『福州からニンハオ』


小坂 広司


 お変わりありませんか。                                         
 CCTV(中国中央放送)が日本の大雪を映していましたが、いかがでし
たか。                               
 早いもので福州での生活五ヶ月目に入りました。二月一日より二八日まで
冬休みでゆったりと過ごし充電していました。生活の慣れは早かったのです
が、大きく変わる気候にからだが慣れるのは大変です。一月末あたりから曇
りがちで、そろそろ雨季だと聞いていましたら、二十五〜二十七度Cという
汗ばむ暑さが四、五日あって、道を散水車が走りました。ところが、二月十
九日の春節(旧正月)を過ぎたら五度前後の冷たい日となりました。昨晩は
本格的な雨で道は水びたし、雨に煙る家々の小景がロマンチックな異国情緒
を感じさせました。しかし、この気象の変化は老骨にはこたえます。   

  お正片のお祝いが二月というのもちょっと面食らわせます。冬休みでこの
師大キャンパス一帯も一万五千人の学生が帰省した事もあって静かで、それ
でも禁止を破った爆竹が遠慮がちに(?)少々鳴っていました。大晦日の晩
はここの呂振万楼の招待の福州料理の祝宴がありました。三十数人もいる中
国語専攻の日本人留学生を初め多数は、旅行や一時帰国ですが、居残り組の
アメリカ人教師、アメリカの女性の中国美術の研究家、韓国、日本の留学生
と私どもが、宿舎の職員と共に家庭的なお祝いをしていただきました。  
 お雑煮に代って福州の郷土正月料理の「そうめん」もごちそうになりまし
た。十メートルもある長い手造りそうめんで、鶏のぶつ切り、丸い鶏のゆで
卵が一個入っている濃めの鶏だし塩味スープで、なかなか美味なる元旦の朝
の味でした。長寿と家庭円満を祝っての一九九六年のスタートでした。  
  縁起物では桔子(みかん)も大吉を招くというのでお互いに贈り合います。
私どもの元旦の祝膳は中国に来て初挑戦のお赤飯とおでんでした。中国産の
もち米と小豆です。ふたりでゴミや石、くずを取り除きながら、戦後のひと
時を思い出していました。中国製電気炊飯器で蒸します。おでん種には福州
製の「豆竹巻まめちくわ日本ロ味児」と袋にひらがなで書いてある、ちくわ
も入りました。ささやかな和食で例年より五十日後れの二人だけの静かな新
年を祝いました。                          

  CCTVも春節のお祝いムード一色で国をあげての芸能特集という感じで
す。おとなも子供も出演し、歌、ダンス、曲芸、奇術、漫才ありとバラェテ
ィに富んでいます。国営でも平常は多量のCMが放映されているのですが、
この時ばかりはまったくありませんでした。              
 先だって、福州にある華僑中学の創立記念の式典に招かれました。「ホァ
ンイン・ホァンイン」と紅・黄とりどりの手旗で生徒に迎えられるままに、
式典の会場の体育館に入りました。ところが、正面の雛壇に座らせられ、会
場いっぱいの参列者を前にして、「日本人教師・・・」と二人が紹介される
という光栄に浴しました。これも数多い初体験の一つです。中国人の外国人
に対してのもてなしの厚さにうれしいやら、恐縮するやらの一日でした。 

  私どもの部屋を訪れる人も増えだし、賑やかです。          
 学生が大挙して二十二名も押しかけてきて茶道の手ほどきに大わらわの晩
が縁で週一回の教室開きとなりました。もちろん妻の活躍です。先々週の日
曜には、福州で知りあった農大の日本人教師と連れの日本人・中国人の四人
に、別棟にある厨房で、和食の手料理をと、ちらし寿司、天ぷら、ひじきの
煮もの、ポテトサラダ、もやしわかめ・トマトのサラダ、かきたま汁を振る
舞いました。野菜の豊富・新鮮さは日本と比べようもありません。中国語と
日本語がとび交う国際色豊かな昼食会でした。             

  休みの一日、八○四年空海が仏法を求めて入唐し上陸を許されて、一時や
すんだ開元寺を尋ねました。ここ福州の城内(今は城壁はなく、言葉だけで
す)にあって何度か再建したのでしょうが、それもすたれたままで修復せず
に、巷の庶民の家々のはざまで経典も、阿弥陀様の脇に山積みされている無
造作にかえって仏法の慎ましさを中国で初めて感ずる事ができました。この
地の人が春節に合わせて咲かせる水仙が鉢にかわいい花を咲かせて、清楚で
した。                               
                              福州にて
                                小坂
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