『中国人なら中国語が出来るのか』


木村 哲也
 
 小生はフランス語の教師を生業としているが、中文出身の変わり種だ。現
実に、単に中国人留学生受入れの面倒見だけでなく、中国への短期留学の引
率も引き受けている。中国文学などの研究はしていないが、話すのは中国語
のほうが得意だ。                          
  さて、フランス語だけ出してきた教科書会社が初めて中国語のを出す際に、
たまたまながら編集協力をさせてもらった。元の専門の中国語で声がかかる
ときは、むしろいつでも面はゆい。さて、この「隗報」では隗のマス夕ーの
 東出さんが「中国人は中国語ができない」という題での連載をされているが、
小生にはそこまで言えないものの、前述の中国語教科書編修過程で「中国人
なら中国語ができるのか」ということを痛感させられた。        

  そのことを、なるべくわかりやすく述べる。             
 昔の中国語の先生に紹介してもらった中国人の話す日本語は、私の話す外
国語よりはるかにうまい。しかし、原稿はどうにもいただけない。手書きな
のは仕方ないし、初級の語学教科書は、ある意味では辞書の原稿のようなも
ので、加除訂正が激しくなる。しかし、編集部が中国語はできないのを割り
引くにしても、お粗末と言わざるを得ない。              
 新出のみ挙げるはずの単語欄に挙がってる単語は、だれかが並べ直せば済
むかもしれない。直した本文に振られていない発音記号も、わかる人がつけ
ればよいかもしれない。しかし、本文に必ずつけられている日本語訳との不
一致は、どちらを優先すべきかわからないこともある。そもそも本来これら
のことは著者がきちんとしておくべきことだ。             
 さらには、練習問題に未出の文法事項も混じっていたりする。穴埋め問題
でのマスの数がどうしても合わない、などなど・・・・・後から後からだ。

  編集好きの私が、編集者になり代って、丁寧に清書し、矛盾を指摘し、直
すべき方向性を指示する。だが、著者としてのプライドや、小生の外国語よ
りうまい日本語会話力が原因でかそのことを不快にさせるらしい。    
 日本人の著者にも、かようなことは往々にしてあることだし、また、中国
人を中傷することが本稿の狙いではないので誤解のないように願いたい。さ
て、日本人ならだれでも日本語教えられるとは限らないのは、理解されるよ
うになってきたと思う。しかし教師なら、だれでも中国語の教科書を作れる
ように思っていまいか。                       
 そんなことはなく、たとえ会話力などは劣っても、中国語の教科書の編集
能力はあるということはないことではない。他の語学ができれば十分に応用
が利くということもある。                      
 もちろん、だからといって編集能力だけで、執筆ができるわけではないこ
とは言うまでもない。その両方があって、よい教科書ができるはずである。
著者がすべてではない。                       
 いろんな思いをしたが、でき上がった教科書は隗で手にできるので、マス
ターまで。                             
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