『十二億分の一』


畠山 忠温
 
  もう二年位前のことだった、腹がへって通り掛かりに飛び込んだ店が茶館・
隗だった。                             
 耳慣れない中国の音楽が流れ、店内は中国のものと判るものばかり、多分
中国の方だろうと思い込み「中国の方ですか?」と尋ねた。       
  「いえ、私は日本人です。中国に興味がおありですか?」と逆に聞かれた。
 「いいえ全然ありません。どうしてですか。」            
 「今中国では日本語を勉強している学生が多勢いるんです。彼らは日本人
   と文通して生の日本語を学びたがっています。協力してもらえませんか。」
 「いや、私は手紙を書くのが苦手です。それに若い人達とは話題があいま
  せんでしょう。」                        
 「かえって年輩の方を希望しているようですよ。」          
 私は余り乗り気ではなかったけど、こんな会話が続いたあと、結局は引き
受けざるを得なくなってしまった。                  

  大阪のペンパル本部に私の住所、氏名を書いて送った。        
 一週間程してから紹介されて来たのが延辺大学で日本語を専攻している崔
玲さんと言う学生だった。ちょっと背伸びをした日本語だけれど言葉をひと
つひとつ選んで一生懸命書いているのが伝わって来る。         
 真面目で明るい学生と言う印象がとても強かった。月二回の定期便のよう
な文通が半年程続いた。暫くしてからの手紙に、「日本に留学するのが私の
夢です。でも我家の今の生活レベルでは夢のまた夢です。」と書いて来た。
 「私には何の力もないけれど私に出来ることがあれば協力する」旨の返事
を書いたのが縁のはじまりだった。                  

  あとで判ったことだが彼女は「協力する」と言う意味を、私が日本での身
元保証人になり、こちらでのすべてのことを引き受けると解釈したらしい。
 中国では日本留学の話がどんどん進み、父親からもよろしく頼む旨の手紙
が来た。私は「聞いてないよ」の心境だったけど、気がついたら受入れ学校
を捜すのに走り回っていた。しかし、函館の両大学には日本語を教えるコー
スがない。まして八月途中からでは尚更、都合が悪いと断られた。    
 それでは高校へと思い白百合高校へお願いに行った。最初は一年半の長期
留学は今迄に受入れたことがないので・・・と余りよい返事を頂けなかった
が結局、入学金、授業料免除の特別待遇を頂き入学を許可された。    

 そして入国管理局へと走り廻り彼女の日本留学が実現した。      
 彼女の思い違いが幸を招いたのである。               

  あの時私は茶館・隗ではなく他の店で食事していたら多分彼女との縁はな
かっただろうし、又、彼女の日本留学は実現しなかったと思う。縁とはこう
いうものかも知れないし、「不思議な縁」と一口で言ってしまえばそれ迄だ
が、中国十二億の人口の中のたった一人、つまり十二億分の一の縁だったの
である。                              
 その十二億分の一の玲ちゃんも、日本に来て早や五ヵ月になる。今では日
本語を自由にあやつっている。又、彼女は何でもよく食べる。      

  私は「ホイド」と言う言葉の意味を教えた。彼女は「ホイド」の意味を知
っている。                             
 先日、私と一緒に食事をしていた時、私は玲ちゃんの「オカズ」をひとつ
取って食べようとした。突然彼女は私をにらみつけ「ホイド」と言った。一
瞬びっくりしたけれど、何ってことはない私が教えた言葉だった。思わず苦
笑いしながら悪い言葉を教えてしまったものだと反省している。     
 玲ちゃんは日本留学中、多くの日本人と知り合い、色んな日本語を覚える
だろう。そして背負いきれない程の土産話を背負って中国へ帰って行く。 
「私の将来の夢は日本と中国の通訳官になること」だと言う。      
 何年か後に延吉市で「ホイド」と言う言葉を話す中国の通訳官がいれば、
それは私の故だと思う。                       
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