『秘密の夢』


小坂 廣司
 ここに、中国の外国語学院日本語科の学生の夢を語った文章がある。   
 鄭素萍さんという学生はこうつづっている。              
 
 「去年のある日、初めて日本人と会った。当時、私は簡単な会話しか話せま
せんでしたけど、当時の私にとってはとても嬉しかったことですが、日本人と
話している時に分からないところがまだたくさんありますから、それからもっ
と一生懸命に勉強しなければならないと思っていました。その上に、先輩が日
本人とぺらぺら話しているのを見るたびに私はいつも、羨ましいなあ、と思っ
て、自分はいつかそんなにすらすらと日本人と話し合いできたら、この上ない
と思っています。夜、ある日本人とぺらぺら話している、いい夢はたびたび見
ました。そして、何回もそんな夢を見ているうちに思わず笑い出しました。そ
の時、同じ部屋に住んでいるクラスメートが度々それで目を覚められてしまっ
て、心配そうな顔をして私に、どうしたの鄭さん?、と聞いて、私はただ、秘
密ね、と答えました。その時、彼女たちは不思議に顔を合わせて、また深く眠
りに入りました。実は、この夢の実現はわたしのかねてからの希望です。」 

 実にほほえましいエピソードである。彼女が夢にみるぺらぺらの日本語、そ
れが、夢の中で実現できて、うれしくて思わず笑い出した、それを私の大切な
「秘密」にしておきたいという、そうしたひそやかな大きな喜びが、そっくり
そのままこちらに伝わってくる。外国語の学習に励んだとき、夢の中で語る外
国語に無上の喜びと励ましを自己にひきだした経験はだれにもあることだろう
が、ぺらぺらという語にこめられた彼女の実現への願いが、彼女の熱意と共に
強く感じられる。冬至の日を迎えるという地元の習慣の席にと、彼女達の住ま
いに招かれた。彼女達の学生寮の部屋は殺風景な建物の四階で、下に工場が覗
かれる窓が一つ、両壁に二段ベットが二つと一つ、それに机を寄せて、そのベ
ットとベットとの間の人ひとりが通れるくらいの生活空間という居室で、私ど
もはベットに腰を下ろした。きびしい寒さの冬も、換気のため、窓を開けっ放
しにするという、その部屋で三年間学習を続けた彼女達の辛抱強さとそれにも
ましての努力には、頭が下がる思いであった。              

 彼女達の、その寝ぐらともいえる狭い六人部屋に、携帯ガス器具を用意し、
市場でもち米粉を買い込んで来て、客の私どももいっしょになって、丸いだん
ご作りに精を出し、ゆで上がっただんごをごま入り黄な粉にまぶして、皿に盛
り、林檎、蜜柑とともに、ご馳走とお喋りを楽しんだ、心暖かい歓待を受けた
日を私どもはいまだに忘れることができない。学生達は普段はほとんど外食で
ある。                                

 学生達が夢にまで見る日本。それは、いつかTVで見た、        
  「高速電車が富士山の横を向こうに走って行っている」(蔡捷敏・君)  
という情景であり、彼等があこがれた日本は、              
  「私はもう隣の島国の日本に魅かれました。女性の美しい着物姿、きれい
   な桜、秀麗な富士山・・・」(林秋蘭)              
という、象徴的な日本の姿であったのだが、日本に興味を抱いたのは、高校時
代に読んだ歴史の教科書の文章の、次の記述に注目したからでもあった。  
 日本と中国は一衣帯水の両国で、両国は前者から文化・政治・経済などの分
野における交流を盛大に習慣も残っています。当初中国は日本からも利益のあ
るものをたくさん導入しました。                    

 長い歴史の中で、友誼と往来を重ねて来た日中両国への関心、つまり、好奇
心と共に知識欲求が学生達の心を揺さぶったのであろう。         
 中国の若者としての課題を、学生の一人、(柯成明君)は次のようにつづっ
ている。                               
 今、中国は改革解放の政策を実行しています。経済は一層発展します。発展
途上国から近代国家まで前進するために皆が一生懸命です。日本はすでに近代
化しています。先進的な科学技術を持っていますですから、中国と日本とは各
方面でお互いに助け合うはずです。日本から先進技術を導入します。早目に近
代化を実現します。一言でいえば私は中国の前進および中国と日本の往来と友
誼のために日本語をえません。                     
 この確信に満ちた語調にも深い決心が伺える。そしてまた日本は、ひとりの
学生の次のことばに端的に示されたように、甘い蜜のしたたる魅惑的な国でも
あるのだ。                              
 「今、日本語を通じて日本で生活するという夢をもっています。そうしたら
  一生を楽に越します。」(郭建安)                  

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