< 新春座談会 >

栄光の学会創立75周年

 


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出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、大場SGI理事長、高柳婦人部長、杉山青年部長、館野女子部長

館野 「青年・拡大の年」――栄光の創価学会創立75周年が晴れ晴れと開幕しました!
 東京でも大晦日に雪が降ったけれど、どこも皆さん、寒風の中、本当に元気でした。
青木 学会の新年勤行会は、全国で500万人以上もの人たちが参加した。名実ともに「日本一」だ。すごい時代になったね。
原田 各地で若い新入会者の姿も多く見られましたね。
 池田先生も「一段と大きな学会になった。これも学会員が真面目で、真剣だからだ。幹部は会員を大切にしなくてはいけない」と、つねづね私たちに指導してくださっています。
秋谷 まったく、その通りだ。それが創価学会の根本路線だ。
大場 アメリカでも、元旦勤行会で600人以上の新メンバーが入会した。こういう報告がナガシマ理事長から入ってきた。
青木 すごいな!
秋谷 この大興隆、この大前進! 学会は勝った。
 いかに学会が仏意仏勅(ぶついぶっちょく)であり、正義の団体であり、強いかの証明だ。

世界でも大興隆

大場 世界でも1000もの会場で新年勤行会が行われました。インドなどは、1月1日は祝日ではないので、2日の日曜日に一斉に開催されました。
秋谷 そういう国もあるんだね。世界は広い(笑い)。
大場 今月2日には釈尊生誕の地・ネパールで、池田先生への「カトマンズ平和賞」の授与式があった。
 首都カトマンズ市の歴代市長が出席して、国営ラジオで生中継もされていたそうです。
秋谷 太陽の仏法が、全世界を赫々(かっかく)と照らしゆく時代に入った。
 御聖訓に「月は西より東に向(むか)へり月氏(がっし)の仏法の東へ流るべき相(そう)なり、日は東より出(い)づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相(ずいそう)なり」と仰せの通りだ。

元朝勤行を廃止

杉山 ところで学会は、今年から元朝勤行会を取り止めました。
青木 いや、よかったよ。今回は雪が降ったし、深夜は路面が凍結して危険だった。各地で「本当に良かった。英断だった」という声が上がっている。
館野 本当に、その通りです。事故がなくてよかった。
高柳 それと、これまで役員についていた青年部員や、壮年部の区長、圏(ゾーン)長をはじめ担当者の皆さんも、大変に喜んでいました。「今年は、ゆっくり新年を迎えることができた。体調も整った。心身ともに晴れ晴れと勤行会に参加できた」と語っていました(笑い)。

不謹慎な日顕

杉山 それに引きかえ、今年も日顕宗は陰々滅々(笑い)。
 大石寺は氷点下の寒さで、元朝勤行も例年の半分くらいしか集まらなかった(大笑い)。会場の客殿(きゃくでん)の中は凍えるような寒さだったようだ。
大場 そこへ、あの「花和尚(はなおしょう)」(=ハレンチ坊主)の説法だ(笑い)。
青木 法華講は本当に哀れだ。気の毒だ。
杉山 おまけに元朝早々の真夜中に、日顕は「学会憎し」の愚痴や悪口ばかりだった(笑い)。
青木 どうせまた、地震がどうの、火山がどうのという話だろ。
杉山 まったく、その通りなんです。しかも被災者を嘲笑い、愚弄するような話をするんだ。
秋谷 世界中で、これだけの人が苦しんでいるのに不謹慎だ。
大場 日顕は狂っているから、自分が現代の大聖人≠セと思い込んでいるんだ。災難もワシに背いたせいで起きた≠ニ思っているんだ。
原田 だから雲仙・普賢岳の大噴火も、学会のせいで起きた≠ネんて悩乱話をしていた(笑い)。
館野 バカバカしい! 地震も火山の噴火も、日本中、世界中、大昔からあるじゃないの。
高柳 まったくよ。だったら関東大震災は、どうなのよ。大正12年のことで、まだ学会はなかった。でも大石寺はあった(笑い)。
杉山 というよりも、日顕が生まれた翌年に震災が起こった。日顕の言い分なら、関東大震災が起きたのは、お前が生まれたからだよ(笑い)。
青木 有名な浅間山の大噴火なんか江戸時代だ。もちろん学会はなかった。大石寺はあった(大笑い)。
秋谷 噴火しているのは、日顕の頭の中だけだ(爆笑)。
原田 日顕は昨年も、さんざん裁判で負けた。日顕宗は最高裁で7度も断罪された。それをごまかしたい一心なんだ。それで新年早々、バカげた話をするんだ。
青木 とにかく人々の苦しみ、痛みが分からない。自分の舌が、どれだけ顰蹙(ひんしゅく)を買っているかも理解できない。想像つかない。この幼児性! この愚劣さ!
杉山 大聖人は「一切衆生(いっさいしゅじょう)の異(い)の苦(く)を受(う)くるは悉(ことごと)く是(こ)れ日蓮一人の苦(く)なるべし」と仰せであられる。いかに日顕のやつが大聖人の仏法と無縁の妖怪坊主か。

門を閉ざす寺

原田 10年前の阪神大震災の時も、昨年の新潟中越地震でも、日顕宗の坊主が何をやったか。
 被災者を寺に受け入れる坊主など、ただの一人もいなかった。どの寺も冷たく、固く門を閉ざしたまんまだったじゃないか。
秋谷 法華講が呆れて逃げ出すのも当然だ。
杉山 法華講といえば、日顕のやつ、元朝勤行では、こんなことも抜かしていた。
 今年は「僧俗前進の年」だ。僧侶ばかりが頑張るのではなく、法華講も、しっかりと付いてきてほしい≠ネどとほざいていた。
大場 バカバカしい。何が法華講も付いてこい≠セ。
 日顕みたいに「芸者遊び」にでも付いてこいってか(爆笑)。
杉山 あの愚劣の日顕が辞めない限り、宗門は、お先真っ暗だ。何しろ「最高裁から7回」も断罪されたんだからな。
館野 何よりも日顕本人が「2回」断罪されました(笑い)。あんな断罪法主≠ェ何を言おうと、この事実は消えない。誰も信用しやしない(大笑い)。
杉山 昨年の暮れに宗門の坊主も言っていた。
 日顕は「シアトル事件」「芸者写真事件」。それに「相承疑惑」「大御本尊ニセモノ発言」。どうしようもない。逃げ場もないよ=Bバカにしきっていたな(笑い)。
秋谷 坊主ですら認めているんだ。こっちも、どんどん言っていこう。我々は、日顕の独裁で何も言えない宗門の声を代弁してやっているんだ(笑い)。
 いよいよ「正義の拡大」だ。

(2005. 1. 5. 聖教新聞)

 

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出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、大場SGI理事長、高柳婦人部長、杉山青年部長、館野女子部長

大場 本年は、SGI(創価学会インタナショナル)が発足して30周年。
 日蓮大聖人の「太陽の仏法の連帯」は、世界190ヵ国・地域にまで広がった。
高柳 仏法史上、前代未聞です。未曽有の大偉業です。
原田 今や、南米にも、アフリカにも、太平洋の島々にも、どこへ行ってもSGIのメンバーがいる。みな生き生きと活躍している。
高柳 新しい会員の方も、たくさんいます。
 せっかくの機会です。SGIが発足した当時の歴史を残しておきましょう。

世界を結ぶ中枢

原田 わかりました。SGIの発足は1975年(昭和50年)の1月26日。当時、すでに80数ヵ国でメンバーが活躍していた。
大場 ですからヨーロッパには「ヨーロッパ会議」、アメリカには「パン・アメリカン連盟」、アジアには「東南アジア仏教者文化会議」などがあった。
 それぞれの大陸を中心にしたメンバーの連合体が発足していました。
秋谷 それも池田先生の御構想、御提案によるものです。
 いかに早い時期から世界広宣流布を展望され、布石を打たれたか。
大場 やがて各大陸ごとのまとまりだけでなく、世界を結ぶ「センター」「中枢機能」を求める声が各国から上がってきた。
 そうした各国メンバーの念願が、SGIの発足につながっていったわけです。
青木 そして75年1月26日、グアム島に51ヵ国から代表が集って「世界平和会議」が開催された。
 その席上、SGIの発足が発表されたんだ。
原田 私も参加させていただいたが、会議では出席者の満場一致で、池田先生がSGI会長に就任されました。偉大な歴史の1ページが刻まれた瞬間でした。

気温差実に40度

館野 それにしても当時の記録を見ると、先生のスケジュールは、大変な強行日程だったようですね。
原田 その通りです。あの時、先生は、まずアメリカ本土に行かれたんですが、アメリカは広い。西海岸のロサンゼルスと東海岸のワシントンでは気候も気温も全然、違う。
 最初、ロスに到着したときは初夏の気候だった。ところがワシントンは雪。さらにシカゴに入ると、なんと氷点下10度の氷の世界。
大場 そこから再び、初夏の気温のロサンゼルスへ。
原田 最後は、最高気温が30度以上になる常夏のハワイ、グアム。
青木 健康な若者でも音(ね)をあげる気温差だ。
原田 私も、あまりの寒暖差で風邪を引いてしまった(笑い)。
 ところが唯一、お元気だったのが池田先生でした。これには私たちもビックリしました。

30年後の奇跡

館野 先生はSGI発足のスピーチの中で、こう述べられておられます。
 「ともかく地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が、昇り始めました。
 皆さん方はどうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に平和という妙法の種をまいて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と語られました。
高柳 有名なスピーチです。私も当時の模様は、参加した坂口総合婦人部長から聞いています。世界平和への大宣言に、感動と賛同の拍手が鳴りやまなかった、と。
青木 その当時から私が知っているインドのメンバーも、しみじみと述懐していた。
 「SGIが発足したといっても、メンバーは各国にポツポツといるだけだった。何とか形だけは整った。そんな印象だった。
 ところが30年後の今日、SGIは世界190ヵ国・地域にまで大発展した。インドにだって2万人を超えるメンバーがいる。旧共産国にも妙法を実践している人たちがいる。世界の識者がSGIは世界平和の希望の光≠ニ讃嘆している。本当に信じられない。奇跡だ」と驚嘆していたな。
杉山 香港SGIの幹部も言っていた。
 「正直に言って、各国のSGIメンバーが、ここまで大活躍するとは思わなかった。
 これも先生が、一国一国、そして一人一人に妙法の種をまき、全魂(ぜんこん)を込めて育ててこられた結果です。それゆえにこそ、花が咲き、大きく実を結んできたんです」。こう、しみじみと語っていた。
秋谷 御聖訓に「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱(とな)へしが、二人三人百人と次第(しだい)に唱へつたふるなり、未来も又(また)しかるべし」とある。
 末法の御本仏・日蓮大聖人の、この仰せを、現実のものとしてきたのが池田先生です。創価学会です。誰人(だれびと)も成しえなかった御本仏の御遺命(ごゆいめい)を、唯一、実現したのです。
青木 日顕が妬(ねた)むわけだ(笑い)。
原田 あのニセ法主は、嫉妬に狂ってSGIのサル真似をしたあげく大失敗。不法行為や不祥事を起こして、世界中で笑われているだけだ(大笑い)。
杉山 昨年も台湾で「花和尚(=ハレンチ坊主)」だの「食肉飲酒の法王」だの「妻を娶(めと)り、子をもうけ」だの。さんざんだったな(大笑い)。
高柳 別れて本当によかった。今も一緒だったら、こっちまで恥をかかされるところでしたよ(大笑い)。

平和行動の中で

秋谷 それに今でこそ「1・26」として語り継がれているが、SGIは「東西冷戦」の激動の時代に発足した。その深い意義も、よくよく考えていかねばならない。
大場 その通りです。
 SGIの発足前年の1974年、先生は5月に初訪中、9月に初訪ソを果たされ、コスイギン首相と会見された。
 さらに12月には再び中国を訪問。周恩来総理と会見された。
原田 そして先生は、コスイギン首相の「ソ連は中国を攻撃するつもりも、孤立化させるつもりもありません」という重要な伝言を、中国側首脳に伝えられた。
青木 当時、深刻な対立関係にあった中ソの友好のために大きな貢献をされた。このことはロシア、中国の多くの専門家も高く評価しているところだ。
館野 まさに、その平和行動の真っただ中で、先生はアメリカを訪問し、SGI発足への旅に出発されたのですね。
秋谷 そうです。
 ついに「獅子は動いた」。そして、世界広布の大道が洋々と開かれていったのです。

(2005. 1. 6. 聖教新聞)

 

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出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、大場SGI理事長、高柳婦人部長、杉山青年部長、館野女子部長

当日までの記録

杉山 前回は1975年1月26日、SGI(創価学会インタナショナル)が、池田先生の世界的な平和行動のさなかに誕生したことが話題になった。
大場 当時の記録を紹介しましょう。先生は75年1月6日にロサンゼルスに到着された。
原田 翌日には早速、アメリカ最高会議に出席されるなど、大変なハードスケジュールだった。
 2日後の1月8日には、真冬のニューヨークへ。9日に名門コロンビア大学を公式訪問し、200冊の図書を贈呈。副総長や教授等と会談された。
大場 翌10日に国連本部を表敬訪問。国連事務総長らと核廃絶や中東情勢、食糧問題などをめぐって、1時間にわたって会談された。
原田 ニューヨークでの諸行事を終えると、11日には列車で3時間をかけて首都ワシントンDC(特別区)に入られた。
 私も同行させていただきましたが、先生は車中にあっても、現地のメンバーや役員と打ち合わせ、懇談、指導、激励。まったく休息のいとまもありませんでした。
館野 寸刻、寸分も惜しまず、激闘を続けられたんですね。
原田 あの車中での懇談も忘れられません。先生は前年(74年)の12月に行われた共産党の宮本顕治氏(当時、同党中央委員会幹部会委員長)との会談にも触れられました。
青木 これも宗教と共産主義の共存≠ニいう、文明論的な意義から実現した会談でしたね。
杉山 何でも反対≠フ今の共産党の連中には、そうした意義は理解できないかもしれないが(笑い)。
秋谷 実は、先生が宮本氏に会ったのは、この時が初めてではなかった。
 会談を遡ること約20年前の55年2月、衆院選に出馬した宮本氏が、当時の国電市ヶ谷駅の近くで街頭演説をしていた。その演説を最後の一人になるまで聴いていたのが、実は池田先生だったのです。
原田 そうなんです。宮本氏との会談の冒頭、先生は、まずその話をされた。それで堅苦しかった対談のムードが一気に和やかになった(笑い)。‥‥ワシントンへの列車の中で、そう述懐していらっしゃいました。
館野 初めてうかがう話です。秘話ですね。

大平蔵相とも

大場 ワシントンに入られた先生は13日午後、米国務省でキッシンジャー国務長官(当時)と会見しておられる。
原田 当時のキッシンジャー氏は、ある意味で、アメリカの大統領以上に注目された政治家だった。
 先生はキッシンジャー氏と、その後も対談集(『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』)を発刊されるほど深い交流を結んでおられます。
青木 日本の外交史に造詣の深い学識者も驚いていた。「日本人で、そんな人はいない」と感嘆していたよ。
原田 キッシンジャー長官との会見を終えた先生は、この日、日本大使館で故・大平正芳元首相(当時・大蔵大臣)とも会見された。
秋谷 大平蔵相はワシントンでの先進国蔵相会議から戻ったところだった。
 蔵相のほうから「日中平和友好条約」について池田先生の意見を、お聞きしたい≠ニいう連絡があり、日本大使館で会われたわけです。
原田 池田先生は大平蔵相に「キッシンジャーさんも、日中の条約は『賛成です。やったほうがいい』と、はっきり言われていました」と伝えた。
 すると蔵相は「友好条約は、必ずやります」と約束された。その言葉通り「日中平和友好条約」は、78年8月に調印されている。
高柳 重大な発言ですね。
大場 そして15日には、吹雪舞う厳寒のシカゴに到着。シカゴ大学の公式訪問、シカゴ・コミュニティー・センターのオープンなど諸行事が続いた。そして18日には、もうロサンゼルスへと戻られた。
原田 ロス滞在もつかの間、21日にはハワイのホノルルへ向かわれ、24日にグアムに到着。そして1月26日、歴史的な「世界平和会議」に出席されたのです。

悲劇の地・グアム

館野 どうしてグアムで行われたのですか。
大場 グアムは、太平洋戦争の激戦地の一つだったからです。多くの無名の民衆が犠牲になった。
 その悲劇の地で「ぜひとも世界的な平和会議を」との地元メンバーの強い要望があった。それで開催が決定したんです。
青木 戦争の悲惨を刻んだグアムだった。そこから平和の未来へ向かって、偉大な歴史が始まった。SGIという、世界平和実現の連帯が生まれた。
 一つ一つに意義のある学会の前進なのです。
秋谷 それにしても、前回も話が出たが、70年代といえば、イデオロギーの対立が激しかった時代だ。
 そうした国際情勢にあって先生は、平和のための民間外交を厳然と展開された。
原田 先生は当時の「朝日新聞」で、こう述べられています。
 「崩れ得ぬ相互理解と友好の精神基盤は、民衆レベルの、人間対人間の交流をおいてないと思い立ち、その故にこそソ連・中国・アメリカを問わず各国を訪問している」(75年2月6日付「論壇」)と率直に語られている。
秋谷 ともあれ、世界広宣流布とは、すなわち世界平和である。仏法に照らして、二つは一つだ。世界広布が進めば進むほど、真実の平和の大道が開かれていく。
青木 その通りだ。「正法の興隆」こそ「世界平和の直道(じきどう)」だ。
 日寛上人の「立正安国論愚記(ぐき)」にも「安国とは一閻浮提(いちえんぶだい)に通ずべし」とある通りだ。安国の「国」とは「全世界」に通じる意義がある。
秋谷 SGIの発足もまた、米中ソを結ぶ世界平和への行動の中で始まった。仏法上、深い意義を感じてならない。
 この歴史は、時が経てば経つほど、ますます輝きを放っていくにちがいない。

SGI提言

杉山 83年から毎年、発表されている先生の「SGIの日」記念提言。これも昨年までで22回目になります。
高柳 世界中の指導者、識者が注目する平和提言です。
 国連のチョウドリ事務次長も「池田SGI会長が20年にわたり、大いなる熱意と決意をもって、毎年、平和提言を世に問うてこられたことは、比類なきことであり、注目すべきことです」と絶讃しておられますね。
青木 SGIの誕生、先生のSGI会長就任には、どれほど深い意義があったか。
 私たちも、あらためて広宣流布への誓いを新たにしていきたい。

(2005. 1. 7. 聖教新聞)

 

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出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、大場SGI理事長、高柳婦人部長、杉山青年部長、館野女子部長

青木 そういえば、SGI(創価学会インタナショナル)が発足したグアム島での世界平和会議。宗門の連中も行っていたな。
大場 1975年(昭和50年)1月24日に当時の日達法主をはじめ宗門の坊主もグアム入りした。早瀬義孔、藤本栄道(日潤)、光久諦顕(日康)らが来ていた。
 のちに「ニセ法主」に化ける日顕もノコノコ付いてきていたよ(笑い)。
原田 当時、あいつは教学部長だった。総監代行の立場でグアムにやってきたんだ。
青木 日顕のことだ。海外と聞いて「シアトル」を思い出して、浮かれ調子で来たんじゃないのか(爆笑)。

宗門に最大の礼

秋谷 この時も池田先生は、最大限に宗門に心を砕いておられた。
 前回も出たとおり、先生はロスからハワイを経由してグアムに入られた。だから宗門の一行を直接、案内することが出来なかった。
 それで学会幹部を大石寺まで遣わして、日達法主をはじめ一行を迎えに行かせた。
 さらにまた当時の北条理事長を日本から同行させるなど、最大の礼を尽くされたんだ。
原田 その通りです。世界平和会議の前夜祭の日も、先生は日達法主を丁重に案内されていた。日達法主も終始笑顔だった。
大場 同行していた学会幹部の話によると、日顕のやつ、相変わらず、あの下卑た顔つきでブラブラしていたというな(大笑い)。
高柳 30年前も今も、まったく変わらないじゃないの(大笑い)。
館野 日顕にしてみれば世界広布なんて、どうだっていい。完全に「物見遊山(ものみゆさん)」だったわけね。
杉山 だいたいグアムに同行した光久が、当時の宗門機関誌『蓮華』に「随行記」を書いている。
大場 これがまた、誰が見たって観光旅行記=i笑い)。
杉山 なにしろ、いきなりジェット機から硫黄島を眺望できず、残念だった
 快適な飛行に身はくつろぎ、機内での楽しい食事に心うばわれている間に、グアムについた≠ネんて書いていた(大笑い)。
青木 バカめが! 何しに行ったんだ、この道楽坊主ども!
杉山 他にもホテルの部屋はクーラーも完備し、海に面して眺めも抜群≠セの私たちの部屋からは名勝の一つに数えられる恋人岬が展望でき、いながらにしてロマンチックな甘いムードが楽しめる感じだった≠セのグアムならではの貴重な一夜を過ごした≠セの。
 完全に「遊び」だった。

海外で遊ぶだけ

原田 当時、グアムで坊主の受け入れを担当した学会幹部も怒っていた。
 「宗門の坊主どもは、グアムに招待されて、うまいものを食べて、土産を買って、いい気分で帰っただけだ。完全にふ抜けた雰囲気だった」と激怒していたな。
大場 それに坊主たちは遊びだけで、やることがないから、やたらと早い時間に寝てしまう。
原田 そうなんだ。早く寝るだけならいいが、早朝に起きてくる。
 役員の学会幹部は行事や運営で忙しい。床につくのは午前2時、3時だ。ところが坊主たちは午前5時ごろに目を覚まして、部屋に押しかけてくるんだ。
館野 ひどいわね!
原田 早朝に坊主が来るので「何事か」と飛び起きてみると「朝食の場所は、どこだ」と聞いてくる。
青木 一事が万事だ。これが坊主なんだよ。こんなのが一緒だったら、世界広布どころの話じゃなかったよ。

SGIにも嫉妬

秋谷 本当に苦労させられた。嫌な思いばかりさせられた。そこまでして尽くし抜いた学会を、日顕は金を取るだけ取ったら、一方的に、ただの一言もなく、勝手に切ってきたんだ。血の通った人間ではない。
大場 そもそもSGIが発足した「1・26」の世界平和会議は仏法史上、深い意義があった。だから法主以下、宗門の一行も招待したんだ。ところが宗門の坊主には、その意義が全く分からなかった。日顕なんか考えもしなかっただろう。
秋谷 それどころか日顕はSGIが発展していくこと自体、気に食わなかった。先生の偉大さと活躍が妬ましかった。いつも自分が一番偉くて、威張っていられないと気が済まない(笑い)。
 だから第2次宗門事件が起きた直後も世界広布というが、ワシがみんな許可してやったじゃないか≠ネどと愚かなことを言っていた。
高柳 戸田先生が「男の焼き餅は真っ黒け」と言われた通りね。本当に真っ黒こげね(大笑い)。
館野 何がワシが許可した≠諱Bえらそうに威張り腐って。これじゃ「坊主」どころか「坊や」ね(大笑い)。
青木 だいたい誰の許可も受けずに、勝手に法主の座を掠(かす)め盗ったのは誰だ(爆笑)。
杉山 そもそも世界広布について日達法主が何と言っていたか。
 私は世界の仏法流布という平和文化運動の実践運動をSGIの池田大作先生に一切、お願いいたしております≠ニ幾度も明確に述べていた。
青木 重大な発言だ。「許可」じゃないよ。「お願い」だよ。日顕は、この先師に完全に反逆したんだ。
大場 日達法主は世界平和会議の挨拶でも、こう言っていた。
 「このような、世界的な仏法興隆の時をつくられたのは、まさしく池田先生であります。池田先生のご努力こそ、最も御本仏のご賛嘆深かるべきものと確信するものであります」と、最大の讃辞を送っていた。
秋谷 まさに、あのSGI発足の世界会議は「宗門が学会に世界広布をお願いする儀式」でもあった。ほかならぬ法主が断言しているんだ。これほど確かな証拠はない。
青木 日顕のやつ、法主の側にいて、何を聞いていたんだ?(大笑い)
大場 何も聞いていなかったんだろう。これまた「こんなやつに相承なんかない」という動かぬ証拠だな(笑い)。
秋谷 日顕が嫉妬に狂って何を言おうと、世界広宣流布を現実にしているのは学会だ。宗門でも坊主でもない。池田先生の渾身の指揮と、SGIメンバー一人一人の死にものぐるいの激闘があったからこそ、今日の世界広布の大発展があるんだ。日顕の嫉妬だの妄言などは何の関係もない。
原田 その通りだ。その証拠に日顕宗と別れてから、各国SGIは、ますます力が出た。発足時の51ヵ国から、今や190ヵ国・地域に広がった。世界広布は一段と拡大したじゃないか(笑い)。

(2005. 1. 8. 聖教新聞)

 

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出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、大場SGI理事長、高柳婦人部長、杉山青年部長、館野女子部長

杉山 これまでも出たように、1975年1月26日――SGI(創価学会インタナショナル)誕生の、この日から、世界広宣流布への本格的な大前進が始まった。
大場 御聖訓に厳然と仰せの通り、広宣流布が進めば、三障四魔(さんしょうしま)も紛然と競い起こる。
 偉大な正義には、嫉妬の黒い嵐が渦巻いていく。悪の本質とは、何よりもまず「正義への嫉妬」にあるからだ。

人間主義に嫉妬

青木 実際、SGIが発足した75年を境に、一部の政治家や週刊誌などの嫉妬、妬みが牙を剥いてきた。
秋谷 そうした中で、76年(昭和51年)に、あの『月刊ペン』が下劣極まるウソを並べ立てた。
 狂気のデマを野放しにするのは、世のため、人のためにならない。それで学会側は告訴した。その結果、デマ事件の張本人である編集長の隈部大蔵は逮捕された。
高柳 今でもマスコミが名誉毀損で刑事事件になるケースは少ないですね。
原田 そうです。これは誰が見ても、まったくの作り話だった。
 隈部は結局、裁判で当時の最高額の罰金刑に処された。学会側の完全勝利で決着が着いた。
大場 なにしろ、はじめから終わりまで、ウソ八百のデタラメ記事。隈部本人が学会と関係者に「詫び状」まで書いて謝った。
 それほど事実無根のデマだった。
青木 実は、これも、すべて隈部の学会に対する政治的な「嫉妬」と、宗教的な「妬み」が発端だった。
原田 その通りです。以前も出ましたが、東西冷戦の対立が激しくなるなか、74年に池田先生は歴史的な初訪中(5月)、初訪ソ(9月)を果たされた。
 その年の暮れには、再び中国を訪問(12月)。さらに学会と日本共産党の間に「創共協定」も結ばれた。
大場 そして翌75年1月に訪米。キッシンジャー国務長官、国連事務総長らと会見を重ねた。1月26日にはSGI会長に就任された。
秋谷 世界的に見ても、20世紀の最後の25年に入り、あらゆる国が次の世紀をリードしゆく思想、哲学を模索していたといえる。
 そういう激動の時代状況にあって、先生の人間主義の行動に、世界の注目が集まり始めた時だった。
原田 これに、大乗教団という宗教団体の幹部だった隈部が嫉妬した。調子に乗って、デマの陰謀を企んだ。
青木 隈部は、まさか学会が刑事告訴してくるとは思っていなかったんだろう。それが大間違いだった。
杉山 「月刊ペン」裁判の判決に、こうある。
 「被告人(=隈部)は、昭和五十年八月ころ、当時表面化した創価学会と日本共産党との間のいわゆる創共協定に対し、教義上の立場から疑問をつのらせ『月刊ペン』誌に創価学会批判記事の掲載を企画」と、明確に認定している。
青木 重要な判決だ。隈部が書いたデマは、法廷で「いつ」「どこで」「誰が」が全部、インチキであることが発覚した。すべてが厳しく糾弾され、作り話であることがハッキリした。
原田 結局、隈部は最高額の罰金刑になった。

デマは妬みから

秋谷 とにかく東西の大宗教の歴史を見ても、教団が新しい発展の段階に入るとき、そこには必ず嫉妬、反発があった。デマの策謀があった。これは一つの方程式だ。
杉山 まったく、その通りです。日蓮大聖人も、まったく身に覚えのない女性のデマを日本中に流された。「犯僧(はんそう)」呼ばわりされた。
原田 実は、このデマが流されたのは、大聖人が「立正安国論」を発表された後のことです。
 保身と嫉妬の念仏坊主らが事実無根のデマを流すことで、迫害を加えたんだ。
青木 大聖人は「立正安国論」で、日本中を席巻していた念仏こそ「一凶」である、と厳しく弾呵(だんか)された。これに慌てた坊主どもが女性問題をデッチ上げた。これが真相だ。
大場 さらには権力者とも結託して、大聖人を伊豆に流罪した。恐ろしい迫害の構図だった。
館野 このとき伊豆で御執筆になられた「四恩抄」には、こう仰せです。
 「日蓮はさせる妻子をも帯(たい)せず魚鳥(ぎょちょう)をも服(ふく)せず只(ただ)法華経を弘(ひろ)めんとする失(とが)によりて妻子を帯せずして犯僧(はんそう)の名(な)四海(しかい)に満(み)ち螻蟻(ろうぎ)をも殺さざれども悪名一天(いってん)に弥(はびこ)れり、恐(おそら)くは在世(ざいせ)に釈尊を諸(もろもろ)の外道が毀(そし)り奉(たてまつ)りしに似(に)たり」と。
秋谷 「釈尊を諸(もろもろ)の外道が毀(そし)り奉(たてまつ)りしに似たり」。大聖人御自身が仰せであられる。
 デマは嫉妬から起こるんだ。

女性信徒を利用

原田 釈尊にも有名な「九横(くおう)の大難(だいなん)」があった。そのうち二つまでもが陥れのデマだった。
杉山 その通りです。一つはバラモンの旃遮女(せんしゃにょ)が釈尊の子を身ごもったと誹謗した「旃遮女の謗(そしり)」。
 もう一つは釈尊に近づいた孫陀利(そんだり)という女性が殺害され、それを釈尊の仕業だと喧伝された「孫陀利の謗」だ。
高柳 当然ながら、いずれも完全な作り話のデマ事件でした。
原田 当時、釈尊の教団はインドのマガダ国を教化(きょうけ)し、つづいて新興国家であるコーサラ国の首都サーヴァッティ(舎衛城(しゃえじょう))に入って、布教をはじめていた。
館野 まさに教団が新しい発展の段階に入った。その矢先に起きた。不思議ですね。一致していますね。
杉山 サーヴァッティには、当時の新興思想であった六師外道(ろくしげどう)をはじめ新しい宗教が次々と流行していた。旧来のバラモンも形式的とはいえ、国王から重用(ちょうよう)されていた。
大場 旧勢力も新興勢力も、釈尊を憎み、その教団の拡大に恐れを抱いていたんだ。
原田 そこで、教団の指導者である釈尊に的を絞って攻撃した。ありもしないデマを流したわけだ。
杉山 それに大聖人も釈尊も、教団に女性の信徒がいた。これは当時、珍しいことだった。邪悪の連中は、そこにも狙いを定めた。ウソ八百を捏造(ねつぞう)した。
高柳 これまた「月刊ペン事件」が起きた背景と同じね。隈部は、当時、まだまだ珍しかった公明党の女性国会議員をターゲットにしたのよ。

迫害の方程式

杉山 周恩来総理も隠し子がいた≠ネどと、事実無根の女性デマを喧伝された。
館野 全部、卑しい妬みと嫉妬。いつの時代も、いずこの国であっても、邪悪な陰謀というものは、あるものね!
青木 まったくだ。デマの内容、陰険さ、陰湿さ。全然、変わらないじゃないか。
秋谷 妬みの勢力というのは、正々堂々と言論戦で勝負しても勝ち目はない。だから事実無根のスキャンダルをデッチ上げる。社会的な事件に仕立てる。
 3千年前から変わらない。人間社会の「迫害の方程式」だ。
青木 だが、学会は正義だ。ある意味で宗教は「殉教」だ。むしろ学会は迫害のたびに強くなった。今や名実ともに日本一だ。醜い嫉妬の連中のデマ攻撃など、はるかに見下ろして、すべてを打ち砕き、一段と拡大を遂げてきた。
秋谷 本当に、その通りだ。とくに今年の新年は、それを実感する幕開けとなった。
 何よりも世界190ヵ国・地域に広がるSGIの正義の連帯。これこそ、明々白々たる勝利の証拠じゃないか。

(2005. 1.10. 聖教新聞)

 

<6>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、大場SGI理事長、高柳婦人部長、杉山青年部長、館野女子部長

SGIへの嫉妬

大場 あの日顕は、SGI(創価学会インタナショナル)の大発展に嫉妬して自滅した。
 同じように自滅したやつが、もう一人いたな。
原田 極悪ペテン師の山崎正友だ(笑い)。
青木 山崎は、ちょうどSGIが誕生した昭和50年当時、土地転がしで莫大なアブク銭を手にした。それで完全に狂っていった。
秋谷 発展する時にこそ、おかしなやつが出る。学会が前進する時ほど、偽物はメッキがはがれる。学会にいられなくなっていく。「淘汰」されていく。これも重要な方程式だ。
大場 その後、山崎は宗門に取り入り、デマを吹き込んで学会批判を煽り立てた。
 昭和53年には「海外部」というのを宗門に作らせたんだ。
原田 初代の海外部長は、当時から山崎にいいように操られていた菅野慈雲(日竜)だ。
大場 当時、宗門のなかにもSGIを妬みの目で見はじめるやつがいた。それを山崎は利用したんだ。
 山崎のやつ、この海外部を思い通りにして、海外で金儲けをしようと企みはじめた。
青木 バカバカしい。「根元」「一番の元」が狂ってるんだ。うまくいくわけがない(笑い)。
杉山 山崎も結局、自業自得で莫大な借金を抱え、凶悪な恐喝事件を起こした。そして懲役3年になり、刑務所に入ることになる。
青木 悪の正体は完全にバレたわけだ。
秋谷 宗門も、今や完全に没落じゃないか。いくら格好つけようが、信者は大激減。奪命魔の山崎に乗せられると、最後は破滅だ。

分断工作は失敗

杉山 それにしても、日顕は悪いやつだ。
 山崎と結託して、あの「C作戦」で国内はおろか、SGIの分断工作まで企んでいったんだからな。
原田 その通りだ。平成2年7月、日顕が策謀した「C作戦」のなかに、すでに、こうあった。
 「海外組織については、宗務院海外部の直接指示に従うよう命じる」「国単位で、宗門側につくか学会側につくか選択させ、海外部が直接、掌握・管理・指導する」と。
大場 さらに平成3年1月にも「国内の創価学会組織のみならず、海外のSGI組織についても、徹底して切り崩し、破壊していく」などと、吠えていたな。
杉山 大笑いだ。14年たって、SGIは破滅されるどころか、51ヵ国・地域から、190ヵ国・地域に大発展だ。結局、日顕宗が山崎のペテンに「破壊」されて大失敗、大敗北だ(大笑い)。
青木 山崎に食いつかれた日顕は、もう何をやっても生き地獄≠セ。

「世界の害毒」

館野 だいたい、これまで宗門が海外で起こした不祥事!
 悪辣な事件! 尋常一様じゃないわ。
大場 韓国では寺院の偽装事件、ブラジルでも寺院乗っ取り事件。
杉山 イタリアのローマでは、坊主の山田容済(岩手・感恩寺)の金髪女性との買春疑惑が発覚。
 スペインでは内紛騒ぎ。シンガポールでも海外部の中本代道が現地の女性檀徒とホテルで密会していた不倫事件。
原田 台湾では日顕本人が「食肉飲酒の法王」「妻を娶(めと)り、子をもうけ」などと嘲笑されて「花和尚(ハレンチ坊主)」としても有名だ。鳴り響いている(大笑い)。
杉山 アメリカでも、ヨーロッパでも、アフリカでも、アジアでも、完全に総スカン。
高柳 脱講も止まらない。世界中の嫌われものね。
青木 こんな悪辣な「ニッケンシュウ」なんか「世界の害毒」だ。いよいよ追撃していこう!
 我々は、ますます正義の拡大に前進だ。
秋谷 その通りだ。我らは本年も、SGIの同志と「善のスクラム」を広げよう。太陽の仏法を堂々と語り抜いていこうじゃないか!
 いよいよ「世界広宣流布の時機到来」だ。

(2005. 1.11. 聖教新聞)

 

<7>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、松原中部長、藤野中部婦人部長、弓谷男子部長、松尾中部青年部長

青木 栄光の創立75周年。「青年・拡大の年」の開幕。中部の発展が、目覚ましい。大きな展望を抱いて前進している。
 まさしく「完勝の一番星」の存在感だ。
松原 新年の仕事始めも千客万来!
 新宝城である中部池田記念会館も、来る人、来る人が「素晴らしい建物ですね」と驚いている。称(たた)えてくださる。
松尾 記念会館の目の前には、天下の名古屋城がある。
 ところが、城を見に来た観光客も、思わず会館を見に来るほどです(笑い)。
藤野 大勢の方が来られる会館です。周辺の清掃をはじめ地域貢献の運動も行っています。
松尾 近隣の方々も喜んでおられます。名古屋に新名所ができましたね∞学会の発展を象徴する建物ですね%凵Xと称賛してくださっています。
秋谷 中部の新時代到来だ。
松原 不思議なもので、わが中部創価学会の大発展と時を同じくして、名古屋をはじめ各都市も、いよいよ活況だ。多くの識者も指摘している。
原田 本年2月には、いよいよ「中部国際空港」が開港する。さらに全世界と交流し、発展しゆく中部になる。
松尾 3月には「愛知万博」も始まります。音楽隊の創価中部ファーストスターズもイベントに参加し、万博を大いに盛り上げる予定です。
弓谷 まさに今年は「中部の年」ですね。

陰湿な宗教弾圧

青木 中部といえば、昔は変な議員がのさばった。陰険、陰湿な宗教弾圧、人権侵害もあった。
 だが、中部の同志は勝った。
松尾 愛知県選出の塚本三郎だ。昔の民社党の委員長までやった男だったが、最後は惨めな敗残の姿になった。今じゃ若い人は、塚本なんて全然、知らない(笑い)。
松原 塚本は昭和40年代に『公明党を折伏しよう』とかいう、ふざけた、デタラメな本を出した。以来、学会への狂気じみた弾圧、中傷を何十年も繰り返した。
青木 塚本は立正佼成会だった。それで偉大な学会に嫉妬していたんだよ。
原田 あいつは、そのデタラメ本を国会の衆院予算委員会にまで持ち込んで証人喚問、証人喚問≠ニ、狂ったように喚き散らしたんだ。
松原 昭和45年2月28日のことだ。あの陰険な宗教弾圧!
 日本の憲政史上に残る暴挙だった。

末路は悲惨

松尾 しかし、末路はあっけなかったな。悲惨だったな。
原田 最後は、アッと言う間に転げ落ちた(大笑い)。
 まず塚本は平成元年、リクルート事件に関与した責任を問われて、党の委員長を辞任した。
青木 当時は大騒ぎだったな。
弓谷 さらに平成4年、愛知でタレントを参議院議員に担ぎ出したが、これが大問題に。その後、この男の「学歴詐称」が発覚して、刑事事件になった。
松原 何とこの男は、受験すらしていないのに「明治大学中退」と大ウソをついて議員になったんだ。
 テレビや新聞で、連日、大事件になった。結局、この男は公職選挙法違反(虚偽事項の公表)で有罪が確定、議員を失職した。
原田 「ウソが原因で、国会議員の当選そのものが無効となった初めてのケース」だった。全国的に有名になったな。
松原 あの時は「まさか国会議員が学歴を詐称するなんて」と、皆が本当に驚いた。「国民を愚弄(ぐろう)している」と、怒り、呆れ返った。
松尾 当時は、あの竹入の学歴詐称も、まだ発覚していなかったからな(笑い)。
青木 竹入のやつは、出てもいないのに「陸軍航空士官学校出身」なんて大ウソをついていた。
 卑しい正体が発覚して、全く表に出られなくなった(大笑い)。
秋谷 当然だ。厳粛な選挙で、国民を騙し、欺いたんだ。罪は、あまりにも重大だ。
弓谷 最近では、民主党だった古賀潤一郎・元代議士だ。アメリカの大学を卒業≠ニ公表していたが、実際は在籍しただけだった。
松尾 これまた、新聞やテレビで大問題になった。
 彼も世論の厳しい批判を受けて昨年9月、ようやく議員を辞職した。
松原 とにかく塚本は、学歴を詐称した男の選挙対策本部長だった。当然、塚本も世間の厳しい批判を浴びて、県連委員長まで辞めた。
弓谷 その直後の平成5年、今度は、塚本本人が総選挙で落選した(笑い)。
松原 すると塚本は、平成8年の選挙で自民党に鞍替えした。そうまでして、バッジにしがみつこうとした。
藤野 本当に往生際の悪い、醜い姿でしたね(笑い)。

哀れな余生

松原 地元の市民も皆、バカにして、ゲラゲラゲラゲラ笑っていた。
 「委員長までやった人間が、ほかの政党から出るなんて、前代未聞だ」「そこまでしてバッジが欲しいのか。未練がましいやつ、みっともないやつ」と軽蔑しきっていた(笑い)。
原田 民社党出身の人間までもが、塚本をバカにし抜いていた。
弓谷 ところが、それでも落選(笑い)。
松尾 平成12年には、自民党の比例区(東海ブロック)から立とうとしたが、結局、立たなかった。
松原 「立たなかった」んじゃない。党の当選枠からはずされて「立てなかった」(爆笑)。
原田 塚本のやつは自分を比例候補者名簿の上位に入れたら、立正佼成会の票が入る≠ニ、盛んに売り込んでいた。
 だが結果は「当選圏外」。やっと観念して、引退した(笑い)。
松尾 今じゃ、誰も塚本なんか相手にしない。寄りつく人間なんて、ほとんどいない。
松原 もともと同僚や後輩からも「心の狭い男だ」と陰口を叩かれていた。有名な話だ。
 政治家を辞めたとたんに、皆から見捨てられたのも、当たり前だ。
藤野 本当に哀れ(笑い)。これが、権力に狂い、嫉妬に狂った「政治屋」の末路ね。

(2005. 1.12. 聖教新聞)

 

<8>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、松原中部長、藤野中部婦人部長、弓谷男子部長、松尾中部青年部長

弓谷 前回は、愛知選出の元議員、塚本三郎の悪行を暴いた。
松尾 それにしても、国会で「証人喚問」などと騒ぎ立てた政治家は、塚本が最初だった。
 塚本本人が当時、雑誌で「国会の証人喚問を要求するという提言は私がしたんです」と白状していた。

裏は立正佼成会

青木 まあ、彼の素性は立正佼成会の幹部だったからな。
秋谷 有名な話だ。薄汚い謀略が、はじめから見え透いていた(笑い)。
弓谷 昭和45年当時、週刊誌の取材でも塚本本人がハッキリと答えている。
 子どもの時から立正佼成会に入信している≠ニ言っている。
松尾 立正佼成会の庭野日敬(故人)も塚本三郎は立正佼成会の信徒で、若い時分、名古屋で布教活動をしたことがある≠ニ言ってるよ。
藤野 結局、宗教で勝てない。選挙でも勝てない。だから、政治権力を使って支持団体の学会を弾圧しようとした。卑劣な男!
秋谷 今も、たまにいるが、こんな政治屋を野放しにしていたら、民主主義は崩壊する。国は滅びる。恐ろしいことだ。
原田 そういえば、あの「月刊ペン」事件でも、デマを書いた張本人の隈部大蔵は大乗教団とかいう宗教団体の幹部だった。
 宗教では全く敵わない。それを妬んで、ウソ八百で学会を攻撃したんだ。嫉妬で真っ黒焦げの悪党どもが考えるのは、常に卑劣なデマだ(大笑い)。
弓谷 そのことは、隈部を断罪した判決にも明確だ。「教義上の立場から疑問をつのらせ、『月刊ペン』誌に創価学会批判記事を掲載することを企画し」(東京地裁、昭和58年6月10日)等とある。
松尾 結局、隈部は逮捕され、当時として最高額の罰金刑を受けて、死んでいったよ。
 『月刊ペン』も、とっくに廃刊になっている。
松原 そもそも隈部が学会を中傷しはじめたのは、判決によると「昭和43年、44年」。
 塚本の宗教弾圧の国会質問は昭和45年2月。
原田 当時、学会は隆々たる発展を遂げていた。社会全体が本格的に学会に注目しはじめていた。
青木 デマの構図は一緒だ。根本は、大発展する学会に対するドス黒い「嫉妬」だ。ピッタリ符合する。
松尾 提婆達多(だいばだった)も釈尊に嫉妬。今の日顕も山崎正友も妬み。
弓谷 その結果、二人とも最高裁で敗訴続き――生き地獄だ(大笑い)。

票乞食議員

青木 それに愛知といえば、塚本より前の民社党委員長だった春日一幸というのもいたっけな。
 とっくの昔に死んだから、あまり言いたくないが、こいつも立正佼成会や他宗から票が欲しくて欲しくてしようがなかった。
 「票ねだり」「票もらい」のために、権力を使って、さんざん学会を攻撃した。
弓谷 宗教弾圧をする政治家というのは、どいつもこいつもウリ二つだよ。自分自身が、どっかの宗教団体のヒモつきだ。信念じゃない。全部「選挙のため」「票のため」「金のため」にやっているんだ。
松尾 春日も立正佼成会やら、世界救世教やら、PL教団やら、あっちこっちの宗教団体を回っては、票を必死で掻き集めていた。
 有名な拝み屋議員≠セった(笑い)。
松原 春日の元秘書が明確に証言している。
 「多い時は10以上の宗教に入り、泊りがけの修行に参加した」と明言している(大笑い)。
原田 バカバカしい。要するに「票乞食」だよ。その「10以上の宗教」とやらも、ナメられたものだ(大笑い)。
松尾 こんな春日だの、塚本だのが党首をやってた政党なんだ。没落するのも当然だ。春日も、党の凋落を見ながら、平成元年4月、病気を理由に引退。その1ヵ月後に死んだよ。

広布の連合体

秋谷 中部は堂々と勝った。陰険な権力の弾圧、妨害も、全て打ち砕いた。
青木 その通りだ。極悪の日顕宗にも完全勝利した。
松原 我々の正義の獅子吼(ししく)で、日顕宗は崩壊寸前だ。中部でも、昨年だけで2000人以上が脱講した。
松尾 ぶざまな日顕宗を笑い飛ばしながら、中部男子部は大前進だ。
 本年の新年勤行会でも410世帯もの弘教(ぐきょう)が実った。
藤野 女子部も婦女合金の団結≠ナ戦っています。9万人の友に幸福の連帯を広げる「ハッピースクラム運動」を展開しています。
松原 中部青年部の弘教は、この年頭だけで1200世帯。各地で素晴らしいドラマが生まれている。
松尾 愛知・東三河旭日県豊川圏の渡辺哲子圏女子部長、渡辺功裕圏男子部長は昨年末、姉弟そろって弘教を達成。さらに本年年頭には、義弟の荒川勤悟さん(男子部部長)が、3世帯の折伏を実らせた。
弓谷 立派だ。
藤野 婦人部は3万会場で、明るく賑やかに婦人部総会を開催。「中部革命は最前線のグループから」と意気軒高です。
松原 それにまた中部では、昨年夏から始まった、関西との広布の連合体≠焉Aますます強固になっている。
 今までになかった、新しいエネルギーが生まれ出ている。
藤野 中部から関西へ! 関西から中部へ!
 同志が往来するごとに、一段と拡大の息吹がわき起こっています。ドラマが生まれています。
松尾 青年部も関西の同志と交流するなかで、爆発的な対話を繰り広げている。大きく成長している。
 この交流を通して、関西に住む友人に弘教したメンバーも続出しています。
弓谷 池田先生も、中部と関西の見事な連帯を称えておられましたね。
 「これからは『結合』『連合』の時代である。
 個人であれ、組織であれ、開かれた心で交流して、『結合』『連合』していくところが発展していく」と教えてくださった。
秋谷 中部こそ、その「広宣流布の大連帯」の先頭だ。中部の同志が快走している。全国の同志も中部の戦いに注目している。
松原 戦います! 3月の中部総会を目指し、我々は、勝って、勝って、勝ちまくろう。
 中部の本格的な大前進が始まりました!

(2005. 1.13. 聖教新聞)

 

<9>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長、館野女子部長

青木 先日、この座談会でSGI(創価学会インタナショナル)発足当時の話が出た。
 「知らなかった」「こんな歴史の秘話があったとは」等々の反響が、日本からも世界からも、届いている。
杉山 学会も、SGIも大発展。毎日の聖教新聞を見れば、よく分かる。
 この真実を坊主や法華講が知ったら唖然とするよ。
原田 日顕が焦って聖教新聞は読むな≠ニ喚き立てるのもわかる(大笑い)。
秋谷 この偉大なる発展の姿。当時は誰びとも想像できなかった。
 戸田先生は「二百年後のために、今、戦うのだ」とおっしゃった。
 池田先生も「私も同じ心である。目先のことなど眼中にない」と言われたことがある。
 これから、どれだけ偉大な歴史が刻まれていくか。

学会の力で発展

弓谷 それにしても日顕はバカだった。学会と一緒にやっていれば、今ごろ宗門も大発展だっただろう。
原田 仏教史に詳しい宗教学者も「学会は宗門と別れて真の意味で世界宗教になれましたね」と、ハッキリと言っていた。
弓谷 真実を知って「いかに宗門が学会に守られ、池田名誉会長に守ってもらったか。日顕は、とんでもない恩知らずだ」と、怒っている法華講もいる。そういう声が宗内から入ってきた。
青木 まったく、その通りだ!
杉山 宗門は学会のおかげで興隆させてもらった。これは厳然たる事実じゃないか。
館野 日蓮大聖人は恩を知り、心ある人ならば、大聖人が受ける難の半分でも、自分がかわって受けるべきではないか≠ニ仰せです。
 坊主を名のるなら、誰よりも「恩を知り」「恩に報いる」べきじゃありませんか。
原田 恩に報いるどころか、日顕は金がたまったら、大恩ある仏意仏勅の学会を一方的に切ってきた。何の対話もしないで、腹黒い謀略で切ってきた。
 学会が寄進した建物も、気が狂ったように破壊しまくってきた。
館野 池田先生が寄進された桜の木も狂ったように伐採する。正本堂や大客殿を何十億円もの費用をかけて破壊する。誰が聞いたって、異常ですよ!

356ヵ寺も寄進

青木 当時、学会は、全国の会館の建設も全部あと回しにして、宗門に供養したんだ。
 どれほどの思いで尽くしたか。
 学会が宗門に供養したのは大石寺の建物だけじゃない。全国356ヵ寺もの末寺も全部、学会が寄進したものだ。
弓谷 そもそも大聖人は「恩」ということを最も重要視された。御書には「恩」という言葉が実に約150ヵ所も出てくる。
杉山 どれほど強調しておられたか。
 有名な御文を挙げただけでも、
 「仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」
 「知恩をもて最(さい)とし報恩をもて前(さき)とす」
 「世に四恩(しおん)あり之(これ)を知るを人倫(じんりん)となづけ知らざるを畜生とす」
 等々、それこそ、枚挙にいとまがないほどだ。
秋谷 日顕は学会に大恩がある。その大恩を仇で返した。この忘恩、不知恩の大悪行!
 とうてい人間の道ではない。仏法の道でもない。永遠に許してはならない。
館野 日顕以前の法主は、大恩ある三代会長に対して、最大に感謝していましたね。
青木 その通りだ。日亨上人は今の宗門から創価学会を取ったら、何が残るか。何も残らないではないか≠ニまで厳然と言われていた。
杉山 日淳上人は池田先生に「戸田先生のおかげで、創価学会のおかげで、大法は清浄に、今日までまいりました。本宗は、戸田先生、創価学会の大恩を永久に忘れてはなりません。こう、細井(=日達法主)に言っておきました」。
 このように言われていたと、うかがっている。

罪を無間に開く

原田 日達法主も「今また大行尊霊(だいぎょうそんれい=南条時光)に継(つ)ぐ大篤信(だいとくしん)の偉人ありそれ法華講総講頭池田大作なり」
 「一大和合僧団(わごうそうだん)創価学会に対し、実にもあれ不実(ふじつ)にもあれ謬見(びゅうけん)を懐(いだ)き謗言(ぼうげん)を恣(ほしいまま)にする者ありとせば、其籍(そのせき)、宗の内外(ないがい)に在(あ)るを問はず、全(すべ)て是(こ)れ広布の浄業(じょうぎょう)を阻礙(そがい)する大僻見(だいびゃっけん)の人、罪(つみ)を無間(むけん)に開く者と謂(い)ふべし」等と称賛していた。
館野 日達法主の言葉に従えば、日顕こそが「罪を無間に開く者」じゃないの!
原田 歴代法主は「学会の大恩に感謝せよ」と厳命している。日顕は、その指南に完全に違背している。これこそ「相承がない」何よりの証拠だ。
杉山 そんなやつが26年も法主の座に居座った結果が、どうだ。宗門は日本宗教界きっての反社会集団に成り果てた。最高裁から7回も断罪された(笑い)。
弓谷 とにかく「知恩(ちおん)」「報恩(ほうおん)」は、大聖人の仏法の根本だ。恩知らずは、大聖人の仏法とは無縁の魔物だ。大謗法の中の大謗法だ。
秋谷 大聖人は恩知らずに対して本当に厳しかった。「不知恩の者は横死(おうし)有(あり)」と断言なさった。日顕の罪が、いかに重いか!
 「罪を無間に開く」ことは絶対に間違いない。
原田 もう一つ大事なことがある。
 恩知らずのところには、同じように恩知らずどもが集まる。このことだ。
杉山 その通りだ。日顕のところに集まっている連中を見てみろ!
 「学歴詐称」の竹入。「恐喝」「不倫」のペテン師・山崎。「恩を仇で返した」「人間として、最下等」の連中ばかりじゃないか。

(2005. 1.14. 聖教新聞)

 

<10>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長、館野女子部長

弓谷 前回は、不知恩の日顕のところに人間失格の連中ばかりが集まっているということが話題になった。
青木 御聖訓に狐(きつね)は老(お)いても生まれた古塚(ふるつか)を後(あと)にせず、毛宝(もうほう)に助けられた白亀も戦に敗(やぶ)れた毛宝を背に乗せて助け、その恩に報(ほう)じた。畜生(ちくしょう)すらかくのごとくである。況(いわん)や人間においてをやである≠ニ仰せだ。
 畜生すら恩を知る。それを知らないのは畜生にも劣る。畜生以下のところには、同類が集まる。道理だよ。
原田 「恩知らず」は反仏法だ。「恩知らず」を許してはならない。徹底して糾弾しなければならない。

学歴詐称の竹入

青木 あの竹入! もともと教育もなく、学問もなく、全部、学会、支持者のおかげで国会議員にまでしてもらった男だ。
 それが「虚栄」「傲慢」「強欲」「権力欲」の果てに狂った。事件を起こし、堕落し、転落していった。
原田 あいつが、党の委員長を辞めたとき、党の財政事情はメチャクチャだったそうじゃないか。
青木 見栄っ張りの竹入は、しょっちゅう料亭に行く。外遊の時だって何千万円とみやげ代に使っていた≠ニ石田幸四郎元委員長も怒っていたな。
 党の財政を私物化していたんだ。
秋谷 卑しい野心が見えすいていた。竹入は党を支配し、学会を最大に利用しようとしていた。
館野 それでよくもまあ党は学会に支配されていた≠ネんて大ウソを言えたものですね。事実は、まったく逆じゃないの!
青木 学会には何も言わせず、やりたい放題。勝手放題。ともかく腹黒く、何を考えているか分からないやつだった。
原田 私が会った政治記者も言っていた。
 「どんな党の、どの議員だって、お世話になった団体、支持者の批判など絶対にしない。感謝している。
 それを根も葉もない中傷、誹謗。やはり、卑しい人間というのは、どんなによくしてやってもダメだ。いつか裏切る。竹入を見るがいい」と大笑いしながら言っていた。
青木 公明党の議員は、肝に銘じてもらいたい。
 議員というのは、自分に力があって、議員になったんじゃない。支持者に推していただき、支援していただき「ならせていただいた」んだ。
 そこを勘違いして思い上がる。たいした力もないくせに思い上がる。えらぶる。そういうのをバカ議員というんだ。
原田 とにかく、傲慢なやつ、いい気なやつ、支持者に人気がないやつ、裏切るやつ。支持者が迷惑だ。辞めてもらうよ。
青木 それに、議員のOBもだ。どれほど支持者にお世話になったか。ご恩返しするのが当然だ。立派に人生の総仕上げをしていくべきだ。
弓谷 議員を辞めたら、支持者の大恩に報いる――それが当然だ。「人間の道」じゃないか。それができないのは人間じゃない。御聖訓に仰せの通り「畜生」だ。

戸田先生の怒り

秋谷 戸田先生は裏切る人間、学会員を見下す人間を決して許されなかった。烈火の如く激怒されていた。
 「牧口先生」と題する一文のなかでも「(牧口)先生の法難におどろいて先生を悪口した坊主どもよ、法を捨て、先生を捨てたるいくじなしどもよ。懺悔滅罪(ざんげめつざい)せんと欲すれば、われらが会(=学会)にきたって先生の遺風をあおぎ、仏のみ教えに随順すべきであるぞ」と、おっしゃっている。
原田 牧口先生も「反逆者の末路は、苦悩と醜態の歴史を、醜く残すだけだ」とおっしゃっていた。恩知らずにだけは、なってはいけない。最後は地獄だ。
青木 戸田先生は、どこまでも牧口先生にお供された。「牧口先生の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」と、師匠に感謝を捧げられた。これが、創価の師弟だ。
秋谷 その通りだ。断じて、おろそかに考えてはいけない。この師弟の魂あったればこそ、学会は大発展したんだ。師弟なくして学会は、ない。学会の永遠の根幹だ。

「恩」を説く仏法

杉山 前回も話が出たが、大聖人は「恩」を最も重視された。実は、この「恩」というのは、世界の宗教の中でも、仏法に独特のキーワードだ。
弓谷 その通りだ。
 日本で恩というと、儒教の影響が強いと思っている人も多いが、まったく違う。「儒教では『恩』を直接説いていない」と碩学(せきがく)が指摘している通りだ。
青木 恩は、仏法でこそ説く。なかんずく日蓮仏法は最大に重視している。いわば日蓮仏法とは「恩を教える宗教」だ。「恩を知る宗教」だといえる。
秋谷 それほど人生の根本、人間としての根本だからだ。それがなくなると人間性が破壊される。大聖人が「畜生すらかくのごとし」等と仰せの通りだ。
館野 一流の知性の英知は仏法の智慧に通じていく――だから、世界中の偉人たちもまた、恩知らずを厳しく断じていますね。
杉山 南米の英雄シモン・ボリバル。「忘恩は人間がなしうる最大の犯罪である」という至言を残した。その通りだ。
弓谷 「彼に善を為(な)した者に悪を為す。妬みの人とは何か? 忘恩の者だ」。これは文豪ユゴーの言葉だ。
館野 スイスの思想家ヒルティは「根本的に卑しい人間のはっきりした特徴は忘恩である」と喝破しています。
青木 「忘恩は人間性の堕落」。それが古今東西の哲人、賢人の結論だ。
秋谷 ともあれ、我らは大聖人直結の団体だ。日蓮仏法の正統、直系である創価の世界で「忘恩」は許さない。
 恩を忘れたら、すべてが空転である。人間でなくなる。すべてが狂っていく。
青木 とくに「議員」だ。不知恩、忘恩の畜生どもは許さない。明確に言っておく。

(2005. 1.15. 聖教新聞)