8月31日

 QRレコーディングセミナーも本日で終了である。昨夜のドンチャン騒ぎで、皆かなりの二日酔い状態。それにしても酒を飲む量が、皆ハンパじゃない。これが現場か?と納得...する前にこっちまでグラグラ。
 7時より朝食なのだが、私のいるグループが食堂に行ったときには、まだ4人が食べていただけ。ほかの方々は、それどころじゃないといった状態だった。
 その後6日間お世話になったいいで荘を出て喜多方プラザへ向い、ここで修了式。修了証が手渡された。そして解散。皆で記念写真などを撮り、なごりを惜しんだ。
 鉄道で来た人はマイクロバスで送られ、11時少し前に喜多方駅へ到着。11時06分発の新潟行211D「あがの1号」に乗ろうと思えば乗れたのだが、ややこしい切符も買ってなかったし、何より計画とは違う列車だったので見送る。駅には、QRレコーディングセミナー後期の生徒らしき人々がいた。
 ここで「喜多方⇒新潟⇒秋田⇒青森⇒東京」の乗車券を購入。12500円であった。実は「川崎」までの切符にして新宿で下車し、切符を手元に残そうと思っていたのであるが、つい「東京都区内」と言ってしまう。ついで手荷物所へ行き、不用のカバンを鉄道便で新宿駅へ送る手続きをし、5人で駅前の喫茶店に入る。その後、駅構内のDOMDOMに入り、F氏らと合流した。

 まもなく改札の時間となり、タバコを2箱買って改札を抜ける。新潟方面ゆきのホームから、秋田放送のS氏、大阪電子のH氏、Y氏と一緒に12時51分発の新潟行1299列車に乗車。4両編成の50系客車がDD51に引っ張られる“列車”で、これに乗るために急行をやり過ごし、2時間近く待ったのである。
 喜多方を出たときは満席だった車内もだんだんと空いてきて、H、Yの両氏が他のボックスに移動したのを機に私も移動し、1ボックスを1人で占領。ゆったりとした時を過ごす。
 列車は途中、阿賀野川に沿ったりしながら、15時13分新津駅に到着。跨線橋をわたって駅本屋側のホームにいくと、旧型客車の会津若松行232列車が入線してきた。改札へ行って「途中下車印を」と言ったが、声が小さかったのか聞こえなかったようで、印を押してもらえなかった。ここで柏崎までの切符を購入。券売機だったので味も素っ気もないものだった。
 ホームに戻り長岡行の列車を待つ。15時40分、今乗ってきた列車が着いたホームと同じホームに電車が入ってきた。442M普通列車であるが、急行用の車両で、先頭部の表示も「急行」だった。ここでもボックス席を1人で占領できた。
 右窓に上越新幹線の高架が寄り添ってきてしばらくして長岡に到着。ホームの反対側に上野行732Mが停まっていて、家に帰りたくなってしまうが、私がこれから乗るのは跨線橋をわたった長岡駅ビルの下に停車している新井行である。車内はけっこう混んでいて、いちばん後ろの車両まで行って席についた。16時41分に上野行が発車し、この電車の発車時刻が近づくと体操着姿の女子中学生がロッテリアの袋を持って多数乗りこんできた。全国的に大型チェーン店はあるのだが、旅行に出てみてそういうものに違和感を感じるのは、旅行者の偏見であろうか。
 新井行は16時51分に出発。上越線と信越本線の事実上の分岐点宮内に停車すると、少し離れたホームを金沢発新潟行の北越3号が通過していった。しばらく外の景色をみていたら向かいの男性が週刊誌をすすめてくれた。そこで受け取ればよかったのであるが、つい断ってしまう。

 17時39分柏崎に到着。伯父の家に行くが留守である。しかたがないのでカバンをそこに置いて、駅前に土産を買いに出かける。柏崎駅前もだいぶ変化していてデパートなどもあり、そこに入り土産を2つ買い求める。カメラ屋にも寄り、カメラの電池などを買ってから伯父の家に戻る。
 従兄弟が帰っていたので聞くと、私が来ることはまったく聞いてなかったらしい。喜多方から父に電話をして、今晩泊めてもらえるか確認してくれるよう頼んだのに連絡なしだったとか。そうこうするうちに伯父が帰ってきたので、改めてあいさつする。突然で悪いかなと思ったが、車で30分ぐらいのところにある父の実家にも連れていってもらい、さらにここで叔父に夕食までご馳走になってしまった。
 実家は部分的に建て直されており、昔にくらべて格段に良くなっていた。その場に住んでいない者にとっては、昔の面影がなくなっていくのは寂しい事だが、その場に住んでいる者、特に雪の深いところに住んでいる人々にとってはそうも言ってられないのである。
 その日のうちに、町に戻った。

 

翌日(9月1日)へ

 

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