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蔵王連邦・名号峰(1409.9m)に初登頂(05.07.16)
賽の磧〜濁川〜かもしか温泉跡〜追分〜名号峰〜熊野岳分岐〜蔵王山頂レストハウス〜賽の磧
7月16日、蔵王連邦の名号峰(1490.9m)へ初登頂してきました。
蔵王エコーライン賽の磧〜濁川〜かもしか温泉跡〜追分〜名号峰〜熊野岳〜刈田岳の縦走計画でしたが、熊野岳山頂砂礫付近でアクシデントにあい熊野岳登頂を断念、刈田岳も見送り蔵王山頂レストハウス直行ということになりました。今回は家内と一緒で家内に助けられながらの登山になりました。登山の反省を含めてしたためたいと思います。

◆名号峰(1409.9m)〜熊野岳(1840.9m)登山の計画

今回の登山は同じ道を歩かないコースで初めて行く山を盛り込んだ縦走計画をたてました。蔵王エコーライン賽の磧登山口から濁川まで下り、追分から名号峰、蔵王自然園から熊野岳、蔵王山頂レストハウス前からバスで賽の磧登山口へ戻る計画をたてました。所要時間は約6時間、今の季節、高山植物の女王の花と称されるコマクサを楽しみにした計画でした。

◆賽の磧登山口は雨・雨・雨

朝靄の仙台を出発したのが午前5時30分、蔵王エコーライン賽の磧登山口に着いたのが午前7時頃でした。ガスがかかりそのうち雨も降りだしたので暫く様子を見ることにしました。雨が止んだもののガスが晴れずどうしようかと迷いながら雲間から青空も見え始めたので準備をしました。トレッキングシューズを履き終わった頃にはすっかりガスも無くなり朝方の爽やかな山の空気が心地よく絶好の登山日和になりました。
午前8時、賽の磧自然研究路口を入ると暫く舗装された遊歩道が続きました。周囲は蔵王の噴火による溶岩台地になっていてあちこちにその爪跡を残した風景が続きました。付近にはミネズオウやイワカガミなどの高山植物が多いということでしたが既に花も終わったのか見ることができませんでした。


◆古い荷物用ケーブルの残骸から濁川の谷底へ

やがて古い荷物用ケーブル施設が残る自然研究路の末端に着きました。そこは少し広い空間になっていてテーブルとベンチがありました。テーブルに広げて食事をしている3人組の登山客に会いました。登山客の一人が、「濁川の近くに温泉跡があるのでその付近を掘ると温泉が湧き出てくるけど水着を持ってきたの?」と言っていました。
道標に従って左手の道に進むと、濁川の谷底に下りるつづら折りの道に入りました。今回は相当起伏の激しい登山になると覚悟をしました。途中、濁川が刻む深い谷と遠くひと筋の水を落とす振り子滝が一望にできました。

◆「不帰の滝」が見える濁川渓流

古い荷物用ケーブル施設からぐんぐん下りていくと濁川を渡る小さな橋に辿りつきました。大きな岩がごろごろした渓流で遠く「不帰の滝」を見ることができました。不帰の滝は蔵王エコーライン駒草平の展望台から何回か見たことがありましたが、濁川渓谷から不帰の滝を見上げることができるとは予想もしていなかったことでした。

◆かもしか温泉跡へ

濁川の小さな橋を渡ると今度は一転して上りとなり一気に汗をかいてしまいました。覆いかぶさる潅木の中をひたすら上る登山道でした。小川を渡ると間もなく通行禁止になっているロバの耳コース分岐となりそこを見送るとかもしか温泉跡に着きました。十数年前までは温泉宿があったそうですが雪崩に押し流されしまい現在では石垣を残すのみですっかり荒れ果てていました。確かに温泉跡地は硫黄の匂いがしました。ここを掘ると温泉が湧き出すのにと思いました。自然研究路の終点にあった荷物用ケーブル施設はかもしか温泉宿の荷物を運ぶ運搬用に使われていたということを後で知りました。

◆追分の分岐まで

温泉跡からは単調な登りが暫く続きました。部分的に展望が開けるもののほとんど林間の登山道でひたすら下を向きながら登る道でした。高度が上がってくると潅木のトンネルをくぐるようになり追分の分岐に出ました。

◆追分の分岐から名号峰(1409.9m)へ

追分の分岐を右に名号峰へ向かいました。分岐から約20分、ゆるやかなアップダウンを繰り返しながら歩いていくと我々温泉の分岐にさしかかりそれを見送ると間もなくして名号峰に着きました。山頂手前の白砂にはコマクサが咲いていました。斜面に這うようにして咲いているコマクサを見て一気に登山の疲れが吹っ飛んでいく思いがしました。高山植物の女王に相応しいコマクサの気品溢れる姿にしばしうっとりとしました。
名号峰は花崗岩からなる山で岩と白砂が点在していました。これから登る熊野岳、かつて登ったことのある杉ケ峰、前山など蔵王連邦の山々が一望にできました。

◆熊野岳自然園から熊野岳(1840.5m)へ

名号峰から追分に戻り熊野岳自然園へと進みました。暫くハイマツの中を歩くと石垣の上に聳える石碑が見えました。何の造作物なのかと興味を持って見ました。それは個人の姓を彫った立派な墓碑でした。山に登ると遭難者の名前が刻まれた石碑を見ることが間々ありますが、個人の墓碑を見ることが初めてだったことから不思議に思いました。後で聞いた話ですが、この方は、遠刈田温泉郷に住んでいたかもしか温泉宿のオーナーで、世界の蝶々の収集家でもあり、蔵王に大きな貢献をした方ということでした。

◆熊野岳自然園にある岩場でアクシデントが

平坦なハイマツの続く自然園を歩いていくとゴロゴロした岩場の登り坂になり道標の木のポールが延々と続いていました。ガスの濃い中では迷ってしまいそうな感じのする岩場でした。この岩場付近から雲行きが怪しくなり風が強くなりガスが出てきました。まともに風があたる場所で体力も消耗していく気がしました。
賽の磧登山口から歩いて既に4時間が経っていました。アップダウンのきつい登山道を歩いてきた足にも少々負担がきているような気がしました。足を踏ん張るたびに大腿部が痛み出しました。筋が張るような感じになりました。そうしているうちに大腿部が硬直するようになりました。数歩登っては休憩を繰り返しながらマッサージで疲れを取るような状態になりました。家内は心配そうな顔をして覗き込んではマッサージをしてくれました。家内は「顔色が悪いよ。」などと言いはじめました。この瓦礫の岩場を過ぎると熊野岳に違いないと思いながら数歩登っては休憩を繰り返しながら歩きました。相当な時間が経過したと思いましたが時計を見る余裕さえありませんでした。ようやく岩場を登りきりましたがガスが濃く周りを見ることができず熊野岳はどこにあるのかさえも分かりませんでした。やがてゆるやかな勾配になり砂礫地の両脇にはコマクサの群生を見ることができました。足を引きずりながら見るコマクサに少し気が休まる思いがしました。再び登り坂になり最後の力を振り絞るように歩きました。

◆熊野岳直下の分岐点

家内は、「遠くに道標が見えてきたよ。あそこが熊野岳への分岐じゃないの。」と言っていました。以前、熊野岳に登ったとき、熊野岳避難小屋付近で刈田岳と熊野岳、名号峰の分岐の道標を見たことがあったことからそれに違いないと思いました。「あと一息だ。ようやくここまで辿りついた。」と胸を撫で下ろしました。
確かに熊野岳山頂直下の分岐でした。気を緩めてしまったのか右足の大腿部から膝下の脹脛まで全てガチガチに硬直してしまいました。「痛い。痛い。」と転げまわるような状態でした。時間をかけてゆっくりと揉み解しました。家内は、「こんな時のマッサージは足に良いのかな。」と不安げに言っていました。硬直した筋肉は揉み解すに限ると素人療法に一生懸命でした。そのうち膝が少し曲がるようになりどうにか歩けるまでになりました。相変わらず強い風とガスが流れ周りの雰囲気さえわかりませんでした。この場所は馬の背に通じる平坦な火山砂礫地であることから目印が無く霧が発生した時には迷いやすい場所と良く言われていました。

◆熊野岳登山を断念して

分岐から熊野岳へは約10分で山頂に着くはずでした。家内が初めて登る山だったことからコースに入れたとことでしたが、予想もしなかったアクシデントがあったこともあり今回は断念し次の機会に譲ることにしました。晴れた日には分岐から刈田岳が一望にできる筈でしたがガスが出て視界不良になりました。分岐の道標を頼りに下りていくと一瞬ガス晴れ登山道が見えました。このルートに間違いないと思いながら歩いていくと遠く右側に道標のポールが見えてきました。この道標に沿って歩くと刈田岳へ通じていると意を強くしました。

◆刈田岳(1758.0m)登山を断念してレストハウスへ

相変わらずガスが濃く視界不良でした。天気の良い日は雄大なお釜が見えるはずでした。ロープウェイの分岐になりました。観光客の人影が見えてきました。暫く遊歩道を歩いていくと刈田岳への分岐に入りました。刈田岳の登山を断念して蔵王山頂レストハウスへ直行することにしました。お釜の展望台とレストハウスは沢山の観光客でごったがえしていました。

◆宮城交通バスで賽の磧駐車場まで

刈田岳から賽の磧駐車場までは宮城交通バスを利用することにしました。最終の出発時刻は午後3時20分、刈田岳レストハウスに到着したのが午後2時40分。一時、どうなるかと思いましたがどうにか出発時間に間に合いました。

◆蔵王エコラーン入口ペンション&レストラン『峠』で

蔵王エコラーン入口ペンション&レストラン『峠』に寄りました。蔵王に来たときは殆ど『峠』の手打ちそばを食べて帰ることにしていました。今回は天ぷら手打ちそばを食べてきました。ジーとバーの打つ本格手打ちそばはコシがあって絶品でした。峠のおかみさんから岩風呂温泉に入っていってはどうかと進められましたが次回に寄らせていただくことにして店を後にしました。

■ペンション&」レストラン『峠』(宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉上の原3ー379 0224ー34ー3760)

◆遠刈田温泉郷公衆浴場『壽の湯』と豆乳アイス

遠刈田温泉街を通ると温泉独特の香りが漂ってきました。温泉街には2軒の公衆浴場がありその中の一つに『壽の湯』があります。『峠』の岩風呂温泉にお誘いを受けたのに気が変わり、まだ入ったことの無い『壽の湯』に寄ることにしました。温泉には既に5〜6人の人が入っていました。ゆっくりと温泉に入り登山の疲れを取ってきました。外に出ると駐車場のベンチに座りソフトクリームを食べている人がいました。様子からお風呂上りの人と思いました。ふと道路の向かい側を見ると豆腐屋さんがありそこからソフトクリームを持った人が出てきました。豆腐屋さんでソフトクリームと思いながら温泉から上がってきたばかりの家内へ風呂上りのソフトクリームも美味しいのではと話し食べようと誘いました。家内は、ソフトクリームの中に豆乳が入っていると言っていました。確かに一口食べると豆乳の味が口いっぱいに広がりました。食べているうちにお店のシャッターが下りました。私たちが今日最後のお客様だったとタイミングの良さに二人で顔を見合わせました。

◆変化に富みすぎた蔵王連邦の登山を終えて

今回の登山は大変な登山になったと反省のしっぱなしでした。
初めて登る山と意気込み、途中、インターネットに掲載する写真撮りで夢中になり、体力の限界を知ることも無くがむしゃらに歩いた蔵王連邦でした。
家内と一緒だったから良かったものの単独行動だったらと背筋が寒くなる思いがしました。山の天候の移り変わりの激しさも体験しました。ガスが出ると道を間違ってしまい迷いやすい目印の無い砂礫の山も経験しました。蔵王エコーライン入口のペンション&レストラン『峠』のおかみさんは過去に蔵王で事故にあった人を見てきたと言っていました。強風で飛ばされて大怪我をした人、道に迷って遭難した人、斜面で車のサイドブレーキが甘く滑り落ちて命拾いをした人、ツーリングのバイクが転倒して大怪我をした人等いろいろな人を見てきたと言っていました。
蔵王に魅せられた私ですがこれからも何度か蔵王登山の機会があるかと思います。決して山を甘く見ることなく細心の注意を払いながら登山をしようと心に誓いました。

高山植物の宝庫 賽の磧〜名号峰〜熊野岳
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