ぼくはチルドレン

槇 弘樹
written by Hiroki Maki
(C) 2001 BLUEMOON






〜隠しあとがき〜






死は、いつもドラマティックなものとは限りません。
いつも祝福できるものではないし、いつも感動的なものとは限りません。
少なくとも、僕がかつて経験した死別はもっと淡々とアッサリとしていて、とてもドライでした。
死というのは、シンプルなものだと思うんですよね。それを、死ぬ者やそれを受け止める者がわざわざややこしくしている。・・・・・でも、それで良いのでしょう。
私の作品を見て、『この人は死を美化する傾向にあるな』と感じる人があるかと思いますが、それは違います。
ただ、死んでそこで御終いという話がキライなだけです。


――構想は2年くらいになるでしょうか。この作品は、ずっと書こうと思っていた小説です。
それと同時に、書いて良いのか凄く悩んだ話でもあります。・・・・書けるのか、書くことが許されるのか。
とりわけ考えたのは、白血病という具体的な病名を出すことについてです。
自分がその病を患っているわけでもないし、家族がそれに関連し共に闘病生活を送ったという経験もない。
何も知らない人間が、知ったような顔をして白血病を語り、そしてその病を持って登場人物を殺す。
そんな物語を書く資格が自分にあるのか。悩みました。

だけど、結局書きました。それを抜きにしても訴えたいことがあったし、この小説を読んで骨髄バンクやドナー登録に関心を抱く人間が増える可能性があるからです。
もし読者が、この作品を切っ掛けにしてドナー登録してくれたら。そんなヒトが1人でも出てくれれば。
愚弄になるかもしれない、実際に白血病と戦っている人を不愉快にさせるかも、傷つけるかもしれないけれど、意味はあるだろうから。
そんな言い訳を思いついたことで、書く決心をしました。

本当は、ドナー登録の協力を求めるなら、街頭に立って直接人に訴えかければいいことですよね。その方が効率も良いかもしれませんし。
だから、ある意味でこの自分の行為が『偽善』なのかもしれないとは考えました。
認めますが、その要素はゼロではないでしょう。
偽善とはちょっと違うか知れませんが、少なくとも骨髄移植に賭ける白血病患者たちのためにやったのではなく、自分の為にやった活動ですから。
目的の達成が勿論第一ですが、それに少し劣るくらいで『行動そのもの』も大切でした。
だから、ポジションとしては、セカンド・チルドレンのアスカに近しいかもしれませんね。


この話のモデルと書く切っ掛けは、2つありました。
どちらも実話なんですが・・・・・1つは、世界最年少で軍人になった少年の話です。
重い病と闘う少年の夢は、『兵隊さん』になること。
確か近くに陸軍だか海軍だかの基地があって、そこの若い兵士と知り合いだったように思います。
彼はその若い兵士への憧れもあって、ずっと兵士になりたいと。そう願っていたそうです。

両親や、その知り合いの兵士。そして色々な人の協力があり、彼は軍人になりました。
アメリカの話だったと思いますが、合衆国大統領だったか、軍の最高司令だったか、とにかくそのクラスの要人たちまで巻き込む大きな話となり、彼らが直々に少年の実家に赴き、ベッドで横になる少年の前で軍への入隊を許可し、そして証明書を渡した・・・・・・と、そんな話です。

この話は、世界でもっとも若い軍人としてギネス・ブックにも載っているとかいないとか。
そんな話をかつて聞いたのです。
この『ぼくはチルドレン』は、そんな実在した少年の物語を下敷きにしています。

もうひとつ、この物語を書くに当たって原動力・・・・・というと変ですが、大きな要素となった出来事があります。
それが、僕の幼馴染みの少女です。

彼女と初めて出会ったのは、幼稚園の頃でした。
母親同士が最初に仲良くなって、その付き合いで僕らは一緒に遊ぶようになったんだと思います。
良く、幼稚園の近くにあるお寺で遊んだのを、微かにですが覚えています。

彼女は、恐ろしく大人しい子で、凄くシャイでした。
今でも顔はハッキリ思い出せるけど、声は思い出せないくらい、とても小さな声しか出さない少女で。
殆どこっちから話しかけて、彼女がそれに「うん」と言ったり首を左右することで意思の疎通を図る。
そんな感じの女の子でした。
あれで美少女だったりしたら、まさに少女マンガのヒロインといったところです。
(生憎と、彼女は少しポッチャリとしたところが可愛い程度の子でしたけど)

――彼女は生まれながらに病弱でした。
なにかの病気にかかっているとかで、パックの飲み物に付いてくるストローくらいの細さの『チューブ』のようなものを鼻から体内に通していました。
点滴のような感覚でしょうか。そのチューブを通して栄養補給をしないと生きていけない、とそんなことを当時の大人たちから聞いた覚えがあります。
実は、今でも彼女の正式な病名を知らないんですけどね・・・・・。

でも、何より強烈だったのは、世界で1番最初に『好きだ』と僕に言ってくれた女の子だったという事実です。

そんなこともあって、小学校の3年生までは非常に頻繁にふたりは一緒にいたように思います。
でも、彼女は学校を休みがちというところから、クラスメイトの嫉妬を買って軽いイジメを受けたりしてました。
僕も、好きだと言われて照れてたり、或いは鬱陶しかったりしたんでしょう。
時に、苛める側にすら回っていました。
もうお気づきでしょうが、彼女が学校での『ユウタ』です。
そして、その存在を理解もせずにただ苛めていた残酷な子供。それが、当時の私です。
学校の子供やクラスメートは彼女に冷たかった。先生に特別扱いされ、学校を休みがちな彼女に友達はいませんでした。だから、これはリアルな話なんです。起こり得ない、物語の中だけの話ではありません。実際に子供はそういう反応をし、患者はその視線に苛まされるのです。

そして、小学3年生の3学期のことです。僕は転校することになりました。
そう遠くはないのですが、学校は別々です。
それでも、ちょくちょくは会う機会があって(たしか、英語塾が同じだった)、少なくとも小学生の間は側にいる時間もあったように記憶してます。

ですが、思春期――中学生あたりになると流石に疎遠になり、年に数度程度しか会うこともなくなりました。
たまに母に頼まれて彼女の家に立ち寄ることがあっても、僕の姿を見ると家の奥に逃げ込んでしまって、それを彼女の母親と苦笑した覚えがあります。
彼女も色々と多感なお年頃だったのでしょう。(そう言えば、『新婚さん、いらっしゃい』というTV番組が彼女は好きだった)

確か、中学2年生の時でした。
あの夜のことは、今でも良く覚えています。
単身赴任の父親を除き、母と僕と妹。3人で食卓を囲み、夕食をとっていた時のことです。
電話が掛かってきて、母がそれに出ました。

そして母の驚愕した表情。
それに伴なって、掠れるように酷く低く変わっていった話し声。
もう随分経つのに、あの雰囲気は忘れられません。

電話を切った母は、言いました。
「彼女が亡くなった」と。
驚いたはずなんですが、僕はそれ以外に何も感じませんでした。
今でも、あの時の自分の心境を上手く表現できません。
凄く乾いていて、何も感じられなくて。
哀しくもなければ、涙も流せない自分を、酷く不思議に思ったことを覚えています。

その奇妙な虚しさのような感覚は、通夜に出席した時も変わりませんでした。
彼女の死は、酷く現実感を損なったもので。
僕は彼女の母親の目が真っ赤になっているのを見て、「あれが当たり前の反応なんだよな」等と考えていました。

それから数年。
僕は彼女のことをすっかり忘却しました。
正直に言えば、好きでも必要でもなかった人間だから。

でも高校生に進学したあたりから、不意に彼女のことを思い出すことが多くなりました。
そして、「あいつは何のために生きてたのか」とか「その答えをあいつは出していたのか」とか、そんなことを考えるました。

そして、更に時間が経つと後悔するようになりました。
どうして好意を寄せてくれていた相手に、もっと誠意をもって対応できなかったのか。
苛めにさえ回っていた事実を思い出し、それでいかに彼女が傷ついたかを漸く理解して。
出会えば軽蔑し、蔑むような人間。絶対殴るであろう人間像が、過去の自分に当て嵌まる事に愕然として。

「今、彼女と再会できたらな」と、何度か思うようになりました。
現在でも、良く分かりません。
彼女がいったい僕に何を齎したのか。自分が彼女にとってどんな人間だったのか。
それを如何思いたいのか。

そんな言葉にできない感情が、この作品を書く上で1つの支えとなったことは事実です。
本当に、良く分かりませんけど。









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