『青い城』


飯酒盃 琢一


 中国内蒙古自治区、呼和浩特(フフホト)市。塞外の古都。        
 この街で、私は6度目の冬を迎えようとしている。           
 大陸性気候の中にあるこの街は、夏は35℃を越え、冬は零下25℃を下回
る、乾燥した大地の上に立っている。日に日に寒くなるこの街の人々はまるで
その寒さに抗うように、今日も明るく、暖かい。             

 この街は、決して物理的に恵まれているわけではない。飛躍的に発達する中
国現代科学の恩寵も、万里の長城によって半減されているようだ。北京中心部
 などではあまり見られなくなったロバの荷車も、繁華街でいまだに健在である。
中国で、住みたくない都市ワースト10に数えられるこの街も私が選んで来た
のは、そこに汚れ無き中医学と蒙古伝統医学があると信じたからだ。日本で大
学在学中に、怪我で両手を失いかけた私を救ってくれたのは、中国伝統医学だ
った。何よりも、最後まで希望を持てと励ましてくれたその姿勢が、嬉しかっ
た。そしてその一件が、私に大陸へ渡ることを決意させた。ここに来れば、何
かがつかめる。そう思ったのだ。                    
  地理的条件からか、この街には、様々な民族が共存している。漢族、蒙古族、
朝鮮族、回族、などがその特徴を保ったまま、お互いに支え合って生活してい
る。イスラム系の小学校の向かいにラマ教寺院があり、その隣には蒙古舞踏の
専門学校があるといった雑多な風景は、たちまち私を魅了した。出会いもたく
さんあった。私に京劇の二胡を教えてくれた漢族の王老師、心意六合拳を教え
てくれた回族の白老師、今の臨床実習の先生は蒙古族の包老師、行きつけの料
理店の老板(店長)は朝鮮族だ。数えればきりがない。街の人々は皆、人なつ
っこい。一度一緒の飯を食べ、杯を交わせば、もう朋友である。他人の壁は、
そこにはない。                            

 内蒙古と言えば、大草原。パオに住む遊牧民。どこの草原がいいかと友人に
訊くと、皆、口をそろえて「シリンゴルへ行け」と言う。「あそこに行かなき
ゃ、草原を見たなんて言えないよ。」と。夏休みに、ちょうどシリンゴル出身
の友人が帰省するというので、同行させてもらったことがある。車で西へ飛ば
すこと11時間、痛くなった腰を上げたその先には、膝丈の草花が、地平線ま
でを埋め尽くしていた。夕方にはその草の海が赤く染まり、日が沈むと、空に
光の川が出来た。パオでの楽しい夕飯のあと、昼間に馬に乗って擦りむいた膝
  をなでていると、彼のお父さんが、コップを持ってきた。「自家製の馬乳酒だ」。
  無造作に注がれたその酒は、酸っぱい匂いがした。飲んでみると、少し甘い。
まるでヨーグルトを水で薄めたような味で、まるで酒という感じがしない。う
まい、と言って飲むと、お父さんが笑う。「うまいだろう。たくさん飲め。す
ぐに気持ちよくなるぞ。」2時間後の私の姿は、想像するまでもない。外で星
を見ながら身体を冷やしていると、友人がそばに来て言った。「この空は呼和
浩特では見れないよなあ。」                      
 私の中国語の恩師、王先生の子供に日本語を教えに行った帰り友人の言葉を
 ふと思い出して、空を見上げた。空は澱んで、星はおろか、月さえも見えない。
呼和浩特市は、隣の包頭市と並ぶ工業都市だ。包頭市の鉄鋼と、呼和浩特市の
衣料は、共に中国人民を立派に支えている。その代償は、あの透き通るような
空だった。                              

 呼和浩特(フフホト)とは、古い蒙古語で「青い城」という意味らしい。その
名残がわずかに郊外に残っている。青みがかった煉瓦で立てられた民家がそれ
だ。昔、このあたりの土には、微量の銅が含まれていて、その土で作った煉瓦
は、古くなると青味が増したのだと、博物館の人が教えてくれた。春節(旧正
月)が近づくと、濃いもやの中で青い壁と赤い爆竹が、何とも言えない絶妙な
コントラストを作り出す。以前はこの青い壁が町中に広がっていたのだろう。
今は近代的な建物の陰で、ひっそりとその姿を。横たえている。      
 中国の近代化の力は、強く大きい。私が学ぶ中国伝統医学の世界にも、その
波は覆い被さって来ている。かつての蒙古伝統医学・骨傷術の権威も、その多
くは整形外科医となって、中国全土に散らばっている。現代医学と伝統医学の
境界が無くなるのは、素晴らしいことだ。中国がますます進化してゆく事は、
自分の国のことのように嬉しく思う。だが、そこに一抹の寂しさも感じてしま
うのは、私だけだろうか。                       

 私は一年後にこの街を去ることになった。呼和浩特、青い城。悲劇の美女、
昭君の眠る街。私にいろいろなものを与えてくれたこの街は、これからどのよ
うな変貌を遂げていくのだろう。                    

                            2000年9月
                              飯酒盃琢一

隗報の目次へ戻る