私の見た中国(五)
『中国の台所事情』



東出 隆司


 今回は、中国の台所事情の話しだが、日本語の「台所事情」には「経済事
情」の意味もあるが、私に中国国家の経済状態を論じれる訳がないので、純
粋に中国一般家庭の厨房に関する話しだと察して戴けると思う。     
 中国にいる間に幾度か食事のご招待にあずかった。私にとってはどこぞで
開かれる宴会よりこうして各家庭に招かれる方が嬉しかった。ただ、そうし
た時はお客様なので、私が伺う頃にはもう料理その他準備万端出来上がって
いて「台所事情」は窺えない。                    
 そこで、すこし親しくなった頃を見計らい「料理を覚えて帰りたい。早め
に伺いますのでこの前の××料理を教えて下さい」と言って、これをキッカ
ケに台所に入れてもらおうという、よこしまな考えでお願いをしても、大概
簡単に「可以・クーイー(いいですよ)」と言ってくれる。       
 これは有難い。御馳走になったうえに、料理が習えて、台所事情も知るこ
とができる、一石?鳥にもなりそうだ。                

  中国の住宅の広さは分かりずらい。何せ柱も無いし、建具も三尺とか一間
という大きさではないので仲々部屋の大きさが計りずらい。だから私が伺っ
た何件かのお宅も、大体二畳か三畳位の広さに思えたが、案外もう少し広か
ったのかも知れない。                        
  日本の台所と比べて違いがあるのは、物が少ないということだ。たとえば、
所謂中華鍋ひとつ。これさえあれば何でもできる。中国で一番多い料理方法
いためるはもちろんのこと、揚げる、水をはってセイロをのせ蒸す、これら
総てをこの鍋ひとつあれば自在にできる。おまけに食事が終ったあと鍋は洗
いオケにもなる。御存じのように中華料理は食べる時は大皿に盛って皆で頂
くので作った料理の種類の数だけの皿と、人数分の取皿さえあれば良い。私
はおよばれで行ってるから料理の数は普段よりずっと多いだろう。それでも
使ってる食器の種類は限られている。おまけに中国の家庭はおおむね一年中
中華料理を食べている。                       

  一方、日本の台所はどうかというと、物で溢れている。        
 和食、中華、フランス、イタリア料理用の食器類が処せましとひしめきあ
っている。力レーにはカレー皿、グラタン皿、ラーメン丼お茶を飲むにも日
本茶とコーヒーと紅茶ではそれぞれ違い、これらが来客にも備えその数だけ
用意されてるから物凄い数になる。更にこれらを作る為の様々な道具。かく
して日本の台所は物、物、物で溢れている。              
 中国の台所は小気味良いほどシンプルだ。              
 これが一番の違い。                        
 厨房が狭いせいか、何か他に事情があるのか氷箱ビィンシャン(冷蔵庫)
が居間に置いてあるのにはどんな理由があるのだろう。日本製(日立)のツ
 ードアだったが、中まではさすがに余りにあつかましすぎて、見せて下さい、
とは言えなかった。                         

  厨房と居間の間にはドアーがついている。普段は開け放しになってるよう
だが、おそらくこれは油を多用する料理が多いのでそんな時の為だろう。窓
の無い厨房のお宅も多いから換気扇がフル稼動してもドアーが閉められた厨
房はモクモク立ち上がる油気でそれはもう大変。油そのものの精製が良くな
いせいもあるのだろう。                       
 精製といえば、どうも中国のプロパンガスも日本のと違い専門的な事は私
には皆目分からないのだが、不純物なんかが多いのではなかろうか。   
 その証拠に中華と言えば強い火力、というのを想像するが、プロパンガス
の詮をひねってちょっと間をおいてからやおらマッチを近づける。もし日本
で同しような事をしたならボン!という爆発音と共に火が着くか大変なこと
になるはず。ところが中国の人達のやり方を見てるとシューシシユーいって
 から火をつける。それでもボッといって何事もなかったかのように火が着く。
不純物が多いせいではなかろうか。だから私はガスを着ける時こわごわやる
ので、「東出ドンツゥーは怖がり」というがガスの恐ろしさを知らないから
だ。そういえばプロパンボンベの配違などない中国では自転車の荷台に縛り
つけてでこぼこ道ではドンドンいわせて運んでるが、あれでも大丈夫なとこ
をみると危険物扱いになってないようだ。日本では扱える人はそれなりの資
格者でなければならないのに・・・。都市ガスの場合でも今ひとつ火力が弱
いように思えるのは私の気のせいだろうか。              
  ちなみにガスのことは煤気メィチーといいガス代は煤気費メィチーフェイ、
電気代が電費ディエンフェイ、水道代は水費スゥィフェイといい、どの国で
もこれらの出費は頭の痛い問題らしく、「××が今月はどうしてこんなに多
いのか」等と言って大騒ぎしてるのはどこの国も同じ。         

  中国の男性は実によく台所仕事をする。言い変えれば、料理をする。「男
子厨房に入る」というやつだ。料理どころかその前に買物もする。太学では
とても厳しいと評判の先生が大きな体、いかつい顔つきで体に似合わない小
さな買物篭をぶらさげて市場を行ったり来たりしてるのを見るのは何となく
微笑ましくもある。ある日バスを待っているとこの先生が後からやって来て
「ドンツゥー市場で野菜を買う時はあっちの店の品物がよい」と言い、バス
の中でも、今何が安いか、何処の店の品質が良いかを事細かに教えてくれた
のは有難いが、ちょうどこの日はたまたま韓国の留学生と一緒だった。バス
を下りるやいなや彼は笑い出した。二人のバスの中での会話はまるで主婦の
それだと言うのである。確かにむくつけき男二人があっちのキュウリはどう
だのという話しは少し可笑しいかも知れない。この買物指南の話しは後に少
し話しに尾ひれが付いて留学生の間では何時の間にか誰でも知るところとな
った。                               
 とにかく男性と言えどそれくらい詳しいのである。料理の腕前の方も数を
こなしてるせいか手際も良いし、味も旨い。              

 およばれで行って、度々こういう事があった。その家へ伺うのは初めて、
奥さんを紹介してもらったとおもったらもう御主人の方は厨房ヘ。なにせ奥
さんとお会いするのは初めてでもあり、話題が限られているから、一通りの
話しをしては次ぎの話題を捜す。その間も次々出来上がった料理が出て来る
し、厨房からは絶え間なく美味しそうな音と香りが。何品作るつもりなのか
テーブルの上はもうすでに置場もない。皿と皿の上にもうひとつ上手に皿が
重ねられる。時々厨房から料理を運んできては手をふきふきひたいには汗を
にじませ、「どんどん食べて。」と言ってくれる。この間奥さんはずっと私
と座ってる。話しが進まない分箸のほうはどんどん進んでたらふく頂戴する
ことになる。「いつもこうですか?」と恐る恐る聞いてみたら、「料理は彼
の方が上手ですから」とのアッサリした答え。彼女の名誉のために言ってお
くが二回目伺った時は彼女の料理を美味しく戴いた。いずれにしても私の言
 いたいのは日本では台所というと女性の独壇場だが、中国ではそうじやない。

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