< 座談会 >

大東京は正義の言論で勝て

 


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出席者:青木理事長、原田総東京総主事、大川墨田区副総合長、日下部江戸川牧口区副区長、羽深新宿池田区副区長、甲斐世田谷常勝区副区長、島岡喜多創価区副区長、西 東京男子部長

西 今年は、学会が支持した議員が東京都議会、東京23区の区議会に進出して、ちょうど50年になる。
 また、今年の7月には、東京都議会議員選挙があります。
原田 各党とも「次の国政選挙を占う選挙」と位置づけている。国の行方にとっても、たいへんに重要な選挙だ。

第3党の重要性

青木 マスコミでは「二大政党制の時代」と言われているが、現実の政治は、そんなに単純じゃない。第3党の公明党があってこそ、庶民の声が反映されている。これは、厳然たる事実だ。
原田 その通りだ。慶應義塾大学の小林良彰教授も分かりやすく分析していた。
 「明確な対立軸を持たない二つの政党(自民と民主)が政権を争ったところで、そこからこぼれ落ちる民意があまりに多過ぎる」(「毎日新聞」一昨年11月17日付)等と述べていた。
西 ルポライターの鎌田慧氏も朝日新聞(同14日付)で語っていた。
 「二大政党の谷間にあって、庶民が気軽に足を運んで情報を交換できるラーメン屋的な受け皿がどうしても必要なのだ」と論評していた。
青木 「公明党のような存在が大事だ」ということだ。自民、民主の2党だけだと、国民の声、庶民の声は、どうしても政治に反映しきれない。
原田 特に都議会では、ずっと公明党は与党で来た。「庶民の目線」で、現実に政策を実現してきた。たくさんの実績がある。
青木 やっぱり地方議員に必要なのは、まず人物。そして実績だ。「仕事ができる人」を議会に送り込まなければ、住民が大変だ。損をする。
西 だから地方議会にあっても、ますます公明党への期待は増しています。そこで今回は、はじめて東京23区の区議OBの方々に集まっていただきました。
 地方議員の仕事。議会の実情。また支持者のおかげで議員にさせてもらっておきながら、堕落していった「忘恩の輩」の末路。存分に語っていただきたい。
大川 ありがとうございます。議員のOBの座談会を読んで「私も戦う」と決意する人が増えてきました。東京だけじゃありません。全国のあちらでも、こちらでも立ち上がりはじめました。

今こそ恩返し

青木 この7月の都議選は、何といっても日頃の政策、実績がものをいう。地域に密着している現役議員、議員OBの戦いは重要だ。
日下部 その通りです。都議選なんだ。都議はもちろん、都議のOB、それに各区各市の議員、OBが、率先して戦うべきだ。
甲斐 それでこそ、支持者の御恩が返せる。
 「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」の誠意を、今こそ、議員OBの戦いで示そうじゃないか。
 今、戦わないのは、公明議員のOBを除名だ!
羽深 人間として、当然のことだ。そもそも公明OBは、引退した後も、大きな目標に向かって戦える。御恩返しができる。本当に、幸せじゃないか。
青木 それにまた戸田先生は、おっしゃっていた。
 「議員と家族が率先して戦っているところは、気持ちよく勝っている。それをおろそかにして、皆にやらせればいいと侮る。そういう議員や家族は必ず衰亡していく」。厳しく語っておられた。
大川 現実に、みな、そうなっています。
 真面目な人、誠実な議員と家族は栄えている。
 インチキな恩知らずの連中は、惨めだ。本人だけではない。家族も厳しい報いを受けている。空恐ろしいほどだ。

「庶民の代表」

羽深 私は5期20年もの間、新宿区で議員をさせていただきました。
 選挙のたびに支持者の皆さまから絶大な支援をいただいた。どれほど感謝しようとも、感謝しきれません。
甲斐 私は昭和42年に初めて出馬しました。この時、世田谷では10人立候補したところ、私を含めて5人が落選した。
 支持者の皆さまに申し訳ない限りでした。どれほど落胆なさったか。
大川 あれは大変な選挙だった。23区で完全勝利したのは、数えるほどしかなかった。
甲斐 そして次の昭和46年の選挙で、やっと当選させていただいたんです。一生、御恩は忘れません。
 公明の議員は、庶民の代表です。自分の力なんかで当選できる者は、一人もいない。すべて支持者のおかげです。それを勘違いして思い上がったら、大間違いだ。
日下部 私の場合は、別の候補が告示直前に事情があって出られなくなった。そこで急きょの出馬でした。あまりに急だったのでポスターもない。
 無名の若者です。それを支持者の皆さまは、岩にツメを立てる思いで応援してくださった。大恩は絶対に忘れません!
青木 その分、支持者の期待は大きい。
 応援のされっぱなし、票のもらいっぱなしは許されない。
原田 その通りだ。とにかく、支持者の期待を裏切るな! とくに、悪い議員は、金で狂っていく。これからは、一段と厳しく見ていく。

出世の腰かけ!?

西 どっかの政党なんかは「やりたい人」「なりたい人」ばかりが立候補している。
 区議だって、あくまでも都議会議員や国会議員へのステップ≠セ。出世の腰かけ≠ノしている連中ばかりじゃないか。
羽深 そういう候補が、ウジャウジャいる(笑い)。
大川 まったく、冗談じゃない!
 どこの政党だって、普通は社会から叩き上げられ、苦労を積み、それなりの信頼を勝ち取ったうえで立候補するものだ。
島岡 それが最近は「一旗(ひとはた)揚げよう」という、甘ちゃんの坊ちゃんばかりだ。「一旗組」だ。
大川 だいたい、区政レベルでみても、あの共産党でさえ、多少なりとも実績があるものだよ。それが、人気取りだけの連中は、共産党にも負けている。お話にならない。
西 有権者は、そんな連中の出世のためにいるわけじゃない。うっかり騙されたら、大変だ。
羽深 これは正真正銘の実話だよ。私の知っている議員で、ひとことも区議会で発言しないのがいる。何期も議員をやっているのに、何一つ発言しない。
西 何のために議員をやってるんだ?
 給料を払う必要なんかあるのか?
島岡 結局、これまた「いつか都議会に出たい」クチなんだ。なかなか「お鉢」が回ってこないものだから、ダラダラと区議にしがみついているわけだ。
青木 言語道断だ。住民をナメている。
 そんな連中が都議になろうと、国会議員になろうと、日本の政治が、よくなるわけがない。悪くなる一方だ。

(2005. 4.25. 聖教新聞)

 

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出席者:青木理事長、原田総東京総主事、大川墨田区副総合長、日下部江戸川牧口区副区長、羽深新宿池田区副区長、甲斐世田谷常勝区副区長、島岡喜多創価区副区長、西 東京男子部長

原田 それにしても、今の焦点は、何といっても日本と中国の関係だ。国際的にも、大問題になっている。
青木 今の状況が続けば、日本も中国も、決して得はない。これは確かだ。
大川 その通りだ。先日(4月23日)、やっと両国の首脳会談が実現した。しかし、予断は全く許さない。マスコミでも連日、報道されている。
青木 日中関係の歴史に詳しい識者が心配し、私に、こう語っていた。
 「国連の首脳も指摘していたが、今、大事なのは、両国に橋を架ける存在だ。
 かつて日中に国交すらなかった当時、その役割を創価学会の池田大作会長が果たした。
 国と国の関係において、意見の衝突、利害の相違は、常にある。避けようがない。
 その両者を結びつけてきた池田会長の勇気と先見の行動に、今こそ学ぶべきだ」。このように語っていた。
原田 そういう先見の指導者が今の日本にいなくなっているからだ。

先見の提言

西 歴史の経緯をひもとけば、一目瞭然だ。
 1968年9月8日、東京・両国の日大講堂で開かれた学生部総会の席上、池田先生は歴史的な、あの「日中国交正常化提言」を発表された。まだ日中関係に展望の光が全く見えない時代だった。
原田 それどころか、中国との友好を口に出すだけで、生命の危険すらもあった時代だ。
 まさしく「勇気ある先見」であり、提言だった。
青木 事実、妬まれた。宗教弾圧の陰謀もあった。
大川 その後の歴史は、池田先生の提言の通り、1972年に「日中国交正常化」が実現。そして78年には「日中平和友好条約」も締結されている。
原田 この間、池田先生は74年12月に、北京で周恩来総理、ケ小平副総理(当時)と会見。
 その後も江沢民(こうたくみん)前国家主席、胡錦濤(こきんとう)国家主席をはじめ、中国歴代の最高指導者と友誼(ゆうぎ)を深めてこられた。
青木 文字通り、中国の各世代の指導者と交流されてきた。また民間交流を深めてきた。
西 今月に来日し、先生と創価大学の入学式に参加した中国青年代表団のメンバーも、口々に語っていた。
 池田先生は中日友好の大道を、まさに命がけで開いてくださった∞先生が架けられた友情の『金の橋』を渡って、両国の青年交流、文化・教育交流が幾重(いくえ)にも重ねられてきました≠ニ語っていました。
羽深 北京大学や安徽(あんき)大学の「池田大作研究会」、湖南師範大学の「池田大作研究所」などでも、先生の人間主義の思想が探究されています。
青木 香港をはじめ中国にも、日本語の読める人が多い。くしくも、池田先生の奥様のインタビューを収録した『香峯子抄』が、大変に好評のようだね。
日下部 これも、いかに先生が、日中の友好に尽力してこられたか。それを中国の人々が深く理解しているからこそでしょう。

印とも深い交流

青木 中国といえば、もう一方のアジアの雄(ゆう)であるインド。学会はインドとも、真剣に、誠実に、友情を深め、広げてきた。
西 インドでも先生の思想への評価は高い。
 今月20日にも、インド最大のメディアグループが創設した「タイムズ基金」から、池田先生に「『偉大なる魂』と『偉大なる英雄』の一体賞」が贈られたばかりです。
原田 授与式はニューデリーの国際会議場で挙行されました。内務大臣や国防大臣らインド各界の要人ら600人が出席。池田先生の名代(みょうだい)として、池田博正SGI(創価学会インタナショナル)副会長が受賞された。
青木 何といってもインドは仏法発祥の地である。日本にとっても、大恩ある国です。
 池田先生は、早くも第3代会長に就任した翌年の1961年2月に、インドを初訪問。東洋広布の第一歩を印(しる)されています。
原田 先生は、インドの歴代の大統領、首相をはじめ、国家の最高首脳とも会談され、友誼を重ねておられる。
青木 85年11月には故ラジブ・ガンジー首相とも東京で会見。
 首相は会見後、秘書に「本当の日本人に会ったよ」と感銘を漏らされていたそうだ。
大川 有名な話ですね。
西 その後、残念ながら首相は暗殺された。池田先生は同夫人のソニア・ガンジー女史、令嬢のプリヤンカさんを心から励まされ、ガンジー家と親交を結んでこられました。
原田 早くから、21世紀の平和のためには、アメリカとロシア、そして、中国とインドが大事になっていくと提言されてきたのも先生であられる。
大川 残念ながら、日本はインドとの交流がまだまだ遅れているといわれる。その中で、学会がどれほど早い時期から、インドと深い信頼関係を築いてきたか。

また「後手」だ!

原田 その中国とインドも最近、歴史的な和解に向けて、大きな一歩を踏み出した。
西 世界中のマスコミが一斉に報じた大ニュースだった。
 今月11日、中国の温家宝(おんかほう)首相とインドのシン首相がニューデリーで会見した。その場で「政治的基本原則」に合意、署名したというんだ。
大川 何しろ中国とインドは、40年以上も国境問題などで対立が続いていた。それが今回の会見で「国境紛争解決への道筋」と「パートナーシップの確立」で合意した。
青木 歴史的な大転換だ。新聞各紙も「手握る『2大国』」「両国は、完全正常化へ向けて大きく前進」等と注目していたね。
羽深 一方、日本についてはマスコミで「対インド関係で中国の後塵を拝した格好となった」等と酷評されている。
大川 日本の外交は、いつも「後手(ごて)」だ!
島岡 今や、アメリカと中国も、より一層、関係を深めている。新聞各紙でも「米中関係は、今や最善の状態にある」と論評している。
甲斐 外交問題の評論家も「日本は完全に立ち遅れた」と慨嘆(がいたん)していたな。
大川 まったくだ。いったい、日本の政治家は何をやってんだ! いつまでも井の中の蛙じゃあダメだ。
原田 政治家は、もっと世界に目を開け! 時代の変化は早い。ますます外交が重要になってくる時代じゃないか。

期待を裏切るな

島岡 イギリスの著名な外交官は「外交とは対話によって合意に達する技術だ」と強調している。
 「信頼を築き上げる力」「対立を解消する能力」――そういう「対話力」が、今ほど日本の政治家に求められている時はない。
日下部 海外の著名な政治家も「政治と外交。これこそ平和を生み出す最大の武器である」と語っている。
 どれほど政治、外交が大事か。重要か。
青木 だからこそ、我々は政治を厳しく監視しなければならない。
 具体的には「どういう政党、どういう政治家を選ぶか」だ。政治家を選ぶことこそ、民主主義の根本土台だからだ。
羽深 ただ「見栄え」や「イメージ」「人気」で選んだら大変なことになる。
大川 その通りだ。国の未来は「どういう哲学と信念を持った政治家を選ぶか」で決まる。いよいよ、そういう時代に本格的に入った。
原田 公明党は、いよいよ本領を発揮してもらいたい。われわれ支持者の期待を絶対に裏切るな!
西 前回も話が出たように、7月には、東京都議会選挙がある。国政にも大きな影響を及ぼす、重大な選挙だ。
青木 我々が応援する公明党からは、23人の候補者が立候補する予定だ。
 ぜひ頑張ってもらいたい。大勝利してもらいたい!

(2005. 4.27. 聖教新聞)

 

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出席者:青木理事長、原田総東京総主事、大川墨田区副総合長、日下部江戸川牧口区副区長、羽深新宿池田区副区長、甲斐世田谷常勝区副区長、島岡喜多創価区副区長、西 東京男子部長

青木 今回は東京の公明党議員のOBに集まってもらったが、私も多くの議員の姿を見てきた。
 そのうえで言いたいが、おかしくなる議員には明確に共通点がある。
羽深 その通りだ。まず、権力志向。権力欲。「偉くなりたい」「オレは偉い」と威張る。
大川 それから「生意気」。人の言うことを聞かない。聞けない。
島岡 金銭感覚が狂っているやつ。議員は「人に尽くす仕事」だ。それを「金儲けのタネ」としか思わない。
青木 権力の魔性に狂うと、本当に怖い。だから皆が、厳しく指摘することが大事だ。支持者が言うべきことを言う。それが結局は議員本人のためになるんだ。

「慣れ」が怖い

大川 本当に、その通りだ。そもそも、議員になって、急に「先生」なんて呼ばれても、最初は「何だ、誰のことだ」と違和感しかない。
羽深 私も「先生」なんて呼ばれても振り向かなかった。
 しかし、それはそれで「傲慢(ごうまん)だ」と言われるんだ(笑い)。だから、しょうがないから返事をしていた。
大川 誰でも最初は「仕方なく」だ。そのうち慣れてくる。怖いよ。
羽深 本当に怖い。というのも議員をやめてから商店街を歩いていると「先生」と呼ばれた気がした。振り返ると全くの人違い(笑い)。
 あの時は、家族から「危ないよ。勘違いが始まっているんじゃないか」と、こっぴどく叱られました。
青木 ありがたい家族じゃないか。それでこそ議員の家族だ。
大川 だいたい議員なんか、「先生」なんて呼ばなくていいんだ。「公僕(こうぼく)」なんだから。「召し使い」じゃないか。
原田 まったく同感だ。戦前のシッポを引きずった「悪弊」だ。時代遅れも甚だしい。
日下部 公明党は「議員を先生と呼ばないキャンペーン」を展開したが、その通りと思うよ。バカバカしいよ。人を堕落させるだけだ。

堕落させる道具

甲斐 とにかく議員というのは、あっちでもこっちでも「人を堕落させる道具」が、ついて回るんだ。たとえば、あの「車での送迎」。
島岡 あった、あった。議長や副議長になると、運転手付きの「黒塗りの車」が付くんだ。朝に迎えにきて、夜は自宅まで送ってくれる。
日下部 私のいる江戸川区では、たとえ議長であっても、今は役所に申請しなければ車両は使えなくなった。
西 実現して当然の政策だ。
原田 国会でも公明党の働きかけもあって、公用車の利用は削減されてきた。都や各区でも同じような流れになってきた。
甲斐 今の制度は知らないが、世田谷区では議会の副議長まで送迎がついた。議員になるまで「黒塗りの車」なんて乗せてもらったことはなかった。いつも人を乗せていたほうだった(笑い)。
 だから副議長になって送迎が来たときは困った、困った。
羽深 私も、極力乗らないようにしていたが、どうしようもない時もある。そんな時は、後ろの席じゃなくて助手席に乗るようにした。
甲斐 でも怖いものだ。正直に言うと、1年間も送迎してもらったら「また乗りたい」という気持ちが出てくるものなんだ。本当に権力の魔性というのは、おっかないよ。
大川 まったく、おっかない。よく言うじゃないか。「黒い車と赤い絨毯(じゅうたん)には気を付けろ」(爆笑)。
原田 とにかく権力は「魔酒」だ。酔ったら最後だ。
青木 注意してもらいたい。権力の酒に酔わせるために、我々は支持しているんじゃないんだ。「酔っぱらい」は必要ない。さっさと辞めてもらう。一段と厳しく監視する。
日下部 当然です。われわれ議員OBにとっても「酔っぱらい」は絶対許せない。
原田 とにかく、おかしくなるやつというのは、勝手にダメになる。腐る。かの大詩人のダンテも悪党は高慢ゆえに自分で勝手に堕落する≠ニ結論した通りだ。
西 中国の周恩来総理は政治家は常に自分を戒めよ≠ニ叫んだ。
 公明党の議員なんだ。「公明正大」に、常日頃から厳しく自分自身を律するべきだ。
青木 その通りだ。先日、東京の足立で腐った議員が出たが、議員の腐敗は、当然、支持者の責任じゃない。あくまでも議員本人の問題であり、責任だ。
 支持者は懸命に戦っているんだ。支持者の顔にドロを塗るな! 恥をかかせるな! 明確に言っておく。

哀れな共産議員

羽深 ところで、権力を批判しているようでいて、実は権力志向の共産党(笑い)。
 実は、共産党の議員というのは可哀相なんだ。
西 可哀相?
羽深 何しろ自分で言いたいことが自由に言えない。いつも党の命令の通り。だから、他党の議員と調整も、妥協も出来ない。
島岡 私のいた北区の議会の幹事長会なんか、いい例だった。共産党は決断を求められると「聞いてきます」(大笑い)。
 そのたびに幹事長会が中断する。
日下部 まったく他党は大迷惑だよ。
大川 そのあげくに「反対」だ。
羽深 はじめっから反対するに決まってるんだ。「聞いてきます」も何もないもんだ(爆笑)。
大川 しかも、あの「実績のネコババ」だ(笑い)。
甲斐 世田谷でも、こんなことがあった。住民の声に応えて、枯れてしまった小さな川を埋めて公園にした。
 これは、公明党の提案なんだ。すると驚いた。その公園の真ん前で共産党が共産党がやりました≠ニ宣伝しているじゃないか。
西 大ウソじゃないか!
甲斐 我々は、大人げないので黙っていた。ところが、近所の住民の人たちが怒りだした。
 「何いってんだ。私たちが公明党に言って、実現したんじゃないか」。面と向かって言った。さすがに、スゴスゴと帰っていったそうだ(大笑い)。
原田 一事が万事だな。
大川 議員に求められるのは「実行力」「決断力」だ。そうでなければ、山積(さんせき)した諸問題に対応、即応なんか、できやしないよ。
 時代の流れは速いんだ。それが、誰かにお伺いを立てないと何も決断できない。時代遅れもいいところだ。ますます退潮していくだろうよ(大笑い)。

(2005. 5. 2. 聖教新聞)

 

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出席者:青木理事長、原田総東京総主事、大川墨田区副総合長、日下部江戸川牧口区副区長、羽深新宿池田区副区長、甲斐世田谷常勝区副区長、島岡喜多創価区副区長、西 東京男子部長

原田 前回も語り合ったが、議員は常に自分自身を戒めるべきだ。どこまでも「誠実」と「信義」に徹していくべきだ。
西 その通りだ。アメリカ合衆国のジェファーソン第3代大統領も「政治をよくするためには誠実に尽きる」と断言した。
島岡 日本の憲政の父である尾崎行雄も議員は思い上がるな。支持者に恥をかかせるな≠ニ叫んだ。
青木 戸田先生は「今は民主主義である。民衆が主人なのだ。いかなる権威の人間も、民衆に仕えるためにいる。それを逆さまにするな!」とハッキリ言われていた。
 議員が「誠実」「真剣」に民衆に尽くし抜く。それが民主主義の本義だ。議員の根本の使命だ。

傲慢無礼の竹入

日下部 それと正反対なのが、あの竹入だ。
 あいつは、私が江戸川の区議時代に、選挙の応援弁士として来た。ところが、とにかく傲慢。候補者の名前もロクに覚えない。候補者の名前まで間違えたほどだ。
西 区議選の応援に来ておきながら、候補の名前を間違える。最低だ!
大川 しかも、江戸川区は、当時の竹入の選挙区だよ。一番大事な地盤だよ。
 それほどインチキ、いい加減、傲慢だった。
日下部 こんなこともあった。
 竹入を呼んで区政報告会を組んだ。ところが、直前になって、突然、キャンセルしてきた。
 こっちは竹入が話す予定の1時間が丸々空くわけだから、大慌てだ。そのくせ「申し訳ない」のひと言もない。代理を寄越すわけでもない。
 さあ、みんなの怒りだしたこと。二度と、あいつに弁士なんか頼まなかった。
大川 そんなことが、しょっちゅうだったな。
青木 平然と「学歴詐称」なんかしていたやつだからな!
島岡 それにまた、竹入というのは、もともと坊主ベッタリの「寺(てら)信心」だった。コッソリ坊主のところに通っていた。それで日顕にくっついた。
原田 家族ぐるみで「寺信心」「坊主びいき」だった。だから、おかしくなっていったんだな。
島岡 ところが最近、竹入の親族の女性が脱講したんです。
 いよいよ、竹入の一角も崩れ始めたよ。
青木 かつて戸田先生は「同志を裏切り、学会を裏切り、支持した皆さんを裏切って、増長して、本当の正しい人の道、政治家の道を踏み外していく。
 そういう人間がいたら、叩き出していけ」と、それは厳しく、強く、仰っていた。
原田 さらに戸田先生は「大恩を受けながら、反逆した連中と、一生涯、断固、戦え」とも指導された。
 支持者に御世話になりながら、その大恩を仇で返す。
 人間として、クズの中のクズだ。絶対に許さない!

忘恩の竜と藤原

大川 それに恩知らずの最低野郎といえば、竜年光と藤原行正。
西 青年部の若い世代にとっては、竜も藤原も、見たことも、会ったこともない(笑い)。
日下部 よかったよ。あんな卑劣な連中なんか知らなくて幸せだ(大笑い)。
大川 竜も藤原も、よく似た「ウリ二つ」同士。どっちも金に汚い。女好き。大物気取り。見栄っ張り。誰からも信用がなかった。
青木 その通りだ。戸田先生も、全然、信用されていなかった。
西 それを支持者が全力で応援してやった。区議、都議にまでしていただいた。一生涯、感謝してもしきれないはずだ。
原田 それを思い上がって、何と国会議員になろうと狙いはじめた。
大川 何が国会議員だ! あの品性。あの人相。あの品行。冗談も休み休みに言え(爆笑)。
原田 当然、国会議員になんか、なれっこない。それを逆恨みして、支持者を裏切った。

議員は「仕事」だ

羽深 だいたい国会議員と地方議員とは役割が違うんだ。ある意味で、地方議員の方が、よっぽど国民に密着した仕事ができる。
 議員は「仕事」だ。議員の偉さは「仕事」で決まるんだ。バッジの種類じゃない。「何をやったか」「何を残したか」だ。
島岡 そんな殊勝な姿勢なんか毛筋もなかったのが、竜と藤原だ。だから狂った。
甲斐 昭和42年に、衆院選があった。私が区議になる前の話だ。その選挙戦の最中、当時は都議だった竜が世田谷区に応援で来た。
大川 また、どうしようもないのが来ちゃったね(爆笑)。
甲斐 まったく、どうしようもなかった。当時は、どういう男か知らなかったから、区内を回ってもらおうと車で竜を案内した。
 そうしたら、あの竜の態度! とにかく、ひどいの何の。
大川 ああ、想像がつくよ(笑い)。
甲斐 竜は後ろの座席に座っていたんだが、鼻をかんだり、痰を捨てた紙くずを座席に山積みにしていくんだ。
羽深 汚いやつ!
甲斐 いくら注意しても、平気の平座だ。毎日、紙くずがたまっていくものだから、私は、座席にゴミ箱を置いた。ところがゴミ箱なんか関係ない。わざわざ座席の上にポイポイと捨てる。本当に、イヤになった。
大川 手弁当で応援してくれる、ありがたい支持者だよ。それを感謝の気持ちどころか、平然と迷惑をかける。
青木 支持者は一生懸命だ。地元に国会議員や都議が応援に駆け付けてくれると聞いたら、車だって出すよ。役員も出すよ。
大川 それを、当の候補者や議員が思い上がって、当たり前のようにふんぞり返る。
 もし、そんなやつがいたら、遠慮は、いらない。怒鳴りつけてやれ!

裏切り者の末路

日下部 聞くところによると、竜は、ずっと病気で、どっかに引っ込んだっきりじゃないか。
西 竜は都議をやめる直前に、財団を作った。東京都と委託契約を結んで、家畜の臓物から出る汚物を運搬するのが仕事だった。
原田 ところが竜のやつは、日顕から分かっているだけで1000万円もの金をもらい、その財団の小冊子で、まったく関係のない学会攻撃をやっていた。
大川 完全にインチキだ。
 東京都を欺き、都民を欺く悪辣千万の背信行為だった。
原田 だが、この財団もインチキ行為が都の監査に引っかかって、委託契約を解除された。
西 それにまた竜は下劣な女性問題まで発覚した。
原田 さんざん支持者を利用し、支持者に迷惑をかけ、支持者を裏切った。とうとう報(むく)いを受けたよ。
大川 それに、藤原。区議会議員にさせてもらった途端、いい気になった。戸田先生に「故郷に錦を飾るとは、どういうことか」なんて得々と質問したんだ。バカもバカだった。
西 区議になった直後のことですね。
青木 戸田先生は「戸田の弟子となって、広宣流布に挺身し、幹部として故郷の土を踏むことが、最高にして永遠の錦ではないか」と厳しく叱責された。
原田 藤原の本性を全て見抜いておられた。
羽深 この藤原も、ご多分にもれず、金、金。銭、銭。
大川 こいつも戸田先生の指導を聞けずに権力の魔性に狂い、転落していった。これまた今では哀れな末路だよ。
青木 根性の卑しいやつは、いくらよくしてやってもダメだ。ムダだ。あとでバカを見るだけだ。
西 藤原は何と、暴力団に殺人依頼をしていた。そういう事実までもが発覚した。
甲斐 竜も藤原も、数々の不祥事で公明党から永久追放されている。
大川 当然だ。公明党は「清潔」がモットーだ。
 あんなのが党にいてもらっては、こっちまで恥をかく!

(2005. 5. 4. 聖教新聞)

 

<5>
出席者:青木理事長、原田総東京総主事、大川墨田区副総合長、日下部江戸川牧口区副区長、羽深新宿池田区副区長、甲斐世田谷常勝区副区長、島岡喜多創価区副区長、西 東京男子部長

焦点は「実現力」

西 それにしても以前、強制わいせつで逮捕されて辞めた都議が出たが、最近も、同じ容疑で辞職した国会議員が出た。
甲斐 本来、議員は選良≠ネんだろう? これじゃ「選悪」じゃないか。庶民のことなんか真剣に考えていないから、こんな不祥事が起きるんだ。
日下部 だいたい出世欲だけで、地方議員を腰掛け≠ノしている連中! こういうインチキな議員も、問題だ。
島岡 そもそも、地方議員は忙しいんだ。仕事も多い。住民相談は、ひっきりなし。道路脇のミラーの設置。歩道の整備。福祉施設の増設等々。ありとあらゆる住民の要望を受け、誠実に取り組んでいかなければならない。
甲斐 まったくだ。生半可な気持ちでは、とうてい、つとまらない。
西 その仕事を真面目にやらない。やる気もない。いずれ国会に出るための人気取りだけやっている。地方議会をナメきっている。
原田 地方議会で実績も残せない議員、信用もされない政治家が、都政、国政で結果を残せるわけがないじゃないか。
青木 真面目に地域をまわり、住民のために働く人かどうか。逆に「名前を売る」だけの連中か。有権者は賢く、厳しく見抜くことだ。
島岡 誰が「有権者のために仕事をする人」なのか。それを見極めるための選挙だ。
 特に今度の都議会選挙は「実現力」がキーワードだ。決め手だ。

民主主義の模範

日下部 公明党は「大衆の中から誕生した」政党だ。これが誇りだ。
 私が区議に初めて当選させていただいた時も、6畳1間に家族3人で住んでいた。
大川 当時は、みんな貧しかった。
日下部 ある時、区役所の役人が私のことを噂していた。
 「いやあ、時代は変わったな。ついに、アパート住まいから議員が出たよ」(笑い)。
島岡 庶民が議員になるなんて、とてもじゃないが考えられない時代だった。
甲斐 私も、日下部さんと同じく6畳1間に暮らしていた。3人の子を2段ベッドに寝かして、私と妻はベッドの下に足を突っ込んで寝ていた。そんな生活だった。
羽深 私の先輩議員もアパート住まいだった。それで、地域の有力者から言われたというんだ。
 「あんなところに住んでいるんですか! 庶民の代表で出ている公明は、すごい。公明の強さを知りました」とビックリしていたというんだ。
青木 まさに「大衆の中から」議員を送り出したんだ。どれほど革命的だったか。
大川 私も昭和34年に、区会議員をやらせていただいた。出身は墨田区の下町だ。実家は、酒屋だった。
 突然、酒屋のせがれが立候補したんだ。皆から白い目で見られたのなんの(笑い)。町会の人たちも、ほぼ全員が立候補に反対した。
日下部 当時は、どこもそうだった。
大川 ハンドマイクを持って路地から路地へ遊説に歩く。すると、罵声が飛んでくる。「拝み屋!」「お前に政治なんかできるか!」(笑い)。時代が時代だった。候補の私はいいが、支持者の御苦労は、並大抵のものではなかった。
青木 昭和34年といえば、まだ公明政治連盟(公明党の前身)も結成されていない。
 政治の素人が真剣に政治を考え、語っていく。まさに民主主義の模範的な活動だった。
大川 まったく、その通りだ。
 この点を政治評論家も、最大に評価すべきだ。公明党ができてから日本の政治はハッキリ変わったんだ。
 それまで議員というのは、地元のボス、街のボスの名誉職だった。金の貯まった小ボスたちが、名誉が欲しくなってバッジをつける。そんな程度の認識だった。
甲斐 あとは左翼系の労働組合の代表ぐらいだった。
原田 そこへ「アパート暮らしの」公明党の議員が出てきた。
 自分の名誉のためじゃない。大衆のため、住民のために働く議員が出てきたんだ。
 この歴史は、年月とともに、大きく輝いていくと確信する。

住宅問題を解決

西 支持者も若いメンバーが増えてきました。
 皆さんが議員になった当時の議員活動について、うかがいましょうか。
島岡 分かりました。私が区議を務めた北区は、当時は人口急増地帯でした。
 公明党の金看板は「大衆福祉の充実」だ。しかし、いくら「住宅を増やせ」とか「福祉の充実」を叫んでも、他党がブレーキを掛けるんだ。
羽深 そうなんだ。それというのも「どうせ団地を作ったって、公明党か共産党に投票する人間しか住まない。作ったって意味がない」というんだな。
西 ひどい話だ。「票にならないから建てない」。メチャクチャだ。
大川 東京都の方針も同じだったよ。なかなか住宅を建てないんだ。都には「住宅局」がある。予算もある。ところが、なかなか都営住宅を建てない。
 だから当時、我々は「東京都住宅を建てない局」って言ってたぐらいだ(笑い)。
甲斐 そうだ。昭和40年代ごろの話だ。
日下部 当時は、区民相談でも、住宅問題が本当に多かった。
 足立区、江東区、北区なんか、特にひどかった。
大川 当局に「いつ建てるのか」と追及すると「手を付けました」という。実際、行ってみたら板が一つ打ち込んである。それだけ。
日下部 要するに「何もやっていないわけじゃない。手は付けている」というわけだ。
大川 それで何年も何年も、放置されていた。
島岡 それが公明党が厳しく追及したことで、だんだん状況が変わってきた。都の住宅局も、少しずつ「住宅を建てる局」に変わっていった(笑い)。
 これは胸を張って言えることだ。

「一人」のために

島岡 いや、地元議員は、やりがいがあるよ。一人の人の相談が解決した時の嬉しさってのは、なかったね。
甲斐 「猫の死骸を片づけてくれ」「病院への入院の仕方が分からない」「病院に行きたいけど車がない」。とにかく、いろんな相談がある。
 小さいようだが、一つ一つが切実なんだ。
羽深 都議だって、区議だって、一生懸命やると、住民一人一人の顔が浮かんでくるんだ。
 「あのおじいちゃんが」とか「あそこのおばあちゃんが」。あの人、この人の悩みが何とかならないものかと、必死になる。
大川 困っている人を見たら、公明議員は何だってやる。真剣に、奉仕する。
 都議会議員も、国会議員も、絶対に忘れてはならない精神だ。鉄則だ。

(2005. 5.10. 聖教新聞)

 

<6>
出席者:青木理事長、原田総東京総主事、大川墨田区副総合長、日下部江戸川牧口区副区長、羽深新宿池田区副区長、甲斐世田谷常勝区副区長、島岡喜多創価区副区長、西 東京男子部長

住民の知恵

羽深 とにかく議員は「現場」を歩くことだ。
大川 その通りだ。あの竹入のやつなんか、全然、現場に行かなかった。行こうともしなかった。
羽深 私は、繁華街を抱えた新宿の議員だったが、以前から「防犯」が区民の最大の関心事だった。
 そこで、住民との対話のなかから出てきた知恵の一つが、街角に立つ看板だ。
西 警告看板。
羽深 そう。よく暗い道などに「ちかん、ひったくりに注意」とある。ところが区民と話してみると「あの内容じゃ、夜道が怖くて、誰も歩けない」という声があった。
 そこで、犯人が逮捕された場所へ「犯人逮捕へのご協力、ありがとうございました」という看板を立てるようにしたんだ。
日下部 それは賢明だ。そっちの言い方のほうが、市民は安心できる。
大川 まさに現場の工夫だ。
羽深 議員は「どれだけ現場を歩いたか」で仕事の質が違ってくる。
 事実、新宿では公明区議をはじめとした防犯への取り組みもあって、徐々に犯罪率が低下してきている。
大川 よく分かる。だいたい地域住民とのネットワークが強いところは、政策の実現率が断然違う。
日下部 そうなんです。「公明議員は、住民の声を聞いているから、仕事ができる」。よく、そういった声をいただいたものだ。
羽深 火災にしても、我々のところには、支持者の方々から、すぐ一報が入る。ところが現場に急行すると、必ず公明区議に出会う(笑い)。
西 それだけ駆け付けるのが早いわけだ。
羽深 被害は? 出火原因は? 援助の手だては? とにかく迅速に、機敏に対応しなければならない。だから、すぐに駆け付ける。
西 公明の都議会議員の動きが抜群なのも、こうした強力な区議とのネットワークがあるからだ。だから仕事ができるし、信頼できる。大いに、宣伝しておきます(大笑い)。

政策の「実現力」

甲斐 議員と一口に言っても、いろいろいるんだ。全然、つかまらないから、どこにいるのかと思うと、仕事もないのに役所に入り浸っている。そういう「役所が逃げ場」になっている議員もいる。
島岡 直接、現場に行かなければ、住民の本心は分からない。必ずズレが出てくる。ダメになっていく。竹入も、竜も、皆、そうだったじゃないか。
原田 もう公明の議員には、いないだろうな!
 支持者を裏切った議員、元議員は、絶対に許さない。
青木 公明議員は「清潔」「誠実」の政治家として生き抜く使命と責任がある。
 そのためにも「大衆とともに語り」「大衆とともに戦っていく」以外にない。
 この原点を忘れたやつは必要ない。とっとと辞めろ! と言いたい。
日下部 地方議会では、いくら議員の数が多くても、それだけではダメだ。肝心の政策は実現しない。議長、自治体の長、役所などへ、丁寧に折衝しないと結果が出ない。
大川 公明党は、それをキチンとやっている。
 だから政策の「実現力」はピカ一だ。都政でも、区政でも、公明党がトップクラスじゃないか。
羽深 ある区の区長が言っていたそうだ。「議会では、数の調整は自民党にお願いする。政策は公明党の政策でいく。そうすれば全て円満にいく」(大笑い)。
原田 公明党は、頼れる。頼りがいがある。東京では、すでに十二分に立証済み、というわけだ。

票集めの手口

島岡 それに比べて、あの、ご存じの共産党(笑い)。
羽深 共産党が、まず目をつけるのは福祉だ。
甲斐 お年寄りや子ども。「社会的弱者が集まるところ」を、票集めの道具に使う。それが手口だ。
大川 何でも利用する。たとえば、区画整理。住民から反対の声があがると、動きだす。そのうち、系列の組織ができる。
 反対活動にかこつけて、住民の取り込み、囲い込みに入るという寸法だ。
日下部 あんまり、やり方があくどくてね。区画整理を実現させるために、その先をいったことがある。
 地域に系列の「反対組織」ができるより先に現場に行った。そして自治会の班長以上の幹部全員と会って話をした。10年かかったが、変なヒモつきなしで、住民も納得するかたちで案件の区画整理がついた。
西 入り込むスキがなかったわけだ(笑い)。
大川 あの手口、やり口。とにかく誠意がない。いつも下心がある。すぐ人のせいにする。
羽深 しかし、ずいぶん都民を分かってきた。
島岡 そのうえ、あの有名な「他党の実績の横取り、ネコババ」。
日下部 以前も都知事が「ハイエナ政党」と吐き捨てていたじゃないか(笑い)。
羽深 実は都知事の「ハイエナ発言」を聞いた女性が怒りだしたそうだ。「ハイエナは、自分でも獲物を捕るんです」(笑い)。
 ハイエナに失礼だというんだな。
甲斐 「ハイエナ以下」か(爆笑)。

都知事が酷評

大川 そういえば、先日の都の予算特別委員会(3月11日)でも公明党の中島都議(世田谷区選出)が、共産党のやり方について質問していたな。
甲斐 公明新聞(3月12日付)などに出ていた。質問を受けて、都知事は「発想が貧しいのか無能なのか、できない政党というのは、本当に都民にとっても困ったもの」「もう少し物事を現実的、リアルに見て、複合的にとらえて、そして正確な主張を」と答弁したんだ。
西 それに「やっぱり選挙が進めば進むほど痛い目に遭うのじゃないか」と忠告までしていた(爆笑)。
大川 実は今年の1月7日に東京・新宿のホテルで賀詞交換会が行われた。そこでも都知事が言っていた。
 東京でも行政も議会も協力しあってやっています。しかし、ひとつだけ何でも反対するのがいまして≠ニやって、場内の大爆笑を呼んでいたよ(大笑い)。
島岡 北区でも、議員定数の削減に反対しているのは共産党だ。共産党の議員が減るからだ。職員の削減も反対、反対。
日下部 改革をやろうという時に「改革に反対する」のが共産党(笑い)。
西 それで何が「革命政党」だ。バカバカしい(笑い)。
島岡 今の委員長も、いろいろと大変なようだ。そう長くは続かないんじゃないか。

(2005. 5.11. 聖教新聞)

 

<7>
出席者:青木理事長、原田総東京総主事、大川墨田区副総合長、日下部江戸川牧口区副区長、羽深新宿池田区副区長、甲斐世田谷常勝区副区長、島岡喜多創価区副区長、西 東京男子部長

引退後こそ勝負

西 OBの皆さんは、議員を引退してからも、地域に貢献している人が多い。
大川 当然です。支持者のおかげで議員生活を全うさせていただいたんだ。生涯をかけて、地域に貢献していくことは当たり前です。
日下部 私は、監査委員のほかに、障害者団体の連絡会で会長を務めています。
羽深 私は町会の顧問の他に、老人会の副会長、障団連の相談役などをやらせていただいています。
甲斐 私は議員時代も含めて、東京西地区の少年野球連盟の会長を30年近く務めています。
 また、社会福祉協議会の分会長なども、やらせていただいている。
島岡 私は行政書士であることもあって、北区の行政書士会の役員。
 また、区の体育協会の評議員などを務めています。
大川 甲斐さんは夏休みの「ラジオ体操」の役員も長くやってきたね。
甲斐 はい。もう30年です。
日下部 「恩は着る」ものだ。御書にも「知恩(ちおん)報恩(ほうおん)をいたすべし」とある通りだ。引退後の今だからできる「恩返し」がある。ありがたいことです。
島岡 議員時代に培ったフットワークは今も健在です。区民と対話しては、現役の区議につなげていますよ。
大川 OBになった途端に「少し休ませてほしい」なんて言うのがいるが、とんでもない話だ。身体が動く限り、口達者な限り、どんどん動く。そうしないと、他党の議員OBみたいに、老け込むだけだよ(大笑い)。

「家族」で決まる

日下部 それにしても、議員一人では何もできない。
 私も、まず支持者、そして家族あっての議員生活だった。
羽深 その通りだ。現役時代、高田馬場駅前で朝7時半から8時半まで家族全員で駅頭に立った。妻は幟(のぼり)を持ち、子どもはマイクを持った。家族と一緒に戦った。
 家族全員で支持者の支援に応えたかったからだ。
甲斐 私も、家族がいなければ、とてもじゃないが、務まらなかった。妻は、私よりも近隣の方々のことを知っていた。感謝しています。
島岡 引退した今も家族で戦っています。妻は今、約5000世帯の団地で女性・文化部長です。
 行事の運営などで微力を尽くしています。私も負けていられません。
日下部 うちも家族が、本当に、よく支えてくれました。特に妻です。妻の笑顔が、向こう三軒両隣の支持を勝ち取ってくれました。
青木 まさに「議員は家族で決まる」。家族の振る舞い、真剣さを、支持者は議員本人に対する以上に見ている。厳しい。忘れてはいけない一点だ。
大川 つくづく思うことがある。
 学会員である議員の家族は、何よりも、きちんと信心することだ。学会活動しなくちゃいけない。逃げちゃいけない。
 人間として恩を知り、恩を報ずるべきだ。
西 まったく、同感も同感。大同感だ。「信教の自由」だ。政治家であれ、その家族であれ、誰人にも保障された国民の権利じゃないか。
青木 やはり、そうか。「親が議員だから」と言って、何か、活動してはいけないような、活動しなくてもいいような空気を、たまに感じる。とんでもないことだ。
原田 むしろ、議員本人が十分に活動できない分、家族が、人一倍、活動に頑張る。それが当然だ。
大川 いくら政治で頑張ったって、福運はつかないよ。宿命も転換できないよ(大笑い)。
原田 宿命転換どころか、議員は「いつも」「常に」権力の「魔性」に引きずられかけているんだ。家族が真剣に信心しなくて、どうするんだ。魔にやられるだけじゃないか。
大川 ずっと見てきて、家族、子どもにキチンと信心させていない議員はダメだ。ただでさえ親が議員だということで甘やかされ、思い上がっているのに、学会活動で訓練されないもんだから、手がつけられない。
 結局、信心の上では「一家滅亡」だ。議員と議員の家族は、よくよく戒め、心すべきだ。
青木 当然、選挙も「まず議員と家族」だ。
 戸田先生も「議員と家族が率先して戦っているところは、気持ちよく勝っている。
 それをおろそかにして、皆にやらせればいいと侮る。そういう議員や家族は必ず衰亡していく」と厳しく指導されていた。
大川 私どもも、よく、うかがっております。
 政治の世界への人材輩出を構想され、決断されたのは、戸田先生です。公明党の議員と家族は、この先生の言葉通りに戦うべきだ。
 そうでなければ、公明の議員を名乗る資格はありません。

今こそ最前線へ

日下部 だからこそ、この7月の都議選も、公明党の議員OBとして、絶対に大勝利を勝ち取りたい。戦います。動きます。東京中に対話を広げます。
甲斐 私は2年前に大病を患った。同志の皆さまのおかげで2度にわたる大手術を経て、更賜寿命(きょうしじゅみょう)させていただいた。
 「命(いのち)限(かぎ)り有(あ)り惜(おし)む可(べ)からず」です。筆舌に尽くせぬ大恩を受けたのです。今度は、断じてお返し申し上げる番です。
羽深 「我こそ公明OB」と戦う決意です。
 公明は「仕事ができる」党だ。前面に押し出します。訴えます。
島岡 これまで築いたネットワークをフルに使って、支持拡大です。最前線で動き回りますよ!
青木 今から50年前の昭和30年。学会として初めての選挙を前に、戸田先生は候補者に対して、おっしゃいました。
 「民衆のなかに生き、民衆のために闘い、民衆のなかに死んでいってほしい」
 「名聞名利を捨て去った真の政治家の出現を、現代の人類社会の民衆は渇望(かつぼう)しているのだ」
 「ともかく、われわれの期待を断じて裏切るな!」。それはそれは厳しく、鋭く訴えられた。
原田 この戸田先生の叫びを、公明党の全議員は断じて忘れるな! 支持者を裏切る、恩知らずを出すな!
大川 忘れません。議員も、OBも、行動で、結果で、お応えします。

(2005. 5.12. 聖教新聞)

 

<8>
出席者:青木理事長、正木総東京総合長、坂口総合婦人部長、大貫東京・荒川長、山崎荒川区婦人部長、杉山青年部長、笠原荒川区青年部長

杉山 宮城1区選出の衆院議員が、先月28日に辞職した。その補欠選挙が10月に行われる。
正木 選挙違反事件での連座制適用による辞職だ。
笠原 4月24日に衆院の補欠選挙が2ヵ所(福岡2区、宮城2区)で行われた。合わせて5億円近くもの税金が使われたそうだ。
杉山 不祥事の後始末に5億円! ドブに金を捨てるようなものじゃないか。
笠原 それだけじゃない。今年3月、国会議員が「強制わいせつ容疑」で逮捕されて辞職した。これにともなう補選も10月にあるらしい。
正木 これまた議員の不祥事の後始末に、税金が投入されるわけか。
青木 これからは、不祥事を起こした議員本人に払わせたらどうなんだ?
大貫 まったくだ。これじゃあ、国民は、やり切れない。
山崎 だからこそ、有権者が賢明に判断しなくてはならない。大事な税金を使って補欠選挙なんて、バカバカしいにも程がありますよ。

真っ先に荒川へ

青木 それにしても、学会は創立75周年の「5・3」を大勝利で迎えた。
 いよいよ本年上半期の勝利の峰へ、全東京が「正義の言論」を繰り広げている。
正木 荒川区の友も元気いっぱいだ。
大貫 池田先生は4月24日付の聖教新聞の「随筆 人間世紀の光」に「荒川に轟け 庶民の勝鬨(かちどき)」を執筆してくださった。荒川中が大歓喜です。感動で、いっぱいです。
坂口 先生は随筆に綴ってくださいました。
 昭和32年夏の「大阪事件」の直後のこと。出獄された先生が、真っ先に向かってくださったのは荒川だった、と。
 私も当時、荒川に住んでいました。子ども心にも、すごい方がいらして、荒川中に旋風が起きたことを実感しました。
正木 東京の反転攻勢は「庶民の町」荒川から始まった。池田先生自らが先頭に立たれ、一人ひとりと会い、語り、道を開いてくださった。
 我が東京の誉れの歴史です。
坂口 当時は、ちょうど「ブロック制」が敷かれた頃でしたね。
青木 その通りだ。当時の学会は、折伏による人間関係でできた「タテ線」の組織形態だった。それを、地域に根ざす「ブロック体制」に移行することになった。
 そこで昭和32年の夏に、担当幹部が各地域に入っての「ブロック指導」が始まったんだ。
坂口 池田先生が荒川の最高責任者でした。同年8月8日から14日までの1週間。
 先生は、荒川中を駆け巡り、指導に、激励に、徹底して歩いてくださいました。
大貫 草創の先輩がたから詳しく、うかがっております。先生は一貫して庶民の「団結」の尊さ、強さ、そして「勝つことの大切さ」を教えてくださった、と。
山崎 今回の随筆には、その当時のエピソードも綴っていただきました。
 感動です。いよいよ荒川婦人部の大前進が始まりました。
笠原 荒川広布の「師弟」の歴史は、われわれ青年部にとって、最大の誇りです。断じて戦います。
杉山 青年部が立ち上がり、勝利の突破口を切り開く。不動の「勝利への方程式」だ。
青木 今や荒川は、全東京、いや日本全国の注目の地だ。広宣流布の焦点であり、心臓部だ。
 どこまでも「団結」の二字で進み、断固、勝利の「勝鬨」を叫ぼうじゃないか!
 庶民の都から、東京勝利の基盤を築こうじゃないか!

選挙は国の土台

正木 ところで、あちらでもこちらでも政治家の不祥事が絶えないが、荒川にもあったな。
笠原 昨年のことだ。区長だった男が贈収賄容疑で逮捕されて、区長を失職。8ヵ月たつ今も、未だに勾留中だ。
青木 8ヵ月も勾留か。
大貫 どうあれ、庶民の期待を裏切ったことは事実だ。それでなくても今、荒川は、地域社会が大きく変化している。人口構造も変わっている。区の予算も縮小してきた。
山崎 そのなかで、区民の生活を一番に考えるべき行政のトップがワイロ容疑で逮捕され、失職。
笠原 区民は「二度と、あんなことはあってはならない」とカンカンだ!
杉山 だから「選挙は大事だ」というんだ。選挙は民主主義の根本であり、土台だ。
 土台が、いいかげんであれば、いくら家を作ろうとしてもダメだ。「砂上の楼閣」だ。
青木 その通りだ。皆が賢明になり、政治を良くしていく以外にない。

OBは戦え!

正木 今回の不祥事は、この7月の東京都議選にも影響を及ぼすと、各紙も報じていたな。
大貫 当たり前だ。荒川の区民は厳しく見ているよ。
笠原 今度の都議選は、ますます議員の「人柄」と「実績」がものをいう。僕の知人の新聞記者も断言していた。
青木 とにかく議員は真面目に、真っすぐに行動してもらいたい。
 OBも候補以上に、支持拡大の先頭に立ってもらいたい。
笠原 まったくだ。この忙しいさなかに、遊び回っている議員OBもいるという話じゃないか。
杉山 とんでもないやつだ!
正木 真面目な議員OBは本当に一生懸命やっている。地方のOBも、なにくれとなく我が東京を応援してくれている。
青木 当然のことだ。それを、どっかをほっつき歩いて、わがまま放題、勝手放題! まったく「ふざけるな」だ。
杉山 何事も「時」が大事だ。今こそ議員OBは、支持者の大恩に報いるために、死にものぐるいで戦う時じゃないか。
正木 その通りだ。我々は議員以上に、OBの振る舞いを厳しく見ている。鋭く糾弾していく。

(2005. 5.13. 聖教新聞)

 

<9>
出席者:青木理事長、正木総東京総合長、坂口総合婦人部長、大貫東京・荒川長、山崎荒川区婦人部長、杉山青年部長、笠原荒川区青年部長

「幸福の連帯」を

大貫 「庶民の町」荒川は、人情味あふれる町だ。あったかい土地柄が誇りだ。
 しかし、時代とともに、新しい住宅やマンションが建設され、新住民が増えている。
笠原 この10年で人口の3割以上が入れ替わったとも言われている。
大貫 それに高齢化も深刻だ。
杉山 時代の波に変化の波。荒川にも急速に押し寄せている。
山崎 そのなかで学会員は、郷土を愛し、地域に「幸福の連帯」を築いている。地域の方々からも、多くの称賛の声をいただいています。
坂口 私も先日、婦人部の小単位の集いに参加しましたが、あまりに友人が多いので驚きました。その中のお一人が「学会の会合に来ると元気が出ます!」と語っておられた。
 庶民の町の「友情の絆」は、強い。荒川家族≠フ一人として、改めて実感しました。
正木 いや、荒川は、何といっても笑顔が違う(笑い)。輝いている。
坂口 そうなんです。荒川婦人部は、とにかく笑顔、笑顔(笑い)。
山崎 先日の婦人部の会合にも、東日暮里歓喜本部の支部副婦人部長さんが、なんと友人60人以上と一緒に参加されました。
青木 60人! すごいね。青年部も、かなわないね(笑い)。
山崎 学会が政治に堂々と参加し、声を上げることについても「当然ですよ」「もっともっと頑張ってもらいたい」と声が広がっています。
杉山 まさにチリの大詩人、パブロ・ネルーダが庶民の声こそ真の力である≠ニ喝破した通りだ。

バカげた批判

正木 そういう時代に入ってきた。庶民を守っているのが、学会じゃないか。それを何が政教一致≠セ(大笑い)。
大貫 バカバカしい。言っているのは、どっかの宗教団体のヒモつき政治屋か、一部の週刊誌だけだ(大笑い)。
青木 まったくだ、まったくだ。
 その証拠に、日本の大新聞も、世界的な大マスコミも、そんなバカげた批判を出したためしがないじゃないか。

「腰かけ」はNO

正木 ところで、前回も政治家の不祥事が話に出た。その時に問題になるのが「秘書」の存在だ。
笠原 「一体」の関係だからだ。それでなければ、仕事にならない。
杉山 国政レベルでいえば、議員の約20%が秘書出身という話だ。
 それに政治家の元秘書が、都道府県議会に立候補することも、よくあるケースだ。
大貫 それだけに、鋭く、厳しく、見ていかなければいけない。荒川は、庶民の町だけに、不祥事や金権体質には、とくに厳しい地域だ。
山崎 その通りです。それに今、東京では、国会議員になるための「腰かけ議員」が多くなってきた、と言われています。まったく、冗談じゃありませんよ。
 私たちの愛する荒川が、そんな連中の「腰かけ」にされて、たまるものですか!
大貫 まったくだ。「勘違い」している連中が増えてきた。選挙の時だけは、あっちこっち派手に宣伝に回っているが、落選した途端に姿が消える(笑い)。
笠原 議員は「就職口」か? 「出世の道具」か? 地方議員というのは、その地域に根を張り、地域に骨を埋めていく覚悟が必要だ。
 そうでなければ信用されるわけがない。地元のために、戦えるはずもない。
青木 いま、地方自治体の状況は厳しい。だからこそ「本格派」の政治家が必要なんだ。性根のすわった「ドブ板議員」が待たれているんだ。
 それを「口先」「イメージ」「パフォーマンス」。騙されてはいけない。損をするのは有権者だ。

勝利の陣頭に

正木 我々が支持する公明党は、都政にあって「庶民の目線」で政策を実現してきた。与党として責任を果たしてきた。
 いよいよ「出番」だ。「本番」なんだ。絶対に、勝ってもらいたい。断じて戦え!
笠原 とにかく、上半期の総仕上げだ。大東京の勝利の陣頭は、わが荒川だ。
山崎 先日の「随筆 人間世紀の光」にも綴っていただきました。
 「二十一世紀の真の主役は、我ら民衆であり、庶民である。ゆえに、庶民の都・荒川の連戦連勝こそが、新たな歴史を祝賀しゆく勝鬨なのだ」と。
 「連戦連勝」へ、婦人部は語りに語ります!
青木 その通りだ。歴史を開く主役は「民衆」だ。
 荒川の勝利を皆が待っている。
大貫 やろう! 戦おう! 庶民の都の勝利の「歴史」を堂々と築こうじゃないか。

(2005. 5.14. 聖教新聞)

 

<10>
出席者:青木理事長、谷川総東京長、山本目黒総区長、山口目黒総区婦人部長、西 東京男子部長、松岡目黒総区男子部長

青木 今、大東京の奮闘に日本中が注目している。熱い声援を送っている。
谷川 本当に嬉しい。東京は勇気百倍です。心から感謝します。
青木 特に目黒の勢い! すごい。全東京を力強くリードしている。
山本 目黒は昨年、総区体制に発展。新たな支部、地区も誕生しました。
 「月月(つきづき)・日日(ひび)につより給(たま)へ」です。前進あるのみ、です。
青木 池田先生も、目黒の見事な拡大を「壮挙であり、慶事である」と讃えてくださいました。
山本 目黒の誇りは同志愛です。絆が強い。全国各地の「目黒兄弟会」も、常に「心は目黒」(笑い)。本当に、ありがたいことです。
山口 目黒兄弟会の淵源(えんげん)は、昭和48年3月29日。目黒の友の代表が学会本部に集った。そこで行われた、池田先生との誉れの記念撮影でした。
松岡 この時、先生は、目黒の青年部に「このメンバーで『目黒兄弟会』を結成し、定期的に本部に集い、成長を刻む節にしてはどうか」と提案してくださった。
 そして「いかなる立場であれ全員が目黒の責任者です」と全魂(ぜんこん)の指導をしてくださいました。
青木 大事な指針だ。
山本 3月20日にも、兄弟会の総会が行われました。懐かしい友が全国各地から意気軒高と集ってくれました。頼もしい限りです。
谷川 何といっても「師弟有縁(うえん)」の目黒です。
 池田先生は「随筆 人間世紀の光」で綴られました。
 「目黒は、恩師・戸田先生と共に歩んだ、私の青春時代の故郷(ふるさと)でもある。妻と結婚して最初に住んだのも、目黒区の三田であった」
 東京きっての「原点の地」だ。
山口 先生の奥様も当時、蒲田支部・目黒班で班担当員をなさっていました。
 子どもさんの手を引き、背に負いながら、折伏に、友の激励に走り回られた。目黒婦人部の最大の誇りです。
松岡 昭和20年の「7月3日」――軍部権力の迫害と戦い抜き、出獄なさった戸田先生が降り立ったのも「目黒駅」でした。
 学会再建の第一歩は、わが目黒から始まった。
山本 目黒駅周辺の栄光支部も昨年、新しく栄光支部と桜城支部の2支部に発展しました。
青木 目黒の大発展の象徴だ。
山口 今年の「7・3」は、その歴史の日から、ちょうど60年です。
 目黒が戦う時です。目黒の圧倒的な大勝利から、広宣流布の「次の50年」の大道を開きゆく決意です。

敗走した日顕

谷川 目黒といえば、あの日顕が豪邸の建設を目論んだことがあったな。
西 平成3年だ。ちょうど日顕が「C作戦」を始めた直後だ。あいつは、目黒区八雲の超高級住宅地に20億円もの大豪邸を建てようとした。
谷川 学会を切って、信者を奪おう。金を集めて、贅沢三昧に遊んで暮らそう。そういう一石二鳥の魂胆だった。
山本 本当に悪いやつだ。
青木 嫉妬で狂い、金を持ちすぎて狂った。それで「成金」の地が出た(笑い)。
松岡 だが、事前に計画が発覚して、大慌てで中止した(大笑い)。
山本 計画が発覚した当初、宗門が、どう言い訳していたか。「出張所ないし寺院として設計準備中」なんて、とってつけたような言い訳を並べていた。
西 何が「寺」だよ。実際に作ろうとしていたのは、仏間よりも広いプール。大きなトレーニング・ルーム。完全に日顕の遊びの家≠セった(笑い)。
青木 こんなのを「寺」と呼ぶのは日顕宗だけだ(大笑い)。
松岡 日蓮大聖人は「但(ただ)正直(しょうじき)にして少欲知足(しょうよくちそく)たらん僧こそ真実の僧なるべけれ」「出家(しゅっけ)して袈裟(けさ)をかけ懶惰懈怠(らんだけたい)なるは是(これ)仏在世(ざいせ)の六師外道(ろくしげどう)が弟子なり」等と厳重、厳格に戒められているではないか。
 日顕こそ正真正銘の「六師外道の弟子」だ。「魔僧」だ。御聖訓に照らして、明確だ。
山口 まったく冗談じゃありませんよ! 当時、地元の八雲支部の同志は「極悪の一凶を断じて目黒に入れるな」と祈り抜きました。
 結局、日顕の邪計、悪計は木っ端微塵に崩れたのです。
谷川 大きかったのは、この一件で日顕の堕落しきった正体が完全に暴かれたことだ。
山口 近隣の方々も、みな拍手喝采でした。
 「本当によかった。あんな成金趣味で品格のない、坊主のねぐらなんか建てられたら、八雲が汚れていた」と喜んでいました(大笑い)。
青木 宗門事件の初動段階で、目黒が日顕の暗躍を完璧に打ち砕いた。目黒から学会の完全勝利の流れが始まったんだ。
西 その後の日顕(笑い)。哀れも哀れな敗北地獄だ。
 最高裁で2度も断罪。自分のほうで訴えた「シアトル事件」の裁判で大敗北。「芸者写真」裁判でも負けた。
谷川 自分で訴えて、自分で「大ウソつき」「下劣」の正体を晒(さら)け出した。これを「自滅」という(大笑い)。
山本 今も追撃中だ。昨年は「支部4」を超える脱講を成し遂げた。
 日顕だけは、未来永劫、永久に許さぬ!
山口 かたや学会は大前進。日顕を追っぱらった八雲支部も昨年、八雲凱旋支部と八雲旭日支部の2支部に発展しました(拍手)。
松岡 この地域では、男子部、女子部でも新しい人材が育っている。大いに成長しています。
青木 広宣流布は、永遠に仏と魔との戦いだ。ゆえに極悪と戦い、勝った地域が、いちばん発展する。福徳が輝く。人材も出る。
 戸田先生が三類(さんるい)の強敵(ごうてき)に向かって、我々が敢然と戦うときに、広宣流布は成し遂げられる≠ニ指導された通りだ。
 その模範中の模範が目黒だ。

(2005. 5.16. 聖教新聞)