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9月1日

 昨夜は記録などをつけているうちに眠ってしまったようで、夜中に目をさますと布団をかけていなかった。6時15分に起こされたが、少々風邪気味である。伯母がおにぎりをつくってくれ、これを持って駅へ向かった。
 駅前のバス乗り場には、新潟行の高速バスに乗る人々が15人ほど並んで待っていた。当初は、越後線で新潟へ出るつもりだったのだが、これだと柏崎を6時14分の113Mに乗り、途中の吉田で135M乗り換えて、新潟に着くのが8時46分。ところが北陸自動車道を経由する高速バスだと、柏崎6時45分発で新潟8時15分着。越後線は乗り換え時間を含め、所要時間2時間32分。ところが、高速バスだと1時間以上早い1時間30分。これに運賃の差、越後線1540円、高速バス1000円とくれば、完全にバスの勝利である。ここでも国鉄はバスに勝てないのであった。
 バスは柏崎市街を抜け、柏崎ICより高速へ。途中、右手に畑の中の1軒家といった感じの上越新幹線「燕三条駅」を見ながら快調に走って行く。ところが、高速道を出るといきなりの渋滞に巻き込まれた。新潟に来たのは初めてであるが、思った以上に大きい町である。でも冬に1mも2mも雪が積もるとこの印象も変わるのであろうか。
 間に合うかどきどきしたが、新潟駅にはほぼ定刻に到着。例の切符を見せて改札口を通り、出口のところで途中下車印を押してもらう。そして駅本屋からいちばん遠いホームで待っていると気動車が入線してきて回送されていった。いよいよ「いなほ3号」の入線である。ふと気づくと、私の後ろに列が出来ていた。

 特急「いなほ3号」は9両編成で、ほかの「いなほ」がすべて秋田止まりの中で、この3号だけ青森行である。新潟寄りの1〜4号車が自由席で、私は3号車中ほど進行方向左側に席を決めた。車内は夏休みも終わったばかりということで空席がめだった。ホームで越後弁当とお茶、ジュースを買い求める。そして、9時05分に2013M「いなほ3号」は新潟駅を発車した。
 走り出すとすぐ車掌が検札に来たので、東能代までの自由席特急券を購入。9時39分の中条で前の席の乗客が降りたので、その席を回転させ向かい合せとし、足をのせた。なにしろ東能代まで5時間弱の長旅である。本当は羽越本線を特急でなく鈍行で行きたかったのだが、日程の前後が押さえられているので、かような贅沢はできない。
 間島で運転停車。4002M大阪行特急「白鳥2号」と交換し、10時09分に発車する。しばらく行くと、左手に日本海が見えてきた。日本海を眺めるために進行の左手に席をとったのである。
 11時10分に鶴岡、11時35分に酒田に着くが、乗客はたいして乗ってこなかった。そして吹浦で羽後本庄行急行「もがみ1号」を抜き、仁賀保で833列車秋田行を追い越す。この列車は、昨日通った新津を5時33分に出て、酒田で1時間も停車して、秋田へ13時55分に到着する。本当はこの列車に乗りたかったのである。
 「いなほ3号」は13時06分に秋田に到着したが、やはり乗ってくる乗客は少ない。3分の停車後発車。東能代まであと50分ほどである。追分を過ぎると、左手にしばらく男鹿線の線路が併走する。そして東能代に14時ちょうどに到着した。雨である。

 ここで五能線に乗り換えるのだが、1駅隣の能代より先にいく次の列車は約2時間後である。雨なので街を歩くのも億劫だしと駅の待合室にいたが、ハエがあまりにうるさいので、とりあえず15時11分の能代行に乗ることにした。1両の単行である。跨線橋の上で写真を撮っていると、新潟行特急「いなほ8号」が数分の遅れで到着した。
 東能代から能代はわずか3.9km5分の行程である。そろそろ今晩の宿を決めないといけないので、時刻表の巻末で調べ、能代駅(右写真)の公衆電話から「へなし岬温泉」へ電話。明日は深浦6時発の列車に乗るつもりなので、深浦に泊まるつもりだったのだが、「温泉」の文字にひかれて電話してしまった。「へなし岬」は深浦から東能代寄りに約9km戻ったところにある。明日は6時の列車に乗ることを告げると、朝深浦まで送るとのことで、この旅館に決定。艫作(へなし)駅で待っていれば車で迎えに来るそうである。

 16時01分に弘前行のディーゼルカーが来たので乗りこむ。4両編成であったが、ホームには多くの生徒がいて座れるかどうか不安だったが、なんとか席に着くことができた。このあたりの中学、あるいは高校に通っている女子生徒は、ほとんどがメガネをかけていて、背は中くらいでなかなかカワイイ。ところが話す言葉がわからない。いわゆる津軽弁だとは思うのだが、ほとんど理解不能。たまに有名タレントの名前が出てきて、そういう話題をしているのはわかるのだが。これから津軽弁の中に入ってゆくのだが、なんか不安になってきた。
 列車は波打ち際といったところを走り、駅ごとに生徒を降ろしていく。艫作岬(左写真)を回りこみ、艫作駅に17時31分に着くころには、2〜3人になっていた。艫作駅は無人駅。

 駅を出てみたが、迎えの車が来ていないので宿へ電話すると、向かったところだという返事。しばらく待っているとスバルの軽トラックがやってきた。まさかーと思ったが、やはり宿の迎えであった。道路は舗装されていたが、今一つデコボコなので、車の天井に何回も頭をぶつけるので参った。
 宿に着き、通された部屋は海と線路が見える部屋。夕食は海の幸がたっぷり出て、おまけにデカイ蟹がついたので、さすがの私もすべて食べるのに苦労する。
 浴場には露天風呂があったので入ろうとしたが、浴場を出てから約50メートル近く海側に歩く。でも非常に気持ちのいい温泉だったので、ついつい長湯をしてしまう。温泉から戻ると布団がしかれていた。外を見ると、海の向こうに強烈な光(右写真)。漁り火にしては変だなと思い、宿の人に聞いたらやっぱり「漁り火」。
 夜中にふっと目をさますと海から猛烈な風が吹き付けてきていて、窓ガラスがかなりしなっている。不安で眠れなくなり、廊下に出てみると真っ暗。他に泊まり客がいないようで、ひっそりして不気味。おそるおそるトイレに行き用を済ませ、部屋で布団にくるまって何とか寝た。

 

翌日(9月2日)へ

 

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