米寿記念詩集『つれづれの詩』出版

先日、加美町小野田在住の伊藤やす子さんという方にお会いすることができた。
伊藤さんは、88歳の米寿を迎えられたことを記念し、詩集『つれづれの詩(うた)』−米寿のひとり
言―として一冊の本にまとめられた。
詩集を出すきっかけは、88歳の米寿を迎え、無事に長生きできたのだから何か記念に・・・と家
族に励まされて、去年から書きためたものを本にされた。
詩を書くのは初めてと話されていたが、永年、地元の「やくらい短歌会」の会長としてご活躍され
ている方だった。短歌会の会長職は、もう年なのでそろそろ他の人に譲りたいと話されているそ
うだが、まだまだ会のために頑張って欲しいと言われて許してくれないらしい。
詩集のまえがきには、「・・・決して順風満帆の人生でなかったけれど、何うやら無事に生きて来
れた幸せを沁々と噛みしめているこの頃です。・・・短歌は限られた三十一文字、詩はいくらでも
自分の想いが書きつづられる、そう思ったら何でもその時々感じたもの、見たものが自然に文字
になります。・・・」と記されていた。


「友を悼む」想い

詩集の内容の一部をお話しいただいた。
詩集の最後には、「友を悼む」という詩がある。去年の1月、親しい友人が突然他界し、その悲し
みと嘆きはとても歌などに詠めるものではなかった。友を悼む想いが次々と胸を駆けめぐり、鎮
魂の意味を込めて書いたそうだ。
友人は、手押車で伊藤さん宅を訪問し、お茶を飲みながら話し相手になってくれた人という。
亡くなられた友人宅の仏間は2階にあったことから、足の不自由な伊藤さんは直接お参りもでき
ず、詩をしたためて仏壇にお供えすることにしたそうだ。
友の死をきっかけに友への鎮魂の詩を書き、詩を書くことにより悲しい出来事から癒され家族
の励ましもあって、今回の詩集を出すことになったようだ。


   順風満帆でなかった人生とガダルカナル島

   「順風満帆の人生でなかった・・・」と記されているが、大変な人生を送られたようだ。農業の経験が全く無かった人が農
   家に嫁ぎ、更に結婚されて2年後、第二次世界大戦でご主人を亡くされ、ご主人のご両親と一人息子さんとの生活が始
   まり、周りの人たちに支えていただきながらの人生でしたと話されていた。
   丁度、居間には見慣れないパノラマ風の写真が掲げられていた。その写真は、海に浮かぶ島でモノクロ5枚を繋ぎあわ
   せたものだった。
   私は、何を考えることなくどこの島かと尋ねた。伊藤さんは、ガダルカナル島と話された。そこは、ご主人が戦死された
   島だった。
   何気なく尋ねたことへの罪悪感を感じた。そして、伊藤さんは話を続けた。この写真は、県の戦没者慰霊祭をガダルカ
   ナル島で実施するという39年、一人息子が行って撮ってきたものと話された。参加者は、団長・副団長2名、関係者2名、
   遺児7名の11名だったそうだ。今から40年前のことだった。往きは船で半月をかけ、島への滞在が約2週間ほど、帰り
   はシドニーから飛行機で帰ってきたと・・・。
   当時、ご家族からは、一人息子を現地に派遣することを反対されたそうだ。道中、何かあったらどうするという理由だっ
   たらしい。
   それでも伊藤さんは何としてでも息子をやらなければと反対を押し切って派遣したそうだ。
   今は、家族からその写真をそろそろ取り外してもいいのではと言われているらしいが、伊藤さんは、自分が死ぬまでそ
   のままにしていて欲しいとお願いしていると言っていた。
   伊藤さんのお話を聞いて痛いほど気持ちがわかるような気がした。



短歌12,000首を詠まれて

ご主人の戦死から寂しさを紛らわすため始めた短歌は、今では、約12,000首を詠まれてい
るそうだ。短歌を詠まれた冊子が数十冊になり書き綴った伊藤さんの見事な歌と達筆を見せ
ていただいた。この冊子は、「私の宝です。」と話されていた。

88歳の米寿を迎えてますますご聡明な伊藤さんにお会いしこちらも元気をいただいてきた。

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2004徒然なるままに
88歳の米寿を記念して詩集を出版  (04.12.11)