私の見た中国
『中国人は中国語ができない』



東出 隆司
 
  中国に旅行した人、なんらかで滞在した人に会ってお話を伺うのは楽しい。
 中国について書かれた本を読むのも好きだ。それぞれの中国に対する印象は、
面白いほどさまざまだ。もちろん共通の部分も多くある。        
 それぞれの印象が大きく異なるのは当然と言えば当然のことで、中国にか
かわらず、ある事にたいする私の印象と、ほかの人の印象とでは違っていて
不思議はない。                           
 いわんや、あのように広い国のどこを切り取って「中国」とするか。何を
もって「中国」とすればよいのかが分からない。かてて加えて、私は専門家
でもなければ研究をしているわけでもない。概ね旅行者として、ある時ある
 処でかいま見た「中国」しかわからない。それぞれの人がそれぞれの「中国」
を書くことで、その一つ一つがちょうどチグゾー・パズルのひとコマ・ひと
コマのようになり、それらが合わさって一枚の大きな絵となれれば、と考え
ている。                              

  とにかく、かの国は広い。日本の二十六倍あるそうだ。ということは、全
ヨーロッパに匹敵するという。おまけに、多民族が住んでいる、となれば、
相手の使っている言語が時としてわからなかったとしても、全く動じない。
 中国でテレビを見ていて、中国人が話ししているのに字幕スーバーが流れ
ていたりするのは、そういう事情があるから。             
 逆に言うと、多少間違えていようが、まずかろうが、ちょっと中国語を使
えるか、相手の言う中国語を聞き取れれば、もうそれだけで、相手は私のこ
とを中国人だとみなしてくれる。どこか遠い所から来た、たどたどしい北京
語を話す人と、思うらしい。                     

  西安でのこと。我々が行く観光地は、あたり前のことだが、中国の人々に
とっても一度は行ってみたい所。全国各地からやってくる。       
 朝食前、ホテルの近くを散歩していたら、お母さんが、三才位の男の子の
手をひいてやってきて、この子がカメラをいじっているうちにおかしくなっ
てしまった、見てくれと言う。私は、カメラには詳しくないが・・・と言い
ながら見たら、簡単になおって、早速試しに一枚撮る。こういう場合、中国
の人はポーズに凝るので、子供にもああしろこうしろとなかなかうるさく、
私にもここから上半身を撮って等と注文が多い。撮り終えて彼女の何処から
というのに、日本からとこたえると、急にそそくさと礼を言っていなくなっ
た。                                
 どうやら彼女は私のことを中国人と思つていたらしく、日本人と聞いて驚
いたらしい。                            
 こうしたことが、実に度々あるのである。              

  大連という街に少し長くいた。毎日、買物に行く市場があって、中島廉売
の屋台のようなのがずらっと並んでいて、なんでも買えた。       
 そのうちの一件の果物屋さんにあし繁く通っていた。ときにおまけをして
もらったりもした。果物屋のおばさんは、朝鮮族だそうだ。そのせいか、日
本人にもよくある顔で、私の知っている人と好く似ていたので、勝手にマ工
ノさんと呼んでいた。                        
 ある日のこと、スイカを買おうと思ってマエノさんの所へ行って品定めを
してるところヘ、私が日本語を教えていた生徒達がやってきて口々に   
 「先生、スイカを買いますか?スイカ選べるんですか。」等とうるさい。
 独りで一個は多くて困ってたので、皆で食べようと三個買った。    
 次の日、マエノさんが「あんたは何の先生かね?」というから、「日本語
を」と答えた。どうもこのあたりから彼女は私のことを先生と思い込んだら
しい。                               

  日本へ帰る日が近付いたので、「来週帰りますからもう来れません。」と
言うと、お得意さんが一人滅るせいもあってか、それはもうとても残念がっ
てくれた。「ところで、あんた、故郷は何処?」と興味深げに聞いた。「日
本」と短く答えた。彼女は聞き取れないようだった。もう一度ゆっくり「ニ
ッポン」と、言ってみる。それでもまだ理解出来ないらしい。「私は日本人
で、予定の期間が済んだのでもう帰るんだ。」と説明したら、わかったこと
は分かったらしいが、そのまま固まったようになって微動だにしない。  
 そうとうショックだったらしい。                  
 彼女いわく、毎日のように会っていても私のことを中国人だと思って疑わ
 なかった。なぜなら、こっちの言うことは分かったし中国語を使ってたから、
という。私の中国語など知れたものだし、果物を買うのには、極初歩の中国
語で用足りる。                           
 だから、中国語がどうのこうのという問題より、多少わけのわからん奴が
居っても仲間と見なしてくれる程おおらかな国だということだろう。   
 そういう意味で居心地がいい。新彊ウィグルあたりの人は肌も白いし、目
の色も違う。そのせいか、一度友人のデンマーク人とマエノさんところへ行
った時も全く意に介していなかった。一体あの時彼女はどう思っていたんだ
ろう。ちなみにデンマークの友人は私よりずっと中国語が上手い。    

  昆明でのこと。石林一日観光というのに申し込んでバスに乗ると香港から
の若者グループ、福建の新婚カップル、北京から出張を利用して遊びに来た
という女の子を連れた家族ずれ、それに私達二人の十五人位の団体だった。
 香港人の提案でガイドを雇おうということになった。         
 現地で雇ったガイドさんは、サニ族という小数民族のかわいいお嬢さんだ
った。彼女は旅行客の相手をしているせいか、奇麗な北京語で案内してくれ
る。                                
 少しして何か様子のおかしいのに気付いた。             
 ガイドの説明が終わると、すかさず何事か大声で話す若者がいる。新婚さ
んも、新郎が何やら新婦にささやいている。              
 はは〜ん、どうやら香港グループで北京語ができるのは一人だけだし、あ
の新婦も新郎に通訳してもらってるらしい。              

  昼休みに、私達二人が日本人だと知れてしまった。ひとしきり騒いでいた
がこっちは彼達の話しがサッパリわからん。ただ一人北京語のできる若者が
強いなまりの中国語で、「お二人は華僑?」と、「いいえ、少し中国語を勉
強して、自由な旅行を楽しんでます。」と答えるとすぐに仲間の所へ取って
返して教えてるようだ。昼休みが終わりお互いうちとけたせいかはたまた昼
に飲んだビールのせいか、午後の観光は一層賑やかになった。事情の呑み込
めないガイドさんに若者が私達の事を耳打ちしたらしい。        
 ガイドさんは、「日本人が私の言うのが分かるのにどうして貴方たち中国
人がわからないのよ」と言うと、若者が何か通訳し、ドット笑い声が起こっ
た。何と言ったのと聞くと、「我々中国人は中国語を勉強しなければなりま
せん。」と言いました。「皆も賛成!と言ってます。」と高らかに笑った。
なるほどこの国は広い。(完)                    

隗報の目次へ戻る