2002年3月分バックナンバー

年月日(曜)場所 出 来 事
3月31日(日)池田町

東台地区(上公区)の敬老会。時期はずれのようだが農作業の調整がつきやすい今の時期に開催される。公区長ほか役員、女性部の皆さんの手作りのお祝い。女性部の傘踊り、一円音頭、舞踊など、たくさんの演芸があった。
 90歳を過ぎておられる方が4名もおり、みなさん元気で、100歳のお祝いが楽しみである。町長一曲と言われ、亡き父が歌っていた三橋美智也の歌を下手ながら披露した。

3月30日(土)池田町

池田小学校・中学校・高校と合同の今年度最後の発表会。小学校は6年間指導されてきた上坂先生が転勤になるので、その贈る記念の曲も演奏されていた。中学校も良かったが、池田高校は1年2年で約40名の迫力ある演奏であった。来年度も新入生の中からたくさん入部し、吹奏楽を楽しみながら、練習を積み頑張って欲しいと思う。

3月29日(金)池田町

救急体制の消防署に立ち寄り、待機の署員の皆さんと少し話をし、歩いて家に帰った。消防車も高規格救急車も、できれば動いて欲しくないと思うが、有事の際にはすばやい行動で町民の皆さんに安心を与えている。

3月29日(金)池田町

第17回池田町あか牛振興協議会定期総会に出席。上は総会であいさつする松本会長、下は懇親会であいさつする小原新会長。BSEの問題もあるが、褐毛牛(あか牛)は扱いやすく、成長が早いという有利さがあるが枝肉価格や素牛価格が安く、今後市場の好転を願いたい。

3月29日(金)池田町

庁舎内の「市町村合併検討会」の報告を、会長の助役から報告書と説明を受けた。今後は、町民の皆さんにこの内容もお知らせすることになる。

3月29日(金)池田町

総務省の郵政サービスの一貫のようだが、池田郵便局、高島郵便局と「痴呆老人徘徊とゴミの不法投棄の報告をいただく委託契約」に調印した。町内を隈なく動いておられる局員の皆さんの力を福祉や環境の町づくりにもお手伝いいただくものであり、本当に心強くありがたいことである。

3月29日(金)池田町

利別保育所修了式に出席。4月から29名の園児が小学校に通うことになる。元気な声でお礼やお別れの歌を歌っていた。お母さんやお父さんがうれしそうな顔で、ビデオやカメラを持って姿を追っていた。夜に「あか牛振興協議会」の皆さんとの懇親会に参加したが、役員のお父さんお母さんの皆さんと会場が隣合わせだった。

3月29日(金)池田町

池田町ふれあいセンターで開かれた社協評議員会。町内各地で、福祉関係だけでなく町内会や公区で活躍いただいている評議員の皆さんでもあり、あいさつに感謝の言葉も添えさせていただいた。

3月29日(金)池田町

北海道から出向され教育委員会に勤務していた渡辺敦司さんが2年間の務めを終え道に戻られる。右は退職する保健婦の北川さん。それぞれのところで、頑張って欲しいと思う。

3月28日(木)池田町

改良普及センターで開催された、十勝東部地区農業改良推進協議会総会。次年度は会長職が岡田幕別町長から私の番になるとのこと。立ってあいさつするのは、4月から伊達市のセンターに異動される予定の森脇所長さん。十勝に長く滞在され、多くの功績を残されたようであり、浦幌町長に戻っていらっしゃいと言われていた。私も、「ある時の浪費、無い時の借金でなく、ある時の節約、無い時の貯金」でなければいけないなど、いろいろと教えていただいた。農家思いで人間味あふれる所長さんであった。

3月28日(木)関西空港付近上空

大阪からの帰り、上空から関空を撮影した。大きな空港が空から見入ると本当に小さい。このように遠くから自分たちの町や環境を見ることが必要ではないだろうか。亡き父が、自分が小学校の頃、「空から見ると、車がスピードを出して追い抜いていく様子は蟻の徒競走のようだよ」と言っていたのを思い出す。

3月27日(水)大阪市

第三セクター関西十勝の株主の皆さん。大阪も消費の買い控えが大きく、ワインの売上にも影響している。失業率も6%を超え、全国で上位とか。関西地区の消費が回復しないと日本全体も上向かないかもしれない。

3月26日(火)幕別町 幕別町役場議場で、東十勝消防事務組合の総会が開かれた。池田町の消防庁舎の建設費増額補正を含めた補正予算、新年度予算などについて審議、提案どおり可決された。上は予算の説明などをする西尾副組合長(幕別町助役)。下は池田町から出ている井上、内海、細川議員。
3月26日(火)池田町

「まちづくり会議」にワインプラザ構想の平成14年度をもって中止、いきいきはつらつプランの東2条のプラザセンター部分の整備について削除する諮問について、そのとおり可とする答申をいただいた。

3月25日(月)池田町

農技研で開催された農業関係の三つの会議に出席。池田町農業構造政策推進協議会役員会では昨年度の状況報告そして平成14年度の取り組み予定などを関係機関から報告。二つ目のBSE対策連絡会では疫病が発生した場合の「緊急対策マニュアル」を検討いただき、よもやの発生の場合の体制を整えた。池田町農業試験研究協議会総会では、今年度の調査研究成果と新年度予定、そして事業そのものの今後について検討していただくことになった。下は会議終了後、両組合長と牛肉消費に町内のお店に行く。焼肉を食べた後美味しいおでんも加えた。老廃牛のものが特においしいと聞いたの「ミノ」を食べながら懇談した。

3月25日(月)池田町

池田剣道少年団が水戸大会出場のあいさつに来庁した。今年も水戸市の全国選抜少年剣道練成大会に参加する池田少年剣士。新年の鏡割りで「一に練習二に練習三、四が無くて五に練習とある先生が言っておられた」というあいさつしたが、そのとおり頑張った結果です、との阿部団長さんのお話し。一試合一試合頑張りますと力強い意気込みであった。練習の成果を発揮して欲しい

3月24日(日)池田町

地元選出道議会議員の道政報告会。来賓としてあいさつする議長と道議。道路や施設、各種要望活動に快く応じていただいている。いろいろなところで会うが、党の要職政策審議会をつとめ、フットワークが軽く、行動力もある。私は昨年から今年にかけてのお礼をあいさつで述べた。

3月24日(日)池田町

西部コミセンに池田大橋の歩道を歩いて渡った。先日の議会の一般質問で歩道の灯が消えているよ指摘いただいたところである。橋の欄干の字は前大石町長の揮毫である。

3月24日(日)池田町

午前中時間があったので、少し気が早いと思うが、ハウスにビニールを張った。残っている雪、表面の土だけでなく、凍っている深い部分も融かさなければならない。いわゆるシバレを抜かなくてはならない。種をまき、苗を植えるのが楽しみである。さて今年は何を作ろうか・・・。

3月23日(金)帯広市

町内大森出身の森田 潤君 渡邉由香さんの結婚祝賀会に出席。お嫁さんのお父さんも町内常盤地区の出身。上は代表して乾杯のあいさつをする、大森地区実践会の北山会長。会長の子どもさんとも近い年齢で、小さい頃から良く知っておられるようであった。うれしそうな新郎新婦のご両親であった。

3月23日(土)幕別町

道道芽室帯広幕別線の札内川を跨ぎ帯広と幕別をつなぐ「札内清柳大橋」の開通式に札内新橋建設促進協議会理事、イベント実行委員会副会長として出席。運動をはじめてから20年、橋長477メートルの鋼斜張橋として、平成5年から9年間の歳月をかけた完成した大橋。幕別岡田町長のあいさつのように、帯広圏と池田町、豊頃町、浦幌町を含む東部十勝にも混雑する国道38号線を避けることが出来る連絡橋そして道路網のひとつになるだろう。

3月22日(金)池田町

行財政改善推進委員会。重大事態の現在より、まだ余裕があった平成9年度から検討をいただき、今回で終え、新たな組織とし、行財政改善について意見・審議をいただこうとすることも報告させていただいた。これからは、事務事業の見直しと共に、たくさんの課題を審議いただくことになることと思う。

3月22日(金)池田町

まちづくり会議ワインプラザ構想の平成14年度を以って中止する諮問を検討いただいき、その方向の答申をいただく予定となった。既に、プラザセンター、センターパークとしての構想用地を、住宅ゾーンとして用地変更をしていただた。その住宅ゾーンのうち、北側の売り払い部分を変更した件について簡単に変えるのはけしからん、民主主義を実行、大局を見失わず行けとの強い意見もちょうだいした。変更に至った理由は今月開催された行政報告に掲載。町づくり会議そして議会、そして構想の近隣住民の皆さん、財政状況の変化は理解するにしても、構想実現を期待して宅地を求め住んでおられる町民の皆さんの意見も、町づくり会議で審議いただく際に反映していただくべきであったと反省している。

3月21日(木)池田町

会社内部を見せていただいたが70名の社員が働いているとのことで、子供服の有名ブランド製品を作っている。会社には、広い食堂二部屋、サンドバックや体力つくりの部屋、音楽室など社員の皆さんの福利厚生もよく考えられておられた。

3月21日(木)池田町

企業誘致したイエローファイブ株式会社の入社式に招かれた。新しく入社される9名の新人の皆さん。不安な様子も少し見えたが、昨年の14名の皆さんも元気で働いているそうであり、早く慣れて欲しい。有名なデパートで販売されている商品をつくることになる。

3月20日(水)池田町

平成13年度池田町文化賞及びスポーツ賞表彰式。今回は全道大会出場して入賞、そして全国大会での入賞などたくさんの個人そして団体の皆さんの表彰が行われた。小学生の皆さんからペタンクやゲートボールなど高齢者の皆さんまで大活躍され、地元新聞をにぎわした。これからも頑張ってほしい。下はゲートボールの普及に尽力された神谷祐吉事務局長。

3月20日(水)池田町

地方交付税など財政的な今後について、十勝毎日新聞社の取材を受けた。井上さんは以前、池田支局の支局長でもあった。

3月20日(水)池田町

日本エアシステム帯広支店長が見えられた。JALとの取組みの現状を少しお聞きした。

3月19日(火)池田町

自衛隊帯広地方連絡部の中川部長さんが東京へ異動されるとあいさつに見えた。防災訓練でお世話になった。1年と少しでの異動であり、何度か帯広の会合でご一緒したが、お若いが海外生活もあり、知識が豊富で話ししていると大変楽しかった。東京でも十勝ワインを応援しますとうれしい言葉をいただいた。

3月19日(火)池田町

議会が終了したので、欠席する予定だった北海道新聞社の十勝政経懇話会に行く。国際エコノミストの今井澂氏の「小泉改革とペイオフ・金融不安の行方」という講演であった。大変興味深い話で勉強になった脱デフレ対策が進み、今年秋または来年には景気の兆しを見ることができるだろう、元気を出しなさいと励ましも含めたお話であった。

3月19日(火)池田町

町議会本会議で委員会案件や補正予算などの議案審議、意見書採択が行われた。平成14年度は、いろいろな面で決断を迫られる年度になりそうだ。議会を終え、前向きに進むしか道はないと自分に言い聞かせた。

3月18日(月)池田町

予算審査特別委員会が最終日となり、特別会計、企業会計がすべて終了し、全会一致で可決していただいた。下水道事業では、合併浄化槽補助事業の希望者が途中で辞退した場合、後の希望者を追加すべき。食肉センターでは、特定部位の焼却処理をするとのことだが、建物も古い。今後の事業の見直しをどうするのか。ワイン事業では、施設管理委託について、町全体の施設管理委託をすることはできないのか。「ブドウいっぱい運動」では、町民からのブドウ買入れをしてはどうか、などなどの質問があった。

3月17日(日)池田町

西部地区コミセンの展示会にお呼ばれした後、今年度新しく建設した利別本町公営住宅を見に行った。一階は車椅子で部屋に出入りすることが出来るようになっており、外には自転車置く場所も確保してある。暖かで使いやすく住みやすく、きっと入居される家族には喜んでもらえることだろう。

3月17日(日)池田町

田園ホールで開催された「いろりっこの集い」の皆さんと女性団体協議会の皆さんのお力による「いけだっ子あつまれ」。子どもたちが会員の皆さんから「あやとり」「駒回し」「お手玉」などを教えてもらい楽しんでいる様子。昔は、あるものを利用したり、工夫して遊び道具そのものを作ったり、大事に何年も使っているものなど人間の手によるものが多かったようだ。下はハーモニーコンクールで日本一になった4月から柏葉高校に行く予定の15歳のクロモニカ(ハーモニカの種類)奏者及川森君の演奏。師匠の早川健さんと共にすばらしい演奏であった。師匠の話では、及川君は努力に努力を重ね、曲の元にある人の気持ちになり演奏することが必要との説明であった。今回の週末は、昨日の岡田前監督と今回と指導、教育のことについて勉強させてもらい、有意義であった。

3月16日(土)池田町

岡田さんの話を聞いてから、会場となりの総合体育館で半年ぶりだろうか、バスケットボールの練習に参加した。試合形式の練習だったが、息が切れて大変だった。何度かシュートを打ったが一本も決まらなかった。下の写真は、練習している協会員の2世の皆さんと一緒に撮影。練習の様子を見ると、将来活躍する選手となること間違いない。10年以上前になるが、息子達を練習によく連れて行ったことが懐かしい。下の息子はサッカー、上の兄ちゃんが高校でバスケットをやっていた。

3月16日(土)池田町

スポーツ講演会に前コンサドーレ岡田監督に講演いただいた。サッカー少年も会場にたくさん聞きに来ていたので、子どもさん向けの話も含めて、地域サッカーというより、地球環境や社会問題から教育のことへと、岡田さんの人生そのものの話のようで、大変意義深い話であった。上は講演会実行委員会水野会長。下は会場に来ていた希望する子ども中心にサインもいただいた。町の子ども達のためにと、最後の方で、お疲れのところ快く色紙に書いていただいた。最後に、早稲田時代の恩師との話から、愛情が一番大切であると述べられていたのが印象的であった。

3月16日(土)池田町

ここ数日、日中の気温が上がり、車道・歩道とも路面の雪や氷がみるみる融けてきた。下は分別収集の場所。網袋は風で飛びやすい発泡スチロールを入れるものだが、強風の時はしっかり入れないと廻りに散らかってしまう。

3月15日(金)池田町

予算審査特別委員会を取り仕切っている委員長の北豊士朗議員(常任委員長でもある)。北委員長のお父さんも昭戦後まもないころ議会議長として、議場で町民のより良い町づくりのために采配を振るわられていたことと思う。手前は森田事務局長。

3月15日(金)池田町

予算審査特別委員会二日目。「池田第二大橋期成会の取組みはどうか。」、ワイン城レストランでの中学生のマナー講習のところで、「箸の使い方など和食の講習が必要ではないか。」の意見もあった。スクールバスの乗車範囲を2キロと決めてあるが、「基準はわかるのだが、曲げて冬期間など2キロ以内でも乗せてやってはどうか。」「基準を変えることは難しい。歩いて通うことも必要。」との教育委員会の答弁に満足せず、「町長政治的に何とかならないか?」との質問。条例・規則の取り扱いを変えるには全町的な一致が必要、一人権力があるからといって特例を認めることにはならないと思う。特例は距離でなく、議会や誰でも認めることが出来る(どうしてもバスに乗らなければ通えない)理由が必要であろう。たくさんの質問や意見を受け、助役・教育長・担当課長が答弁した。私の出番は二度あった。

2002年3月14日(木)池田町

町議会条例審査特別委員会の様子。歳入の部で、減りつつあるタバコ税収入を町長はどう考えるか聞きたい、との質問。歳入は多いほうがいいが、健康との関係もあり、町として収入支出総体的に考えると、税収とタバコに原因する医療費を比較すると医療費の方が多いという医師の報告を聞いたことがあるなどと、あまり明解でない答弁となってしまった。税収と健康の問題、同次元で論ずることは難しいようにも思う。明日も続くがどのような質問が出てくるのだろうか。一般会計から特別会計、企業会計へと続く。

2002年3月13日(水)池田町

町議会本会議の一般質問。5人の議員の皆さんから質問をちょうだいした。表紙に概略、答弁を寄稿文に掲載した。町長に就任し6回目となるが、歯切れよく、わかりやすく答弁することは難しい。議会だけでなく、CATVで町内各家庭の皆さんも実況を見ているので、議員さんだけでなく町民の皆さんにも理解できるようでなければならない。そこが難しいところでもある。

2002年3月13日(水)池田町

通勤途中にある伊藤川に架かる橋。脇に池田小学校6年生の皆さんがつくった「ポイ捨て禁止」立看板。以前はゴミが捨てられていたが今は一つも無い。自分たちの町をきれいにしたいと子どもの気持ちが町民の皆さんに通じているようだ。看板がなくなっても、いつまでもきれいであって欲しい。

2002年3月12日(火)
池田町

JA十勝池田町の農産加工施設「穀類乾燥調製貯蔵施設」地鎮祭が行われ。小麦の刈り取りは生育状況や刈り取り時期の天候などにより、品質が大きく左右される。施設の能力が増え、短期に処理することが出来るようになると品質の悪化を防ぐことが出来る。今年の刈り取り時期まで、事故無く、予定どおり順調に工事が進み、無事完成するように願いたい。

2002年3月11日(月)池田町

「ふれあいセンター」で開催された、社会福祉協議会の理事会。下は同じ建物内で活動されている「ふれあい郵便」の往復はがきをワープロでなく、心のこもったペン字で書いているボランティアの皆さん。今回は33人の一人暮らしの方に出されるとのこと。「ぼくにもいただけませんか」と冗談でお願いした。返信のはがきもお礼の言葉などたくさん返ってきます、とのこと。印刷された文字が多くなった今、書いた文字は本当にうれしいものです。

2002年3月11日(月)池田町

十勝バス、役場前停留所。4月から何便か増えることになると思う。また今議会の議案が可決されれば、町内の7路線にスクールバス中心の混乗運行がなされ、一律100円でどこからでも乗ることができるので大いに利用して欲しいと思う。

2002年3月10日(日)池田町

長く続いている技能者協会のボランティア「包丁とぎ、まな板削り」。協会員の皆さん15名ほどがその腕を披露していた。オーバーホールしたものを受け取った町民の皆さんは、助かったような、満足したような面持ちで会場を後にしていた。まな板とスリコギ棒に値段がついていましたので、思わず買ってしまい、家に帰り、興味半分、まな板の年輪を数えたら、実に165もあった。どんな食材に使えばいいのか・・。

2002年3月10日(日)池田町

告別式の後立ち寄った、今年完成する予定の消防署。ちょうど救急車両や消防車が入る車庫の部分の姿が現われてきた。と思いましたら、そうではなく倉庫であるとの連絡がありました(3月11日)。

2002年3月10日(日)池田町

3月31日をもって廃止、帯広支所に統合されることとなった食糧事務所池田支所。建物は食糧庁、土地も国有地だが所轄は財務省である。購入することになれば維持費もだいぶかかることだろうが、20年前の建築で壊すには惜しいような気もする。

2002年3月9日(土)池田町

社会福祉センター会議室で開催された「としょかんまつり」。人形劇や写真の腹話術があり、お父さんお母さんと一緒の子供たちは喜びの声を上げながら楽しそうに見聞きしていた。腹話術の主役、人形作りからの教室も開いて広めておられる奈良清さん。病と闘いながらも生きがいとのお話しだが、池田町いや十勝の貴重かつ大きな財産のおひとりである。いつまでも元気でと思う。

2002年3月8日(金)池田町

3月定例町議会が始まりました。行政報告、施政方針を「表紙」と「寄稿挨拶」に分けて掲載しました。

2002年3月6日(水)池田町

日本赤十字池田町分区「池田町レッドクロスボランンティアクラブ」の皆さん。大熊委員長さんほか15名の皆さんと記念撮影。災害は無いことを祈るが、有事の際の活動が期待される.
ダークブルーに鮮やかな日赤奉仕団のマークが輝き、救いを求める弱い人には力強いそろいの制服となろう。

2002年3月5日(火)池田町

山梨県庁商工観光部の小宮山さんが来訪された。山梨県がリードされて日本ワインコンクールを実施したいので道産ワイン懇談会として実行委員会に入って欲しいとのお誘いであった。国産ワイン全体の振興のための初めての取組みでもあるが、小宮山さんの情熱できっと成功に向かうものと思われる。実施は平成15年6月とのこと。

2002年3月5日(火)池田町

川合地区の敬老会で記念写真。男性敬老者の肩を少しもんであげたが、こっていなかった。毎度のことだが、おいしい漬物をごちそうになった。

2002年3月5日(火)池田町

自衛隊協力会主催による新入隊員の激励会に出席。高島の篠原くんと村田さんの2名が難関の試験をクリアして見事入隊。村田さんは仕事中で欠席。篠原君は池田高校で陸上競技の投てきをやっていたとのこと。体力にも自信がありそうだ。

2002年3月5日(火)池田町

JA十勝池田町の女性部総会に出席。上は原部長さんの開会のあいさつ。私も毎日見ているが、昨年の農業新聞の記事を引用して、コップに半分入っているのを「もう半分しか入っていない」と考えるか、「まだ半分も入っている」と考えるかその視点が大切、自分の時間を有意義に、元気なからだで無理せずに、などとお話しされていたがそのとおりだと感心した。組合長の後にあいさつしたが、笑いを誘うものになってしまった。次回はしっかりした挨拶をと弁解し、話し終えた。70名の女性部の皆さんの熱気を感じたが、JA十勝池田町も女性の力が大きいものと思う。

2002年3月4日(月)池田町

札幌国税局の西田酒税課長が来庁された。札幌の道産ワイン懇談会でもいろいろな面でご指導いただいており、お礼を述べさせていただいた。この後、管理庁議と別の打合せに出て帰宅したら夜の11時を廻っていた。今日も行事が多かった。

2002年3月4日(月)池田町

土地連十勝支部理事会に出席。あいさつする山口音更町長。昼ごはんを食べながら、町村の様子など意見交換する。町長報酬の比較表が地元新聞に出たばかりでもあり、何かしら話題に上りやすく、同じ管内の首長として恥ずかしいような情けないような複雑な気持ちである。

2002年3月3日(日)池田町

東台第1公区での、平成13年度であるが町内では今年初めての敬老会に出席。上は挨拶をする吉田公区長さん。会の気配りから、演芸発表の司会そして上手な歌の披露と一人何役もこなされていた。下は今年94歳になる清水太郎さん、利別まで約10キロ今でも歩くそうである。100歳まで敬老会に参加して欲しい。

2002年3月2日(土)訓子府町

訓子府役場庁舎の町長室でパソコンを操る深見町長。庁舎は昨年秋に完成したばかりで、福祉センターも一体になった広い建物であり、町長室も明るく落ち着いた雰囲気であった。貯金を貯めてつくり、お金を残し旧庁舎を歴史的な構造でもあり、改築して活用するとの総務課長さんの話であった。

2002年3月2日(土)訓子府町

訓子府役場庁舎で開催された、「北海道ちほく高原鉄道(株)」の取締役会に出席。平成13年度決算見込みと平成14年度予算案が示された。輸送人員は定期の落ち込みが中心で5.4%程度ダウン、運賃改定で運輸収入は増加した。昨年は4億円を越える損失であったが3億8千万円の経常損益になる見込みである。基金は相当持っているようである。

2002年3月2日(土)訓子府町

会議の前に、ふるさと銀河線訓子府駅舎を見に行く。立派な駅舎であるがちょうど事務所は休みであった。線路を跨いで駅舎の反対側からも駅に入ることが出来るようになっている。線路を歩くことが出来るように歩道が出来ている。池田駅でもJRにお願いして出来ないものだろうか。

2002年3月1日(金)池田町

JA十勝池田町の青年部総会後の懇親会に出席。2次会にも行き、話ししたり歌ったり、若い農業青年との楽しい一晩であった。

2002年3月1日(金)池田町

プロジェクト推進室との打合せ風景。事務事業の見直しいろいろな方向影響などを検討してもらっている。

2002年3月1日(金)池田町

食糧事務所池田支所長の浅野さんが来庁され、中央の食糧庁で決まったと言う池田支所が帯広に統合になるとの正式な話に見えた。人口が減り大変影響があること伝え、今後の期成会でお願いに行くことを述べた。

2002年3月1日(金)池田町

JA十勝池田町の青年部総会に出席。意欲満々の農業後継者ばかりのように思えた。次の打合せで聞くとことができず懇親会に行きますと言って中座した。

2002年3月1日(金)池田町

平成13年度池田高等学校の卒業式。表紙に詳細を掲載中。

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