私の見た中国(四)
『裸のおつきあい』



東出 隆司


 中国から戻った時、何に一番困りましたか、と聞かれた。中国にいる間に
も、向こうの方に、何かお困りのことはありませんか?とも聞かれた。  
 私は食べる物に関して言えば全く問題なかった。いやむしろ太ったくらい
だ。日常の様々なことで時に腹立たしいことがあっても、逆に楽しい事も有
ったし、それにこうした事は別に中国でなくとも世界中どこに居てもあるこ
とだろうから、と思っていた。確かに不便なことはたくさん有ったが、それ
は、あれが有れば便利とかこうした方が合理的とは思ったが、その分ほんの
ちょっと労力を使ったり、時間を多くかければ大概の事は用足りることだっ
た。                                
 「郷に入っては郷に従え」が口癖のようになっていた。        
 だから私の答えはいつも、別に何も困るようなことは・・・、と言ってた
が、実は一つだけ有った。                      

  余りに取るに足らないことなので、言わずにいたが風呂に入りたかった。
それも大きな浴槽に湯を一杯にはって入りたいと思っていた。日本にいた時
とりたてて風呂好きという訳でもなかったのに何故か無性に入りたい。  
 中国の人は余り浴槽に入るということに執着しないようだ。だから中国の
 人に風呂に入りたいというこちらの感情がどこまで伝わるか自信が無かった。
日本の人には、風呂に入りたかったというと、風呂が無いのかと誤解されそ
うで、言い出しづらい。                       
 実際、私は毎日浴槽こそ無いが、シャワーは使っていた。中国語では入浴
することを、洗澡(シーザオ)という。字ずらからもどうも洗うということ
に重きがあるようだ。                        

  毎日入っていた大学の宿舎にあった浴室は三畳程の脱衣場がありその奥に
 十畳程のシャワー室というものだった。シャワー室の中はすべてタイルばり。
壁にずらりとシャワーが取り付けられていた。あとは何も無い。いたって殺
風景このうえない。壁に富士山の絵とはいかないだろうが、万里の長城の絵
でも書いてくれればいいのに。その殺風景さと何処か暗い感じがして、留学
生達は、アウシュビッツのシャワー室と呼んでいた。          
 前号のトイレの話もそうだが、今回の風呂の話も、私には男性用の方しか
分からない。浴室は各階の同じ位置にあり、各階毎に男性用・女性用と決め
られていた。建物の中程にあるのに、換気扇が無い。空気が乾燥してるから
いいようなものの、もし、日本でこんな建て方をしたら、カビだらけになっ
ちゃうだろう等とよけいな心配までしちゃう。             

  大きな浴槽といえば銭湯だ。中国にだって銭湯はある。私が今だに残念に
思っている一つが、銭湯に行きそびれたことである。大連に一体何件銭湯が
あるかは分からないが、四件の場所は知っていた。何時か行ってやろうと思
っていた。                             
  そんなある日、大学院で気象学を専攻してる呉さんが遊びに来た時のこと。
なんの話からか風呂の話題になった。これ幸いと中国の銭湯の中の様子など
色々尋ねる。呉さんも大連の銭湯にはまだ数度しか行ってないという。私の
知らない銭湯だったが、そう違いも無いだろうと思った。まだ一度も中国の
銭湯に入ったことがないことを伝え、是非体験の為行ってみたいと言った。
  私の目的は、体験もさることながら、大きな浴槽に入ることにあったので、
以前ある人から聞いていた銭湯の名を上げた。呉さんは、そこは行ったこと
がないが、よければ一緒に行って見ましょうか、という。        
 一人で行ったのでは細かい処で不安はあるし、一回いけばあとはもう様子
も分かる。それに加えて風呂に入りながらくだらん話をあれこれとするのも
悪くない。裸のおつきあい、というやつだ。              
 この機を逃してはならないとあせった。少し強引だったが、次ぎの日行く
約束をした。                            

  翌日、待ち合わせ場所に呉さんは、もう一人連れて来た。面識はあるが余
り話したことのない韓国の留学生だった。彼も行きたいと言うものですから
・・・・と呉さんはどこか申し訳なさそうに言う。なあに、二人が三人だろ
うが私は一向かまわん。なにせたっぷりの湯にゆったりつかれるのだ。挨拶
もそこそこに行きましょう、と言ってバスに乗った。          
ここまでは良かった。韓国の李さんも初めてだという。呉さんがいろいろ教
えてる。あと少しで銭湯という頃、李さんが大きな声を上げた。もうすぐそ
こなのに行かないと言い出した。二人の会話は途中から韓国語になった。な
んだ呉さん韓国語もできるのか等と感心してるうちに、二人のやりとりは益
々激しさを増してきた。呉さんの説明では、中国の銭湯には修脚(シュウジ
ャオ)といわれる浴場専属のようするに足専門のお医者さん?がいて、うお
のめや、たこを治おしてくれる。ここの修脚は腕がいいので有名。彼にそれ
を勧めたら急に、そんなことをするなら行かないと言い出したらしい。  
 別に入ったら必ずそれをしなくちゃならんというわけじゃないでしょう、
と私。その後も李さんは譲らず、何となく気がそがれて終い、この日はその
まま帰った。ドンツゥー(東出)一人で行ってと言うが、このまま一人入っ
ても二人が気になりのんびりなど出来ない。あきらめて一緒に帰った。これ
が一度目。                             

  二度目はこうだ。断水でシャワーが使えないと昼頃知らされた。夕方知人
から電話が有った。夜おじゃましていいですか?という。向こうが時間を指
定した。私はいつものつもりで、その時間は風呂です、と答え相手も宿舎の
シャワーはある一定の時間しかお湯が出ないことを知ってたので時間を変え
ようとしたその時、私が気付いた。そう言えば今日は断水で・・・。   
 入りたいですか?と聞かれて、はい、と答えると、じゃあこちらまで来て
下さい一緒に行きましょう入れますよ、という。チャンス到来とばかり勇ん
で出かけた。えてして幸運は向こうから転がり込んで来るものだ。    
失敗もあって、取る物も取り敢ず待ち合わせ場所ヘ。遅れてやって来た彼に
 前回の連れられて行ったのは、彼の職場。こちらが勝手に銭湯に連れてっ
てくれるものと思ってただけで、何のことはない、自分の職場にある風呂に
入れてやろうということだった。                   
 中国の単位(ダンウェイ)とよばれる職場は何でも揃っていて、風呂もそ
の一つ。宿舎よりずうっと大きいシャワー室に、その割には小さめの浴槽が
あったが、習慣の違いからか、浴槽の縁に腰かけてのんびりするという雰囲
 気ではなく、回りを見回しても皆サッサと洗ってサッサと出て行ってしまう。

  という訳で、今だ中国の銭湯に見離され、旅行で行く分にはホテルに泊ま
ると風呂には困らないのでついつい銭湯の事を忘れてしまう。何時かのんび
り裸のおつきあいをしてみたいと思ってる。              


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