一九九五年一○月四日、私は、北海道婦人国際交流派遣団の一員として、 中国を訪れた。北京ーハルビンー長春ー上海ー蘇州ー上海の一○日間の旅で あった。そして、これは、私にとって最初の中国旅行であった。 二年半、中国語を学び、事に連れ書物を読むうちに「これは、なんとして も、中国に行かなくては」と企んでいたのだ。正にラッキーである。 書道から始まった唐の国への個人的興味は、激しく移り変わる現代の中国 へと移行し、今や私は、この国に潜む独特の国民性に魅せられていた。 この機会が、もちろん有意義な最高の旅になった事は言うまでもない。た だ、いい気になっていた第一日目、私は、中国から熱烈ならぬ痛烈な歓迎を 受けたのである。
始めての外国旅行に行く私は、当然ながら、初めて外国人になるのだ。手 初めに、飛行機の中で約半数が中国人、残りが日本人という状態になった。 私はスチュワーデスつまり中国人である彼女を今までにない好奇心をもって 観察していた。それは、日本に居る時には決して持たない強い好奇心であっ た。どこの国の人間に対しても差別感情を持たない国際人の科子女士として は誠に申し訳のたたない恥ずべき失態である。 分析するに、私は「日本の中の外国人に対してのみ、寛容になれる」とい う島国根性しか持ち合わせていなかったのだ。「してあげる」という低次元 なおごりの精神そのものだ。だから、どこの国とも言えない空の上で、あれ ほど魅了されていたはずの中国人女性を意地悪精神で見つめていたのだ。
自責の念に落ち込みかけていた時、眼下にとてつもない広大な黄色い大地 が現れた。それは、見たこともない大きさであった。「北京だ。北京だ。」 それまでの肩の力が抜けた。「構えなくてもいいよ」飲み込まれそうな大国 に、そう教えられ私は、とたんに、お腹がすきだした。