アメリカの病根を凝視し続けた作家 ロス・マクドナルドの現代性

 老いと死が静かに忍び寄って来るのが感じられる年齢になって、ロス・マクドナルドの世界が私にはますます身近に感じられるようになって来た。
小泉喜美子、青木雨彦、結城昌治、稲葉明雄。共に折に触れてハメットを、チャンドラーを、そしてロス・マクドナルドを語った知人、友人が相次いで世を去って行った。
 そのころから私は次第にロス・マクドナルドに親近感を抱くようになって来た。
 若いころ、私はロス・マクドナルドの暗さが、人間が宿命の糸に支配されているというペシミズムがどうしてもなじめなかった。
苛酷な人生を非情に生き、いささかも感情を吐露しないハメットのコンチネンタル・オプやサム・スペード、チャンドラーが作り出した夢無き時代に夢を求めて生きる優しい正義の騎士フィリップ・マーロウなどのほうがぴんと来た。
 だが、ハメットやチャンドラーがいわば自己完結的で、それを受け継ぐことが困難であるのに対して、ロス・マクドナルドの世界は、現代に向かって開かれており、その意味では、より現代的であるのかも知れないという印象が次第に強まって来たのである。
 そのことは、ロス・マクドナルドが年を経るごとに成熟し、前進した作家であるということにも関係がある。
 同じ、私立探偵リュウ・アーチャー・シリーズでも初期の作品と、『ギャルトン事件』(五九年)以降の作品では、その人間存在への洞察や現代アメリカに対する社会批判的な姿勢がまるで別人のように違うのである。
特に中期の最高傑作『さむけ』(六三年)から七〇年代の『地中の男』(七一年)、『眠れる美女』(七三年)などに至る一連の作品には、この作家の現代アメリカの暗い側面を凝視する透徹した視線が感じられ、今なお現代性を持っていると思う。
 これらの作品にも、お得意の精神分析的な視点がまったくないとはいえないが、それを越えて現代の日本にも共通する、金銭万能の社会、家族関係の崩壊、環境破壊などへの静かな悲しみと怒りがこめられている。
今年刊行されたトム・ノーランの『評伝ロス・マクドナルド』は、アルツハイマー病という精神の荒廃をもたらす悲劇的な病気に冒された晩年のこの作家の肖像を浮き彫りにしているが、この本の中で著者は、ロス・マクドナルドがその後のジョセフ・ハンセン、ジョナサン・ケラーマン、ジェームズ・エルロイ、マーシャ・マラー、サラ・パレツキー、スー・グラフトンなど多くのミステリー作家に影響を与えていると語っている。
私は、リューウインやグリーンリーフなどにその流れを強く感じるが、確かにロス・マクドナルドの成果は多くの現代作家に受け継がれているように思う。
 私はこの半年ばかりニューヨークのマンハッタンのど真ん中で生活している。多くのアメリカ人は経済の好況に酔い、世界の支配者としての自信に満ち、現代アメリカに潜む暗い病根から目をそらしている。だが、最近の一連の高校での白人優位主義による大量殺人事件などにも見られるように、ロス・マクドナルドが描いた暗い現実は程度の違いはあるにせよ今なおそのままに残っている。
 それだからこそロス・マクドナルドの作品は、心ある人々によってこれからも長く読み続けられて行くに違いないし、また、多くの人々に読み継がれるべきであると思う。

(早川書房 ハヤカワ・ミステリ・マガジン ・ 掲載)


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