『一九九二年の家計簿から』


安田 則子


 一九九二年四月から九三年一月まで主人の仕事の関係で中国遼寧省鞍山市
で暮らしました。手元に当時の家計簿があります。毎日の収支を簡単に記入
したノ…トです。「四月四日両替一万円、三九三.五七元」から始まり、 
「二月二日香扇、一四〇元」で終わっています。少し黄ばんだこのノートを
開く度に当時の生活を思い出します。                 

    九月七日                           
 味素 (化学調味料)     二.〇元              
 掛面 (干しうどん)     〇.八元              
 豆油・二斤(大豆油)     四.五元              
 精塩・二斤(塩)       〇.六五元             
 緑豆巻・半斤(日本語?)   〇.四六元             
 青椒・一斤(ピーマン)    〇.六元              
 洗衣粉(洗濯洗剤)      〇.六元              
 牙膏・(練り歯磨き)     〇.六八元             

  記憶が定かではありませんが、この記録の内容から想像して、この日私は
近くの自由市場で食料品を買い、中心街のデパートで日用品を買ったのだと
思います。                             
 味素は字の通りです。味精と言うこともあります。外見は日本のものとほ
とんど同じ透明な顆粒です。「○○だしや」「XXスープの素」などはほと
んど見かけなかった鞍山で、我が家のうまみを支える唯一の化学調味料でし
た。鞍山の友人宅でも大体はこれを使っていて、なかなか良い味でした。掛
面(中国の簡体字では右側の“ト”がない)は多少腰がないのを除けば日本
の干しうどんと同じでした。鞍山ではこのほかに手打ち麺や生の冷麺も売っ
ていました。                            

  私が中国から持って帰りたかった品物の第一が豆油の一斗缶です。(この
願いは果たせませんでした。)豆油は大豆から作られる油で紅茶のような色
をしており、その独特のなんともいえない良い香りが、懐かしい思い出とと
もに脳裏に蘇ってきます。サラダ油もごく稀に見かけましたが、中国の方達
は普通皆空き瓶を持って量り売りの豆油を買っていました。この年の五月頃
まではいろいろな物が配給制で、この油もそうでした。配給ノートのような
物を持って近くの国営糧店(米・小麦粉・油などを売る店)へ買いに行かな
ければならず、外国人である私たちは友人にこのノートを借りて買っていま
した。でも間もなく自由市場の個人商店で油や米・小麦粉を自由に買えるよ
うになりました。緑豆巻は縁豆でんぷんを水で溶き、加熱したあと薄くのば
して冷やしたもので、べろべろしたそれをくるくると巻いて売っているので
この名前が付いているのかもしれません。千切りにしてきゅうりなどと和え
物にして食べます。このころはまだ気温の高い日があり、冷たい和え物が食
べたかったのでしょう。                       

  青椒はピーマンです。色の濃い立派なピーマンが市場の地べたに山積みさ
れ売られています。今朝採ってきた物だから新鮮です。注意しなくてはなら
ないのは辛い物と辛くない物が混在していることで、選び方を教えてもらう
までは涙が出るほど辛いピーマンを含べたりしました。真偽のほどはわかり
ませんが、畑に植付けるとき唐辛子をピ‐マンの近くに植えるのでピーマン
も辛くなるのだと聞きました。                    
 洗衣粉(洗濯洗剤)は日本のように箱に入った物は見かけませんでした。
砂糖の1kg袋くらいの大きさのビニール袋入りで、粉末です。計量スプー
ンは付いていません。洗濯機での使用で特に不自由は感じませんでした。 
 牙膏(練り歯磨き)は容器がビニールでないこと以外は日本の物と特に変
わったところはなく、香りも種類もいろいろあり、日本との合弁で作られて
いるお馴染みのブランドも見かけました。               
 野菜や肉について言えば、鞍山の物は新鮮で味が良かったと思います。毎
日旬の野菜を買い、新鮮なうちにすぐに調理しておいしく食べるという生活
を続けたためかご元々太っていた主人と私は更に太って帰国しました。太っ
たにもかかわらず出国前まで良くなかった主人の肝機能値(コレステロール
値要注意)が改善されるという嬉しいおまけまでつきました。日用品につい
て言えばさほど不自由は感じませんでした。              

  鞍山では商品の品質が必ずしも均一ではないし、価格も一定ではありませ
ん。それで、「買物をするときは、ためつすがめつして、欠陥のない物を買
う」「いつでも友人、知人に品物の値段を聞いて情報を仕入れておく」とい
う習慣が身につきました。                      
 日本ではもっぱらスーパーで買物をしていた私にとって、鞍山の自由市場
での買物は、正直言ってしんどいと思いました。「討価環価、タァオジャア
ホァンジャア」(値段の交渉をすること)などとてもできなかったので最初
の頃はまわりの中国人の方の買値をよく聞いてから同じ値段で買いました。
品物の良し悪しもよくわからず店の人に笑われたこともありましたし、値段
をごまかされたこともありました。毎回消費者としての能力をテストされて
いるような気がしました。                      
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