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August 2004
<8月分日記 01-10>
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1日(日)
更新作業


かなり大掛かりになっているし。
溜めていた間に何らかのイベント・動きがあったためかと思われる。
とても人事のように言っているが、全然人事じゃないし。
この分じゃ終わらねぇ。


2日(月)
放置の代償


まだまだ、大丈夫とは思っていたのだが。
当サイトのLivlyにて飼っているトビネのバウンス。
「書く語り記」の更新は致仕方ないとして、家出させてしまっていたとは。
飼い始めてから100日少々しか経っていないのだがなぁ。

これだから生き物は目が離せない。


3日(火)
遊びじゃないだろ


少し前の話になるが、同様の話題で触発されたので本日分として。
遊びじゃなければなんなんだ。
そう突っ込みたくなること必至の出来事であった。

元ゼミの同期と集まったときのこと。
適当な大衆居酒屋にて飲んでいたのだが、自分たちの座った席がどうにも宴会部屋に近かったようで、そこから漏れてくる掛け声がかなり良い感じに聞こえてくる。
有体に言ってしまえば「うるさい」ということなのだが。
その中に標記の「遊びじゃないだろ」という掛け声が含まれていたのだが。
「遊びじゃないんだったら一体何なんだ」
「仕事なのか」
「そんな仕事があったら是非それをやりたいね」
それぞれ皮肉なのか、本気なのかわからぬ口調である。
我々一同、結構荒んでいたのかもしれない。


4日(水)
皆が皆 口をそろえて 言う言葉


ですから、コンタクトにはしてませんってば。
裸眼ですよ裸眼。

職場の人にも、そして本日会ってきた前の職場の友人にも言われた。
通常時眼鏡をしている人間が眼鏡を外したとき、何故にそれが「=コンタクトに変えた」ということになるのだろうか。
いちいち、
「今眼鏡作ってる最中なんですよ」
と答えるのも面倒になってきた。

・・そう思いながらも、
「実は今、遠視・近視・乱視全部持っている状態なんですよ」
というのを話のネタにしているというのは否定出来ないんだがな。


5日(木)
自らの足跡


人は、自分の足跡をどう振り返るのだろう。
他人に聞かされることで思い出したり、気が付かされたりする。
また、自分で書き留めていたものを見て、思い出すこともあるだろう。
一番簡単な手段は、自分の頭で思い出すことである。
だが、それらの手段を取ることが出来ない場合、どうなるだろうか。
それは「忘れてしまった」ということである。
なんらかの足跡を、どういった形かで残している(或いは残っている)はずなのに、記憶の片隅にすら残っていない。
それは少々悲しいことでもある。


聡い方はもうお解りであろう。
俺がこういった類の偽論理調の書き方をすると言うことはどういうことか。
つまりは、本日何をやっていたか「忘れてしまった」という事である。
必ず何かはやっている(「やらかしている」ではない)筈なんだがなぁ。


6日(金)
人の少なさ


8月と言えば老いも若いも夏休みの季節である。
長かろうが、短かろうが、世間的にはそうなのである。
平日であれば人でごった返している通勤電車も、少しのゆとりがある。
そのため、このときばかりは「電車は涼しい」という感覚が戻ってくる。
このままの状態が続いてくれればいいのになぁ。


7日(土)
更新に費やす日


何度か(とくくれるほど短いスパンではないと思うが)に一度の更新ではこういう事がまま起こる。
単純に溜めておいた自分が悪いのだが。

カタカタというキーボードの音と、カチッカチという傍で聞いていると耳障りな音だけが空間を支配する。
・・・。
・・・。
(数時間経過)
よし、出来た。
Diaryも結構溜まってきたもんだ。

以前ネットサーフィンしていた折に通りすがったサイトで、日記を逆引き形式にしているところがあった。
一ヶ月一ページで構成されているのだが、各々の日付に必ずタイトルをつけている。
このタイトルを五十音順に並べて辞書のような形に仕上げているのだ。
日付順に追って読むもよし、気になったタイトルからその部分の日記のみ読むもよし。
なかなか使い勝手が良かった。

考えてみて欲しい。
全く知らない人間の日記を、ただ順に読み進めていって面白いだろうか?
確かに日付を追っていけば前後のつながりは自ずと見えてくるし、書き手の雰囲気も伝わってくる。
しかし、その辺りを拾い上げていくまでが結構な時間がかかってしまう。
日記だから面白い部分もあれば、そうでない部分もある。
それならば、自分の感性が「これならば読む」という項目があったなら、読み手としては非常に効率が良いではないか。

・・・と、頭では思ったのだが。
そのための作業を考えると頭痛いんだよなぁ。
おまけに、一塊に出来ると想定して書いたものは殆どColumnに記しているから意味無いし。
そう。
とても魅力的な逆引き形式だが、Columnの役割と被ってくるのである。
つまり、The Places にとっては不要の代物だったということである。

ここまで考えつくのに一体、どれだけの時間を要したのだろうな(振り返り)。


8日(日)
申年の赤


既に残るところ5ヶ月を切った本年。
忘れかけているかもしれないが、申年である。
しかも今年は巡り来る申年の中でも最も良い申年らしい。
申年と言えば思い出すのは12年前の出来事。
忘れたくとも、12年周期で思い出す歴史的事項が起きた。

「申年の赤い下着というのは縁起がよい。
そして、申年の人がそれを送るのは更に縁起がよい。
故に、流、このパンツに『申』と書きなさい」
そう言って、母の命によりじーちゃんばーちゃんに上げるためのパンツ(白)のタグ部分に、油性サインペンで『申』と書かされた記憶がある。
なにゆえ白パンツだったかといえば、この頃はまだ赤パンの流行が無く、店頭に無かったからという単純な理由である。

先日、前の職場の友人と夕食を共にしたときに、上記の申年パンツの話が出た。
俺がその昔実際にやった(もとい、やらされた)という話をしたところ、
「おばあちゃんに送ろうかな」
と、いたくお気に召した様子。
勿論彼女も申年生まれです。

(この辺りで先が読めてきた人もいるかもしれない)

今日も今日とて日曜らしく俺はぐーたら過ごしていたのだが、その間に母は買い物に行っていたらしい。
昼もかなりまわった時間に起きて、昼飯を食っていると母が、
「赤いパンツ買ってきたから」
というではないか。
先日の友人との会話がフラッシュバックする。
つまり?
「はい、サインペン」
ということらしい。
尻に当たる部分に『申』と大きく書いていないものだったので、まだマシだったと思う。
聞いた話によると、赤パンに黄色文字で『申』と書かれているものもあったらしい。
申と書きつつ思った。

このままで行くと、次の申年も同じ事をやる羽目になりそうである。


9日(月)
慣れた仕草


人それぞれ、多かれ少なかれ「癖」というのはあるだろう。
例えばそれは、無意識に鼻を掻く癖だったり、苛立ったときに頭をぐしゃぐしゃっとかき乱してみたり。
本人は意識せずにやっているのであまり気がつくということはないが、ふとした瞬間に「あ、これなんか癖みたいだ」と思うことがある。
とっさに出てしまうものだから「癖」なのであろうが、それもときによっては非常に滑稽だったりする。

本日眼鏡が出来上がってくるまで、久々に長期間裸眼だった自分。
それまでは特段の事情(運動や就寝)が無い限り、小学生の頃から常に眼鏡と共にあった。
そのためだろうか。
つい、癖が出てしまったんだよなぁ。

眼鏡のレンズ枠部分を持って、位置を直・・・そうとして物が無いのに気がついた。
装着状態でやるのならば全く違和感は無いが、何も無い状態でおもむろにやってしまったのだからなぁ。
パントマイムでもあるまいに。
職場であったが、幸いPCに向かっていたときだったので、誰にも気がつかれなかったようだが。

無意識の動作って怖いねぇ。


10日(火)
眼鏡の話


昨日、仕事帰りに眼鏡を取りに行った。
かけ具合を調節してもらいそのまま装着して帰宅。
「かけていて違和感少なく楽な眼鏡」として選んだのだが、まさか耳かけ部分がデザイン的な理由でこうなっていたからかけていて楽だったとは気が付かなかった。
通常、耳かけ部分は落ち難いように耳の輪郭に沿って割りに曲げてある。
軽い眼鏡や長時間かけない場合ならばこれで全く問題はないが、レンズやフレームが重いもの・長時間使用者にはかけている耳が痛くなったりする弊害がある。
今回のは傾斜がそんなに深くない。
いうなれば、軽く差し込むといった形だろうか。
おかげで耳は楽だが、その反面下を向いたり走ったりという激しい動きには注意が必要(滑り落ちる可能性があるから)、との事。

家族の反応はといえば。
「一歩間違えるとざーますメガネ(by姉)」
・・・。
やはりそうきましたか。
レンズが細く、眼鏡の端の部分が少々上がり気味に見えるから仕方ないのか?
それほどでもないと思うんだがなぁ。
色も割合落ち着いたものだし。
自分の給料から割合したら少々高く感じるが、眼鏡には妥協せん。

淡いいぶし銅色で、細い縁。
フレームをチタン製のにしたのと、レンズが薄くなった関係で眼鏡がかなり軽い。
やはり軽量化は嬉しいなぁ。

久方ぶりにまともな眼鏡をかけたせいか、視界がすこぶる狭い。
まさに「フレームに区切られた」視界である。
自分はよく目の端でちろっちろっと物事を見る癖があるので、そうすると大半のものが「レンズなしの視界」になる。
・・・眼鏡の意味ないやん。
少なくとも、乱視入っているほうの目はきちんとレンズ越しで見ようよ、自分。


2004.August
続く暑さ、8月

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