今からもう七〜八年も前のことであるが、大学三年の春休みに私は中国へ ぶらりと一人旅へ出かけた。学生の気安さもあり、一ヵ月気ままに見たいと ころを硬臥車とバスの旅。改革解放路線がまだ軌道に乗り始めたばかりのこ ろである。海外旅行と言えば、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアと学 生達にも人気の国々はあると思うのだがなぜ中国ヘ・・・・・。
当時国文科にいた私は、勉強しない学生だった。友達との付き合いは、そ れはそれとして自分の人生における原体験的なものにはなりえたが、大学生 であるという充実感は自分にはなかった。おそらくそれは本来中国文学科に 進みたかったのに、自分の怠惰が原因でそれがかなわなかったひっかかりが どっかにあったのだと思う。勉強しようと思えばどんな環境でもできたはず なのに、大学入学後は志低く怠惰な生活を重ねていた。あと一年で大学も終 わり・・・これまでの生活が無意味であったとは決して言えないはずだが、 学生としての本当に意味のある生活を取り戻す起死回生の一発を期待しての 旅だった。卒業論文のテーマ(中国神話と日本神話についてのもの)も教授 に伝えてあったので、四月の授業に間に合わなくてもいいつもりででかけた。 (実際、新学期しばらく授業に出ていなかったので、指導教授は私が中国で 立派に大陸浪人しているものと思い込んでいた。)
旅での出会いは新鮮だった。新しい時代の幕開けにむけて熱心に勉強して いる自分と同じ大学生。鋭い質問を矢継ぎ早に浴びせて来る。言葉が全くの 不足でうまく会話できないのがもどかしい。また北京に留学中の京都大学の 学生。「うーむ、みんな勉強しとるな」この感想が旅行中の最大の収穫。大 学生活四年目にしてやっと学問する喜びに開眼したような気がした。「自分 の勉強を見つけよう。」(その割に怠け癖は相変わらずだが・・・・・) その昔、杜甫が登った岳陽楼に、今の私自身が登ってる。そんな時空の不 思議さにひたりながらこれからの人生のことをちょっとだけ思った。いやは や、ちょっとカッコよすぎるかしら・・・・・。