豆腐の歴史
発祥
「芝居が不入りなら忠臣蔵、おかずにつまれば豆腐汁」といわれるように、豆腐の大衆性は伝統食品の中でもきわだった存在といえましょう。
永い歴史の中で豆腐ほどその本質を変えることなく、僧侶、貴族、庶民へと受け継がれている食品も他に例を見ないのではないでしょうか。
日本人の食生活に深く根を下ろしている豆腐は、何処でいつ頃から食べられていたのか、諸説を紹介致します。
豆腐の歴史をみるとき、決まって登場してくるのが漢の准南王、劉安(前178〜122)
です。この劉安は、漢王朝の創立者で初代王の「劉邦」の孫にあたり、武芸百般に秀で学問にも超人的な才能を持っていたといわれます。
門下にも優れた学者がおり、世界的名著「准南子」を著しました。
中国では、一般に豆腐は前漢時代(紀元前2世紀頃)に准南王劉安が始めて発明し、
毎年9月15日は彼の誕生日なので、「豆腐節」と言われております。
ところが近年になって劉安説に異説が出てきました。
北京で出版されている月間総合雑誌(人民中国)に中国文化のルーツ豆腐と題して、
郭伯南という学者の文章が掲載されております。
一部を紹介しますと、漢代には准水流域にはすでに豆腐つくりの条件が揃っており、
創始者と言われる准南王劉安は、当地方の豆腐の作り方や道具を朝廷や、諸侯に献上したために、豆腐が広く伝えられることになったり、後世その発見者として名が伝わったのかもしれない。
中国の豆腐はもっと以前より、農民が大豆を煮て豆乳を作る作業の中から発見し豆腐が誕生したのではないかと書いています。
いずれにしても劉安は豆腐を広めたことに深く関わっていることになります。
日本への伝来
古くは奈良時代(710〜784年)に、中国に渡った遣唐使の僧侶等によって伝えられたとされていますが、明確な記録はありません。
豆腐が記録として登場したのは、寿永2年(1183年)、奈良春日大社の神主の日記に、お
供物として「春近唐符一種」の記載があり、この「唐符」が最初の記録とされています。
わが国で豆腐が造られたのは奈良、平安時代からといえそうです。
当初は寺院の僧侶等の間で、次いで精進料理の普及などにともない貴族社会や武家社会に
伝わり、室町時代(1393〜1,572年)になって、ようやく全国的にもかなり浸透したようです。 製造も奈良から京都へと伝わり、次第に全国へ広がっていきました。