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July 2004
<7月分日記 21-31>
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21日(水)


思い返してみると特段何も無かった日であった。
そう思っていたのだが、少し後に頭の中にあるネタ帖に埃が被っていてあったネタを忘れていただけであったということに気が付いた。
年をとるとこういうことが増えてくるから嫌だねぇ。
元からだろう、というお約束の突っ込みは無しである。

閑話休題。

職場から帰るときのルートは主に自分の場合2通りである。
1階で降りて徒歩約20分強かけて練り歩いて最遠近駅に行くか、地下1階まで下って殆ど歩かずに直接地下鉄を使用するか。
最近はあまりに暑かったためあまり運動(これには単純に歩くことも含まれる)をしていなかったので歩くか。
陽も落ちているし、そんなに暑くはないだろう。
意気揚揚と1階で降りる。
エントランス部分横の扉から出ようとしたときに、視界の右端を何か黒いものが横切った。
カサカサカサ。
そんな擬音で表される昆虫の代表。
ゴキブリであった。
久方ぶりにあんな立派な大きさのものを見かけたよ。

夕闇に混じりて歩き始めること数分。
あまり下がっていない気温に辟易とし始める。
しかしながら今から引き返す方がはるかに面倒臭い。
てくてくと歩き続ける。

歩くことに集中しているわけでも無く、イヤホンから流れてくるラジオの音声に耳を傾けているでも無く歩いていると、だんだんと足の違和感に気がついてきた。
なんというかこう、足を運ぶ度にさわっというか、ざわっというか、そんな感覚が来るのである。
患部は恐らく足の指周辺。
もしやこれは・・・水虫発症?
水虫の原因である白癬菌は多かれ少なかれ誰しもが持っているものであるのでその可能性も否定は出来ないが、それにしても妙に唐突な気がする。
体力落ちてる所為なのかなぁ。
足に意識が向いていくにつれて、更に痒さが増していく気がする。
なんてこったい。
気が付かなければ良かった。

だらだらと歩き終え再遠近駅に着き、電車に乗って乗り換えて地元最寄駅まで電車に揺られて行く。
ドア入り口付近に立ち、ぼんやりと街灯に照らされた町の風景を眺める。
高架線上を走っているので丁度町を見下ろす形となる。
暗いと温度を感じさせないからいいなぁ。
そんな風に見やっていた。
車内クーラーの効きの悪さもあまり気にならない感じだ。
このときまでは、比較的心穏やかだったように思う。

車窓からの風景の一つに、小学校がある。
夜の8時を回った小学校は、音も無く静かに見え・・・るはずであった。
校舎自体は暗かったが、体育館には明かりが点いていた。
恐らくママさんバレー等で使用しているのだろう。
また、何故か地上1階に配されているプールにも明かりが残っていた。
プールいっぱいに張られた水に光が反射している。
底に引かれた赤線がやけにはっきりと見えた。
ちらっと見えた限りでは、監視員と思しき影と水中に入っている人の計二人。
人は多くないようだ。
ここからプールに飛び込みたいなぁ。
不意にそう思ってしまった。
実際にことを為すには、電車を止めて手動でドアを開け、超人的な脚力にてドアから飛び立たなければとてもじゃないが実現は出来ない。
少なくとも足の筋肉を鍛えることから始めなくてはならないだろう。
さもなくば、高架下に直行ダイイング、となってしまう。

暑い中だと更に思考が変な方向に向きがちだ。
家最寄駅からてろてろと歩きながらしみじみと思った。

なお足の痒みは、家に帰ってから足を見たところ蚊に刺されただけであると判明。
足の人差し指。
なんとも微妙な部分を刺していくものだ。


22日(木)
歯科最終

始まりがあれば終わりがある。
ようやっと歯医者通いも今日で終わりだ。
本来の治療目的である歯は先週(7/15(木))で終わっていたのだが、「歯石が少し付いているのと、歯のクリーニングしましょうか」ということで今週もと相成った。
無論断るのは可能であるが、ここまでやったのだからついでだしなぁ。

「先週付けた歯の方は大丈夫ですか」
問題ないです。
さて、歯石取り開始。
普通に先の細い引っ掛けるものでガリガリと取っていく。
しかしここの歯医者、本当に痛みとか無いなぁ。
薄らぼけっと口を開けて作業を見守る。
「はい、口ゆすいでくださいね」
口をゆすぐと、歯石の欠片っぽいものに混じって血が。
血が出る=歯肉が傷ついている。
しかし、痛みは全く無かった、ということは?
・・・歯肉が弱っているのかな。
途中、医者が他の患者を診るために移動して、歯石取りを歯科衛生士と交代。
(書いているときに「歯科衛生士」と「歯科助手」の違いが気になったので以下参考までに。
「歯科衛生士」は国家資格、「歯科助手」は民間専門学校出でOK。
両者の大きな違いは、「歯科衛生士」は「歯石取り、型取り、歯列矯正器具を外せる」等の点にある。
(参考リンク:「えあんずすくえあ」内「歯科衛生士とは。」))
少しして選手交代し、元の医者に戻り更に作業を進める。

「超音波用意して」
何に使うのだろう?
それから少し後、
「機械使いますけど、歯を削るものではありません」
と断りを入れ、面的に歯石が付いている部分に鈍く回転するような機械を当てた。
って、この感覚は。
じわーっと神経に直接痛みが襲ってくる。
約2週間ぶりの感覚である(7/9(金)参照)
あれは超音波だったのか。
この感覚はある意味で忘れられん(汗)。

そんな感じに歯石取りが終わった後はクリーニング。
こっちもまた上記の超音波を使うのかと少々冷や冷やしていたのだが、使わなかった。
歯磨き粉に類似したクリーム状のものを歯の表面(口を開けたときに見える上下約4本ずつ)に塗り、表面をこするように機械を当てる。
ものの5分ほどで終了。
あっけないものであった。

「お疲れ様でした」
これで本当に終了である。
当初の予定では6月中に終わらせるはずだったのだが、思いの外伸びてしまった。
おかげで日常生活に差し障りが無い状態に戻ったわけだが。
「歯は大切に」
今更ながらこのフレーズが染み入るようだ。


23日(金)
唐突ながら


「世界の中心で愛をさけぶ」ではなく、「職場にて唐突に叫ぶ」をしてみたいと思った今日この頃。
単純にストレス発散したいだけかもしれない。
暑さのせいか、ストレスゲージが常よりも底上げされており、また常よりも溜まり易くなっているようだ。
なお、上記に流用させていただいた「世界の〜」であるが、映画も見ていなければドラマも見ていない。


24日(土)


「ペが云々」
「ペ人気」
「ペ効果のせいで」
「ペがどうした」
「ペっ」

・・・。
一体何事かと思われる出だしである。
既に我々の中では「ヨン様」というものの認識はない。
むしろ敵と見なしても良いだろう。

話を少し遡るとしよう。
だらりだらりと9月中旬以降に行く予定の旅行について決めていた我々。
一応のパンフレットは持っていったのだが、腰を落ち着けた場所が駅前という立地条件もあり、ついでだからということでその近辺に置いてあったパンフレットも集めてくることにした。
結局のところ他の案も出ず、最終的には持っていった韓国パンフの中から決めることになったのだが、上記会話はこの決める最中の出来事である。

現在巷では韓国ドラマ「冬のソナタ」のおかげで韓国ブームが巻き起こっている。
そして、その俳優の中でも特に日本の女性陣(主に中年層辺り)に人気なのがペ・ヨンジュン。
サッカーの貴公子ベッカムの時同様、何故だか「様」付けで親しまれている。
そんなペ・ヨンジュン。

「冬のソナタ」人気にあやかってか、韓国旅行ツアーのいくつかにこの「冬のソナタ」めぐりのようなものもある。
また「冬のソナタ」関連の場所に赴くわけではなくとも、泊まるホテルに「ヨン様ポストカードプレゼント」というものがあったりと、その影響は計り知れない。
「ペの所為で韓国旅行もこんなに値段が上がったんだ」
などと、謂れの無い疑いをかけられる始末。
全て笑い事ですが。

笑い事ですまないのは、旅行の中身。
とりあえず決めたはいいが、これで本当に確定しちゃってもいいのかなぁ。
「休みが確定できないので、今回は流す」
と言っていた人が、
「土日祝日なら大丈夫だった」
とナチュラルに旅行会話に参加してたりするからなぁ。
何せ、今回行く面子全員で決めたわけではないので一抹の不安が残る。
一抹、どころで済みゃいいが。


25日(日)
似非バイオリニスト


左肩にはいつもの鞄。
右肩にはバイオリンケースを下げている。
そして空いた手には大きな花束一つ抱えた姿で俺は立っていた。

つーか姉よ。
いつもながらのことだが、俺は演奏を聞きに行っているのであって荷物持ちに行っているわけではない。

本日、姉の所属しているオーケストラの演奏を聞きに行った。
このオケは姉と同じ大学・学年の人が立ち上げたもので、今回の公演で2回目。
いわゆる「好きな人が集まってやる」といった類のものである。
指揮者やソロのチェリストが自分と同じ年齢だったりと、若さ溢れるところがポイントである。

母と共に電車に揺られること1時間30分あまり。
午後からなので比較的ゆっくりだった。

以下曲目。
1. 劇付随劇<マンフレッド>序曲 作品115 (シューマン)
2. チェロ協奏曲第1番ハ長調 (ハイドン)
3. 交響曲第4番ホ短調作品98 (ブラームス)
そしてアンコール。

ホールの音響が比較的良かったのと指揮者も団員も若いので波長が合いやすかったというのもあるのだろうが、(学生オケと比べる辺りで間違っているのかもしれないが)大学入りたての頃の春オケに比べたら格段に上手くなっているよなぁ、なんて母としみじみ話していた。
そういえば姉のを聞きに行くのもかなりぶりだったしな。
クラシックをゆっくりと聞く機会というのはなかなかないが、久しぶりに良かった。


26日(月)
月曜日


先週は平日が4日間しかなかった所為だろうか。
それとも、土日両方とも外出していた所為だろうか。
やけに出勤が辛い。
というか、行き着くまでが面倒臭い。
なんだか五月病と同じ状態っぽい。
しかしながら、働かざるもの食うべからず。

まぁ職場に行ったら行ったで、なんらかは普通に手に付く。
だが、まだ月曜日だというのに既に
「今週の土曜日は何をしようかなぁ」
などと考えている辺り、少しばかり上の空とも言えなくも無いが。

通常平日が5日間で当たり前なのに、それからたった1日変わるだけでこんなに気分的に変わるのだから、やはり祝日(土・日除く)は大切だなぁ。


27日(火)
矛盾


書かなければ書かないで「書きたい」と思い、書き始めればそれはそれで「面倒臭い」となる。
なんとも矛盾した思考である。
しかしとて、「頭の中で整理整頓する」ということが上手く出来ないから書き出すのであって、やはり書かなければ余計に頭の中はこんがらがったままとなってしまうのである。
ああ、矛盾。


28日(水)
風に負けて


日本付近を通過する台風は、通常南海上で発生し西から東へ流れていくルートを取る。
しかし、今回発生した台風は珍しいことに東から西へ通り抜けると予想されている。
なかなかお目にかかれない現象だ。
この台風の余波か否かはわからないが、昨晩は心地良い北風が吹き続いていた。
真冬に北風は勘弁であるが、真夏のそれは大歓迎である。

扇風機の設定を弱+リズムにしておかないと寝られなかった連日連夜であるが、昨日はその必要は無かったらしい。
だが、どうにもいつもの癖でボタンを消さずに寝てしまった。
おまけに窓も閉めずに寝ていたものだからなぁ。

朝、通常の起床時間より早く目が覚める。
十分に冷え切ってしまったためである。
寒さで目が覚めるとは、秋葉流何ヶ月ぶりかの不覚(なお、前回は今年引いた風邪のとき(Diary 2004.01.15「鬼の霍乱」)参照)。
ここしばらくご無沙汰だった掛け布団と久しぶりに寝所を共にすることになったとさ。


29日(木)
タイムラグに花が開く


また段々とDiaryに時差が。
時事ネタをあまり取り入れていないので、そう鮮度は変わっていないとは思うが、まめに書いて上げていたときとそうでないときの差があからさまになっているなぁ。
更新履歴を見れば一目瞭然。
常ならばここまでへこまないが、あるサイトの更新具合を見てしまったからなぁ。

ここ最近あまりネットに潜っていなかったので、お気に入りに入れているサイトも一部分のみしか行っていなかった。
以前フリーゲームを落として、その攻略関係のためにブックマークしていたサイトがある。
そこは一応本来的には自作ゲームをメインに据えているが、最近は日記とFlashに偏りつつあるところで、しかしとてそれはそれでなかなか楽しかったりする。
で、このサイト、結構日記一日の文量が多い。
そしてほぼ毎日更新している。
・・・つまり、少々見に行っていなかっただけで、かなり未読部分が溜まってしまっていたという・・・。
いや、それだけなんだけど。
すこーしばかり、自分の所の更新不具合が気になってしまったというかなんというか。

こうして考えると、まめに更新しているサイトのすごさが非常に身に染みる気がするよ。


30日(金)
旧きから学ぶ


雑学、というのはあくまでも雑多なものである。
「数学」「世界史」等大まかに分類されているものに比べると、全く不明確なものである。
しかしながらその特性故、非常に難解な部類に入るものもあれば、自分のようなものが首を突っ込めるほどのささやかなものまである。
一般的に雑学というものが好まれる傾向にあるのは、前提となる知識があまり必要としない手軽さが良いのだろう。

さて。
なにやら国語の教科書に載っている系統の文章になってしまったが、ここからが本題である。
書こうと思いつつもいつまで経っても筆すら取らぬ状態で、放置されていることすら忘れ去っていた台湾旅行について。
だんだんとまとめることすら面倒臭くなってきた。
かくなる上は、思い出した部分だけ随時Diaryに載せて、上手く量が溜まってきて気が向いたらまとめてColumnに移行させるという古典的手法(何)を取ろうかと(雑学の売りは手軽さですから)。
単純に今日の作業中に旧漢字という関連物資を見つけたので、書きたかっただけなのだが。


台湾では、現在でも日本でいう旧漢字(繁体字)が恒常的に使われている。
「国」「学」等の旧漢字はわりに今の日本でも使われているのでお馴染みのことだろう。
それらの少々煩雑に見える繁体字が町中の看板には当然のことながら溢れている。
現在の中国(ここでは台湾を含めない)ではこの繁体字とは逆に、非常に簡略化された漢字(簡体字)が常用漢字として使われている。
例えば、「閉」を「才」と書いたりするものである。
一見分かりやすいようで全く意味が違ったりもするものもあるので少々ややこしい。
その点、まだ繁体字で書かれていたほうが意味が分かりやすい。

さて、ここからが忘れられないものである。
人によっては「そんな話題を載せるな」というかもしれない。
しかしまぁ、一つ読んでやって欲しいと思う。

台湾にも無論弁当屋は存在する。
おかず数種を自分で選んで詰めてもらい、これに白飯の大小を指定するという形式だそうだ。
繁体字では「弁当」は「便當」と表現される(注:「当」の旧漢字「當」は「富」・「冨」とは全く別のものである)。
持ち運びが出来て「便」利で、種類に「當」んでいる事からだそうだ。
非常に合理的な名付けである。
日本も昔は繁体字が使われていたので「便當」という表記が用いられていたのだろうが、どういった経緯(法律的意味とは別に)で「便」が「弁」に、「當」が「当」と中てられるに至ったのかが少々気になるところである。

白飯の大小指定は、「大便」「小便」と言う。
いえ、冗談とかそう言うわけではなく。
ツアーガイドの説明なので、流石に嘘は言っていないだろう。
「日本人のお客さんに説明すると、いつも驚かれるんですよね」
と、にこにこ顔のツアーガイド(推定年齢40歳のおじさん)。
そりゃなぁ。
わかっちゃいるけどあまり注文はしたくない。

・・・という旅行の思い出を、本日の作業中に旧漢字の「當」が出てきたことによって思い出したのであった。
昼飯前だったんだよな・・・。


31日(土)
眼鏡は顔の一部です


一週間ほど前、微妙な頭痛・気持ち悪さに見舞われていた。
眼鏡の矯正が合わなくなっているという感じがあったので、それが原因かもしれない。
そう思ってそれからこっち眼鏡はかけずに過ごしていた。
眼鏡無くとも問題なく生活は出来るし。
はじめの一日は多少の頭痛が残っていたものの、その後はすっきり。
以来かけるのを止めていたのだが、やはり右目と左目の視力に差があるため、少々の違和感は付いて回る。
「そうだ、眼科へ行こう」
思い立ったのはついぞ前の話。
しかしとて平日は帰宅時では間に合わぬ故、本日行くことに。
恐らく、ある意味では視力が良くなり、ある意味では視力が悪くなっているんだよなぁ。
症状の見当は付いていても、自ら処方箋が書けるわけではない。
行くのが面倒くさくても、行くしかあるまい。

小学校上がるか上がらないかぐらいから眼鏡をかけていた自分。
故に、眼科も昔は行きつけの所に一年に一度は視力検診も兼ねて通っていた。
目を患っていたとかそういう原因ではなく、単なる幼児性遠視(目の筋肉が発達しきっていない状態。成長と共に正常視になる。しかし度合いによっては矯正せずに放っておくと弱視になり結果失明という危険性も有り)。
年一度とはいえ、兄弟そろって一緒に行っていたので医者の覚えも良かったらしい。
喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら。

そんな思い出のある眼科も、今では公立病院の統廃合に巻き込まれ無くなってしまった。
おかげで今回は新規の所である。
それにしても、今までのカルテが無いって不便なことだねぇ。
昔から遠視だった事やらなにやら一から話さないとならないのだから。
行きつけの医者は作っておくべきだわ、ほんと。

さてさて、その辺りの愚痴は放って置いて。
通常の眼科検診という形のものと、眼鏡を新調するために視力検査を行う。
今までかけていた眼鏡も勿論持っていったのだが・・・。
「現在の視力と合っていませんね。こちら、左側は度が入っていませんが、右側はこれをかけた状態だと逆に度が0.3にまで下げられた状態になってしまってます」
洒落になんねー(汗)。
通りで、階段を上ったり降りたりするときに時折足下不如意な状態になってたわけだ。
視力検査の結果、やはり予想通り左は弱い近視傾向に進んでおり、右は弱い遠視傾向に回復。
(注:遠視←→正常視←→近視)
しかし意外だったのは左に乱視も入っていたこと。
まぁ家系的に乱視傾向もあるから、何時出てもおかしくはなかったのだが。
そんなわけで、現在の俺の両目は「遠視・近視・乱視」全部持ち合わせた状態になっております。
全部微弱なものですが。

処方箋貰ったその足で眼鏡を作りに行く。
今まで使っていたフレームはレンズを留めている部分のネジがダメになりつつあるので、新調することに。
適当なものを探す。
探す、が・・・。
昨今の流行ってこう、どうして細身のタイプが多いんでしょうねぇ。
今まで使っていたのがほぼ円形のレンズだったので、楕円形はどうにも見難そうで違和感が。
そう思って割にレンズが大きい方のを見ていたら、店員が声をかけてきた。
「お客様の年齢では、少し合わないかと思われますが」
はい、左様でしょうなぁ。
わかっちゃいるけど。
でも自分、デザインよりも機能性重視な人間なんで。
と、かくかくしかじか伝える。
「でしたら、この辺りは」
といくつか持ってくる。
うーむ、やはりその辺りか。
しかし悩むなぁ。
チタン製の軽さに慣れているからやはりそれははずせないし、強度面からすると縁無しは以ての外だしなぁ。
黒縁だと前のと同じになってしまうから出来れば変えたいし、かといって派手なのは好まない。
まぁ、オーソドックスにこれかなぁ。
「こちらはどのお洋服にでも合わせやすいと、好評な眼鏡です」
と店員が勧めていたものになったのは些か不満だが(天の邪鬼)。
レンズが取り寄せという形になるので、出来上がりは土日除いた一週間後、8月9日以降となるようだ。
それにしても、処方箋渡したときの店員の反応が。
「珍しいですね。視力が良くなるなんて」
あはははは、やはりそう来ましたか。
「いえ、良くなったというか悪くなったというか。昔から遠視傾向だったのが近視傾向になっただけですから」
なんとなく答えてみた。
すいませんねぇ若者には多くない遠視保持者で。

何はともあれ、久々の眼鏡新調。
出来上がってくるのが楽しみである。


2004.July
湯立つ季節、7月

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