『温故知新』


畠山 忠温
 
 陽が昇る少し前、ホテルの窓から遠くを眺めていると、まるで水墨画でも
みている様な美しい風景が飛び込んで来る。              
 漢江の朝もやの中、思い出したように船影がゆっくりと動いて行く。  
 騒々しい昼間の光景とは別世界のようなあの朝の美しい風景に私は何時も
感動する。                             
 誰が名付けたのか、朝、鮮やかなる国、朝鮮(韓国)とはロマンチックで
感動的な国名だと思う。                       
 私はそんな風景がたまらなく好きで宿をとる時は何時も漢江(ソウルの街
中を流れる川)に面した部屋を希望することにしている。        
 私が初めて韓国を訪れたのは今から二十年も前のことだ。       
 夜間通行禁止令や色々な規制があって今ほど自由にものも言えない頃だっ
た。                                
 観光バスの中でガイドさんが「現体制を批判するような言動や、共産主義
に同調するような行動を決してしないで下さい。情報部員がどこで目をひか
らかしているか判らないので、・・・・。」と、くどい程、注意していたも
のです。                              
 所謂KCIAが幅をきかせていた頃なのである。           
 あの頃、私は日光の猿よろしく、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」を
決め込み、旅行中は随分、神経を使っていたのを覚えている。      

  悪名高かったKCIAも今では安企部と名を変え、表には殆んど出て来な
くなってしまった。街の様子もすっかり変わり、まるで別の国のような気さ
えする。                              
 最近では国籍不明の近代建築が建ち並び、屋根の反り返ったあの韓国の伝
 統家屋がビルの影に追いやられ、淋し気に見えるのは私の思い違いだろうか。
 「古い伝統的な建物と、近代建築が美しく調和されて・・・」ともっとも
らしく言う人がいるけれど、私には無理矢理調和を押しつけているとしか思
えないのである。                          
 日本でも最近は苔の生えた藁ぶき屋根の家が姿を消してしまつた。   
 私が生れ育った田舎にはそんな藁ぶき屋根の家が結構あったのを憶えてい
る。                                
 田圃の向こうには水車小屋があって夕暮れ時には蛍が飛びかい、馬糞を満
杯に積んだ馬車が道を往来していて何とも言えない悠長な時代でした。今ほ
ど物も豊富じゃなかったけど、不自由を感じることもなかった時代である。
 日本にしろ韓国にしろ、伝統的な古き、よき時代のぬくもりが少しずつ姿
を消して行く、そんな気がして琳しい限りである。           
 温故知新を口にして古きよき時代を忍ぶのは、私も老けの年代に入ったと
言うことでしょうか・・・・。                    
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