2004年3月分バックナンバー

年月日(曜)場所 出 来 事
3月31日(水)池田町  4月総会前に開催している池田町農業構造政策推進協議会の役員会。 地震被害はありながらも利益を上げられた両JAの決算状況、後継青年の祝い話など組織団体から12月以降の状況報告をいただいた後、新年度の事業、全体としての取り組みを協議した。 農薬廃棄物の処理方法(容器の清浄回収)、家畜排泄物の適正管理、池田町では発生していないが、馬鈴薯のシストセンチュウ対策などについて話し合った。 夜は、欠席がちのライオンズクラブの例会に出席し、会員の皆さんと懇談。

3月31日(水)池田町  池田町ふれあいセンターで開催された池田町障害者デイサービスすみれ園の設立総会。小規模共同作業所「すみれ園」から、新たな障害者支援費制度、資金充当して運営することとなり、組織も再編された。開設した平成3年当時のことを振り返り、これまでご尽力いただいた黒川会長さん他の皆さんに感謝申し上げ、これからの取り組みに期待する挨拶をし、次の行事のため中座する。
3月31日(水)池田町  長年、役場に勤められた職員の皆さんに対し、退職および嘱託を解く辞令を交付し、記念撮影。長い方は40年以上役場に勤務された。今後も元気で活躍され、池田町の町づくりにも協力いただきたいとお願いした。 
3月31日(水)池田町  関西空港からとかち帯広空港に降り、直接帯広に向かい、帯広開発建設部長、担当次長、そして課長さん方を訪ね、「千代田大橋架換え」実施設計決定のお礼を述べてきた。 設計には半年以上かかり、そのご用地買収、工事着工となる予定だが、予算が確保され工事が順調に進み、早期完成を期待したい。 この橋の25メートル下流に車道幅8.5メートル程度、歩道2メートル、総幅11.5メートル程度になる見込みであり、冬でも安全通行ができ、十勝東部、東北部から十勝の中心帯広に至る幹線国道242号線の大きな地震にも耐え得る、防災の点からも地域住民に安心を与えることになる。

3月31日(水)大阪市  ホテルからの大阪市街の高層ビルに朝陽が当たっている。 パソコンにスイッチを入れ、ホームページを更新、7時過ぎに関西APに出発。
3月30日(火)大阪市  ホテルの廊下を照らすライトの下にきれいな数輪の生花(シクラメン)が飾ってあった。 疲れて帰ってくる宿泊客の気持ちを安らげてくれる。 費用や手間がかかるが、小さな心遣いがお客さんの再来につながることだろう。
3月30日(火)大阪市  十勝ワインを30年以上も前から取り扱っていただいている阪急百貨店、阪急グランドビルで滑ヨ西十勝の株主総会が開催された。 昭和50年以降、これまで大阪を中心とした関西地区の大卸を展開してきた第三セクターである。 10年程前から日本の酒類の流通改変が進んでいるが、役割もほぼ終えて、大卸業務を閉じることが決議された。社長など会社の皆さん、そしてこれまで物心共に支えてくださった株主の皆さんに心からお礼を述べさせてもらった。 当時の町長丸谷さん、池田ぶどう愛好会の渡辺会長も出席され、設立当時のこと、池田町のブドウ栽培を失敗を繰り返しながら今日に至っていることなどのお話も出ていた。

3月29日(月)大阪市  大阪市内に夜到着。 ホテルの近くの蕎麦屋さんでざるそばを食べたが、店内には貴重な木材を使ったテーブルや椅子があり、落ち着いた雰囲気の店だった。 とちの木の一枚板のカウンター、7,80センチもある幅の広いケヤキのテーブル、ヒノキの古木の椅子でえごまで磨いていますなどと、若い店主から教えていただいた。 写真はとちの大木から作ったという、そばをこねる鉢。相撲の優勝カップに使用されていた材(今は金属製に変わったとのこと)の残りでひとつしか作れなかったそうである。 写真上はホテル近くの夜景。
3月29日(月)札幌市千歳空港
 北海道開発局を訪問し、地震災害のお礼、千代田大橋の実施設計に取りかかる予定の記事を見てその方向にお礼、工事着工、早期完成に向けてお願いをさせていただいた。 千歳のワインショップ。十勝ワインがたくさん並び、見ていたら精算カウンターに女性の方が6本ほどお土産にお買い求めいただいており、うれしく思いながら大阪に出発。
3月29日(月)札幌市  豊頃、浦幌両町長さんと道庁に合併協議重点地域の指定、及び各種支援をいただいたお礼、そして任意協議から先に進めなかった報告をする。 位置問題が表面化したが歴史や財政状況町づくりの違い(歩み寄り)、十勝発祥の地、昭和の合併経過も影響したようだと説明。 三位一体改革、地方交付税の変化など先の姿を示してもらいたい、道のどなたに聞いてもわからないと言われるが、合併のシミュレーションでも、人口を大きく、二つ三つの合併(小樽市のような例もあり)、大きな市でも財政的には試算して見通しが立つのかどうかが問題。担当する職員、そしてそのような状態で説明せざるを得ないことは、議員ひいては町民に不確実な説明となり、合併協議にも支障が出る。 過疎の町にとって、単独でも合併する場合でも、将来の姿(財政が基本的問題)を計画、行財政を進めることが出来るよう国に働きかけして欲しいとお願いした。行財政改革を進めても、こうも地方交付税が激減しては、合併しても対応できるかどうか解からない。 その後、道庁内の関係部署を訪問し、挨拶やお願いをして回ったが、水産林務部森林整備課のから松修正材を机の上部に設置して使用している。私のところの机も全てカラ松でつくられたものですよと、話して撮影してきた。北海道林業振興はカラマツの利用促進が今後を左右する。


3月29日(月)池田町  朝7時、普通列車で帯広に行き、特急とかちに乗り換え、札幌に出張する。 利別川の向こうに見えるフンべ山、列車から撮れる風景。 下は、名前は分からないがくっきりした日高の山。

3月28日(日)池田町  池田中学校(上)と池田高校吹奏楽クラブの演奏。 先生が不安だったという、スッペの「ウイーンの朝」の中学生の演奏は、迫力があり、とても良かった。
 下は、池高、二人の木琴連弾(?)が息の合った早い演奏で驚いた。
 4月以降は、それぞれ新しいメンバーを迎えて、更なる練習を繰り返し、来年の各種発表会でもきっと活躍することだろう。
3月28日(日)池田町  田園ホールに、池田小学校、中学校、高校のスプリングコンサートを聴きにいく。6年生、3年生がそれぞれ卒業して抜けたばかりだが、よく頑張った演奏であったと思う。
 小学校の部で、4月に転校が決まっている4年生の佐々木君が「フーテンの寅さん」の曲で寅さんのせりふを言いながら最後の演技をし、クラリネット演奏もしていた。
 小学校の部の演奏が終わって、戻った席が私の前の席だったので、「良かったね、よくせりふを覚えたね。転校しても頑張ってね」と励ますと、「昨日(寅さんをやれ)と言われたんだ。」と言っていたが、急でも堂々とやりきったのはたいしたものである。
3月28日(日)池田町  昭栄コミセンで開かれた昭栄コミセン運営協議会の定期総会。町長として4年目になるが、敬老会や運動会などには欠かさず出ているがこの総会には初めての出席であった。
 屋根のペンキ塗り替え、冬季排水がうまく行かない、体育館との壁を除去して欲しいなど、コミセンの運営についていくつかの要望を受けた。
 挨拶では千代田大橋の架け換え、行財政運営と今後の町村合併の取り組みのことを触れさせてもらった。
 昨年の運動会は他地区の行事と重なってしまい余り一緒できなかったが、今年は充分時間の取れる予定であって欲しい。
3月28日(日)池田町  東台コミセンで今年度、町内で最後となった東台地区敬老会に出席した。 いつもより少し参会者が少なめだったが、老人クラブの名前が長寿クラブと呼ぶほど元気な高齢者の多い地区である。今回も90歳を越えた方々が5、6人参加された。 いつも地区の女性の皆さんの手づくりの料理、練習を重ねた踊りの披露があり楽しい。 下は次の会議のため、退座する前に一曲というので、生きていれば出席者の皆さんとほぼ同年齢の亡父を思い出し、一緒に松の丸太をのこぎりで挽き、まさかりでマキを作ったことなどを話しながら、「与作」を歌った。下手でも、雰囲気だけは・・・と歌ったが曲がなぜか早めに切れてしまった。次に移動するのにちょうど良かった。


3月28日(日)池田町  西部地区コミセンで開かれた第4回になるボランティアのつどい。 ボランティアセンターと町社会福祉協議会が主管となり、センターの登録ボランティアの皆さんによる手づくりのお祭り。 ふれあい郵便ボランティアの皆さんのコーナーで、先生の指導をいただきながら、押し花とアヤメの絵形に塗ったはがき2枚を自分で造させてもらった。 次の行事のため、途中で失礼したが午後までたくさんの皆さんが集われたようである。

3月28日(日)池田町  家の前のサクラソウの芽が増えてきたが、そう簡単には成長しない。陽の当たりのいいところの福寿草は花が咲きつつあると聞く。
3月27日(土)池田町  幼児ことばのセンターの一年の思い出集「チャイム」を届けてもらった。第17号となる。
 児童本人が描いた絵の下にお母さんの印象やお礼などが記してあった。 成長の様子やセンターの職員や先生の助言をもらい改善したこと、センターで一緒になるお母さん同士の交流もよかったなどの感想が載っている。
3月27日(土)池田町  利別保育所の修了する児童の皆さんが自分の似顔絵を書き、好きな給食・おやつ、得意なこと、楽しかったこと大きくなったらの項目にそれぞれの思い出を記した手づくりの記念誌「ひまわり」。「かついかつまるちょうちょうへ」と鉛筆で書いてある冊子を、たなかゆうほちゃんから、会場で直接いただいた。 ありがとうと受け取ったが、たいへんうれしかった。ラーメン(しょうゆ、みその順)が好きという子が多く、将来は看護婦さん、保育所の先生、すし屋さんなどさまざまだった。
3月27日(土)池田町  築後、30年になる利別保育所の外観。 昨年の大地震で被災があったがそう大きな修理に及ばずよかった。
3月27日(土)池田町  第30回利別保育所の修了式が行なわれ、お祝いの挨拶を述べた。 下は、修了する21人を受け持った工藤美奈子先生を囲んで記念撮影。お母さんお父さんがカメラやビデオを駆使し記念のシーンを追っていた。
3月26日(金)池田町  ふれあいセンター(旧池田保健所)で開催された町内会連合会とのふれあいトーク(町長・議長・合併特別委員会委員長)も出席。
 内容は合併問題に関してが主で、他に財政問題や橋・河川・道路などについてもこれからの予定を話しさせてもらった。場所を変え懇談会も開かれたが、二次会、三次会、四次会とスナック3軒をはしごして帰ったら12時近かった。
 早めに帰らなければといつも思うのだが、店ではそれぞれ顔ぶれの違う皆さんと一緒になり、次に次にとなり、ついつい遅くなってしまう。
3月26日(金)池田町  4月の人事異動で開発建設部の池田河川事務所所長(退職)、副所長さん、そして帯広河川事業所長さんもそれぞれ札幌方面に替わられるそうで挨拶に見えた。台風災害の時など大変お世話になったが、次の部署でも頑張って欲しい。
3月26日(金)池田町  剣道少年団水戸大会に出場する少年剣士が挨拶に来た。昨年はブロックで上位入賞するなど大健闘であった。普段の稽古、これまでの経験を生かし精一杯試合してきて欲しいと励ました。
 普段着だとそう見えないが、鏡開きなど、気合の入った稽古や試合をしている時は大きく見える。
3月26日(金)池田町  卒園式に続いて、50年の歴史を持つ高島保育園の閉園式が行なわれた。
 建物も老朽化しており、場所を北部コミセン施設に移し、NPO(特定非営利活動法人)として運営する予定である。
 昭和29年から高尚寺境内に廃材を使用して園を建設し、各種修繕を繰り返しながら、町の補助、後援会の支援もあり、これまで運営してきた。横山前園長さんのお母さんの時代から、二代にわたっての季節保育であった。
 閉園に当たり前園長から、開園の前、昭和21年頃は食糧が不足していた時代でもあり、付近の子ども達に脱脂粉乳や缶詰などを提供したこと、前園長の奥さんが嫁入り早々、保母の資格を取得するのに大きなお腹を抱えながら釧路などに通ったこと、表彰は自分ではなく妻であるとの話しなど、50年以上にわたる歴史や苦労された貴重なお話しをなされた(写真下)。
 前園長ご夫妻、後援会、町内会、期成会役員の皆さんに感謝のご挨拶をさせていただいた後、心を込めてこれまでの永年の保育の取り組みに町の感謝状を読み上げ、横山前園長に贈らせてもらった。
3月26日(金)池田町  高島保育園の卒園式に出席。 5人の園児一人一人に証書が渡され、これまでのたくさんの楽しい行事を胸に、4月から高島小学校に入学することになる。 高島小の校長先生が歓迎の挨拶をされた。 在園児の元気な送る言葉や歌、卒園生のお礼と励ましの返礼。最後の歌では園児の皆さん、園長、前園長さんと方と一緒に自分も歌った。
 今回が50年の節目にあたり、次年度から運営形態が変わることもあり、記念の卒園式になった。
3月25日(木)士幌町  下居辺にある緑風荘で開かれた北海道土地改良事業団体連合会の十勝支部理事会出席。
 5月予定の総会に向けての支部決算予算の報告がなされた。事業の進行度合い、財政負担から事業量が減っているようである。
 三位一体改革で地方交付税が激減しており、町村会など地方6団体統一行動が予定されている5月決起集会では建物中だけでなく、鉢巻を巻いて都内をデモ行進するぐらい政府に強く運動しないとダメだ、全国統一が無理なら北海道だけでも実行すべし、町村会にはたらきかけようとなった。地方交付税の大幅な減少が町村財政にとって大変な状況となっている。
3月25日(木)池田町  士幌に向かう途中の町内青山付近の麦畑の様子。 土壌改良剤でもある融雪材を散布し、寒冷地作物、小麦の成長促進を図っている。
3月25日(木)池田町  午前中は4月1日付の人事異動の内示(表紙に掲載)を行ない、昼食を取り終えたら、「ワイン城レストランを利用してきましたよ」と、帯広開発建設部長さんが来訪された。千代田大橋の架換えについてお願いし、道州制と市町村合併の関係などについて意見交換させていただいた。
 有線テレビ事業の縮小を町民の皆さんに報告している「月間勝井町長」の最後の収録となった(写真)。
 昭和48年始まった当初から現在の情報通信環境が変化したこと、テレビの地上デジタル化に対応する設備投資や光ファイバー敷設費用が莫大であること、取材・編集人的要因などから、議会中継、文字放送に限定して放送することとなった。行財政健全化推進委員会で同様の答申をいただいてもいる。
3月25日(木)池田町  男性一人がお亡くなりになった先日の家屋火災に対し、災害見舞金を贈呈に伺った。 今年度、本当に残念な火災死亡事故が2件発生してしまった。 消火活動と共に火災予防啓発も大切である。
 写真は近くの大正時代に植えられたイタヤカエデ。樹齢90年になるが地区住民の支えとなった改築中の神社、地区の開拓の歴史も見てきたことだろう。
3月24日(水)池田町  富岡地区コミセンで地区の懇談会が開かれた。営農用水の工事予定、十弗川改修など身近なことから、合併問題、牧場、食肉センター、環境複合事務組合に加盟し一般ゴミの処理をお願いすること、などなど最近の話題を話させていただいた。職員の給料問題、家畜ふん尿対策、牧場の利用、山火事防止を止めるそうだが巡回を公区長にお願いしてはどうかなどとの意見をちょうだいした。 帰庁後、行財政改革の取り組み、組織改革、事業の見直し推進などについて意見をもらうため管理庁議を開いた。人事異動の再度調整を行い、翌日に備えた。
3月24日(水)池田町  小学校から歩いて戻る途中、清見2線川の様子。陽あたりがいいと見えて、川の水面にはほとんど雪が無くなっていた。台風など大雨の時には土手の半分以上にもなる。
3月24日(水)池田町  来賓の皆さんと記念撮影。教育長と4月から帯広の小学校に異動となる對馬校長先生を真ん中にし後ろに立ち、PTA会長、役員池田中学校山谷校長先生などと・・・
3月24日(水)池田町  池田小学校の体育館で行なわれた「平成15年度池田町立池田小学校卒業証書並びに修了証書授与式」。 体育館入り口の廊下で卒業生と会ったが挨拶がよかった。会場では、1年生2年生の皆さんが特に大きな声で卒業生に対するお礼の言葉や送る歌が体育館いっぱいに広がっていた。 中学校に行っても学校の目標である「精一杯」を大事に、新しい仲間と増えるが友だちを大切にして学業、運動文化活動などの部活動を頑張ってください、元気な挨拶も大切に、と短めに励ました。
 式を終えて帰りしな、前に座っていた1年生に「元気だね。これからも頑張ってね」と声をかけると「勝丸町長だ」と言いながら手を振ってきたのでこちらも思わず、同様に応対。お母さん方が笑ってみていた。本当に元気な挨拶と歌であり、こちらも元気をもらってきた。

3月24日(水)池田町  我が家の庭の雪も日に日に少なくなり、家庭菜園の始まりを待っている。こんなに多い雪は初めてである。
3月23日(火)池田町  独自要求に対する組合団体交渉のあと、町内で栽培された「韃靼そば」の手打ちそばの会が行なわれ、声をかけていただいたので出席。十勝の名産鹿追そばと比較して食したが、両方とも美味しかった。韃靼蕎麦は「にが蕎麦」とも言われるようで味が強かった。 信州長野から受け継がれた技術を持つ中島健蔵さんが蕎麦打ちをしてくれた。玄人はだしの味で、持ち込まれた手づくりの豆腐も美味しかった。
3月23日(火)池田町  帯広の第5師団が旅団化され、池田町担当の第4普通科連隊も組織改変がなされ、池田町旗が小隊に受け継がれた。
3月23日(火)池田町  今年度最後の有線テレビ放送番組審議会。事業が縮小することとなり、審議いただく内容が少なくなってしまった。デジタルテレビ放送やインターネットが普及するなど日本の情報改革のスピードが速く、これまで果たした役割は大きかったと思う。
3月23日(火)池田町  今年度で退職され札幌に戻られるという池田警察署の時本署長さんが住民票の異動手続きに見え挨拶に立ち寄られた。保健センターなど私も近くに行くと「署長さんはいますか」と警察署に仕事の邪魔しに寄って懇談させていただいた。 異動されると寂しいが、退職後は新たな任務が待っていることだろう。時本署長さんは帯広出身で齋藤助役や前横田助役と柏葉高校時代同期生だったとのことで、懐かしく懇談されていたことがあった。これからも持ち前の大きな声で周りを元気づけることであろう。
3月23日(火)池田町  雪や氷が融けて、通勤に通る歩道が大変歩きやすくなった。 上は伊藤川と清見2線川の合流点。ひと月前と比較するとその違いが分かります。 下は道路に残った砂もきれいに掃いて清掃もしてもらっていた。 近々、ワンちゃんの糞拾いや道路清掃が行なわれ、きれいな環境になると思います。

3月23日(火)池田町  我が家の狭い家庭菜園の土の面積が広がってきた。 マイナスに下がる土の表面でもハコベなど、たくましい草は寒さをものともせずに成長するのです。
3月22日(月)池田町  高島の北部地区コミセン前のゲートボール場、パークゴルフ場。冬はスケート場として利用される。 午前中、満91歳で逝去されたおばあちゃんの告別式に出席したが、大きな病気もせず眠るように自宅で亡くなられ、大往生でしたと葬儀委員長のあいさつ。 午後お客さんもあったが、比較的ゆっくりさせていただいた一日だった。

3月21日(日)十勝川温泉  2年ぶりに総会、懇親会とのことで久しぶりに出席した池田町ブドウ愛好会。 40数年前から、貴重な畑の面積を割き、育つかどうか分からないブドウを植えて、町の活性化に、栽培の可能性を求めた古きよき仲間の皆さんである。 苦労した話やうまく行かなかった失敗団、今は亡き望月さんに指導されたことなど、45、6年前の出来事をつい最近のように楽しそうに懇談されていた。会場は池田町出身の女将さんが経営されているホテルで、中庭のイルミネーションがきれいであった。女将さんはご自分で近くにある畑で有機栽培した野菜を食材にしたり、ワイン用のブドウを栽培しホテル専用ワインとして使用する予定など、いろいろな発想を実現している実行力たくましい方である。十勝川温泉全体でもいろいろな取り組みをされるなど健闘している。

3月21日(日)北見市  きたみらい農協会議室で開かれた第77回になる「ふるさと銀河線取締役会」。会議に先立ち、10時半から1時過ぎまで昼食を取りながら、沿線首長会議も開催された。 首長会議では、2月11日提案に対する北海道の回答を受けて、協議。毎年4億円に上る赤字の穴埋めを沿線自治体で負担するのは無理である。今までどおりの池田町の考えを述べさせていただいたが、経営の将来、方向はまとまらなかった。
3月21日(日)陸別町  ふるさと銀河線の陸別駅と陸別郊外のすっきり晴れた朝の景色。
 きれいな風景の中、くっきりとした山を遠くに見ながら北見に向かった。 陸別駅は改札を通らず、ホームに出ることもできるようになっており、訓子府の駅と似ている。
3月21日(日)池田町  うっすらとう降った雪。朝日が昇るのも早くなった。朝5時半の清見東台方面の空。
3月20日(土)池田町  ワイン城東側ですでに工事が始まっているが、躯体の骨組みの形が見えてきた。8月末の完成を目指して、事故なく進んで欲しい。
3月20日(土)池田町  京都洛北の大徳寺管主が見えられ、ワイン城地下などを案内し、レストランでスパークリングワインブルーム、清見、アムレンシスを試飲いただいた。山わさびを利用したメニューのアドバイスもちょうだいした。大徳寺を調べると、国宝の襖絵など文化財が多く、千利休の墓碑もあり、茶道の歴史も深いようである。是非一度観覧したものである。
3月20日(土)池田町  午前中、告別式に出席し、歩いて帰宅する途中、近くの緑地帯。 融けつつあるが、まだうず高くなっている堆積雪。3月いっぱいで無くなるだろうか。
3月19日(金)池田町  ワイン城レストランからの池田市街、その向こうには帯広・幕別方面の灯りが見える。日高連峰はすばらしい眺めですが、夜景もいいのです。
 先日の新聞記事で、池田町からの眺めがよく、都会から移住されたとの町民の方のお話が載っており、うれしかった。その方は、帯広畜産大学から依頼され、生まれたばかりの仔牛を守る牛の初乳に含まれる免疫成分を取り出すベンチャービジネス社の社長になられるとの内容でもあった。 人間にとって、いい自然環境の田舎に住まい、仕事は都市でという生活スタイルができればすばらしい。
 二次会、三次会とスナックを歩き、健康のため(になるか?)ぶらぶら歩いて帰宅した。
3月19日(金)池田町  田園ホールロビーで町内パステル画の展示がなされていた。 緻密ですばらしい作品ばかりであった。
3月19日(金)池田町  田園ホールで開催された、平成15年度の池田町文化賞及びスポーツ賞の表彰式。 小学生からまだまだ若いシルバーの皆さんまで、文化活動、各種スポーツ、それぞれの分野で一年間に努力、頑張りの結果。イラクの暗い記事に混じり、イラク国内のスポーツ(サッカーだったか?)で明るく復興という記事があった。文化活動やスポーツ交流が世界の平和に果たす役割は大きい。今日をきっかけに更なる目標に向かって頑張ってくださいとお祝いの挨拶。 写真は両分野で表彰を受けたジュニアの皆さん。親御さんや先生、指導者などたくさんの皆さんがお祝いに集まっていらした。 議員の皆さんとワイン城レストランで管理職との懇親会が行なわれ、挨拶があるので最後まで表彰にお祝いの拍手を送ることができず中座させていただいた。


3月19日(金)池田町  第1回池田町議会定例会の本会議が開催され、継続審議の予算関係が討論され、全件可決。地方交付税の保障機能堅持、農業課題の推進要請など意見書4件を可決、町村合併調査特別委員会の報告、町づくり特別委員会の設置などが審議された。
3月18日(木)池田町  閉庁後、仕事で残っている二階、一階の様子を見て廻り、課長・部長時代の悪い癖が出て、近くの若い職員に「いっぱいやるか」と声をかけて回り、近くの店でトカップを飲みながら懇談、そして若い人の上手な歌を聴き、帰宅した。テンポの早い歌はなかなか難しい。
3月18日(木)池田町  音更から、帯広市に向かい、開発建設部と十勝支庁を訪問、次長さん、支庁長、部長さん方に報告やお礼、そして今後のお願いをする。
3月18日(木)池田町  午後、合併協議会設置本請求、合併協議会設置協議に係る議会付議文書を持参し、皆さんの思いを山口町長(大場議長さん、藤井助役さん同席)に伝えた。 山口町長は「記事等で見てはいたが、公式には今日が始めて。議会に報告、90日間あるので池田町のことも調べさせていただき対処したい。」と述べられた。 こちらの都合とは言え、ちょうど議会特別委員会が開催中であり、休憩を取っていただいての対応で恐縮した。 音更町の役場庁舎の裏には森があり、庭の端に町民憲章の碑(中)、庁舎内に豆製品など町の物産が陳列されていた。


3月18日(木)池田町  2月から3月始めにかけて行なわれた音更町との合併協議会設置請求を受けた。 合併特例法では「直ちに」とあり、調べてもらうと法律用語で一時も許されないと判断されるようで、ゆっくり署名簿を見ることもできず、午後一番に音更町に持参することとした。 明日の議会で経過を報告する予定としている。請求代表者である照井さん、合掌さん、吉田さん3人と町議の窪田町議、三坂町議と請求に見えた時と同じ顔ぶれで請求書を持って来られた。

3月18日(木)池田町  3日目となった第1回池田町議会定例会の予算審査特別委員会。レストラン会計、水道会計、病院会計の3企業会計全て終了し、反対討論賛成討論があったが全件可決いただいた。 病院会計に一般会計から1億7千万円(昨年度から3千万円削減している)ほど繰出ししているが、漫然とした繰出しが続き、改善の姿勢がない。」との反対討論であった。救急ベット3、急性病棟29、介護病床48の入院、内科・外科に加え、必要性から医療報酬も見直され、急変する子どもの病気特性に対処する小児科、を守り、町民の皆さんの安心の基本と考えている。帯広に行くのではなく、町民の皆さんに利用していただくのが一番の経営改善策である。過疎地で入院ベットを持つ病院経営に民間は難しく、道内各地の町立病院、国保病院は赤字を補填しながらの経営となっている。小泉首相は民間で出来る事は民間でというが、民間で難しいから自治体の病院経営になるものと思う。
3月18日(木)池田町  いつも通る富士通りの歩道の雪がだいぶ消えてきた。 坂を下りる時に少し滑ってしまったが、もう少しでアスファルトの路面で歩き易くなるだろう。
3月17日(水)池田町  第1回池田町議会定例会の予算審査特別委員会。 今日は土木費から始まった一般会計、国民健康保険など特別会計、そしてブドウ・ブドウ酒事業会計まで全件可決いただき、休会した。 明日はレストラン会計から水道、病院事業会計と進むことになる。
 人件費、委託費など行財政健全化の方法、補助金の厳しい見直し、除雪費が少ないのではないか、営業活動を協力に展開し利益を確保せよなどと厳しい質問、意見をちょうだいした。千代田大橋の架け換えのことと「協働」について町長からと説明を求められたので二度話しする機会があった。
3月17日(水)池田町  池田町議会定例会の予算審査特別委員会の休憩中、議長・副議長室に入り、落ち着いた雰囲気を撮影。
 壁には、歴代の議長さん方の絵が飾ってある。
 議場の議長席もあるが、この部屋の机もいい雰囲気である。 これまで池田町議会で誤りのない議会運営をするよう、議長・副議長の判断を促してきたことであろう。
 庁舎が出来たのが昭和43年だから、相当の年数がたっているのだが、まだまだ建てた当時のようにきれいである。
3月16日(火)池田町  市街地区後援会の皆さんに、最近の町行政に関する報告を行なう。合併問題と独自の行財政運営、災害などを考慮いただいた特別交付税、今日業界紙に掲載された千代田大橋の架け換えの方向で進んでいる記事のことなど、約1時間話しさせていただいた。40分程度と前置きしたのが大きな間違い、そんな事を言わないほうがいいと忠告を受けた。「町長、今日の話は良かった。」となぐさめて下さった方がおられ、気を持ち直し次回に臨むこととした。
3月16日(火)池田町  池田町の銘木、巨木集が出来上がった。池田町林業研究連合会がまとめたものである。表紙は東台地区の町営牧場第28区脇にある樹齢350年直径2メートル32センチのミズナラ。昨年は機を逸したので、今年はどうしても富岡の天然ナラの森に行きたいと思っている。大樹に近寄ると何かしら不思議な力を得たような気持ちになる。
3月16日(火)池田町  議場において第1回池田町議会定例会の予算審査特別委員会が開催される。議会費、総務費から商工費まで終え、翌日は土木費から特別会計まで審議が行なわれるものと思う。町民の皆さんと行政の「協働」に関する質問が多かった。行政の組織スリム化が進み、職員の時間外勤務を減らす努力をすべし、ワイン事業の利益を一般会計に繰入れすべき、コミセンの電話は町でなく地区で自主的に設置使用するにはどうする、補助金交付団体などの事務局を役場職員がになうべきでない、町内会の児童遊園地の遊具を更新する方法は、など行財政改善、役場組織のスリム化(職員数減少)の具現化に向けたたくさんの建設的な質問をいただいた。
3月16日(火)池田町  社会福祉センターの地震災害復旧工事が着々と進んでいる。その足場に上から氷が融け、いくつものツララが出来上がっていた。1階は3月中に入ることができそうな状況でもある。
3月15日(月)池田町  一般質問に、ワイン城レストラン事業のことがあり、気になってワインを飲みながら、照明を低くしたらどうか、日高の景色・夕日が売り、窓をきれいだが、目立たぬところにさりげなく説明を掲示してはどうか、地元食材を使用しているがJA池田のユリ根やJA高島のマリモ(ジャガイモの一種)はどうか、十勝川沿岸の大津、厚内に上がる魚介類をもっと使うように、といつもながらうるさく要求した。料理を考える方も大変だろうが、日常の工夫・研究・努力が必要である。結果、お客さん、消費者の皆さんに評価されるとうれしさが倍増するものです。
3月15日(月)池田町  町議会の一般質問に答弁している様子。CATV有線テレビで生中継している。答弁原稿をあらあら作成しているのだが、質問を聞きながら通告要旨だけでない議員の思いを受け取り、何とか分かりやすいように努めているのだが、何度やっても的確に答えているのか反省が残る。テレビを見ている町民の皆さんにも分かりやすくとの思いもあり、言葉遣いにも気を付けている。 要旨をまとめ中ですので後ほど掲載します。
3月15日(月)池田町  十勝池田ライオンズクラブの大石会長(前町長)、中川さん(消防団長)、 小松さん(菓子店社長)が見えて、道東地区の皆さんからと、十勝沖地震災害に対してたくさんの義援金をいただいた。
3月15日(月)池田町  通う歩道の雪の壁が低くなり、伊藤川と清見2線川合流点の雪も量も海に流れていっている。今年は雪が多く、川の流量も多いことだろう。 
3月15日(月)池田町  家の庭先のサクラソウの芽が出てきた。春が近いよと言っている。
3月14日(日)池田町  日曜開館の図書館。「今日は(お客さんの利用は)どうですか」と聞くと、「先ほど一人帰りました。」と少な目の利用状況のようだった。家内が返還と新たな本を借りてきた。
3月14日(日)池田町  田園ホールで行なわれた恒例の池田小学校吹奏楽クラブ「第10回バイバイコンサート」。お母さんお父さん、そしておばあちゃんおじいちゃんなど応援いっぱいの会場で元気いっぱいの演奏であった。知っている曲のせいか、「男はつらいよ」「サザエさん」の演奏が印象に残った。
 卒業する4人の6年生がそれぞれ挨拶し、中学校でも吹奏楽を頑張ると言っていたが是非、続けて欲しいものだ。対馬校長先生が「楽器を更新してもらって・・・」と紹介されていた。 たくさん練習してこのように楽しく演奏する姿を見るのはうれしい。
 昨年同様、帰られるお客さんにロビーでお礼の演奏を受けた(写真下)。これもまた、うれしい気持ちになる。
3月13日(土)池田町  暖かさでみるみる雪が融けて、我が家入り口角のぶどうの樹が見えて来た。 今日は昨日に続き、一般質問の内容に関係して所・課長さんから説明を受け、勉強し答弁に備えた。帰宅すると18時半を過ぎていた。 昼の出前のラーメンを食べた後、机のイスで1時間ほど気持ちよく寝てしまった。今日のような静かなひと時は珍しい。

3月12日(金)池田町  定例議会の一般質問の通告をいただき、質問の趣旨、どのような答弁を求めているのか、項目ごとに関係する課・所長と検討する一日だった。 通告の短い箇条書き的な文章内容から全てを読み取ることは難しく、具体的な課題、町づくりの基本など広い課題があり、質問される議員に対して的を得た内容で、テレビを見ておられる町民の皆さんにも理解できるような答弁にするのがなかなか難しい。 写真は、南4線JR踏切近くの横断歩道。ここ2,3日、例年4月頃の気候とのことで周りの雪や氷がだいぶ融けてきた。

3月11日(木)池田町  お昼近く、余りに陽気がいいので、外に出て農業委員会、農林課、図書館などの様子を見て廻った。 今日は4月の気候とのことで、雪がどんどん融けて、芝生の枯れた草が見えてきた。
3月11日(木)池田町  西部地区コミセンで開かれた今年度2回目の「公営住宅等入居者選考委員会」。 入居希望を提出し、可と審査されても補欠になっている方も多い。すべての方々の希望に沿えない状況でもある。新年度には、マスタープランに基づき、一棟4戸を建築し、既存の公住の水洗化も実施する予定である。 下はコミセン内の町民の皆さんの交流掲示板。

3月10日(水)池田町  3月定例町議会が始まる。一日目はは新年度の臨む施政方針を述べさせていただいた。

 合併問題など4件の行政報告(議会関係その3に掲載)を行なった。
3月10日(水)池田町  少し早めに家を出て歩いて行くと3人の中学生と出合った。「おはようございます」と声をかけると元気な声で「おはようございます!」と気持ちのいい挨拶が返ってきた。「いつも今頃の時間なの?」と聞くと「今日は少し遅いです」との返事。池中は学生の方から挨拶が飛んでくることがあり、元気のいい挨拶は気持ちがいいものです。
3月9日(火)池田町  今月は確定申告時期でもあるが町道民税5期、国民健康保険税の8期目でもある(役場正面玄関)。
3月9日(火)池田町  田園ホールで開催された平成15年度池田町シニアカレッジ「遊ゆう大学」の卒業式と修了式。 入学時には38名おられたが本日は、4年間楽しく学び32名の皆さんが証書を受けられた。 上は泉田議長の祝辞風景。「川の流れのように」「見上げてごらん夜の星を」などを二胡の素敵なステージ演奏(下)。

3月8日(月)池田町  午後時間があったので帯広開発建設部と十勝支庁にお願いと挨拶に出向く。 町村会にも立ち寄ったが局長は会議で留守だった。
3月8日(月)池田町  冷え込む朝が続いているが日中は少しづつ雪の量が減っている。今朝の通勤ルートは道々高島停車場池田線歩道。 上はふるさと銀河線11丁目踏み切り。下は川の流れがはっきりしてきた見えてきた清見2線川。
3月7日(日)池田町  今日は寺院住職の本葬日出席し、弔辞を述べた。現職でもあり、同宗門の関係の方々がたくさん列席さられていたが、身延山で一緒に修行し、生年月日も同じという千葉から見えた友人が主となられお経であった。修行から現在まで振り返った思い出を含めた挨拶もあった。 写真はも一つの集会に出席後、歩道から撮影した池田河川事務所。この4月に新事務所として活躍することになるが、十勝川、利別川流域の大雨災害から流域住民の安全、農地耕作を守る拠点となる。
3月6日(土)池田町  川合地区コミセンで開かれた今年初めての敬老会。久しぶりにお会いする方もいらっしゃったが皆さんお元気なお顔を拝見し、安心した。 昨年は台風や地震の大きな被害のあった年だったが、川合地区は特に水害が多く発生した地域。ここまで発展したのは皆さんの力があってのこと。これからもお元気でと挨拶。 今日の行事は川合の皆さんのお祝いだけだったので、歌を歌ったり、聞いたり最後まですっかり腰を落ち着いてしまったが、ゲートボール協会の会長でもあり長老の神谷稔さんの元気な歌を聞くこともでき、楽しい敬老であった。今年度から交際費縮減でお祝いのワインをもって行くことができないが、こらがあるぞと池田町の最高級ワイン「アムレンシス」がテーブルに並び、清酒の好きな方用に豊醇な吟醸酒もあった。両方ともごしょうばんにあずかってしまった。予定になかったが、最後にしゃしゃり出て、皆さんのこれからの長寿と地区の発展を祈念して”万歳!”をさせていただいた。

3月5日(金)池田町  十勝東部合併協議会の事務局の任務を終え、それぞれの町に戻る事になった皆さん。 3町の担当から行財政運営の状況を聞き取り、また協議会に向けて膨大な種資料をまとめていただいていた途中であった。協議が進む中で、それぞれの町の状況の違いや意向が伝わっていたことだろうし、同じ事務所での調整方針の検討に複雑な思いだったことだろう。 それぞれ優秀な職員を派遣していただいたが、将来の一体となった有終の結果を得ず、居なくなることはまことに残念であり、寂しい。 昨年、事務局発足の時、皆さんが3町がひとつになった町の町長になるつもりで、仕事をしていただきたいとお願いしたのを思い出した。 合併事務局の仕事は終わるが、町民の皆さんのために仕事をするのはこれからも変わらない。東部十勝の行政のつながり、広域の取り組み、団体の交流・協力など関連することは多い。 また、いつか一緒に仕事をできる日があるかもしれない。
3月5日(金)池田町  町内の誘致企業で、十勝産小豆をこだわり使用、全国的にその製品を展開している十勝製餡の野村社長さんが立ち寄ってくださったので、改修したばかりのレストランを案内し一緒に昼食。
 昨年の豆類の出来が良くなかったので、原料価格が高いようだ。原料原価が赤字になるのも覚悟で十勝産小豆使用を守ることもあるようだ。そのかたくなな姿勢が味を守り、消費者や菓子メーカーに評価されているものと敬服している。
 今年は、小豆にとってもいい出来秋を迎えて欲しい。野村社長はなかなかおしゃれな方であり、身に付けるものの調和が取れている。
3月5日(金)池田町  前日夜からうっすらと雪が降り、軽い雪が7,8センチほど積もった。 農業委員会事務局と臨時的に農林課が入っているに分庁舎の駐車場を、職員の皆さんが就業前に除雪しているようす。 脇の高い樹から風に吹かれて雪が舞ってきたので、思わずデジカメを出して瞬間ショット(上)。

3月4日(木)池田町  場所を町内スナックに変え、二次懇親会。町内で購入し町民の皆さんが町内生産の安心でおいしい牛肉を食べることができるよう、月一日でも「あか牛の日」を設定して、あか牛の良さをピーアール、地産地消に努めてはどうかとの意見が出ていた。「町長、除雪で思うことがある。農家の馬力の大きいトラクター、ダンプトラックが除雪時期は倉庫に眠っている。燃料代程度で地域の可能な部分の除雪排雪を頼んだらどうだ。」と貴重な意見もちょうだいした。 夜の席が続いているので、今回は少し早めに失礼した。
3月4日(木)池田町  ワイン城北側にある農業技術研究所で第19回になる池田町あか牛振興協議会の定期総会が開催された。農業関係団体の会議が重なり、出席者がいつもより少なめだった。
 地場産品の情報発信、販売促進に大きな役割を果たしている「ワイン城レストラン」で、いけだ牛のメニュウを含め、赤・白ワインを飲みながら懇談。
3月4日(木)池田町  2日前と同様、JA十勝池田町農業協同組合本所で開かれた「第15回女性部通常総会」。今年度はJA十勝地区女性協議会の50周年にあたり各種記念事業に参加されたようだが、昭和32年旧池田・利別農協婦人部発足から数えると46,7年になる。 夕市の会の取り組みを「もぎたて市」に名前を替え、本格的に取り組み、購入する皆さんに好評のようだ。
 「昨日の家族経営協定を紹介。食育(基本法制定)が取りざたされているが、地産地消、スローフード、都会ではできない農業者だからこそ実行できる取り組み、女性の皆さんの力は甚大です。自信を持って食の安心、農業経営を進めて欲しい。」、と挨拶。忘れずに町村合併と財政状況も加えさせていただく。
 食品加工、夕市の会、こだま会、若妻会、などの専門部の事業報告もなされたが、積極的な行動をしている頼もしい女性部である。
3月3日(水)池田町  その後どうだろうと、プライベートでワイン城レストランに行く。係の二人と一緒に町内スナックにワインの拡販。グラスのワインの量が多いように思うが少し量を減らさなければと常々思ってはいるのだが、ついつい・・・。
3月3日(水)池田町  「月間勝井町長」3月分の有線テレビ収録。 話題は町村合併協議の経過、ワイン城の改修についての2項目。 今月の一言は、新年度を迎えること、町の進み方の今後、ワイン事業の変化などの状況変化から 「心機一転」。

3月3日(水)池田町  農業改良普及センターを出て、池田警察署に時本署長さんを訪ね、しばし懇談。 署員の増員の話しも聞いており、町の安全はもちろんの事、活性会についても配慮していただき感謝している。
3月3日(水)池田町  十勝東部地区普及センターで行なわれた「家族経営協定調印式」。池田農政協で推進している農業・農村男女協同参画推進事業でもある。 常盤の山根さん一家(右)、川合の胡桃沢さん一家の二組である。 作業や家事、将来に向けての約束などを文字にして確認をしておくものである。下は胡桃沢が「話し合いで、できることを内容とした。父が65歳になった時に経営を譲渡することが含まれ、しっかり受けることができるようになりたい。」と堂々とした挨拶があった(下)。若き後継者二組の結婚式にもお呼ばれしてお祝いの挨拶をさせていただいたが、このように再度同席できるのは本当にうれしいことである。
3月3日(水)池田町  家の前の雪や氷がようやく融けた。 入札が消防署であったが、署2階から雪捨て場の様子を見る。暖かくなってきたたとは言え、この大量の雪が融けるのはいつ頃になるのだろう(上)。
3月2日(火)池田町  夕刻、十勝支庁長が来庁され、道州制の検討とこれから、保健所土木現業所、森づくりセンター、農業改良普及所の支庁に統合される支庁制度改革についての説明を受けた。道州制、支庁制度と市町村の役割は市町村民(道民でもある)にとって一体である。市町村合併を停止して、道の仕事と町村の仕事の関係、将来に向けての行財政のあり方を先に検討するべきでなかろうか。北大の神原先生がそのようにおっしゃっていた。
3月2日(火)池田町  JA池田町本所2階会議室で開催された十勝池田町農業協同組合青年部通常総会。 1年任期の役員で北西啓造部長から神谷一弘新部長にバトンタッチされ、その他の役員も若返ったようだ。写真は部員も監査しますとユーモアを交え、新監事の佐藤誠一さん。 新年度、地方交付税が激減が続き大変だが、草地整備、暗渠・客土等の畑地整備、営農用水など継続する農業予算に合併問題や三位一体(過疎地崩壊)改革などを挨拶に入れた。

3月2日(火)池田町  十勝東部任意協議会の26項目の協議を終え事務所位置問題が調整叶わず任意協議を閉じた経過報告され、委員会は継続することとなった「市町村合併調査特別委員会」。 10日開会の定例議会で行政報告する予定。 平成16年度の予算編成を終えたばかりだが、平成17年度以降の仕事をどのように進めることができるかが町の独自で行く場合の姿を急ぎ、相手先もあるが新たな合併の検討、そして広域行政、町村連合などがある。

3月2日(火)池田町  3月に入ったが寒い日が続いている。日中は陽が当たりだいぶ堆積した雪も低くなってきた。歩道からの伊藤川。鉄道橋の手前で清見2線川と合流している。
3月1日(月)十勝川温泉  池田土地改良区第50回通常総代会に出席。水田農業経営確立対策は今年度を持って終了、平成16年度から政府諮問機関の「生産調整に関する研究会」を経て決定された米政策大綱に沿って進められる。交付金が段階的に減り、平成22年度以降は国が直接生産調整を行なわなくなるとのことであり、池田町においても水田農業ビジョンを作成することが迫られている。 下は、ホテルロビーから十勝川、白鳥大橋と夕日が見える。夕方5時半頃だがずいぶん日が長くなったようだ。この後、町の行財政問題の勉強会に出席し、町のこれからは国の地方交付税次第であり、その減り方を予想しながら町の仕事内容を変え、組織もそれに合わせていくことが必要であることを説明させていただいた。
3月1日(月)池田町  池高卒業式会場の体育館隣には新しい建物が姿を現した。 総合学科転換になり、産業、福祉関係など新しいカリキュラムのための教室、教材・設備が備わる事になるが、その建物が竣工間近かである(上)。 下は在校生が卒業生の皆さんに向けた手形に寄せ書きをして祝っていた。壁には大きく「仲間」とあった。式での送辞、答辞も良かった。

3月1日(月)池田町  第55回北海道池田高等学校の卒業式に出席して、卒業生そしてお母さんお父さんなど保護者の皆さんに心からお祝いを述べ、合わせて亀山校長先生ほか教職員の皆さんにお礼を述べた。校長先生は式辞の中で新渡戸稲造の人生「立志」を話された。 自分は「勉学、スポーツ、文芸活動など3年間で培った経験、友人は人生の財産、大切に。地球上ではテロ、宗教や考え方の違いによる争いが絶えない、解決するのは文化・教育・国際交流。国際化・情報化の時代、皆さんの役割は大きい。十勝東部は地震台風など災害に打ち勝って現在がある。皆さんはこれから困難に立ち向かうが、逃げたり避けたりせず気持ち姿勢をしっかりもって向かって欲しい。」と期待と励ましの挨拶した。

池田町の最近の出来事へ