌から山川草木を育てる会の方々、支庁の職員の皆さんなど約150名のたくさんの参加をいただき、イタヤモミジ、エゾヤマザクラ、つつじなど約200本が植栽された。記念撮影のバックのイタヤモミジは150年から200年の大樹。苗がこのように育つことを皆さんで期待して植えた。この鉄路は、明治43年に網走線として開通、国鉄の分割民営化に伴い平成元年、沿線自治体などの第三セクターとして持続された。人口減、モータリゼーションが進み乗客数が減っている。今年は7月31日から8月5日まで、昭和50年以来のSL車が運行する。
2001年5月25日(金)池田町 会の終わり頃になってしまったが、池田町ふるさと銀河線振興会議総会に出席。平成元年から今日まで長く務められた細川さんから、商工会副会長の山口さんに会長がバトンタッチ。ちほく高原鉄道鰍ゥら、今年で勇退される熊谷専務も参加。会社の経営も厳しいが、沿線住民の足を守る鉄路を側面から支援しようとの思いを確認されたようだ。
2001年5月25日(金)池田町 池田ペンティクトン会定期総会に足取り重く出席。会長さんから、今年は公式訪問団がないが民間で行きましょうとあいさつ。町全体のやりくりの難しさから、旅費を盛ることができず、私的にも参加できない。弁解のような挨拶になってしまったが、子供達の派遣は続け、長年続けた国際交流事業の中心的役割を担われてきた自主的団体、役場でも事務局として応援することを約束し、頭を下げ、その後の予定のため失礼した。
2001年5月25日(金)池田町 社会福祉協議会評議員会に出席。町内各地域からの評議員で構成され、社協活動に意見を反映している。社協も事業が増え、今年は廃止となった保健所跡に6月中旬に移るようなる。職員も増え、ヘルパーさんの活動車や訪問入浴車などの屋根つき車庫も使えるようになり、保健センターや町立病院にも近くなり、連携もとりやすくなるものと思われる。
2001年5月25日(金)池田町 保育所から近くの高齢者生きがいセンターへ。金曜日で作業は無い日であった。展示されている作品を見てきたが大きな花瓶から、湯呑茶わんまでたくさんの種類がある。一年間丹精こめて製作した自慢の作品、もちろん販売もしており、残らず全部売れて欲しいと思う。
2001年5月25日(金)池田町 帯広の会議の帰り、久しぶりに保育所に立ち寄る。ちょうどおやつの時間で美味しそうなケーキをほおばっていた。天気がいいので半そでの子が多かった。1歳になる前から6歳までの子どもさんを保育している。
2001年5月25日(金)帯広市 十勝スカイロード利用促進協議会総会、北海道横断自動車道十勝地区早期建設促進期成会、平成13年度十勝川治水促進期成会総会、帯広圏都市環状線札内川新橋建設促進協議会総会に出席。
2001年5月24日(木)帯広市 十勝エコロジーパーク理事会や十勝地域保健医療協議会総会など7つの団体の総会に出席。最初から終わりまで一日中、会長・議長の任務を務められた帯広市砂川市長さん、大変ごくろうさまでした。30分ほどの会議毎に会場が変わり、久しぶりに聞いているだけの会議であった。明日も4つの会議がある。
2001年5月24日(木)池田町 役場庁舎東歩道脇の花壇。職員の皆さんが植付けし、管理している。色とりどりのパンジー。花の終わりの時期が来ると別の種類の花に入れ替わる。
2001年5月23日(水)池田町 国民健康保険団体連合会の十勝支部定例総会と土地改良事業団連合会十勝支部定期総会に出席。国保事業は厳しい保険財政の健全化、国保税滞納対策の推進などが課題。土地改良は安定した生産力の保持のため基盤整備事業の計画的促進が主な活動。あくまでも農業は土づくりとの確認。
2001年5月23日(水)池田町 町議会のまちづくり調査特別委員会。今回は「池田町農村振興5ヵ年計画」と「行政組織の一部変更」の2件が案件。いろいろな課題について、議会の各常任委員会を超えて全員で調査・勉強されており、町民の目線で行政のあり方をチェックしていただいているものと思っている。町民の目線で利用し易く効率的な行政組織は、役所組織内部の運営の仕方と一致するか難しいところである。ポストを増やすのは容易だが逆は難しい。厳しく客観的に見ることができているかどうか。
2001年5月22日(火)池田町 地元十勝毎日新聞の各町村長を対象とした取材に応じる。管内情勢を熟知されている中橋編集局長の的を得た質問に答える面談取材。話があちこちにとんでしまった。うまくまとめていただけるものと思う。あっという間の1時間半だった。
2001年5月22日(火)帯広市 内外情勢調査会の例会に初めて参加。「企業再生のビジネス戦略」と題して、明治大学経営学部坂本恒夫教授の講演。95年頃から、市場・企業間関係が変化、海外機関投資家が、日本の有力企業200社に集中投資し、その率たるや15%にも上っている。いつ入るか分からない掛売りより、営業キャッシュ、今日の金が大切であり、現金売上の追求が必要。今年4月1日に会社分割法が施行、関連会社でも賃金の格差が出るのが当たり前になる。損益分岐点があるが、人件費・減価償却費など固定費を変動費化することが必要とも。次の用務の為、最後のまとめを聞くことが出来ず残念であった。
2001年5月22日(火)池田町 防災会議が開催。各委員の皆さんの任期が終了したため、委嘱状を交付。組織名など条文を少し修正。災害はいつ発生するか分からないので、有事の際には災害を最小限にとどめるよう、各担当の任務を確認し終了。
2001年5月21日(月)北見市 北見市での「高速道路整備促進期成会」「ふるさと銀河線振興会議」などに出席。すでに池田町青山から十勝清水まで開通しているが、池田足寄間そして北見までの早期着工完成を推進するため要請活動をしている。清水夕張間が完成し通行可能になれば、通行量も増え、産物の物流、観光の推進など大きな効果が期待できる。都市整備が声高になる中、必要性を道・沿線自治体あげてPRを含め強い運動の展開が必要と感じた。
2001年5月20日(日)池田町利別 若い時代お世話になった、先輩の家に久しぶりに顔を見に行く。ハウスの中の巨峰、ピオーネ、リザマート。16,7年経つが毎年立派に収穫でき、乾しブドウを作ったりしている。もうすでにブドウの芽(つぼみ)が大きくなっていた。
2001年5月20日(日)池田町青山 昨年、夏に見て以来でどうなっているか興味があったので、町の先輩職員の自分の山の材を切り出し、製材して一人でコツコツと建設中のログハウスを見に行く。6坪ほどの床面積だが、だいぶん完成に近づいていた。本職はだしの技術、すごい実行力である。横に沢も流れ、本当に落ち着く、いい場所である。
2001年5月20日(日)池田町近牛 昨日に呼びかけられた、近牛地区の野友会に遅れて参加。1時間ほど農業のことについてお話を聞いた。若い後継者4人もいたが、農業問題を熟知されている方との話が主であった。
2001年5月20日(日)池田町 故山本ツルさんを偲ぶ会。昭和13年に無医村だった池田町に来て以来、助産婦として一日100人を診て、月に20人の赤ちゃんを取り上げた。不衛生な家を見て清掃会社を興したり、更生保護の仕事を長くしたり、踊りなど文化面でも活躍、スーパーウーマンな偉大な池田町の母さんであったと思う。藍綬褒章から法務大臣表彰など本当にたくさんの功績があった方であった。
2001年5月20日(日)池田町富岡 植樹祭の後、富岡地区の山菜祭りに参加。1時間ほどしかなかったが、奥の山の話を中心に地域の皆さんと懇談させていただいた。ウドやタランボの天ぷら、アイヌネギのおひたし、ウドの酢味噌和え、コゴミの胡麻和えなどおにぎりと共に大変美味しくごちそうになった。下の写真は、この少し奥にある管理人の長谷川さんが飼っているニジマス、ドナルドソンなど。昨年役場内の「自然を守る会」で放流したヤマベの稚魚も成長していた。
2001年5月20日(日)池田町東台  今年で二年目となる、「オークの森」作りの植樹祭。立派な森になるには100年いやもっと年数が掛かるかもしれない。更には、ワインやブランデーの樽にも利用できるようになる。植えた場所は、かつて山葡萄がたくさんあり、道路沿いにブドウの樹も植えたことのあるチノミ(乳飲)沢。参加された約130名の町民の皆さん、そして道庁の職員のボランティア10名ほどの「森の支援隊」の参加もいただき、少々ハードな斜面での植付けをしました。昨年の苗はしっかりと根付いていた。十勝支庁の経済部長、前大石町も参加され、たくさんの苗を予定された面積に2時間ほどで終了した。参加の皆さん、大変ご苦労様でした。
2001年5月19日(土)池田町高島  池田町に二つある農協のひとつ、JA高島の野友会にお呼ばれ。焼肉と魚、野菜、ビール、清酒、十勝ワインと豊富なメニューを楽しまさせていただく。後の用事がなく、ゆっくりお話ししながら各焼台を廻り、子ども達とも記念撮影。銀河線の運行時間、福祉団体のこと、明日のほかの地区の野友会へのお誘いを受けたが、先約とその後の予定があり、残念だが欠席せざるを得ない。楽しい一日であった。
2001年5月18日(金)池田町 商工会の定期総会。中小企業法の改正や地域連携、合併推進など環境は変革期を迎え、企業体質の経営革新、生き残り体制を確立を図るとの方針。今年は、全国にある1市6町の地域間交流商工サミット、大通りの花壇整備事業、商工会のHPの有効活用などが方向付け確認された。挨拶で、少しと言って17分間、その後の懇親会で新年度の取り組みやこれからのことなどつい長くなり、商工会の総会は行政報告(の場)と違うよと指摘され、納得、以後注意が必要と反省。総会後の懇親会、ニ次回と久しぶりに皆さんとお話出来た。帰りに、焼き鳥屋さんで鳥さし・モツハツ串で十勝町民ロゼワイン。カウンターに町内で高速道路の工事に来ている若い方3人と合流、ワインをよろしく、若さに乾杯。名札を付けていたので、店内にいた町内の女性から名札を売ってと言われたりした。一人でふらっと店に入るのは就任後初めて。この後、コンビニに立ち寄り、店主の顔を見て、十勝ワインと野菜ジュースを買い、帰宅。
2001年5月18日(金)池田町 第三セクター、ちほく高原鉄道の熊谷専務が来訪。「ふるさと銀河線」の運行について、いろいろと検討されている。説明を聞いていると、大変厳しい経営の中ではあるが、6年間で改善を図られた企業経営プロの人。市役所出身と聞いているが、年だとおっしゃっていたが、まだまだお若く精力的な方と感じた。
2001年5月17日(木)池田町 北海道道産ワイン懇談会の定期総会。大石前町長が会長だったのを受けて、会長就任。年二回の出番だが、十勝ワイン鰍フ代表取締役社長としての任務と割り切る。下の写真、手前右から二人目は「小さな日記」を歌った懐かしいグループ「フォーセインツ」のメンバーの一人だった。歌も相当上手だろうが、ワイン造りも一家言ある技術屋さん。原料と醸造方法では15年も前からいろいろ教えていただき、清酒造りからワインに移った努力家。いろいろな果物からのワインも開発された道内の先覚者。
2001年5月17日(木)池田町 朝霧のかかる、朝6時前の「まきばの家キャンプ場」管理棟。奥にバンガロー、左奥にロッジと、昭和50年代の建築と少し年数が経ったが、いずれもカラマツを使用した落ち着くことが出来る建物。道路は50メートル先が見えないほど濃い霧であった。
2001年5月16日(水)池田町  国営昭栄地区土地改良事業事業計画に対する帯広畜産大学の二教授を専門技術者として調査が行われました。樋門の建設が進んでおり、今年からの農林水産省が実施主体となる排水機場、明渠排水の事業計画について、その必要性、事業評価などが検討された。
2001年5月16日(水)池田町  昨年から開発中のクヴェヴリワインの試飲を行った。その情報をどこから得られたか、日本では他にないということで、その試飲会に本場グルジア共和国のワインを広報されているウクライナ政府観光通商センターの青木さんと、元十勝ワイン東京友の会の五條さんが見えられた。クヴェヴリワインは、いきがいセンターで大きな壷のような容器を作り、それに白ワイン用のブドウを除梗だけして皮・種・果汁を詰め、発酵させその後一切触れずそのまま旧研の地下の砂に埋めたまま熟成させた特徴のあるワイン。
2001年5月16日(水)池田町  JA十勝池田町の第12回通常総会が開催された。正組合員数は415名。平成12年度の事業報告を見ると、農産で34億1千万円、畜産で16億9千万円、水田農業経営確立助成金と畑作共済金を加えると総合計で59億4千900万円となり、池田・利別合併後最高の生産額をあげた。隣に農協中央会の方がいたので、管内でどうですかと聞くと、池田町の二つの農協は、財務的に良好ですとの説明、うれしく思う。質問・説明が続き、事業報告が終了した段階で次の会議出席のため中座したが、活発な議案審議が行われたものと思う。池田町農業振興計画に合わせ、第三次農協経営計画も提案され承認される。
2001年5月15日(火)池田町  気温が30度、炎天下の中で行われた池田消防団第1分団の春季演習。出初式の時は厳しい寒さの中の訓練だったが、今回は暑い日中で消防服を着ての訓練で団員の皆さんは、汗だくだった。本当にご苦労様でした。
 今回は、阪神淡路大震災を教訓として、可搬動力(ポンプ)を使って利別川の水を250メーター離れた堤防の休憩所「桜楽館」を火災現場として模擬訓練が行われた。迅速に整然と実施され、頼もしく感じた。写真上は、訓練前にくつろぐ団員の皆さん。中は訓練を見守る消防団長と消防署長。町長として初めて参加の春季訓練だが、団員の皆さんに対する敬礼の回数が多く、緊張していたせいもあり、少し肩が凝ってしまった。
2001年5月14日(月)池田町  写真は町民の方から寄付いただいた、シャクナゲとノルウエーカエデの木。役場の前庭に植え替えしたばかり。
 今日は、臨時町議会と町議会の「まちづくり特別委員会」が開催された。 議会では税条例の一部改正、前年度補正予算の専決などが審議原案承認・可決、委員会では平成十二年度の介護保険の状況そして介護認定から介護保険事業の利用状況、そして町独自の保健福祉サービスなどの利用状況についても調査された。
 町議会では特別委員会が、その都度設置され、制度やその内容など、議員の皆さんが熱心に調査・勉強されている。事業の現状や内容、そして課題などを知っていただくことにもなり、町長は勿論、管理職を含め、職員にも刺激になっている。さらには、議員さんを通じて、町民の皆さんにも伝わることにもなり、大変良いことである。
2001年5月13日(日)池田町 夜、久しぶりのワイン仲間と懇親会。いろいろなワイン、ブランデーを試飲することが出来た。本当にいろいろなワイン、蒸留酒を味わえて楽しかった。今年で7,8年目になろうか。いつも楽しい会である。
2001年5月13日(日)池田町 昭和34年に整備されたという「東台88ヵ所」の山開き。大勢の関係者が集まっておられた。自分の土地に開設された清水徳次郎さんそいて現在の清水太郎さんの気持ちが多くの関係者の共感を呼び、今があるとのお話であった。
2001年5月13日(日)池田町 今年2回目の「ウールチャレンジイン十勝」。町外の参加者を含め5団体ほどの参加。刈り取ったばかりの羊の毛から約8時間で紡ぎ編みセーターを作る、9時頃と14時頃に行ったが後は、疲れ気味で頑張ってと励ました。下のものは、モンゴルで言うゲル、パオとも云う。オーナーの田中さんは、子どもたちの学習にも利用してもらいたいとのことであった。これがまきばの家にあった時に泊まった経験があるがその時は羊の臭いいっぱいであり、今日は臭わなかった。ますます活動的な田中さんであった。帰りにモンゴル料理をいくつか食べた。勿論美味しかった。
2001年5月13日(日)池田町 今シーズン最初のゲートボール大会。皆さん久しぶりに会うがお元気な様子で今年一年のシーズンの検討を願い、挨拶する。今年は全国池田から交流団が試合に来る。少し賑やかになりそうである。
2001年5月12日(土)池田町 いっぺんに晴天となり、我ハウス内のトマトが熱と乾燥で参っている。大丈夫回復するだろうか心配である。
2001年5月11日(金)池田町 クローバー共同作業所の定期総会。隣町からも通ってきている。今年は、作業所が町にいただいた保健所後の建物に戻ることになる。他の団体も同居するので、時には交流も可能になると思う。元気に通い、元気に挨拶、ボランティアの皆さんや指導員の方と共にいい製品をたくさん作って欲しいと思う。今回はペン立てと押し花はがきを購入した。
2001年5月11日(金)池田町 行財政改善検討委員会。組織のスリム化、町民の皆さんが少しでも利用しやすい窓口、そして総合プロジェクトの推進を目的に組織案を作り、考え方を含めて提案し、忌憚のない意見をいただきたいとお願いした。組織についての庁舎内部の見直しは、セクションを増やしたり、ポストを新設するのは容易だが、スリム化はそれぞれ意見があって、課題全部の整理は難しい。新機構発足後もさらに事務事業の見直し・縮小・新規事業により、それに対応する機構に変えることが必要と思っている。今年二月に、広報誌で町の財政状況を出来るだけ分かり易いように、家庭の台所事業に置き換えて情報公開した。そのせいもあり、将来の行財政のあり方、効率的な行政組織、そして町長など特別職も含めて職員の仕事ぶりに町民の皆さんの関心が高い。
2001年5月10日(木)池田町  十勝の町村会臨時総会。中札内村村長の小田中会長が勇退され、陸別町長の金沢さんが会長、斎藤新得町長、山口音更町長が副会長となる。下の写真は、挨拶中が小田中さん、左に上の順番の新役員。本別から100年記念の年なので協力をとお願い、音更から十勝療養所の方向を検討している報告があった。
2001年5月10日(木)池田町  「原水爆禁止国民平和大行進」の一行が見えた。全国各地でいろいろなルートから出発されたとのこと。長い道のり、気をつけてご健闘をと激励。地区労の役員時代、非核平和年宣言を議会でお願いし、看板を立てていただいた経過がある。一緒に住んでいた母の叔父叔母が昭和20年広島の被爆者でもあり、その時のむごい様子を小さい時によく聞かされた。地球上から核兵器が完全にゼロにならなければいけない。
2001年5月9日(水)池田町  久しぶりに38度以上の熱が出てしまい、行事を助役にお願いし町立病院行き。夜の電話で兄に自己管理だなと指摘されたがそのとおり。病院から帰り家の前のカタクリなどの花を撮影。右の緑の容器は生ゴミ処理のコンポスタで、町営牧場で有効土壌微生物を給与して造ったオガクズ主体の有機堆肥「あか牛堆肥」を生ゴミに振りかけ、さらなる有機堆肥を造り、畑に使用する。効果は極めてよろしい。10年前から3個目のコンポスタである。
2001年5月8日(火)池田町  ワインプラザ構想の一部見直し提案や池田駅歩道橋設置に対する意見を頂戴する今回の「池田町まちづくり委員会」。宅地開発・定住促進のため、商業用地など一部用地の用途変更に賛成との意見をいただき、歩道橋についても早期につくって欲しいとの意見を多くいただいた。
2001年5月8日(火)池田町  町議会議員、町3役経験者、議会関係者が入った自治交友会の総会終了後、その懇親会に出席。一昨日の町の大先輩方もおられたが間がないので少々飲み疲れのご様子。町政に対する忌憚のないご意見をと挨拶。身体には注意しろよと皆さんから頂戴した。
2001年5月8日(火)池田町  隣町、豊頃町の助役さんが勇退され、挨拶に見えた。若い時から3期12年務められ、首長とはひと味違ったご苦労も多かったことと思う。十勝の助役会の会長の任にもあたられた。これからパソコンをマスターされるとのことだが、時間はかからないと思う。今後新たな方面でのご活躍を願っている。
2001年5月6日(日)十勝川温泉  役場を卒業されたOB職員の会40周年お祝いに参加。中札内村長を長く務められた太田さんも来賓として挨拶。下段は元町長の丸谷さんと、年金スライド制を導入しようと、昭和40年代後半、国と論戦のうえ実現した当時の幹部職員。大先輩がたくさん参加されており、後輩として控えめな気持ちと会って話したい気持ちが交錯して参加したが、結果はマイペース。楽しい会であった。明日締め切りの町長日誌、まだ出来ていないが、大丈夫間に合うだろうか?もう眠くなってきたので明日考えることとした。
2001年5月6日(日)池田町  富岡地区の本郷さんから、町長になる前から見に来いと云われていた富岡の御神木を見に行く。清見ケ丘の250年と言われる柏の樹が一番と思っていたが、天然ぶな林の500年以上経っていると説明された「ナラの樹」。本郷さんと一緒に手を回す。常丸さんと3人で、3時間ほど掛けて50ヘクタールの森を尾根づたいに歩いた。途中熊の掘った穴や、一生を全うして朽ちた楢や柏もあり、「池田町の500年今も生きている森」として、子どもだけでなく大人にも、生涯学習の場になる気がする。子どもの時に、家の廻りにある林に入るのが好きだったが、久しぶりに、楽しい山歩きで、いのちの洗濯にもなったようだ。
2001年5月5日(土)池田町  15周年になる8丁目熟年クラブの総会・敬寿会に出席。老人クラブの活動の中で、子ども達との餅つきや花見、路傍の花整備など環境美化の取り組みもされている。このクラブの会長さんは北海道の副会長、十勝の会長を務めている。今年でたしか92歳になるはずであり、会員皆さんの目標・模範である。福祉課時代に道の大会などによく同伴し、教育長を長く務められた経験もあり顔が実に広く、全道の会長さん方を紹介してもらいよく話を伺った。それらの経験は私の人生の勉強でもあったと感謝している。
2001年5月4日(金)池田町  連休、毎年恒例の家庭菜園の始まり。とりあえずトマト、ナス、青菜の苗を植えた。右の棚はポットから育てるイタリアのナスとトマト。果たして芽が出て育つかいつもそれが楽しみで作っている。5年目になるが、今年はごま味のするルッコラを発泡スチロール内に植えてみた。虫がつくと瞬く間に青菜の面積が減ってくるので注意が必要。これから秋まで、ハウスのビニールを空け閉め、水の管理などが始まる。
2001年5月3日(木)池田町  ワイン城醸造に務めていた時の仕事仲間。東京に仕事が決まったメンバーが帰省し、まきばの家で昔話と現状報告でロゼワイン、トカップで乾杯。他の若い人が入らなければ、10年以上も前に一戻り、昔話に花が咲いた。
2001年5月3日(木)池田町 こちらは、町内でも殆ど見られなくなった水田。有機堆肥を一枚一枚の田んぼに運び耕す準備をされていた。自分の生まれた地域も水田耕作地帯であったので懐かしい。
2001年5月3日(木)池田町  朝早くからのビートの植付け作業。雨が少なく、風邪で抜けたり乾燥して枯れたり、困っている。「町長、雨乞いしてや!」との要請。自然相手のなりわい、お天気はどうにもならない。昨年11月の全国池田サミット開催地の岐阜池田町の伝統芸能は雨乞いに由来する踊りなどが多いとの話を思い出した。早めに(適量の)雨が降って欲しいと思う。
2001年5月3日(木)池田町  早朝の「まきばの家」キャンプ場。本州方面からのライダー、家族連れの車など夜間そして明け方は零度近くに下がった。キャンプ用品の性能が良くなっているようで、風邪をひくことはない様子。家族連れのお父さんと話したら、これからたくさんの木製おもちゃや藤城清治さんの大きな影絵のある生田原「ちゃちゃワールド」に行かれるとのこと。子どもたちとって、にいい思い出になることでしょう。交通事故に気をつけてと声かけた。
2001年5月2日(水)池田町  全国池田のメンバー、香川県小豆島池田町産のスモモ(レッドスター)をワイン原料として使用後、残った種をグレープ・スピリッツに漬け込んで製造。イタリアでアンズの種を原料とした『アマレット』タイプ、アーモンドのような香りと味が特徴。アルコール度数は25度、甘口。名前「アイルISLE」は「小さい島」を意味する英語で、スモモの原産地、小豆島にちなんで命名。ストレート、オンザロックそしてコーヒーなどに甘味と香りづけとして楽しめる。スモモの種のリキュールは世界で最初?数が少ないのでお早めに!
2001年5月2日(水)池田町  役場前の噴水プールに土を入れ、均している。30年以上にわたり、地域住民の皆さんに水の憩いを与えてくれたものと思う。老朽化し、修繕が大がかりとなるため、花畑に変身することになる。長い間ごくろう様でした。
2001年5月1日(火)池田町  久しぶりに参加した池田地区第72回メーデー。10数年前は、左の司会者と同様の役割を3年間果たした。以前よりだいぶ少なくなったっように感じられる。この集会の後、市街地区を皆さんと一緒に行進した。
2001年5月1日(火)池田町  町内の道路改良・舗装、営農用水配管、砂防ダム、林道整備などの進行状況そして今年の予定を担当職員の皆さんと建設現場を見て歩いた。朝から夕方までかかった。
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