2003年10月分バックナンバー

年月日(曜)場所 出 来 事
10月31日札幌市  ホテルノースシティで開催された第27回札幌池田会の総会及び懇親会。久しぶりにお会いする方々と、楽しく懇談させていただいた。どうしても、先の十勝沖地震や台風10号の災害がのことが中心となってしまう。 たくさん話したいことがあったが、「そろそろいいのでは・・・(早くおいしい十勝ワインを飲みたい)」との声があり、挨拶を終えた。居辺川、十弗川、もぐり橋、などの名前を出しながら話だったので、「懐かしい名前を聞くことが出来た。ひどい災害でしたね。」と参加されたふるさとを思う会員の皆さんからのお話を頂戴した。
10月31日札幌市  町立病院ではあるが、北海道国保診療施設開設者協議会のメンバーともなっており、研修会に参加した。 奈井江の北町長が会長、十勝芽室の常山町長が副会長を務めている。 地域医療の実情を良くご存知で、医療制度調整の中心となられている厚生労働省大臣官房長官の中島正治氏による「医療制度改革と国保直診の役割」 とした講演を聞く。 平成16年度から始まる、新たな研修医制度のことや、検討されている医師標準数のことなどが話された。実情にあった検討を期待したい。

10月30日(木)豊頃町  第5回になる十勝東部合併協議会。幹事会で協議された庁舎の利用方式としての総合支所方式、事務組織及び機構についての協議は継続協議とし、その他の地方税、小中学校の通学区域、行政区域などは確認された。次回は11月16日13:30浦幌、第7回協議会は11月24日14:00池田で開催することとなった。
 最後に追加配布された資料について、債券、資産などすでに配布されたものと異なる部分が指摘され、説明されたが理解が不十分のようであり、次回説明することとした。資料に対する説明、質問・説明のやり取りの場が無かったので、当初懸念していたとおりとなってしまった。それぞれの町の現状をすべからくオープンにし、状況認識を共有することから協議がなされなければならないと思っている。
10月30日(木)豊頃町  豊頃町で十勝東部合併協議会の前に、町内視察。 バスの中で豊頃町の発祥の歴史、いや十勝発祥の地でもあり、二宮尊徳(金次郎)の孫二宮尊親は、報徳思想を基に豊頃の原野を開墾された。それは「至誠、勤労、分度、推譲」であり、「道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である」と経済と道徳の一致する大切さ、特に「分度」は収入に応じた支出をすることで、家庭でも自治体でも同様との説明であった。 自治体の仕事で起債、借金をしない大きな事業はまず無いが、世代間の公平な負担の視点も不可欠だが、現在はいささかバランスが崩れ正直言って大変な時代である。

10月30日(木)池田町  平成15年度の陶芸作業を終了し、陶芸老人会の皆さんで清掃作業をされた後の納会にお呼ばれした。いきがいセンター和室。皆さんお元気な様子で、来年4月、次にどのような作品を作るか、構想を練って来て下さいとお願いした。
10月30日(木)池田町  日本道路公団帯広工事事務所の川添所長さんが転勤の挨拶に見えた。清水夕張間の工事の進行状況はどうですかと聞くと、地図を使い、新得町の広内トンネルが今日工事開通しセレモニーが行われているとのことであった。 東京でも「出先帯広会」東京支部があるので、その場でお会いしたいですね、何か新製品の十勝ワインが発売ですねと言うので「山幸」ですが熟成も楽しむことが出来ますのでよろしくとお願いした。十勝勤務の方々が本社や本店に戻られ、十勝の産品を応援いただくことは大変うれしいことである。
10月29日(水)札幌市  午後から、分科会に分かれての政策研究会。 十勝町村会として、池田町から次の二つの財政問題を提起させていただく。

・合併しようとする時の公債費負担格差是正(仕事して残った借金の度合いを平均化する)
・健康増進法による受動喫煙防止対策、結果的にタバコ税減収しそれらに伴う財政的措置。

 自主財源としてのタバコ税と受動喫煙防止、健康啓発との関係、何か割り切れない、変な役場の仕事のような気がして、問題提起を行った。 参加者から、関連する意見も無かった。 上の写真は、「今後、地方交付税はどうなるのか。合併する時、しない時の財政シミュレーションをする時、その見込みが必要、道は推計してくれるのか」と質問する我十勝の小林士幌町長。 下は、財政部会が早く終わり、隣の保健福祉部会の様子を聞きに行く。介護保険の問題や病院の医師確保問題などが課題となり、意見が出されていた。 

10月29日(水)札幌市  年1回の恒例の道町村会の「政策研究会」の全体研究会。午前中は、北大神原勝教授の演題「選択の多様性と連合自治権」の講演を聞く。
10月29日(水)札幌市  知事室前の彫刻。秘書課長さんにお会いし、次回、知事さんに地震のお礼を述べたいとお願いした。 先週、会えなかった建設部長(水産林務部長さんは不在)の所にも顔を出し、地震の事など少しお話しした。
10月28日(火)池田町  池田町女性団体協議会の恒例となっている町長を講師とする「町づくり学習会」。 8月か先月の予定だったが、急な行事が入り、今回に予定を伸ばしてもらっていた。1時間半の時間をちょうだいし、地震の状況、町村合併のことを中心にお話しさせていただいた。パワーポイントは大変便利である。

 最後に、「地震災害の職員対応は本当にありがたかった。子どもさんなどもいて、自宅も大変だろうに、家庭を顧みず一生懸命給水を行なってくれた職員の皆さんに感謝したい」と、お褒めの言葉をちょうだいしました。
10月28日(火)池田町  早いもので、11月の「月間勝井町長」の収録日であった。十勝沖地震、全国池田サミット、市町村合併、ペンチィクトンからの高校生来訪民間親善訪問団の交流の4件について、お話ししさせてもらった。 今月の一言は「○○○○(熟語を考えてみて下さい)」(どんな困難な局面でも、くじけずやり遂げようと頑張ること)とし、激甚な災害が1年間に3度もあり、それ以前から財政健全化に取り組んでおり、追い討ちをかけられた状態でも町民の皆さんと乗り越えていきたい。
10月28日(火)池田町  池田社会福祉事業協会の大熊理事長、井浦常務さんが地震被害のあった池田保育園の改修費助成のお願いに見えた。 福祉施設ではあるが他の施設との関係もあるので、検討させていただくことにした。
10月27日(月)札幌市  要請団一行の統一行動は終了し、予定には無かったが時間があったので、国土交通省北海道局開発局に泉田議長、神谷組合長と共に千代田大橋の架け替え工事の早期着工のお願いに行った。
 予定の汽車時刻をJA神谷組合長と共に1便繰り上げ帰町し、消防庁舎の会議室で開催されている第1回の「池田町行財政改善推進委員会」に遅れて出席。 会議の最後に、札幌の状況報告と委員の皆さんに忌憚のない意見、答申をいただくようお願いの挨拶をさせていただいた。
10月27日(月)札幌市  続いて、歩いて移動し、JA北海道中央会、JA北海道信連、JA全共連北海道、ホクレンなど系統機関に同様の要請を行った。 写真はホクレン矢野会長との懇談。 災害対象となる農業施設に補助事業適用の貯蔵施設が該当しないなど、昭和37年に法整備された現在の制度内容では、実態に即さないと思われる。 それらを改定する運動も必要でないか、関係機関、系統と政治の力を結集して取り組むべきと要請した。

10月27日(月)札幌市  池田町両JAの組合長、議長と共に特に大きな被害を受けた東部十勝4町の農業関連施設の地震災害に関して激甚災害に適用するべく道庁農政部、道議会、JA北海道中央会、JA北海道信連、JA全共連北海道、ホクレンなどに同様の要請を行った。 防災会議で激甚災害に適応するかどうか判定されるが、制度上は困難である旨、それぞれのところで同じような回答内容であった。中央要請を行った結果も同様だったようで、何とか救って欲しいと要請した。
10月27日(月)池田町  役場前のJA十勝池田町のガソリンスタンドが工事中。先の十勝沖地震で地下タンク(?)などが被災されたようである。
10月26日(日)池田町  渓流のヤマベやイワナ釣りについて、餌のこと、糸の結び方、河川のポイントなどたくさんのことを教えてもらった亡き小父さんの家を久しぶりに訪ねた。 三年忌を終えたばかりとの小母さんの話で、お参りしながら当時のことを懐かしく話した。写真は叔父さんが形の良い石を組み合わせて造ったミニ庭園。
10月26日(日)池田町  清見ヶ丘公園内で木に登って、堆積した落ち葉に飛び降りる元気な子ども。 カシワら桜の落ち葉がいっぱいで、本当に楽しそうだった。
10月26日(日)池田町  清見ヶ丘公園で落ち葉が多くなり、ボールを見失ったりしながらパークゴルフを行い、その後、現地で薪を使い料理した豚汁で公園近くの皆さんとの懇親会が開催された。 パークゴルフはシーズン終了間際となり、今年最後の大会やプレイを楽しむ皆さんでいっぱいだった。
10月25日(土)池田町  朝のダイオウ畑と垣根栽培のワイン用ブドウ。寒冷地作物のダイオウも霜に当たり、葉の色が変化してきた。根は越冬して春にはさらに成長し、収穫まで4年間を要する。
10月24日(金)池田町  我役場に勤務する職員の皆さんから構成される自治労池田町職員労働組合の定期大会に出席し、お祝いの挨拶を述べた。 議案書に福岡県赤池町の財政再建団体脱却の視察研修の様子が報告されていた。私が町長に就任してから、財政健全化が大きな課題となっており、組織のスリム化や事務事業の整理、職員の給与・手当ての削減など職員にも大変な協力をもらっているが、組合としても他団体のことも調査し、町の将来を考えてもらっていることをうれしく思った。
10月24日(金)池田町  十勝川温泉で開催された町村長と社会福祉協議会会長事務局が一堂に介して意見交換する「十勝地域福祉サミット」。 今回は本別の高橋町長が「1万人の福祉の町づくり」と称して、パワーポイントを使用した講演が行われた。職員の意識改革、住民参加の町づくりを、大それたことではないがと謙遜しながら発表された。
10月24日(金)池田町  中川昭一池田連合後援会事務所開きに出席し、挨拶をする。写真は代理でダルマに目を入れ、執務で帰って来れない中川大臣に替わりお礼とお願いの挨拶をする侑子夫人。農作業などで忙しいところ集まっていただきと気遣いされながら、電話の伝言も披露した挨拶だった。
10月24日(金)池田町  東の空に朝日が西のフンベ山に当たって紅葉がきれいに見える。
10月23日(木)札幌市  先の十勝沖地震で被害を受けた利別小学校校舎改修に関し、道教育庁学校施設課を訪れ、生徒が安心して学ぶことができ、親御さんも不安なく通わせることができる校舎に補強復旧するようにお願いする。 知事室秘書課に、いち早い災害視察、復旧対応いただいた知事にお礼を伝えていただくようお願いし、さらに総合企画部(写真)、地域振興室に部長さん、室長さんなどを訪ね、普通交付税の事前交付にお礼を述べ、今回の地震と8月台風に対する災害復旧に要する財源について特別交付税に上乗せいただくよう強くお願いして歩いた。 夕方特急スーパーおおぞらで帰町したが、元気な高校生団体と一緒の客車だった。
10月23日(木)札幌市  町村立病院の運営における課題、道における今後の地域医療確保、地域医療に医師確保の問題、研究会会費・負担金問題について意見交換がなされた。道として今回の意見を参考に、大学と協議する姿勢が示された。  
10月23日(木)池田町  札幌も向かう列車を待つ朝6時前の池田駅構内。 構内にある保線(?)関係の事務所の取り壊し作業が始まっていた。 国鉄時代、機関区、電気・保線など地区の拠点だった「鉄道の町池田」の名残の建物が又消えていく。

10月22日(水)池田町  第4回目の十勝東部合併協議会。基本項目の新町の事務所の位置、庁舎の利用方式が継続協議となった他は、割と順調に確認が進んだ。 次回は豊頃町で30日に第5回協議会が開催される。
10月22日(水)池田町  午後、合併協議会に先立ち、それぞれの施設を見て廻ろうとバスに乗って「タウンウオッチィング」。池田町が1回目で豊頃、浦幌と行う予定である。 町長が説明した方がいいのではと言うことになり、急遽私がバスガイドの役となった。バスに揺られながら、座席の最前列に立ち、右左と施設などを説明し、乗り物酔いのような状態になってしまった。 協議会が始まる前には回復し、会の進行には支障は無かったた。
10月22日(水)池田町  ペンティクトン親善訪問団が昨夜、帰町されたが、黒川団長さんが若干の報告と市長などからのお土産を町に渡すようにと依頼され、重いのにわざわざバックに入れて運んで来ていただいた。 交流訪問団の大きな記事が載った地元新聞、色がカラフルなミミズクとウズラのきれいな写真、先住民の皆さんからの彫り物、造園中の日本庭園のパンフレットなどをちょうだいした。
10月22日(水)池田町  JA十勝池田町、十勝高島両農協の組合長さん方が、十勝沖地震の災害対策を行政の支援も得て、国に要望したので協力をと、要望に見えた。 農協の施設、貯蔵容器、作物などに甚大な被害を受け、災害復旧に国の援助をいただかないと大変である。 要望貫徹に向け、一緒に頑張って行動しなければならない。
10月21日(火)池田町  夕方からお店でワインを飲みながら、ペンティクトン親善訪問団が帰国、帰町されるのを待った。 皆さんお元気で帰られた様子を見て安心した。お二人は東京で途中下車し、遅れて帰られるとのこと。 バスの役場到着が24時近くとなり、スパークリングワインも含めてワインの量が進んでしまっていた。 下は皆さんと安着記念に一枚。 今回は民間の方ばかりの訪問団となったが、大変ごくろうさまでした。


10月21日(火)池田町  2年前に池田町から胆振支庁西胆振地区農業改良普及センターに転勤された森脇芳夫所長さんが私的ですが会合に呼ばれました、と挨拶に見えた。相変わらずお元気で活躍されているようである。
10月21日(火)池田町  この11月2日に結婚される清見の農業後継者、上野毅君と小林さつきさんが挨拶に見えた。 上野さんは川崎出身でテニスなどの運動、以前酪農乳製品製造会社に勤めておられたようで、食べ物ではチーズが好きとのこと。 小林さんは、搾乳牛50頭、育成牛20頭を飼養している。
10月21日(火)池田町  十勝ワインを古くから取り扱いいただいている北酒販の熊野帯広支店長が転勤の挨拶に見えた。 次は本社酒類部勤務となるそうであり、十勝ワインを各支社、支店、営業所に流通する直接担当される部署でもあり、さらなるお願いをした。
10月21日(火)池田町  道議会の建設委員会の皆さんが十勝沖地震被害の現地調査に見えられた。 池田町の災害状況の概略を説明し、千代田大橋の架け替え早期着工、道々の復旧、先の8月台風も合わせて、地震災害町の一般財源が約3億円になり、特別交付税の上乗せに対する後方支援をお願いした。
10月21日(火)池田町  朝6時、朝日に雲がかかり夕日のようであった。 強い霜が降りていた。
10月20日(月)池田町  役場中庭も紅葉が進んでいる。図書館と農業委員会の間の山もみじがきれいである。 今日は久しぶりに外の行事や会議が無く、数人の訪問客と書類整理、電話連絡に費やした一日であった。 
10月20日(月)池田町  地震で割れたガラスの修繕もだいぶ進んで透明なビニールが見えなくなった、役場庁舎の南側。 下は応接間のはがれた壁をスタックと言う石膏をわざと浮き立たせた工法で修理した。工事費用が余りかからず、時が経つにつれて埃が浮き立った上部に付着し落ち着いた模様となってくるそうである。
10月19日(日)池田町  永原さんご夫婦がユリ根の収穫をされていたので近くに行き、様子を聞く。全てが商品とはならず、撥ね品も何割かあるとの話しであった。人間の手で傷がつかないように丁寧に根から土を落とす、コンテナーにそっと入れる注意深さが必要である。 奥さんの真似をして5つほど手伝ったが、衝撃を加えたてしまったようで、「それはダメ、持って行きなさい」と言われてしまった。 邪魔になってしまったようだ、早々に退散。
10月19日(日)池田町  夕方、酔い覚ましにまきばの家方面を散歩する。紅葉がよりきれいになってきたオートキャンプ場(下)。 上は、長靴を履いて、林の中に入り写真を撮って歩いたがその1枚。 帰りに義母の墓の様子を見に墓地に立ち寄る。倒れたりしてビニールシートがかぶっていた清見の墓も、整理されたせいかビニールが見えなくなってきた。

10月19日(日)池田町  清見ヶ丘公園・パークゴルフ場で住んでいる地区の皆さんとパークゴルフ懇親会。野外でサンマやホッケなどを食しながら地震や台風災害や合併問題などを話しする。 青翔亭では他の3団体の皆さんが炭焼き交流をされていた。 下は、池田町に住んでおられた作家、吉屋信子「地の果てまで」の記念碑。紅葉した公園のなかにある。

10月18日(土)池田町  今日は、当日役場に挨拶に見え、言葉を交わしたばかりの「花と緑推進協議会会長」「池田消防団後援会長」の平井清さんが突然お亡くなりになり、その告別式に参加した。 それ以外は特段の行事がなく、地震の後整理や久しぶりに家の周りの外仕事をすることができた。 写真は鮮やかに紅葉した山もみじと収穫間際の清舞ブドウ。

10月17日(金)池田町  夜、商工会館で開かれた行政相談会。総務省北海道管区行政評価局釧路行政評価分室から森室長さん、常木調査官が見え、アドバイスをいただいた。森さんは、お父さんの務めの関係で小学校から高校まで池田町にお住まいで、町の様子を良くご存知であった。
 行政相談員は、国や自治体の行政全般の苦情・相談や意見・要望を受け、相談者と関係行政機関の間に立って、公正・中立の立場から必要なあっせんを行い、その解決や実現を促進するとともに、これを行政の制度及び運営の改善に反映させる。池田町では商工会長でもある伊藤征四郎さんが務めている。 道路、郵政、医療保険・年金など国民生活あるいは、個人の権利利益と密接に関連する事案が多いとのことである。 下はNHKで池田の伊藤さんの活動が紹介された番組のビデオを参加者で見た。

10月17日(金)池田町  日本のガラス瓶製造会社の東洋ガラス鞄c中専務さんが見え、地震災害のお見舞いをちょうだいした。忙しい身にもかかわらず遠路わざわざいらしていただき、恐縮しながらお礼申し上げた。
10月17日(金)池田町  朝6時半、利別川に架かる川霧。フンベ山が浮かんで見える。このようにはっきり見えることも珍しい。
10月16日(木)池田町  夜、久しぶりワイン城レストランの様子を見に行く。 観光シーズンのピークは過ぎたが、小さなグループの旅行が多くなっていると聞いており、喜んでもらえるメニュー、サービスで利用拡大を図るよう努力してもらっている。
10月16日(木)池田町  今年8日9日10日に集中豪雨となり大変な被害を受けた近牛の沼見川の台風10号災害の査定をいただいた。 他に常盤中央線2箇所、常盤南高台3号線の道路3箇所、様舞の鴨居川、常盤の下押帯川の河川3箇所、計6箇所の災害復旧申請を行ったいる。 財務省北海道財務局理財部の主計実地監査官、道開発局帯広開発建設部の工事係長さんがその担当で見え、現地の状況や復旧工事の設計状況を検査された。なるべく早い復旧を願っている。

10月15日(水)池田町  第3回の行財政改善推進本部会議を開催。 町民の皆さんによる推進委員会に諮る項目の最終協議と個別課題の方向を確認して進むこととなった。 いろいろな事務事業の見直しは、今までどおりの町の仕事をそのまま進めることにならず、役場組織内のことや町民の皆さんにも関係することがらを変えていかざるを得ない。 相当なあつれきも予想されるが、町の台所が大事に至ることを防がなければならない。
10月15日(水)池田町  全日本年金者組合十勝支部の高岩副支部長と青木さんが見え、年金や福祉対策について状況調査と要望に見えた。 昨年もいらしているが、継続した活動には頭が下がる。
10月15日(水)池田町  ペンチィクトン親善訪問団の出発式。 カナダがそうだったように、役所のお金の入らない、本物の互いに同様な「地域間(民間)交流」の第一歩でもある。 財政難の為今回も町の代表としていく事が出来ないが、一度は行って、様子を見てきたいと思っている。

10月15日(水)池田町  17日から徳島県で行われる「ねんりんピック」に参加される池田町のペタンクチームがユニホームを揃えて決意の表明に見えた。競技の健闘に加え。全国の仲間との交流、そして十勝、池田町の物産の宣伝もとお願いした。 きっと満足した競技を展開されることであろう。なぜなら、話しの中にゆとりを感じたから・・・。
10月15日(水)池田町  朝6時、我が家のハコベに霜が降りていた。 しかし、ハコベは寒さにも強く、簡単には弱らない。 下は清見ヶ丘公園。お一人でパークゴルフの練習をされている方がおられた。朝でも夕でもまだ楽しむことができるのです。 

10月14日(火)帯広市  会議の後、十勝支庁に立ち寄り支庁長、部長さんに地震災害の対応についてお礼を述べ、さらにこれからのことについてお願いをする。 支庁のロビーに税を知る旬間、中学生のポスター展が行われてた。 公共の福祉増進、国の仕事基本は税である。だれが、どの程度、どのように負担していくか、進む少子高齢社会の公的サービスなどが基本的問題である。今回の選挙では消費税も課題となっている。
10月14日(火)帯広市  道東自動車社会実験協議会第1回協議会に出席。 道東道の利用促進、清水夕張間の早期開通を願いながら、足寄・本別と清水間の利用促進を図るため、11月から1月までの3ヶ月間、ひと月間5千円で乗り放題の試験を行う、その協議会である。 是非利用してもらいたいものだが、そのパスを求めるには帯広・釧路・北見の市役所、商工会で申請をする必要があり、発券についての不便さが問題である。協議会でもそのような指摘が出ていた。
10月14日(火)池田町  1世紀を生きぬき今なお元気に清見でお住まいの平山タケさんのところに100歳の長寿祝いに行く。 しっかりと対応できるほどお元気で、いすに座っておられた。 いくつですかと聞くと「明治36年生れ」、「自由でない右腕手は馬を使い仕事をしている時に負傷した」との返事。好物は、おいなりさんやちらし寿しであるとのこと。 お嫁さんも同席したが、お話しぶりやその様子から、お互い支えあって来られたものと確信した。

10月14日(火)池田町  十勝沖地震の被害に対して、緊急を要する災害復旧の専決予算執行について報告させていただいた。 その前段の地震の被災状況を行政報告しているところ。 行政報告は町のHP「町長通信」に掲載されています。

10月14日(火)池田町  いよいよ収穫目前となった我が家の「清舞」。 熟したらいただけないかと言われており、小鳥のえさになる前に収穫するため、記念撮影した。
10月14日(火)池田町  まきばの家オートキャンプ場にある山紅葉がきれいに紅葉していた。 朝晩が急に冷えてきたので色の変化も早いようだ。
10月13日(月)浦幌町  浦幌町コスミックホールで開催された第3回十勝東部合併協議会。 今回から基本5項目など具体的な協議に入った。新設合併、合併期日は平成17年3月末を目指す、町名は公募、財産は全て新町へ引き継ぐ、本所(事務所)の位置・方式、議会議員・農業委員の定数任期は専門部と幹事会で協議後再度協議するなどを確認決定した。傍聴の方々も休みにもかかわらずたくさん出席していただいた。
10月13日(月)浦幌及び豊頃町  浦幌の東部合併協議会に向かう途中、帰町する道中の風景。 上は礼文内から舗装された近道を通って浦幌へ行く途中、きれいな紅葉の林が見えた。いい色合いであった。 下は、国道38号線から川合、昭栄を経由して帰ったが、川合地区で見た日高に沈む夕焼けの様子。 日高の稜線がくっきり見えるので、翌日は冷えるのではないかとの車中の話。

10月12日(日)香川県善通寺市  弘法大師(空海)の誕生したお寺善通寺を訪問。 広い境内をゆっくり見て歩いた。宝物館には国宝の巻物、豊臣秀吉筆書簡などもあった。 池田町の地震の余震がおさまり、今後の大きな地震でも災害が最小限に終えるよう念願した。その後、わかめうどん(道中讃岐うどんが3回目となる)を食べ高松空港から池田への帰途に着く。

10月12日(日)香川県琴平町  香川県琴平町の国指定重要文化財でもある金毘羅歌舞伎を案内いただく。168年前に建設され、現存するものとしては最も古いとのこと。 芝居そのものは、中村吉衛門らにより、昭和60年に「四国こんぴら歌舞伎大芝居」として復活したそうであり、観光客のために、その様子がテレビビデオで放映されていた。 芝居の裏方、お世話は地元青年男女を中心となっていた、頑張ったようである。 工事中であり、内部をすべて見ることは出来なかったが、回り舞台の下部のようす、大部屋(下)など、古い材や釘を使用していない興味深い建物であった。 今年4月、香川県小豆島池田町に行ったときも農村歌舞伎の様子を見せていただき、当時の伝統芸能が地区の人々の力もあり、守られていることはすばらしいことである。


10月12日(日)徳島県池田町  JR阿波池田駅前「へそっ子公園」広場において、閉会セレモニーが行われ、第19回全国池田サミット徳島大会共同宣言を刻み込んだ記念碑の前でテープカットをして終了した。 次期開催は福井県池田町で開催することが決定され、さらに3順目最後となる第21回サミットは大阪池田市で開催されることになった。
10月11日(土)徳島県池田町  ご存知本場の「阿波踊り」の披露も予定どおり行われ、出席した皆さんを楽しませていた。 小中学生の皆さん、高校生と思われる若い女性、一般の青年男女の皆さんの動きが激しく、リズミカルな元気いっぱいで楽しそうな踊りである。 「踊る阿呆に見る阿呆、どうせ阿呆なら・・・」と、私も混じり、格好の悪い見よう見まねの阿波踊りをおどったが少し汗が出た。下の写真の後姿は商工サミットで来ている北海道池田町伊藤商工会長と山口副会長。

10月11日(土)徳島県池田町  町民交流会ではおでん、手打ちそば、アメゴ(吉野川で生息)の塩焼き、地鶏のシチューなどたくさんのおいしい手作り料理のおもてなしを受けた。 それらの主役となった女性団体連絡会議の皆さんと記念撮影。俵町長さんに撮影していただいた。
10月11日(土)徳島県池田町  会議後町民交流会まで少し時間があり、池田高校の野球記念館を見学させていただいた。甲子園3度優勝、準優勝2回と華々しい成績、2年前に亡くなられた蔦監督の人柄などを知ることが出来る。写真は私の左が岐阜の岡崎町長。右は全国大会で優勝した2塁手で今は町職員の谷川さん、右端は泉田議長。
10月11日(土)徳島県池田町  午後から場所を移し、首脳会議を行った。市町村合併問題、今後のサミットのあり方が主となり、北海道池田町として説明している。また地震被害の写真と説明の冊子をそれぞれの市町に提示させていただいた。
10月11日(土)徳島県池田町  サミットのテーマは「健康とまちづくり」であり、テレビにも出演されるなど活躍されているスポーツジャーナりストの二宮清純さんの「スポーツとまちづくり」と題する講演。
 スポーツの原型はお祭り、人生の楽しみにつながるスポーツ、企業が維持したスポーツをクラブとして地域が受け皿になることが必要。町づくりに自主財源が必要であり、300億円要したアリゾナ州のダイヤモンドバックスは消費税を6.3%から7%に上げて資金を調達した。
 高橋尚子など国際的一流選手を育てた小出監督は選手を徹底して褒めて育てる、「ぴか一」のコーチである。背泳ぎで金メダルをとった鈴木大地と指導者鈴木洋二氏との関係では、「努力・根性・運それは誰しも同じ、執念があったから金メダルだった、との話を後で聞いた。」などなど大変興味深い内容であった。
10月11日(土)徳島県池田町  全国池田サミットで十勝沖地震の被害に対する北海道池田町に全国池田を代表して俵町長さんからたくさんのお見舞金を頂戴した(上)。 地震の概況をかいつまんで報告し見舞いのお礼を述べ、さらに今回のサミット参加の挨拶と2度も話をさせていただいた。
10月11日(土)徳島県池田町  サミット会議前に旅館近くを案内いただく。 上は十勝ワインを扱っていただいている酒店。同行されている高橋課長によると、この店から入手されているとのことを聞き、うれしく思った。 中は歴史ある古い民家を保存のために町が購入し、改修して「うだつの家」「タバコ資料館」として開放している。説明によると、中にはいるほどお金をかけた家にする傾向があるそうである。中庭には、江戸末期から生きているという「もみじ」と「梅の木」があり、空洞が出来ている幹を苔が覆っていてその年数を感じさせる。 下は奥座敷の様子で、書院造りとあり、とこ柱に黒檀(こくたん)、鉄刀木(たがやさん)、床にはケヤキの一枚板など時の高価な材が使用されている。大変落ち着く和室であった。

10月10日(金)徳島県池田町  公民館で開催された、1日目の全国池田交流会。上は歓迎の挨拶をされる俵町長。
 十勝沖地震の被害に対して参加したたくさんの皆さんからお見舞いの声をいただいた。 下は、「阿波小唄、阿波よしこの」という題の三味線をつかった郷土芸能を披露いただいた。ほかにも阿波おどりもあり、歴史のある伝統芸能がしっかりと引き継がれているようである。
10月10日(金)徳島県池田町  池田町の高い山にある金毘羅大権現にロープウエーで案内いただいた。
 江戸時代に建立されたもののようだが、古くは西暦828年、ご神託弘法大使が開山されたとあった。 下は、鐘をついてみてはといわれ、案内いただいた高橋課長さんに要領を教えてもらい、遠くに届けとばかり強く綱を引いた。
10月10日(金)徳島県池田町  農家の方が稲の刈り取り作業をされていた、高松から徳島阿波池田町に向かう道路沿いの風景。 下は池田町の標高500メートル程度のところに住宅があったが、道をつくったり、災害などで滑り落ちたところを改修するのは大変費用がかかるそうである。
10月10日(金)帯広市  帯広空港から羽田、高松に向かったが、各種交流を終えてカナダバンクーバーでかえるペンティクトンの先生生徒の皆さんと帯広空港で一緒になった。またいつかお会いしたものだ。
10月10日(金)池田町  食用ユリの栽培している畑。白い網をかぶっているのは、種ユリにするものは、虫などから防御し、病害を防いで栽培される。
 日中の寒暖の差がある地域の根物作物はおいしいようだが、今年の味はどうだろうか。
10月10日(金)池田町  冷え込みが緩んだ清見の朝。朝日と雲の流れが幻想的に見えた。 下は、清見の墓地だが先の地震で倒れたり、ずれたりしたがだいぶ修復されたようす。ビニールシートをかぶっているものもボツボツ見えていた。 今年春に義理の母の墓もここにあり、その隣に勝井の分を確保してある。

10月9日(木)池田町  出先帯広会の皆さんがワイン城レストランで例会を開いていただいた。毎年の恒例でご利用いただきうれしい。帯広十勝の支社・出張所などに勤務されている代表者の皆さんの会だが、さらに転勤されたり本社に戻ったりして、札幌支部があり、先月東京支部も発足したようで、十勝の情報発信とさまざまな形での強い応援団である。十勝の町村を代表してお礼の挨拶を申し上げた。
10月9日(木)池田町  カナダペンティクトンの校長先生と音楽教諭が離町の挨拶に見えた。明るい先生方である。来週15日に民間親善訪問団がペンティクトンに交流に出かけることになっている。自分も是非一度訪問してみたいものだ、がいつのことになろうか。
10月9日(木)池田町  帯広土木現業所の秋山所長さん、課長さんが見えて川合大橋の修繕について説明いただいた。修理する部品の作成から工事まで暫らくかかりそうとのことで一日も早く通行可能なようにとお願いした。
10月8日(水)池田町  紅茶製品で有名な東京の片岡物産から地震災害の見舞金をちょうだいした。代理で社長室長の上野さんが見えた。
10月8日(水)池田町  農村部の満88歳の米寿の皆さんに長寿祝いを伝えて廻った。 昭栄の塚谷さん(上)と常盤の伊藤さん(下)。
10月8日(水)池田町  北海道女性団体協議会から、8月の台風10号被害の見舞金をちょうだいする。
10月8日(水)池田町  朝もやの中、天気の良さを思わせる朝日が昇る。昨日、今日と霜が降りたようなので、後で気象庁のデータを見ると二日間とも零度に下がっていた。
 下には池田町民の皆さんのライフラインの基、配水池と調整池が見える。
10月7日(火)池田町  カナダから見えているペンティクトンジャズバンドと池田高校吹奏楽部の皆さんのジョイントコンサートが田園ホールで開催された。サックスやトランペット、フルート、ドラムなどのソロ演奏を含めてリズムに乗った楽しいジャズ演奏だった。 池田高校は日本の伝統的楽器、太鼓を女子が、琴を男子がそれぞれ演奏してカナダの学生を楽しませていた。特に女子の太鼓はぴったりと息の合った力強い連打で大変すばらしかった。思わずアンコールと言いたかったが次もあるようなので控えた。平先生がタクトをカナダの学生に譲ったり、カナダの女子学生が池田高校の生徒と誘い踊ったり、若さ元気さいっぱいの交流だったように思う。学校同士の交流はいつまでも続いて欲しい。 
10月7日(火)池田町 平成14年度のレストラン事業会計から町立病院事業会計の決算審査まで午前中で終わった。レストランの今年度これまでの経営実態や薬剤師に対する辞令交付についての質問があった。
 特別委員会終了後、全議員で地震災害箇所の調査に出向かれた。町からは助役、建設課長などが説明に随行した。
10月7日(火)池田町  立正校正会帯広支部「一食平和基金」から今回の地震被害に対する義援金をちょうだいした。
10月7日(火)池田町  霜が降りるくらい冷えたようであり、久しぶりに行く清見の道路が視界30メートル程度に深い霧が発生していた。
10月6日(月)池田町  福祉課の職員時代、芽室町福祉課長さんを務めており、会議や交流会でいろいろ教えていただいた嶋山亮二さんが見え、しばらくぶりにお会いした。今年定年退職されたそうである。 山内恵子衆議は実のお姉さんになるとのことである。
10月6日(月)池田町  「在来線を守る全国連絡協議会」事務局長の永島盛次さんが、ふるさと銀河線を守るべきとの要請に見えた。 集会の開催など協力できることがあれば遠慮なく連絡して欲しいと言い残して、陸別に向かった。
10月6日(月)池田町  道教育庁からさっそく施設関係を担当されている道職員の皆さんに来ていただき、急がれる利別小学校の校舎の補強の可能性や改修方法についてアドバイスをいただいた。 親や先生にとって、強い地震でも壁が倒れたり天井が落ちない、安心して勉強できる教育環境が必要である。
10月6日(月)池田町  平成14年度各会計の決算審査特別委員会が始まった。今日は一般会計、特別会計、ワイン事業会計まで終了した。添付した説明資料が良いのか説明の仕方がいいのか、スムーズに進んでいる。
 翌日は病院や水道会計などの企業会計が審議される。
10月6日(月)池田町  ペンティクトン高校生の訪問団20名と校長先生など総勢23名の皆さんに親善訪問をいただいた。 7日18:30から、田園ホールで池田高校吹奏楽部とジャズクラブのジョイントコンサートが開かれる。皆さんも是非来て聞いて下さい。元気いっぱいの演奏が見ものですよ。
10月6日(月)池田町  道々高島池田停車場線のJR釧路本線を跨ぐ陸橋の歩道・車道とも10センチほど陥没している。 車道はすでに補修が完了している。
10月5日(日)池田町  ワイン祭りに参加いただいた「池田会横浜支部」の皆さんと横浜出身者やこれまで関係した町民の皆さんとの交流会。災害見舞金もちょうだいした。
10月5日(日)池田町  第30回池田町秋のワイン祭りを実行した商工青年部現役、OBそしてボランティアの皆さんが祭りの後片付けを終了したあとのご苦労さん会。会場で片づけし、残ったワインや肉がテーブルに上り、私もちょうだいしたがおいしかった。
10月5日(日)池田町  そろそろ収穫時期に近づいてきた我が家の「清舞」。
10月5日(日)池田町  第30回池田町秋のワイン祭りで恒例の「女性によるブドウ踏みコンテスト」。樽に入ったブドウを2分間木靴で踏み潰し、ジュース部分の量を競い合うものであり、昨夜中央公園で軽快なリズムのジャズを披露したペンティクトン高校学生も参加していた。 ワインのみ当てコンテストの表彰をさせていただき、台風や大地震で大きな災害を受けたがたくさんの皆さんにおいでいただきうれしいとお礼を述べ、ワインや牛肉と同様においしい物産、喜んでいただけるものが周りの店に用意されているのでお買い求めをよろしくと挨拶に加えた。暖かな十勝らしい天候にも恵まれ、災害復旧を応援もらっているように思えた。
10月5日(日)池田町  中川義雄参議院議員が災害現場の視察に見えられ、役場で写真などの資料を示して説明し、JA池田町のサイロ、千代田大橋、道々帯広浦幌線千代田堰堤近く、利別小学校、利別JR釧路線の鉄橋などを見ていただいた。 現場では盛んに補強工事が行われていた。
10月5日(日)池田町  利別小学校2階の被災部分を見ていただき、保護者も含め安心した授業を受けることが出来るよう、原型復帰が原則と言われる災害復旧でなく、安心できる補強する方法、そして災害でもあるので速やかな財源手当てなどをお願いした。
10月5日(日)池田町  14本の橋梁のうち8本に亀裂やコンクリートの剥離があり、補強工事を行っい朝6時から全面通行になったが、5.5メートル幅で大型車同士はもちろんの事、安全な通行に問題があること、昨年1月行啓の際に皇太子殿下が国道に架かるこの橋でなく、広域農道の橋を通行したことなどを説明した千代田大橋付近。合わせて気象庁の震度計が池田町にない事も話し、ITジャパンの推進の中、地元の住民はもちろんの事、災害時に地震の程度が遠く離れた身内や親戚知人にも分かるように国国土交通省、科学技術庁などの地震に関するネットワーク情報の整備、テレビインターネットなどにリアルタイムで提供する必要性があることを訴えた。
10月5日(日)池田町   中川義雄参議院議員が災害現場の視察に見えられ、役場で写真などの資料を示して説明し、JA池田町のサイロ、千代田大橋、道々帯広浦幌線千代田堰堤近く、利別小学校、利別JA鉄橋などを見ていただいた。 JA十勝池田町サイロの応急手当の補強工事を行っていた。
10月5日(日)池田町  9丁目後援会の皆さんのペタンク大会の開会式に行き、激甚な災害が1年間に3度もあったことや合併問題などについて少し話させていただいた。
10月4日(土)池田町  今回で実に30回になる「池田町秋のワイン祭り」の前夜祭。本祭りに参加する本州、道内から見えられた方々、そして町民の皆さんも多く集まっていた。今年で26年目になる地域間交流の友好都市カナダペンティクトンから高校生のジャズバンドグループが参加し、モダンジャズなどを披露されていた。リズムに合わせ、ダンスもあり賑やかで祭りを盛り上げた。
10月4日(土)池田町  札幌池田会の交流会が十勝川温泉大平原ホテルで開催され、歓迎の挨拶に大井所長と共に参加。翌日のワイン祭りに合わせて毎年行われている「ふるさと訪問」。
 札幌から北海道JRサービスの新人職員の現地研修も兼ねた皆さんも参加されワイン城を視察した後であった。私の話しも目を輝かせて聞いていた。十勝ワインもよろしくと、一緒に記念撮影。
10月4日(土)池田町  我が家のブドウ清舞だが、太陽に当たってきれいな朱色になっている。自然な色には感動する色があるものです。
10月4日(土)池田町  札幌から北海道新聞社の皆さんが明日のワイン祭りに参加するために来訪。事前にテニスを楽しむとのことで、私も最後の1時間ほど一緒にプレイさせていただいた。
10月4日(土)池田町  水霜が降りた朝、太陽が地面に当たり水蒸気が上がっている畑(上)。 下は、午後2時半、清見の山向うに真っ白く山を蔽うように、きれいな雲がかかったいた。
10月4日(土)池田町  清見のまきばの家のオートキャンプ場をしばらくぶりで散歩。桜が色づいき、コントラストがいい。1週間前に大地震があったことがうそのようだ。
10月3日(金)池田町  小檜山博さんを迎えて、「現代を考える」という題で講演をいただく。ご自分の生い立ちから、お父さんお母さん、子ども時代のこと、滝上から入学試験に満点だった新聞記事から苫小牧工業に行くようになったこと、寮で同室の後輩が少ないご飯を寄せ合って5日間も食べさせてもらったことなど、自叙伝的な内容だった。劣等感がある作家が本物の作家で、人間を深く見つめいい小説が書くことが出来る、とも。いじめにあった経験から、「いじめる方は死ぬまで怨まれる。早いうちに謝っておきなさい、と学校の講演で話すと、後でそのようにしたと連絡があった。経済、政治の時代、文化が必要と強調されていた。何度かお会いし、一度はお話しを聞いてみたかった、ようやく叶った。。皆さんと懇親会、二次会と重ね家に帰るとゆうに午前零時を廻っていた。
10月3日(金)池田町  近藤十勝支庁長が直接災害の状況調査に見えた。国道や道々の千代田大橋、川合大橋の早期修繕、そして架け替え、路面亀裂・決壊の緊急補修、通行をお願い。 さらに利別小学校の校舎の緊急修繕の対応、子ども達、おやごさん方、先生が安心して授業出来るように、強い震度でも被害を受けない教室が不可欠である。支庁長には現場も見ていただいたが、町長室から携帯電話で関係部署にすぐ電話を入れ、建築技師の応援に対応していただいた。すばやい対応にうれしく思った。お役所仕事は順番や制度がといわれるが町民はそんな悠長なこと言っておれない緊急災害復旧なのである。
10月3日(金)池田町  池田河川事務所の梅田所長さんが、利別川堤防を突貫工事で今日から補修が始まるとの報告に見えた。さすが国は仕事の取りかかりが早い。道や町は公共災害でも国のルールに乗って事務を進める必要があり、急を要する事でも融通が利かない。天災でもあり、このことは強く中央に上げて臨機応変な対応を求めていかねばならない。
10月3日(金)池田町  帯広開発建設部工務課の関口課長と依田課長補佐が千代田大橋の補修状況の説明に見えた。5日朝6時頃に全面通行に向けて進めているとのこと。 また、気象庁の震度以上に橋周辺の正確な震度を小数点まで分かる正確な震度計を橋に設置するとのこと。 今年度、千代田大橋の耐震や周辺通行の調査をされているようだが、耐震については今回の地震が明確に示したことになるのでないか。 約50年経過した老朽化した橋、架け替え工事の早期着工が強く要望している。 震度計については、池田町だけでなく、浦幌町、士幌町、大樹町などにも気象庁測候所の震度計が無いようだ。 池田町には科学技術庁の震度計があるが気象庁には連携していない。自地震報道の際に池田町の名前が報道されないので「池田町の震度が出ないがどうなっているのだ。遠く離れている親戚からも問い合わせがある。町長の力で何とかしろ」との注文をいただいている。 気象庁には震度計の設置とマスコミ報道に載せるようにお願いして、検討していただいているところでもあるが進んでいない。 
10月3日(金)池田町  依然として運行の見通しが立たないJR釧路線の池田幕別間。原因は利別川に架かる鉄橋が被災している為、汽車が走っていない。 その線路上部が錆び付きつつある。隣のふるさと銀河線のレールは光っていた。 
10月2日(木)池田町  山形県朝日町の清野町長さんが地震災害のお見舞いに見えた。
 企業部に勤務していた時にブランデー蒸留所と製品の発表会にお呼ばれしたことがあった。お話を伺うとなかなかのアイデアマンである。町村合併問題も任意で協議を行っているようだが検討はしなければならないとおっしゃっていた。
10月2日(木)池田町 利別小学校のPTA有志の皆さんが、地震災害を受けた校舎を子ども達が安心して授業を受ける事が出来るように強い地震でも壊れない教室に改修して欲しい、できれば新築も視野に入れて、と要望に見えた。公共災害で改修するには、調査・手続きなど時間が掛かる。子ども達の為には急を要するので、早期教育環境改善に柔軟に対応して欲しいものだ。
10月2日(木)池田町  会場からの質問の時間では、池田町の高田さんが地震でもつぶれない、強いカラマツ製のテーブルを造って欲しいと発言。有事の際に下に隠れる難を逃れる為である。ロビーには、カラマツ製の柔らかい木目が特徴のしっかりしたテーブルが展示してあった。
10月2日(木)池田町  田園ホールで、十勝管内の関係者が集い、「カラマツ王国十勝の発展を目指して」をテーマにでシンポジウムが開催された。上は昨年の激甚災害に採択された台風21号の被害状況の説明。グラフで中央右に突起して全体の3分の1になった一番大きい被害の池田町である。
 下はパネルディスカッションの風景。要望対応で聞くことが出来なかったが講演した後にパネラーとして話ししている竹中さん(左端)。
10月1日(水)池田町  今回の「月間勝井町長」は地震のことを話しした後、高島中学校3年生の総合学習で、私へのインタビューということになり対応した。 ”初恋はいつですか”は予定の原稿に無かった質問もあり、一瞬ひるんでしまった。 ソフトテニスで活躍したという、明るく元気ではきはきした岡田さん、沼田さん。将来はと聞くと保母さん、音楽関係に進みたいとのこと。目標に向かって頑張って欲しい。

10月1日(水)池田町  
 社民党衆議院議員の山内恵子が地震災害の調査、要望聞き取りに見えた。
10月1日(水)池田町  田園ホールで開催した「池田町開町105年記念式典」。混声合唱団の町歌で始まる。
10月1日(水)池田町  英語の指導教師AETに始めて男性をお願いした。

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